第2話【問題用務員と聖女】
退屈である。
「おい馬鹿揺らすな揺らすなおいそっとやれそっと置け」
「分かってる分かってるってそんな言わないで緊張するから」
今日も今日とて用務員室では退屈凌ぎのゲーム大会が開催されていた。
本日のゲームは『水積み木』である。魔法で作成した薄い膜に水を注ぎ入れ、ブロック状にした水の塊を積み木のようにして積み上げていくゲームだ。力加減を間違えると魔法で張った薄い膜が破れて水が零れてしまう仕様となっており、如何に膜を破らないで水を積み上げていき、相手に積み上げた水を崩させるか競うのだ。
そして現在、机の上に積み上げられた水の塊は立派なお城を形成しようとしていた。本来の遊び方と違うような気がする。
「おいここで崩したらアタシとお前の3時間49分が無駄になるだろ、慎重に行け慎重に」
「分かってるって言ってんじゃんねぇ、そんなに緊張させるようなことを言わないでよぉ」
机の縁にしがみついて様子を見守る銀髪碧眼の魔女――ユフィーリア・エイクトベルは慎重になるよう説得する。
水の塊を積み重ねようとしているのは筋骨隆々の巨漢、エドワード・ヴォルスラムである。緊張感が漂うあまり顔中の筋肉が強張り、いつもより3割増で怖い表情となっているのだが、それに気づかないぐらいに緊張している様子だった。
彼の指先には薄い膜が張られた水の塊が摘まれており、それを今まさに水だけで構成された透明なお城の一部に積み重ねようとしていた。少し突き崩せば全てが終わりそうなので、緊張感もひとしおと言ったところだろう。
エドワードはようやく透明なお城に水の塊を積み重ねることに成功し、
「よーしよし、次はユーリだよぉ」
「分かってる分かってる、絶対に成功させる見とけアタシのテクニック」
「そう言って失敗したら顔が埋没するまで殴っていい?」
「何で別の緊張感を与えようとするの? お前は鬼か?」
器に用意された水の塊を指で摘み、ユフィーリアは緊張した面持ちで透明なお城と向き合う。
きっかけは退屈凌ぎで始めた『水積み木』だが、崩させようと動いてもエドワードの修正力に修正力が重なって水のお城を形成することになってしまったのだ。ここまで来たらもう突き崩すなどという行動はもはや邪道である。
頑張って立派なお城にしたのだから、これは完成させなければならないという使命感に駆られていた。もはやどちらかが突き崩せば負けという概念を超えている。対戦者同士が協力し合っていた。
すると、居住区画の扉が僅かに開き、弾んだ楽しそうな声が聞こえてくる。
「話しかけても大丈夫かしラ♪」
「あと30秒待て」
「分かったワ♪」
それからたっぷりと30秒の時間をかけて、ユフィーリアは水の塊をお城の一部として積み重ねることに成功した。
張り詰めていた息を吐き出すと、その場に膝を突きたくなる衝動に駆られるが気合と根性で身体を支える。あと少しで完成予定なのだ、下手な動きをして突き崩したらユフィーリアとエドワードの3時間52分が水の泡となる。
ユフィーリアは居住区画から様子を伺う南瓜頭の娼婦に振り返り、
「おうアイゼ、どうした?」
「お疲れだからお紅茶でもどうかしラ♪ そんなに集中していたら失敗しちゃうわヨ♪」
南瓜頭の娼婦――アイゼルネは、水のお城に配慮してそっと紅茶で満たされた薬缶を掲げる。こうした気遣いは嬉しい限りだ。
「エド、崩すんじゃねえぞ」
「ユーリだってぇ、崩したらその銀髪を毟るからねぇ」
「あれ、罪は軽減された?」
突き崩したら顔面が埋没するまで殴るという罰よりも、髪の毛を毟られる方がマシに聞こえてくるのは感覚が麻痺しているのかもしれない。早急に休憩を取った方がよさそうだ。
