第5話【問題用務員とドッグラン】
「おー、凄えな」
ユフィーリアは目の前に広がる光景に感嘆の声を上げる。
商業都市イストラの中心地から外れた場所に、ドッグランの場所が設けられていた。広大な土地を鉄柵で囲っただけの簡素なものだが、様々な犬が楽しそうに駆け回っていた。よく見かける通常の犬種から魔法動物まで種類豊富な犬が仲良く遊んでいる。
夏の日差しが厳しいのでそれほど賑わっていないかと思ったが、ドッグラン全体を霧のようなものが覆っているのだ。触れるとひんやりと冷たく、犬には厳しい夏の日差しも軽減してくれている模様だ。だからドッグランで遊ぶ犬たちも元気に駆け回ることが出来るのか。
ドッグランに発生した霧に触れるユフィーリアは、
「魔法で霧を発生させてんのか」
「こんな炎天下で遊んだら熱中症になりますの。小まめに休ませてあげるんですの」
「さすがに犬を飼っているだけあるな」
一緒にドッグランを訪れたルージュを見やれば、彼女は豊満な胸を張って「当然ですの」と自慢げに言う。
彼女の側には3つの頭を持つ巨大な冥府の番犬、ケルベロスのキャンディーちゃんがどこか怯えた様子でドッグランの犬たちを眺めていた。見上げるほどの巨躯を持つ割には繊細な心を持っている乙女である。先程からルージュへ甘えるように「ひゅーん……」と甲高い声で鳴いていた。
冥府の番犬と恐れられるケルベロスでも、元々そう運用されるように訓練を受けなければただの犬である。毛艶もいいし利口で大人しい女の子なので、誰もが恐れるケルベロスの印象が総崩れだ。
ユフィーリアはルージュを小突き、
「で、キャンディーちゃんのお相手はどちらさん?」
「まだ見かけませんの。遊んでいればそのうちやってきますの」
ルージュはキャンディーちゃんを繋いでいた縄のように太くて立派なリードを外すと、
「さあ、キャンディーちゃん。遊んでくるんですの」
「くぅーん……」(でもママ……)
「このままだと運動不足で身体を壊してしまいますの。わたくしはキャンディーちゃんに、長く健康的に生きてほしいんですの」
「くぅーん、きゅーん……」(他の子が怖いよう……)
3つの頭を使ってルージュに甘えるケルベロスのキャンディーちゃんは、なかなかドッグランの敷地内に入ろうとしない。他の犬に怯えてしまっている様子である。
「わんわんわんわんわんわん!!」(大丈夫だよ、一緒に遊ぼう!!)
「わん、わふ」(俺たちがいるから心配ないですよ)
怯えてドッグランに入ることが出来ないキャンディーちゃんに、ハルアとショウが遊びに誘う。こういう場面で率先して動いてくれる未成年組の行動力は称賛されるべきだ。
キャンディーちゃんは甲高い声で吠えるポメラニアンのハルアと、お行儀よくお座りをして待つ黒柴のショウにつぶらな双眸を向ける。恐怖心があることには変わりないが、今回は事情を知っているワンコが4匹も揃っているのだ。たとえキャンディーちゃんが他の犬に吠えられようとも不安を覚えるようなことはない。
ようやくキャンディーちゃんはルージュから離れると、
「わん」(行ってくるね、ママ)
「はい、お気をつけて。わたくしが呼んだら戻るんですの」
「くぅーん」(うん、分かった)
礼儀正しく鳴き声で返事をしたキャンディーちゃんは、ハルアとショウを追いかけてドッグランに足を踏み入れる。
すると、それまで遊んでいたドッグランの犬たちが一斉にキャンディーちゃんへと視線を寄越してきた。
それもそのはず、キャンディーちゃんは規格外の身体の大きさをしている。他の犬たちが平均的な身長だとすれば、キャンディーちゃんは女性ながらも見上げるほどの巨大な身体を持ったケルベロスだ。動物の本能で警戒心を抱くのも無理はない。
へにょりと尻尾を垂らすキャンディーちゃんだが、
「わんわーん!!」(へいターッチ!!)
