第7話【問題用務員と詐欺】
「くうーん……?」(ハロルドさん、話って……?)
想い人ならぬ想い犬の尻尾を追いかけていたキャンディーちゃんは、呼び出された内容を伺う。
今もなお飼い主であるルージュが心配なのか、3つの首のうち1つが大量の犬に追いかけ回される飼い主を眺めていた。首が多いと死角はないと言っても過言ではなく、小さなチワワを気にしながら飼い主の現状も探ることが出来るのはいいことだ。
冥府では首が交代で仮眠を取ることで刑場を厳重に監督できることから、ケルベロスの守護が破られるようなことはほとんどない。子守唄でうっかり眠ってしまうこと以外は問題ないと言えよう。いや、問題しかない訳なのだが。
チワワはふとキャンディーちゃんを見上げ、
「わん、わん」(キャンディーちゃん、僕は君を愛している)
「!!」
キャンディーちゃんの尻尾が揺れる。
まさかの告白である。
このチワワには助けてもらった時から一目惚れだったのだ。彼は雌雄問わず様々な犬から慕われて人気があり、見ただけで恐れられるキャンディーちゃんとは真逆の存在である。叶わない恋だと思っていたが、相手からの告白に犬としての素直な気持ちが尻尾に現れてしまう。
チワワはつぶらな瞳でキャンディーちゃんを見上げ、
「わん?」(君は僕のことをどう思っているんだい?)
「くうーん……」(そ、それは……)
キャンディーちゃんは恥ずかしげな様子で、
「わんッ」(わ、私も好きです!!)
「ばふッ」(じゃあ僕たちは両想いなんだね)
チワワは嬉しそうに尻尾を振りながら、その場で1回転する。
キャンディーちゃんも夢のようだった。虐められていた現場から助けてくれて、その日から恋焦がれていた相手と結ばれたのだ。これ以上に嬉しいことはない。
だが、
「わん、わん」(だけどキャンディーちゃん、悲しいことがあるんだ)
「きゅーん?」(悲しいこと?)
「わん、わんわん」(僕たちは両想いだけど、君のママはそれを認めていないようだ)
キャンディーちゃんはふと大量の犬に追いかけ回されて悲鳴を上げるルージュを見やる。
彼女からすれば、ルージュは大切な飼い主だ。いつも優しく頭を撫でてくれて、悪いことをきちんと『悪いことだ』と教えてくれる聡明な魔女である。キャンディーちゃんの幸せを願ってくれる素敵な飼い主のルージュが、まさかそんな酷いことを考えるはずがない。
戸惑うキャンディーちゃんに、チワワがさらに事実を突きつけてくる。
「わん、わんわんわん、わん」(だからキャンディーちゃんのママは、僕たちを引き離す為にお友達を連れてきたんだよ)
「くぅん?」(まさか、あの人たちが?)
キャンディーちゃんの視線が、ドッグランの隅で待機する3匹の犬に向けられる。
黒柴にポメラニアン、緑色の毛並みを持つフォレストハウンドなる魔法ふ動物である、黒柴とポメラニアンはキャンディーちゃんを遊びに誘ってくれたお友達で、フォレストハウンドはキャンディーちゃんからチワワを横取りしようと画策した雌犬だが悪い犬ではない気がする。誰も彼も初めて会ったが、そんな素振りは見られない。
でも、もしそれが本当だとしたら?
「わん」(キャンディーちゃん、駆け落ちをしよう)
「わん」(駆け落ちを?)