2人揃って水のお城を崩さないようにそっと距離を取り、安全圏までやってきて息を吐き出した。移動するにも気を使わなければならない状況が苦しすぎるが、自分たちでやらかしたことなので仕方がない。
アイゼルネはユフィーリアとエドワードに紅茶のカップを手渡しながら、
「あれが完成したらどうするつもりなノ♪ まさか壊す気じゃないでしょうネ♪」
「んな訳ねえだろ、凍らせる予定」
「それで夏休み最後のかき氷パーティーにする予定だよぉ」
せっかく4人分の事務机全てを使って立派なお城を作ったのだから、簡単に突き崩してしまうのはもったいない。ユフィーリアが得意とする氷の魔法で凍り付かせ、せっかくなら購買部に外出中の未成年組にも見せてやる所存だ。
購買部へ出かける際、ハルアとショウの未成年組はユフィーリアとエドワードの勝負の行方を大層気にしていた。この状況を確認したらきっと驚くことだろう。
アイゼルネは「素敵だワ♪」と手を合わせ、
「おねーさんも手伝うかしラ♪ 3人でやれば完成まで早まるワ♪」
「手先の器用なアイゼなら信用あるな」
「だねぇ、ユーリと違って摘んだ瞬間に握り潰すようなことはなさそうだよねぇ」
「その回数はお前の方が多いだろゴリラめ」
「残念、狼さんですぅ」
互いの胸倉を掴んであわや取っ組み合いの喧嘩が始まるかと思ったが、水のお城が机の上を占拠していることに気づいて拳を収める。こんなところで喧嘩を始めて水のお城が崩れるようなことがあれば、それこそ戦争の勃発である。ヴァラール魔法学院が下手すれば崩れる可能性だってある。
今はユフィーリアもエドワードも協力関係なのだ。この水のお城が完成するまでは喧嘩などしている場合ではない。
さて、水のお城完成まで目前だ。あともう少し頑張ろうか。
「ユーリ、聖女をやらない!?!!」
その時、用務員室の扉が勢いよく開け放たれた。
扉を開けた際の衝撃が部屋の中まで伝わり、そして机の上を占拠していた巨大な水のお城が瓦解する。扉が開いた衝撃と声の勢いによって薄い膜が引き裂かれ、土台にしていた部分が水に戻ってしまったのだ。
蟻の穴みたいに小さな亀裂でも巨大な城が崩れてしまう現象はままあり、今がその時であった。『蟻の穴から堤も崩れる』という言葉がある通りである。
つまり何が言いたいか、ユフィーリアとエドワードがたっぷりと時間をかけて水のお城を築いていたことなどすっかり忘却してトチ狂ったことを言いながら帰還を果たしたハルアのせいで、水のお城が崩れて用務員室が水浸しになってしまった。
「あ、ハルさん。そういえばユフィーリアとエドさんが水積み木をやっていたから扉は静かに開けた方が」
「ショウちゃん、ごめんね」
あとから帰ってきたショウが見たものは、
「もう遅いや」
ユフィーリアとエドワードという修羅にぶちのめされる可哀想な先輩の姿だった。
☆
「トロニー王国の聖女が立て続けに辞めてる?」
「ああ」
最愛の嫁であるショウから事の顛末を聞き、ユフィーリアは首を傾げる。
聖女の存在は知っている。保健医であるリリアンティア・ブリッツオールが教祖を務めるエリオット教で修行を積んだ、神託によって回復魔法や治癒魔法を行使することが出来る女性である。エリオット教はその性質ゆえに女性が属することが多い宗教なのだ。
エリオット教は各国に支部を置き、無償で回復魔法や治癒魔法を提供している。医者の商売上がったりかと思うだろうが、神託によって回復魔法や治癒魔法の精度が左右されやすいので釣り合いは取れているようだ。大抵の聖女は医師免許持ちである。
その聖女様が立て続けに辞めているということは、
「儲からねえから医者にでも転職したかな」
「無償だもんねぇ。ちゃんと環境の整った職業に行くよねぇ」
ユフィーリアの言葉にエドワードが同意を示す。
