第7話【問題用務員と王子訪問】
到着初日でもう帰りたい。
「一生分は働いたぞ……」
「本当だねぇ」
「ほへえ」
ユフィーリア、エドワード、ハルアはぐったりとした様子で長椅子にもたれかかっていた。
本当に治療を必要としている患者は2割程度しかいなかったものの、連続した治癒魔法の行使と自動書記魔法による患者の記録をまとめる作業を同時並行するのはなかなか疲れた。さらに再発の恐れがある病気を抱えた患者までいたので、病気再発を防止する指導まで加わって大変である。聖女の仕事はここまで大変なものなのか。
エドワードとハルアは『馬鹿』という深刻な病に侵された患者どもを片っ端から叩きのめし、半殺しにして追い払っていたのだ。彼らは完全に体力勝負である。休む間もなく動き回っていたから、疲れ知らずな問題児でも疲労感があるのだ。
雪の結晶が刻まれた煙管を力なく咥えるユフィーリアは、
「聖女の仕事を舐めてた……ここまでやらなきゃいけねえのか……」
「いや、ユーリはまだマシだと思うよぉ」
疲れた身体に鞭を打って起き上がったエドワードは、
「ユーリは仮病を使ったバ患者と本物の患者を仕分けしたよねぇ?」
「したな」
「普通の聖女やリリアちゃん先生はさぁ、ユーリみたいに物事の本質を見抜けるような技術は持ってないじゃんねぇ」
「そうだな」
「バ患者も紛れ込んでたらユーリの仕事が倍増ってことになってない?」
「うわ最悪」
嫌な現実に気づいてしまい、ユフィーリアは頭を抱えた。
通常の聖女は回復魔法や治癒魔法の達人と言われているが、それ以外の魔法はからっきしである。永遠聖女と名高いリリアンティアも多少の魔法の知識はあれど、嘘を「嘘だ」と見抜けるような技術は身につけていない。バ患者が仮病を使って本物の患者に紛れ込んでしまえば、聖女の仕事は倍増だ。
リリアンティアの場合は最高精度の神託が貰えるので仮病を見抜けるだろうが、それでも診察することには変わりないので仕事は増えるだけである。この国は何なんだ、聖女をただの便利な医療道具だと思っているのか。
長椅子に寝転がるハルアは、明らかに元気のない声で応じる。
「もういっそ聖女の派遣を止めたらいいよ、聖女様のことを道具としか見てないんだから」
「ハルの言う通りだな。リリアに言ったら怒りそうだけど、治療が必要そうな患者の記録はまとめたから他国に引っ越してもらえば解決しそうだし」
早くもトロニー王国に見切りをつけているユフィーリアは、患者の情報をまとめた羊皮紙に視線を走らせる。
重篤そうな患者からかかった病気まで詳細に記されており、リリアンティアが分かりやすいように振り仮名まで振っておいた。『言葉の意味が分からなければ学院長かルージュに聞け』と一言も添えてから、転送魔法で遠くのヴァラール魔法学院の保健室に送っておく。
患者が全て元気に立ち去って静かになった教会を見渡すエドワードは、
「そういえばぁ、アイゼとショウちゃんはぁ?」
「教会の奥で紅茶の準備をしてくれてる」
身体に溜まった冷気を煙管で吸い上げ、ユフィーリアはミントに似た清涼感のある香りを吐き出しながらエドワードの質問に答える。
大量の患者を案内してくれた功労者であるアイゼルネとショウは、慈悲深いことに紅茶の準備をしてくれている最中だった。「お疲れだろうからお紅茶でも入れるワ♪」とのありがたいお言葉である。さすが気遣いの出来る用務員室のお茶汲み係のお茶汲み見習いだ。
どうせこのあとも聖女の仕事は続くのだ。休憩ぐらい好きに取らせてほしいものである。いいや、いっそのこと教会の扉に『留守です、自力で治せ』の札でも吊り下げてやろうか。
すると、
「ユフィーリア」
「どうした、ショウ坊。何か問題はあったか?」
「何か立派な兵隊さんとたくさんの馬車が教会に向かってきているようだが」
教会の奥から紅茶の薬缶を抱えたショウが、そんなことを教えてくれる。
わざわざ患者を連れてきたのだろうか。つい先程まで患者の治療行為に奔走していたのに、まだ仕事を増やすつもりでいるトロニー王国にもはや殺意すら抱き始める。七魔法王が第七席【世界終焉】として終焉に導いてやるべきかとまで思っていた。
ショウが馬車の存在を知らせてくれてから僅かに遅れて、神官のミゲルが「聖女ユフィーリア!!」と何やら息を切らせながら教会に飛び込んでくる。それほど急ぐ内容なのか、もう働きたくない。