「わんわん」(そうさ、僕たちは両想いだから結ばれなきゃ)
チワワはキャンディーちゃんを誘うように鳴き、
「わんわん、わん」(おいでキャンディーちゃん、一緒に幸せになろう)
キャンディーちゃんにも迷いはある。
彼と一緒に幸せになりたい気持ちはあるが、長いこと面倒を見てくれた飼い主を置いていくことは出来ない。いつだってルージュはキャンディーちゃんに優しくしてくれたのだ。そんな飼い主のことを、心の底から大好きなのである。
チワワについて行き駆け落ちをすることを戸惑うキャンディーちゃんだが、
「ばうッ」(そこまでだよぉ)
背後から低い吠え声が投げかけられると同時に、キャンディーちゃんの前に銀色の大きな犬が躍り出る。
ふさふさの銀の毛皮と銀灰色の瞳、牙を剥き出しにしてチワワに威嚇するウルフドッグだ。間伸びした口調から想像がつかないほど怒りの感情が滲み出ている。
チワワは後退りすると、
「わんわん!!」(何だ君は、僕とキャンディーちゃんの邪魔をするな!!)
「うううう」(幸せになるつもりなんてないくせに、よくもまあいけしゃあしゃあとそんなことが言えたねぇ)
体格差がある相手へ果敢に立ち向かうチワワだが、ウルフドッグはキャンディーちゃんを守るように立ち塞がる。
状況が読めなかった。
記憶にあるのは、このウルフドッグは飼い主であるルージュの友人と一緒にいたことぐらいだ。ドッグランの片隅で待機している黒柴、ポメラニアン、フォレストハウンドの3匹とも連んでいた気がする。
地響きのような唸り声を漏らすウルフドッグは、
「ばう、ばう!!」(この子を騙そうって魂胆は分かってるんだよぉ!!)
「わんわんわん!!」(何を言っているんだ、僕とキャンディーちゃんとの愛は本物だ!!)
「ばう!!」(嘘吐き、口先だけなら何とでも言えるんだよぉ!!)
「わん!!」(嘘なものか!!)
チワワはキャンディーちゃんを見上げて、
「わんわん」(キャンディーちゃん、信じておくれ。僕の愛は本当なんだ、君を愛している)
「くうーん……」(ハロルドさん……)
チワワだってそう言ってくれている。この愛は間違いないものだ。
邪魔をしてくるということは、このウルフドッグもまたキャンディーちゃんとチワワの愛を邪魔しようという魂胆なのだろう。どうやら飼い主であるルージュの手酷い裏切りがあったようだ。
ルージュのことは大好きだった。でも幸せを願ってくれないなら、飼い主の元にいる意味などない。
「悪い子だな、キャンディーちゃん」
ゾ、と。
キャンディーちゃんの動物としての本能が警鐘を鳴らす。
この声の持ち主には逆らってはいけないと。
「恋する乙女は可愛いもんだ、たとえそれがどんな相手だろうとな」
キャンディーちゃんの横を通り過ぎ、チワワに歩み寄ったのは銀髪碧眼の女性である。
透き通るような銀髪を揺らし、青い瞳でプルプルと震えるチワワを見据える。その手に握られているのは液体が注がれた試験管だ。
女性は試験管を塞ぐ栓を外すと、
「だけど盲目なのはいけない。よく見てみろ」
試験管の中身をチワワの頭に振りかける女性。
嫌がるように「きゃん」と鳴くチワワだが、ぼひんと間抜けな爆発音と共に全身が白い煙に包まれる。
犬を爆発させる液体なのかと思えば、違う。煙が晴れると、そこにいたのはチワワではなかった。
「キャンディーちゃん、これでもまだこのチワワが好きか?」
そこにいたのは、全裸で毛むくじゃらの太った人間の男だったのだ。
☆
希少なものは蒐集家に狙われやすい。
その最たる例が希少な動物である。魔法動物は乱獲されて剥製の状態で売買され、他人が飼育しているものまで狙われる始末だ。野生の魔法動物は心のない馬鹿野郎のせいで絶滅の危機に追い込まれ、保護活動家が頑張って個体数を増やして保護活動に従事している。
野生の希少種ならまだしも、他人が飼っている希少種を盗むなんてどうやればいいのかと悩むことだろう。絶対に足がつくだろうし、何より動物とはいえ魔法を使うことが出来る相手に乱暴なことをすれば確実に大怪我をするからだ。
ではどうすればいいのだろうか?
