第9話【問題用務員と夜襲】
『ユフィーリア様、本日は大変お疲れ様でした』
通信魔法専用端末『魔フォーン』から、リリアンティアの弾んだ声が聞こえてくる。
夜の帳が下りたトロニー王国は驚くほど静かだ。虫の鳴き声と梟の囀り程度しか聞こえてこない。教会の周辺に碌な建物がないことも原因に数えられるだろう。
無尽蔵の体力を持つ問題児も、今日の激務には参った。患者は止めどなく教会を訪れて治療をせがみ、仮病を使ってくる馬鹿野郎どもには鉄拳制裁をくれてやり、貧困街に住む人々に向けて炊き出しを準備したりなど大忙しだ。ユフィーリアたち問題児は5人で手分けして、さらに魔法まで使用してこなしたが、これらの業務を聖女1人でこなさなければならないことを想像しただけで寒気がする。
魔フォーンを片手に自動書記魔法で本日治療した患者の情報をまとめるユフィーリアは、
「聖女って大変なんだな」
『さすがのユフィーリア様でもお疲れのご様子ですね』
「アタシだけじゃねえよ、他の連中もそうだ」
雪の結晶が刻まれた煙管をぷかぷかと吹かしながら、ユフィーリアは疲れた声音で応じる。
疲労感が限界点を超えたのか、未成年組はいつも寝る時間より早めに就寝したのだ。アイゼルネもどこか疲弊した様子で、早々にベッドへ潜り込んだ訳である。
獣人の先祖返りが故に無限の体力を持つエドワードも少しばかり疲れが見えたので、アイゼルネの護衛を言い渡して早めに休ませた。今はユフィーリアが1人きりで事務室に引きこもり、机の上に患者の情報をまとめた羊皮紙を広げて記録を書き込んでいる作業中である。
上から下まで文字が書き込まれた羊皮紙を積み重ねながら、ユフィーリアは「そういえば」と口を開く。
「患者の記録は届いたか?」
『はい。とても分かりやすくまとめていただき感謝しております』
「文字がたくさんで読みにくかっただろ。誰かに読んでもらったか?」
『副学院長様に文章を音声として再生してもらう魔法兵器を作ってもらったのです。ユフィーリア様がまとめてくださった記録も、音声にすれば身共でも理解できます』
「お前、まともに魔法兵器を使えるようになったのか。成長したな」
ユフィーリアが感心したように言えば、魔フォーン越しにリリアンティアは自慢げな口調で返す。
『ショウ様やハルア様が懇切丁寧に教えてくれたのです。これで身共も魔法兵器とは仲良くやれそうです』
「でもまだ農作業は鍬で耕した方がいいんだろ」
『その方が加減も分かりますので』
さすが元農夫の娘である。昔から農作業に従事していただけあって、やはり土いじりの才能は学院随一だ。ユフィーリアだって彼女のように農作物を根気よく育てるのは出来ないかもしれない。
リリアンティアは『やはり農作業に関しては自分の手で育てたいのです』と主張する。彼女らしい言い分である。
ユフィーリアは重怠い肩をほぐすようにぐるぐると回しながら、
「それにしても、トロニー王国はやたら患者が多すぎだろ。仮病まで使ってくる患者もいたし」
『仮病を使う必要があるのでしょうか?』
「仕事をサボりたくて仮病を使うって話はよく聞くけど、聖女に会いたいが為に仮病を使う奴がいるか? 支部に行けばいつでもいるんだから、仮病なんか使わなくても普通に来ればいいのにな」
それも患者の大半が仮病を使った馬鹿野郎である。そんな姑息な手を使わずとも、聖女を一目見たいと思ったのであれば普通に教会を訪れればいいだけの話だ。わざわざ仮病を使う理由が不明である。
なおかつ経済的に格差があるのか、教会を訪れるのは大半が貧困街の住民か孤児の子供である。仮病を使う馬鹿野郎どもも身なりが汚い連中ばかりだった。エリオット教の支部以外、まともな治療を受けられる医療機関が存在しないのだ。
リリアンティアは困った様子で、
『トロニー王国は人員を増やした方がいいかもしれませんね。より多くの患者様に対応できるよう』
「いや、もうトロニー王国から支部を引き払った方がいいかもしれない」