ポメラニアンのハルアがキャンディーちゃんの前足を軽く引っ掻く。
驚くキャンディーちゃんをよそに、チャカチャカと整えられた芝生の上を疾走するハルア。ふわふわの尻尾を千切れそうな勢いで振り回し、期待に満ちた眼差しでキャンディーちゃんを見上げている。
同じく黒柴のショウもキャンディーちゃんの前足を軽く引っ掻いてから距離を取る。遊びに誘うように尻尾を振り、キャンディーちゃんに向かって吠えた。
「わん」(鬼ごっこをしましょう)
「わんわん!!」(キャンディーちゃんが鬼ね!!)
「わふ」(捕まえてごらん)
それからポメラニアンと黒柴は、それぞれ別方向に逃げ出す。
運動させるにはちょうどいい遊びだし、元々ケルベロスは冥府の刑場にて脱走した罪人を捕まえる為の番犬である。獲物を捕まえる鬼ごっこには最適だ。
周囲から突き刺さる奇異な視線を無視して、キャンディーちゃんは比較的捕まえやすそうな速度で逃げる黒柴のショウを追いかける。その様子は恋煩いなど抱えているのかと思いたくなるほど元気なものだった。
「すーぐ仲良くなっちまってまあ」
「わんわん、わふ」(未成年組のコミュ力は凄いねぇ)
「わん、わふ」(尊敬しちゃうワ♪)
鉄柵に寄りかかり、ユフィーリアはドッグランで元気に駆け回るショウとハルアとキャンディーちゃんの3匹組を眺める。
規格外の大きな身体を持つキャンディーちゃんは、俊敏な動きで黒柴のショウに追いつくと鼻先を器用に使って彼を転ばせる。絶妙な力加減で持って芝生の上を転がった黒柴のショウは素早く起き上がると、今度はポメラニアンのハルアに体当たりをした。3匹で仲良く鬼ごっこをしている光景は大変微笑ましい。
これならキャンディーちゃんの恋煩いとやらも遊んでいるうちに忘れそうなものである――と思っていたのだが、
「わん」(でっかいのがまーた暴れてるぜ)
「きゃんきゃん」(邪魔なんだよな、アイツ)
「わん、ゔぅ」(アイツが来るからドッグランが狭く感じるぜ)
ドッグランの隅に集まっていた犬たちが、分かりやすい嫌味を言う。
確かに見上げるほどの巨躯を持つキャンディーちゃんだが、躾はきちんと行き届いているようで他所の飼い犬に突撃するような真似はない。むしろ邪魔にならない位置で機敏に動き回るものだから、ちゃんとドッグランの状況を考えているお利口さんである。
最近の犬は性格の悪い連中が多いのか、ドッグランを駆け回るキャンディーちゃんをジロジロと見ながら心を傷つけるような言葉を羅列する。犬の言葉が分からない一般人であれば我が子可愛さで甘やかすだけだろうが、その吠え声が他所の犬を傷つけるとは思うまい。
犬の言葉をしっかり理解しているユフィーリアは顔を顰め、
「何だ、おい。性格の悪い奴らが多いな」
「ええ、本当ですの」
ルージュは愛犬の悪口を言う他所の犬を睨みつけると、
「でも飼い主を説得しようとしても無駄ですの。まさか自分の犬がキャンディーちゃんに対して悪口を言っているとは思いませんもの」
「動物言語の分野は専門外だったりするのか?」
「やはり魔女や魔法使いの花形と言えば呪文を唱えて魔法をバーンと打ち出す属性魔法ですの。その程度が出来れば魔女を名乗れると思っているんですのよ」
「質が落ちてるな、最近の魔女や魔法使いってのは。ウチの卒業生が聞いて呆れる」
「うちの学校の卒業生でしたらユフィーリアさんの問題行動の標的を引き合いに出して脅すんですの。ヴァラール魔法学校の卒業生ではなく魔女や魔法使いを名乗るとすれば、先祖代々続く有名な一族ぐらいですの」
不名誉なことを言われたが、実際その通りだ。
今でこそヴァラール魔法学院の設立で魔法の存在は広く知れ渡ることとなったが、昔は先祖代々続く魔女や魔法使い一族でなければ魔法は使えなかったのだ。その歴史が多少残っているのだろう。
そう言った家系はヴァラール魔法学院に入学せずとも魔法が使えるので、色々な魔法を知っていなくてもいいのだ。家系に伝わる魔法を学び、それを後世に伝達していくのが魔法使い一族に生まれた者の運命である。
結論から言うと、そんな魔女や魔法使いはヴァラール魔法学院の1学年にも劣る実力しかないのに、矜持だけは途方もなく高いので大したことないのだ。「質が落ちた」という言葉にも頷ける。
「わん、くぅーん?」(俺ちゃん、言ってきてあげようかぁ?)