簡単だ、自分から飼い主の元を離れてもらえばいい。
動物に変身する魔法薬でも飲んで希少な魔法動物を惚れ込ませ、駆け落ちと称して外の世界に連れ出したところで捕獲する。飼育下にあるので少し甘い言葉をかければ警戒心などなくなり、簡単に連れ出すことが出来るのだ。元は人間なので頭はよく、言葉も豊富なので色々な性格の魔法動物にも対応できてしまう。
ケルベロスは紛れもなく希少種だ。何故なら本来、地上には存在しない種族である。冥府では有名だが、地上で確認できるケルベロスはキャンディーちゃん1匹だけだろう。
「だから狙ったんだな、詐欺野郎が」
「クソが!!」
犬化魔法薬の効果を解除させられて全裸を晒すことになった男は、恥もクソも投げ捨ててユフィーリアに殴りかかってくる。
女性とはいえ、ユフィーリアは七魔法王が第七席【世界終焉】である。丸腰の相手から殴られても怯まないのだが、そもそもこの状況が非常によろしくない。
よく考えてほしいのだが、少なくとも噛み付かれでもすれば無事では済まない存在が2匹ほどいるのだ。
「ばう!!」(誰に向かって殴りかかってンだテメェ!!)
「ぎゃああああああああああ!?」
ユフィーリアを殴ろうとした男の腕に、エドワードが噛み付いた。
鋭い牙が男の柔らかな腕に突き刺さり、肉が抉られて血が流れ落ちる。あまりの激痛に男の口から甲高い絶叫が迸り、腕に噛み付いたエドワードを追い払う為に殴りつけていた。
しかし素早く男の腕を解放したエドワードは距離を取ることで男の拳を回避する。噛み付かれた男の腕は深い傷を負っており、早々に治療をしないと大変なことになりそうである。
警戒をするように牙を剥くエドワードを睨みつけた男は、
「邪魔しやがって!!」
「おう、ウチの忠犬を殴ろうとしてくれやがってクソ野郎。ケツに何本の氷柱が必要だ?」
「あ゛!?」
真冬にも似た冷たい空気が流れると同時に、男の尻へ地面から生えた氷柱が見事に突き刺さった。
男の口から変な声が漏れる。忖度なしに先端も尖ったまま突き刺したので、身体のダメージは尋常ではない。じわじわと男の瞳に涙が溜まっていき、陸地に打ち上げられた魚よろしくハクハクと口を開閉させている。
ユフィーリアはドッグラン周辺を見渡し、
「エド、キャンディーちゃんを守れよ。まだ希少種を狙った詐欺の一味がいるはずだ」
「わん!!」(分かったよぉ!!)
「アタシはコイツの仲間を探してくる」
氷柱に尻を直接攻撃された男の首根っこを引っ掴み、ユフィーリアはエドワードにキャンディーちゃんの護衛を任せてドッグランを出る。
全く、キャンディーちゃんも悪い男を気に入ってしまったようだ。これで目を覚ましてくれればいいのだが。
ドッグランを出たところで、ユフィーリアは「あ」と気づく。
「そういや惚れ薬ぶっかけたルージュをどうにかするの忘れてたな」
ふと思い出したルージュの存在を、ユフィーリアは「まあいいか、ルージュだし」と切り捨てるのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】過去に希少種狩りが学院内に侵入した時にバッタリ遭遇して、捕まえて、メイド服へ強制的にお着替えさせてご奉仕させたことのある魔女。ついでに誰に雇われたのか聞き出した上で、雇い主にもお礼参りをした。
【エドワード】ウルフドッグに変身中。過去に上司が学院内に侵入した希少種狩りにメイド服を着させてご奉仕させている現場を目撃し、腹を抱えて大爆笑した。その希少種狩りの精神を崩壊させるのに一役買った。
【キャンディー】チワワに騙されてあわや連れていかれる寸前だった。エドワードが助けに入らなければ駆け落ちの手段を選んでいたかもしれない。
【ハロルド】名前はもちろん偽名である。希少種狩りとしてキャンディーちゃんに近づいたが、惚れさせて駆け落ちさせるところまで行ったのに邪魔が入った。