『何故ですか? それでは世界中の人々が健康的で平和な生活を送ることが出来るようにという我々の理念が』
「下手すりゃ聖女が食い物にされるぞ」
ユフィーリアはミントに似た香りの煙を吐き出しながら言う。
リリアンティアの理念は素晴らしいものだが、その理念を広める為の聖女がいなくなれば元も子もない。今日の労働でよく理解できた気がする。
少なくとも、トロニー王国は聖女をいいようにコキ使っているのだ。頼めば無料で怪我も病気も治してくれて、さらには食事も用意してくれている。聖女の善意がトロニー王国によって食い物にされているような気がしてならないのだ。
だから、とっととトロニー王国を見限るべきなのである。引き上げてしまった方が患者もつけ上がらなくて済む。
「リリア、その素晴らしい理念には賛同してやるけど聖女も大切にしてやれよ。大量の患者を1人で治療して、炊き出しまで用意してやるのはさすがに重労働すぎる」
『え?』
「え?」
リリアンティアの反応に、ユフィーリアは聞き返していた。嫌な予感がするのだ。
『聖女は1人で支部に常駐しません。数名の修道女が支部の運営を手伝っておりますので、ユフィーリア様の業務も聖女が請け負うもの以外だったら負担は軽いはずですが』
「修道女?」
リリアンティアの言葉に、ユフィーリアは眉根を寄せる。
トロニー王国の支部に修道女の姿なんて見たことはない。出迎えに来てくれたのは神官の青年が1人だけで、患者の治療も炊き出しの時も修道女らしい人物が手伝いに来る場面などなかった。てっきり神官の青年だけで教会を運営していると思っていたのだが、リリアンティアの反応から判断して状況がおかしいようだ。
確かに、赴任したばかりの聖女が1人でこなす業務量ではないのだ。ユフィーリアたち問題児だって5人で分担してやっとの業務量なのに、これをたった1人で遂行するのはいくら何でも無理がある。神官の青年はどうせ手伝わないのだから、せめて修道女ぐらいは補佐としていてほしいものだ。
背中に嫌な汗が噴き出る感覚に胸中で舌打ちを漏らしつつ、ユフィーリアは「いや」と口を開く。
「修道女なんていねえよ」
『そんなはずありません。支部には数名の修道女を配置しております、トロニー王国の支部にも例外はありません』
「そうだとしても本当の話なんだよな。いたのは神官の野郎ぐらいで」
『どなたですか?』
リリアンティアは知らないと言わんばかりに、
『エリオット教には神官を置くようなことはございません。どなたかとお間違えでは?』
「は? いやでも」
あのミゲルと名乗った青年は、エリオット教のトロニー王国支部で神官をしていると言っていた。格好も神官の長衣だったし、立ち振る舞いも聖職者のそれらしかったので完全に信用してしまっていたのだ。
エリオット教の組織内をあまりよく知らないユフィーリアに落ち度があった。もうすでにこのエリオット教トロニー王国支部は、相手の手中に堕ちていた訳である。
何かを言おうと言葉を探そうとするユフィーリアだが、
「ッ!!」
背後から突き刺さる得体の知れない感覚に、椅子を跳ね除けて立ち上がる。
弾かれたように振り返ると同時に、何者かの手によって机の上に押し倒されてしまった。自動書記魔法が強制解除された影響で羽根ペンが羊皮紙の上に倒れ、インク瓶が転がって中身の液体をぶち撒ける。押し倒された衝撃でユフィーリアの手から魔フォーンが吹き飛び、耳障りな音を立てて床に落ちた。
事務室をぼんやりと照らす蝋燭の明かりが、ユフィーリアを机に縫いとめる犯人の顔を浮き彫りにする。
「――お前、偽物だったんだな。ミゲル神官」
「ようやく隙を見せやがったな、この女ァ……!!」
ユフィーリアの華奢な肩を掴み、ミゲルは引き裂くように笑う。
「次の聖女にとびきりの美女が来たから、ずっとずっと食い物にしてやろうと思って待ってたんだ。それなのにテメェと来たら、隙なんざ見せねえでゴリラやイカれ野郎と一緒に連みやがって!!」