うんざりした様子で教会の扉を開け放ってきた神官の青年へ振り返るユフィーリアは、不良もさながらの喫煙姿を見せつけながら反応を示す。
「あ?」
「ひいッ、間違えました」
ミゲルは慌てて教会の扉を閉じるが、
「いやいやいや、聖女様!! 聖女様がそんな俗物に手を出すのはまずいですって!!」
「アタシの煙管は娯楽品じゃねえよ。身体に冷気が溜まる体質だから、溜まった冷気を身体から吸い上げてんだよ」
「え、あ、そうなんですか。これは大変失礼いたしました」
態度を急変させて謝罪してくるミゲルは「いやいやいや違うんですよ」と我に返る。先程から忙しない奴である。
「セシル王太子殿下がいらっしゃいましたので、ぜひお出迎えを」
「お前がやれ」
「お忙しい中、わざわざ足を運んでくださったんですよ!! 支部を置かせてもらっている以上、王族の皆様には敬意を払わなければなりません!!」
「チッ」
ユフィーリアは聞こえるように舌打ちをする。
下っ端の聖女として潜入している身ではあるが、ユフィーリアの本来の役目は世界に終わりを告げる【世界終焉】だ。神様よりも信仰の対象となっている七魔法王が第七席である。王族に首を垂れるのではなく、むしろ王族が首を垂れて然るべき存在だ。
それをわざわざ笑顔でお出迎えして媚を売れと言うのか。「置かせてもらっている」ではなく、むしろ聖女がいなくなったら困るのはトロニー王国の方ではないか。この神官の青年も首切り待ったなしである。
だがまあ、敵も騙さなければ聖女が8人も立ち去った理由が判明されない。ユフィーリアたち問題児の目的は、あくまで聖女が立ち去った理由を解明することなのだ。
「仕方ねえ。お前ら、王子様とやらをお出迎えしてやるか」
「はいよぉ」
「あいあい!!」
「分かったワ♪」
「了解した」
そう言って問題児は、静かに拳を握りしめた。
「何で拳を握りしめるんですか!?」
「知らねえのか、神官のくせに。拳と拳で挨拶することは基本中の基本だぞ」
「どこの蛮族の挨拶方法ですか!?」
ミゲルからツッコミを叩き込まれ、仕方なく問題児は拳と拳によるご挨拶を断念せざるを得なかった。
☆
外に出てみれば、ちょうど豪奢な作りの馬車が多数の兵隊を引き連れて教会の前に滑り込んできた。
「早くも帰りてえ」
「聖女様」
「うるせえな、分かってるよ」
うんざりしたように呟くと、ミゲルがユフィーリアを窘めてきた。そろそろ彼もユフィーリアの本性を理解してきた様子である。
豪奢な作りの馬車はユフィーリアの目の前で静かに止まると、御者が素早く地面に降り立つと馬車の扉を開けた。どういう原理なのか、扉が開くと同時に赤い絨毯も飛び出してきてユフィーリアの目の前まで敷かれる。
馬車から降りてきたのは、栗色の髪を持つ美青年である。綺麗な襯衣に金色の糸で刺繍された上等な上着、磨き抜かれた革靴で赤い絨毯を踏む。整った美貌は女性であれば黄色い声の1つでも上げそうなものだが、ユフィーリアの琴線は震えることさえない。王太子としての気品が溢れていると言えよう。
綺麗な青色の瞳でユフィーリアを見据えた青年は、薄い唇に穏やかな笑みを見せる。心臓はもちろん撃ち抜かれない。むしろサブイボが立つ。
「これはこれは聖女様、わざわざ出迎えていただき感謝いたします」
「…………お初にお目見えします、王太子殿下。お忙しい中、ご足労いただき恐縮です」
ユフィーリアは全力で猫被りの笑みを振り撒くのだが、声が少しだけ低くなっていた。不機嫌さが滲んでいなければいい。
「セシル・ディオ・アルバ・トロノールと申します。聖女様、名前を伺っても?」
「ユフィーリアです」
「聖女ユフィーリア、いい名前だ」
セシルと名乗った王太子殿下は華やかな笑みで頷き、
「聖女ユフィーリア、貴殿の活躍ぶりは赴任初日から知れ渡っております。世にも美しく聡明な聖女が、あらゆる病をたちまち治してしまったと」
「エリオット教で修行した成果が発揮できて安心しております」
「貴殿の弛まぬ努力が、我が国民を救ってくれました。国を代表して感謝させてほしい、ありがとうございます」
口先だけでは感謝の言葉を述べておきながら、セシルは頭を下げることはない。さすが王族である。下っ端の聖女を相手に頭は下げないか。
それにしても、先程から視線が痛いほど突き刺さる。注目されることは元より得意ではないのだが、何故か周囲から嫌な視線が容赦なくユフィーリアの全身を舐め回してくるのだ。