「あん、きゃんッ」(キャンディーちゃんを悪く言うなんて許せないワ♪)
キャンディーちゃんの悪口を言う犬たちの態度が許せなかったらしく、エドワードとアイゼルネがユフィーリアにそんなことを言う。正義感があって大変よろしい。
ウルフドッグであるエドワードと希少種と名高いフォレストハウンドのアイゼルネが2匹がかりで注意すれば収まるだろう。飼い主からイチャモンをつけられそうなものだが、鼻でもほじりながら「ウチの奴ら躾がなってなくてぇ」などと言い訳する所存である。先に喧嘩を売ってきたのは相手の方だ。
ただ、忘れてはいないだろうか。キャンディーちゃんと遊んでいるのが誰なのかを。
「わんわんわんわんわんわん!!」(オマエら、キャンディーちゃんの悪口を言ってんじゃねえよ性格悪いな!!)
「わん、わふ」(お里が知れますね、随分と躾のなっていない犬畜生です)
ドッグランの隅でキャンディーちゃの悪口を言っていた犬たちに突撃したのは、黒柴のショウとポメラニアンのハルアである。多勢に無勢と言ってもいい状況なのだが、2匹揃って牙を剥き出しにして威嚇している。
悪口祭りを開催していた犬たちは一瞬だけ怯むものの、相手が黒柴とポメラニアンの2匹だけだと知るや否や強気の姿勢を取り戻す。こちらの方が人数で上回っているから勝てるとでも踏んだか。
残念ながら、その目論見は大外れである。犬は犬でも、犬化魔法薬を飲んだ元人間だ。
「わんわーん!!」(ぶっ殺してやんよ!!)
まずハルアが犬の集団に体当たりをぶちかまし、数匹をまとめて薙ぎ払う。小さな身体に見合わない膂力であった。「あれ、今ってハルアは犬だよな?」と錯覚してしまうほどだ。
いきなり体当たりで突撃してくるとは思わず、犬たちは散り散りになって逃げ出す。そんな犬たちをハルアとショウの2匹で追いかけ始めた。地獄の鬼ごっこの開始である。
完全に置いてけぼりとなったキャンディーちゃんは、
「くうーん、くうーん」(ママ、あの子たち別のお友達と遊び始めちゃった)
「キャンディーちゃん、お水を飲みましょうね。走り回ったから喉が渇いたでしょう」
魔法で水を出すルージュは、戻ってきたキャンディーちゃんを撫でる。幸いなことに、キャンディーちゃんの耳には悪口が届いていなかったようだ。
「な? ショウ坊とハルの前であんなことを言うからこうなるんだよ」
「わん」(理解したぁ)
「わん」(行かなくてよかったわネ♪)
複数の犬たちを元気よく追いかけ回す黒柴とポメラニアンの2匹を眺め、ユフィーリアは遠い目をするのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】そこそこ名家の出身だが、放蕩していたので虐めなどは経験がない。ただ悪口は聞こえる地獄耳なので、性格の悪い奴は軒並みぶちのめしていた。
【エドワード】家族を殺されて故郷を追放された経験があるので、あの程度の陰湿な虐めには慣れたもの。ただユフィーリアの英才教育のおかげで肝が据わり、虐めの現場を見るとぶちのめすようになった。
【ハルア】根っからの陰湿なことは大嫌いな陽の者。だからいじめっ子は嫌いだし、何ならその現場を見たらぶちのめす。身内に優しいので、知り合いが虐められていたら即行動。
【アイゼルネ】娼婦の世界は虐めありきなのでいくらか経験はあるものの、いじめてきた相手の苦手な人物に変身したり苦手な幻影を見せたりなどの陰湿な仕返しで撃退。目には目を。
【ショウ】虐待が酷かったのでいじめの経験はないが、昔一度だけ「馬鹿」と言われたことに対して100の罵詈雑言で返したら泣かれたことがある。おそらく問題児の片鱗が見え隠れしていた。
【ルージュ】兄弟間での虐めがあったが、全て捩じ伏せてきた鋼の女。ちょっとやそっとの問題行動など何とも思わない割に仕返しは陰湿。性格が悪い。
【キャンディーちゃん】ルージュの愛犬。繊細で傷つきやすいガラスのハートの持ち主。