「ご指名されるのは光栄だなッ!!」
下卑た笑みを見せるミゲルの股間めがけて、ユフィーリアは足を振り上げる。
生温かくて柔らかな感覚が脛を介して伝わってきて、思わず鳥肌が立ってしまう。ミゲルの口から唾が飛び、地の底から聞こえてくるような呻き声を発すると膝から崩れ落ちて床を転がった。意外と呆気なく終わってしまった。
乱れた銀髪を手櫛で整え、ユフィーリアは机の上に転がる雪の結晶が刻まれた煙管を引っ掴む。股間を押さえたままブルブルと全身を震わせるミゲルの後頭部を思い切り踏みつけると、
「おう、狙ってた女から足蹴にされるのはどうだ? 興奮するか?」
「このッ、女がァ……!!」
ギリギリと歯を食いしばって睨みつけてくるミゲルに、ユフィーリアは「何だよ」と肩を竦める。
「冥土の土産に少し遊んでやろうかと思ったんだけどな、股間に1発ぶち込んだだけでもう白旗か?」
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管をポンと放る。
次の時に手元へ戻ってきたのは煙管ではなく、身の丈を超える銀色の鋏だ。2枚の刃を留める螺子の部分は雪の結晶となっており、簡単に触れてはならない神聖なもののように見える。
後頭部を踏みつけられたことで頭が固定されているので、ユフィーリアは鋏を開いて彼の首に添える。
「アタシはな、押し倒されるより押し倒したい派なんだよ。解釈違いなんでどうぞ冥府で言い訳でも何でもしてくれ」
相手が何か言うより先に、ユフィーリアはミゲルの首を切断する。
ざっくりと首が切られ、胴体と分離してしまった。さしものミゲルでも首を切られて喋るようなことはなく、ボールのように刈り取られた首が転がって鬼気迫る表情が垣間見えた。罪人にはお似合いの死に方である。
聖職者に紛れ込むなど、冥府で重罪として認定されても文句は言えない。あんな愚かな野郎がいれば教会なんて盛り場と化す。リリアンティアだって泣くどころの騒ぎではない。
押し倒された時に痛めた腰と背中をさするユフィーリアは、
「ッてえな、腹立つから死者蘇生魔法が適用されないようにしてやろ」
指を弾くと、太い氷柱が何本も作られて死んだミゲルの背中に突き刺さる。まだ死んで間もないので、氷柱が突き刺さった場所から真っ赤な血が噴き出た。
死体の損耗率が3割を超えれば、死者蘇生魔法は適用されない。さらに弔う気もないのでこのまま朽ち果てて動物の餌にでもなってくれればいい。いや、それだと動物が腹を壊しそうだ。
ユフィーリアは床に落ちた魔フォーンを拾い上げ、
『ユフィーリア、ユフィーリア様!? 凄い音が聞こえてあの言葉も』
「落ち着け、無事だよ。押し倒された時に腰と背中を痛めたぐらいで」
『押し倒された!?』
「だから落ち着けって、今から話してやるから」
今しがた起きたことを話そうと口を開いたユフィーリアだが、
「――ショウちゃんに何してんだこのクソがあああああ!!」
闇夜を劈くハルアの絶叫。
その直後に、何かを破壊する爆発音が耳朶を打つ。言葉の内容からして、ユフィーリアの愛する嫁に何かあったらしい。
まさか、
『い、今のは』
「悪いリリア、あとでかけ直す」
『ユフィーリア様ッ』
通信魔法を強制終了し、ユフィーリアは事務室を飛び出す。向かう先は愛する嫁と信頼に於ける部下たちが休む寝室だ。
《登場人物》
【ユフィーリア】教会だから安全だろうと思っていたら全然そうではなかった。宗教関係が不勉強だったから仕組みを理解しておらず、エリオット教には神官がいるものだと勘違い。
【リリアンティア】お話の全てを聞いていたエリオット教の教祖様。同僚のユフィーリアが危ない目に遭っているということで取り乱す。最近、魔法兵器をショウとハルアから使い方を教えてもらうので使えるようになった。
【ミゲル】エリオット教の神官ではなく、神官として潜り込んでいただけのならず者。強気な女を屈服させるのが好み。