どう頑張っても無償なので儲からない聖女という役目よりも、患者の選別が出来る医者にでも転職した方がマシな気がしてならないのだ。頑張って患者を治しても生活費すら稼げないのだから、高尚なお役目など捨ててとっとと稼げる医者にでも転職した方がいい。
ただ、聖女は母体である『エリオット教』から運営費が毎月支給されているので、生活自体はきちんと送れるのだ。支部での住環境も整備されているから住み込みで患者に対応できるので、金は稼げないが生活は出来るようである。聖女ではないから知らないのだが。
アイゼルネは紅茶のおかわりを用意しながら、
「でも、何でいきなり聖女の話なんかするのかしラ♪」
「リリア先生が悩んでいたので、力になりたかったんです」
なるほど、とユフィーリアは納得する。
ショウとハルア、そしてリリアンティアは年齢が近いこともあって仲がいい。最近ではよく保健室へ遊びに行く姿まで何度か目撃されている。
お友達が悩んでいるから助けてやりたくなるのは、面倒見がよく素直な未成年組のいいところだ。リリアンティアも打算があってショウとハルアに相談を持ちかけるような性格をしていないし、ただ純粋に悩みを打ち明けたらショウとハルアが安請け合いをしてきてしまったという方程式が簡単に想像できてしまった。
ショウはちびちびと紅茶を啜りつつ、
「もう今年に入って8人も辞めているみたいで、代わりの聖女が見つかるまでリリア先生が繋ぎでトロニー王国に行こうかと検討しているぐらいだったんだ」
「さすがに8人は辞めすぎだろ。虐めでも起きたか?」
「分からないが、辞めた途端に結婚しているようだとリリア先生は言っていたが」
そうなると、聖女が色恋に目覚めて宗教を去ったと見てもおかしくはない。愛や恋などは他人を惑わせるいい材料だ。
とはいえ、8人も連続で辞めているのは少し異常と読まざるを得ない。8人連続で色恋に目覚めるようなことはあるだろうか。
これは何か面白そうな予感が隠れているような気がする。問題児としての勘が告げていた。
「だからユフィーリア」
「いいぞ」
「聖女としてトロニー、あれ?」
「だからいいぞって」
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を吹かし、
「8人連続で辞めてる謎を解くのなんて面白そうじゃねえか。潜入みたいだし」
「じゃあ……!!」
「聖女として潜入すりゃいいんだろ。いいよ、やってやろうじゃねえか。どうせ暇だしな」
ショウは明るい笑みを見せて、
「ありがとう、ユフィーリア。やはり貴女は優しい魔女様だな」
「そうだとも、アタシは海より広い心を持った魔女様だからな」
最愛の嫁から「優しい魔女」と称されて調子に乗るユフィーリアだが、
「優しいついでにハルさんのお仕置きは」
「え? ごめんショウ坊、聞こえねえや。何だって?」
「…………何でもない」
水のお城を瓦解させた下手人であるハルアには尻へ氷の薔薇を突き刺してやったのだが、残念ながらそのお仕置きはまだ解かれることはなさそうである。
《登場人物》
【ユフィーリア】退屈凌ぎには大抵読書をする。ショウに教えてもらった缶蹴りで白熱し、七魔法王全体を巻き込んで遊び倒した。
【エドワード】退屈凌ぎには筋トレをする。妹や弟の影響でおままごとをして遊んでも恥ずかしくはないが、自分の好きな遊びは雪遊び全般。
【ハルア】ユフィーリアとエドワードの水積み木を邪魔したので、尻に氷の薔薇を突き刺されて気絶。好きな遊びはショウと一緒に人形遊び。
【アイゼルネ】雑務をこなしていたりするので退屈な日なんてない。遊びというより手品でよく未成年組を驚かせるのが楽しいので、手品の練習はよくしている。
【ショウ】ユフィーリア観察で忙しいので暇な時はないし、退屈だと思うより先にハルアのおままごとに巻き込まれる。好きな遊びは炎腕と一緒に影絵。