さりげなく周囲を見渡すと、王太子殿下のセシルや彼が引き連れてきた兵隊たちがまるで品定めをするかのようにユフィーリアを観察していたのだ。ユフィーリアだけではなく、背後に控えるエドワードたち4人まで観察が及んでいる。
「いや、実にお美しいですね」
セシルはユフィーリアの手を取ると、
「貴殿のようなお美しい聖女様とお近づきになれるとは、私も幸運です」
そう言って、ユフィーリアの指先に唇を軽く触れさせた。
ゾ、と肌が粟立つ。得体の知れない気持ち悪さが背筋を駆け抜けていき、気がつけば反射的に拳を振り抜いていた。
王太子殿下の頬に突き刺さるユフィーリアの華麗な右フック。急な攻撃を受けてさしもの王太子様も対抗できなかったのか、呆気なく吹き飛ばされて汚い石畳の上を転がる。
ユフィーリアは心底嫌そうな表情を一瞬だけ見せるが、取り繕うように「失礼」と告げた。
「エリオット教は大半が女性で構成される宗教ですので、男性に免疫がなくて」
「な、なかなか素晴らしい拳をお持ちのようですね……」
口の端から血を垂らすセシルは兵隊たちから助けられながら起き上がり、
「では、聖女ユフィーリア。真の聖女である貴殿の働きには期待しておりますよ」
セシルはそう言い残して馬車の中に潜り込み、赤い絨毯がひとりでに馬車の中へ回収される。御者が慌てた様子で扉を閉ざすと、すぐに馬車を発進させた。
兵隊たちも馬車へ続き、足並みを揃えて教会前から去っていく。嫌に統率の取れた連中である。あの王太子殿下の子飼いだろうか。
ユフィーリアはセシルの唇が触れた指先をエドワードの修道服で拭き、
「きったねえ」
「ちょっとぉ、何で俺ちゃんで拭くのよぉ」
「汚いから」
「――何してるんですか、王太子殿下を殴るなんて!?」
金切り声を上げるミゲルに、ユフィーリアは面倒臭そうな視線をやる。
元はと言えば会いたくなかったのだ。絶対に嫌な予感しかしないし、予想通りに面倒なことになったものである。指先を切り取って消毒しなければ気が済まないほど、今の気分は最悪である。
そんな訳で、
「エド、そこの使えない神官に拳で治療」
「はいよぉ」
「ああ、一応ソイツは神官だから生かしておいてくれよ」
「分かったぁ」
エドワードにミゲルへ拳での治療を命じ、ユフィーリアは教会に戻ろうとする。
しかし、唐突に手を引かれてよろけそうになってしまった。
手を引いてきたのはショウである。夕焼け空を流し込んだかのような赤い瞳に真剣な光を宿し、ユフィーリアの指先をじっと眺めている。
「消毒だ」
何をするかと思えば、ショウはセシルの唇の感覚を上書きするかのように指先へキスをした。
一瞬だけ触れる彼の柔らかな唇、温かな吐息。
指先へのキスを送ると、彼はユフィーリアの手のひらに頬を寄せた。流れるように手のひらへもキスをすると、ショウはユフィーリアの瞳を真っ直ぐに見据える。
「ユフィーリアは俺の旦那様だから、他の下男に触れさせてはいけない。ちゃんと消毒しなきゃ」
「お、おお、うん。ごめん、気をつける」
「ああ、気をつけてくれ」
正面からぶつけられたショウの本気の嫉妬心に、ユフィーリアの心臓が高鳴った。これは惚れるしかない、もう惚れてるけど。
《登場人物》
【ユフィーリア】気障な王子様から手の甲にキスされて右フックが飛び出た。不機嫌と疲労がピークに達した時は拳と拳での対話で解決しようとする脳筋の側面が出てくる。
【エドワード】基本的に対話での問題解決をしようとする平和主義者を謳うが、笑顔で拳が飛ぶ場合がある。地雷原が分かりづらい。
【ハルア】基本的に拳での対話を試みる暴力的な野郎。でも悪いことを「悪い」と言えるので、大抵は相手の怒りを煽ることから始まる拳での対話が多い。
【アイゼルネ】拳を握ってしまったが、実はそこまで暴力が得意ではない。お話は好きだが異性が相手になると針が出てくる。
【ショウ】ユフィーリアが関連するなら拳も飛ぶ。相手とのコミュニケーションは会話で試みようとするのだが、分かりやすい地雷原を踏み抜くと拳どころか冥砲ルナ・フェルノで焼き払われるか轢かれる。
【ミゲル】ユフィーリアが王子様をぶん殴ったのでヒヤヒヤした。
【セシル】トロニー王国の王位継承権第一位の王太子殿下。ユフィーリアの手の甲にキスをしたらぶん殴られた。




