第1話【問題用務員と犬】
「どうしましょうですの……」
ルージュ・ロックハートは悩んでいた。
夕焼け空を溶かし込んだかのような赤い髪と赤い瞳、誰もが目を惹く真っ赤なドレスを身につけた淑女は悩ましげな表情を浮かべて伽藍としたヴァラール魔法学院の廊下を歩いていた。通り過ぎる他の教職員が心配になるぐらいには真剣に悩みを抱えている様子である。
ルージュを悩ませている理由は、彼女の家族に関してのことだった。夏休みに気まぐれである場所を訪れたのだが、彼女が大切にしている家族がそこで運命的な出会いを果たしてしまった訳である。
だが、ルージュは家族としてこの出会いを歓迎できない。無理なのだ、常識的に考えて。
「そうですの、彼らに頼みましょう!!」
名案だと言わんばかりに表情を明るくさせ、そしてルージュはすぐさま目的地へと足を向けた。
その方角にあるのはヴァラール魔法学院の果てに追いやられた問題児どもの巣窟、またの名を用務員室である。
つまりもう何が言いたいのかお察しだろう。彼女は人選を間違えていないだろうか。
☆
「へえ、イストラにドッグランが出来たのか」
今朝の新聞を広げる銀髪碧眼の魔女――ユフィーリア・エイクトベルは雪の結晶が刻まれた煙管を咥えながら言う。
新聞には『イストラにオープンしたドッグランが大人気!!』とある。大小様々な犬が集合し、飼い主の顔を舐め回すという写真が掲載されていた。何とも微笑ましい光景である。中には翼の生えた犬や頭から角が突き出た犬など、おおよそ動物の犬として数えていいのか疑問に思える犬もいた。
イストラとはヴァラール魔法学院の近くにある商業都市で、教職員や生徒たちも学院では揃わない学用品などを買いに出かけたりする場所である。休日なんかは外出先としてヴァラール魔法学院の関係者からは大人気だ。
ユフィーリアは新聞を折り畳むと、
「よーしエド、お散歩に行くか!!」
「馬鹿なのぉ?」
鉄アレイで黙々と筋トレに励んでいた筋骨隆々の巨漢、エドワード・ヴォルスラムは自身を犬のように扱ってきたユフィーリアを睨みつける。
「俺ちゃんは先祖返りであって犬じゃないんだよねぇ」
「銀狼族の先祖返りなら獣人だろ、じゃあ広義的に見ればワンちゃんじゃねえか。よし解決」
「何も解決してないねぇ、一体どこに解決要素があるのかねぇ」
使用していた鉄アレイを一旦置いたエドワードは、
「ていうか俺ちゃんが犬用の首輪を嵌めて四つん這いで歩いてたら何かのプレイと勘違いされるよぉ?」
「この話は止めよう」
「賢明な判断だねぇ」
面白さを求めて少し揶揄ってみたが、危うくアブノーマルプレイに付き合わされるという返り討ちに遭ったのでユフィーリアは会話を強制終了させる。エドワードに負けるとは納得がいかない。
常識的に考えて、人間に犬用の首輪を装着させて四つん這いで歩かせる行動は危ない特殊な遊びになってしまう。ドMのエドワードは大歓迎だろうが、メイド服が趣味であるユフィーリアにとって彼の性癖に巻き込まれるのは歓迎できない。
ユフィーリアは「あーあ」と呟き、
「何か面白いことねえかなァ」
「ユーリがそう言う時は絶対に面倒なことが起きるよね!!」
ウサギのぬいぐるみ相手にプロレス技を練習していた黒いつなぎ姿の少年――ハルア・アナスタシスが「碌なことが起きないよ!!」などと不名誉なことを言ってくる。
部屋を飛び出したら最後、何かしらを壊して帰ってくる暴走機関車野郎にだけは言われたくないことである。ただ、事実その通りなので否定できないのが悔しいところだ。
何度も読み込んで内容を完璧に覚えてしまっている魔導書を手持ち無沙汰に広げるユフィーリアは、
「もうエドとハルを犬化魔法薬で変身させるか」
「部下を玩具にする上司はやり返していいって学んだよぉ、覚悟しなぁ」
「オレも!!」
「止めろ2人がかりは!!」
早くも反旗を翻しそうになってきやがったエドワードとハルアに、ユフィーリアは悲鳴を上げた。さすがに2人がかりで襲われたら堪えるものがある。
無尽蔵の体力を持つ筋肉馬鹿野郎なエドワードと暴走機関車野郎と名高いハルアの相手を同時にすれば、脳味噌と身体がいくつあっても足りない。魔法を使っても負けそうな気がする。勘弁してほしいところである。
すると、
――コンコンコンッ。
用務員室の扉が軽く叩かれた。
「あん?」
「誰かねぇ?」
「お客さんかな!?」
ノックをされた扉に視線を投げるユフィーリア、エドワード、ハルアの3人。
別に嫌な空気はしないし、今日は問題行動もしていないので怒られるような出来事はない。用務員室はヴァラール魔法学院の片隅にある部屋なので、よほどの用事がなければ訪れる人間など学院長のグローリア・イーストエンドか副学院長のスカイ・エルクラシスぐらいである。
ユフィーリアは魔導書の頁に視線を落とし、
「エド、対応してくれ」
「はいよぉ」
来客対応を命じられたエドワードが、用務員室の扉を開ける。
「ごきげんよう」
「あれぇ、ルージュ先生じゃんねぇ」
用務員室を訪れたのは髪も瞳も着ているドレスも赤色に統一された真っ赤な淑女――ルージュ・ロックハートだった。ドレスの裾を摘み、優雅にご挨拶をしてくる。
「ユフィーリアさんはいらっしゃいますの?」
「ユーリぃ、ルージュ先生だよぉ」
エドワードが読書中のユフィーリアに振り返り、来客の存在を告げる。
読書中だった魔導書から視線を外し、ユフィーリアは片手を掲げるだけの簡単な挨拶で応じる。「美しくないご挨拶ですの」とルージュから批判を受けるが、挨拶の礼儀など直す気はサラサラない。
ルージュはエドワードの脇を通り抜け、用務員室に足を踏み入れる。魔導書や筋トレ道具、ぬいぐるみなどの玩具で散らかった用務員室の様を眺めて鼻に皺を寄せたが何も言うことはない。ただの冷やかしで遊びにきた様子ではなさそうだ。
魔導書を閉じたユフィーリアは、
「どうした、ルージュ。問題児の巣窟に用事か?」
「ええ、まあ」
ルージュはユフィーリアを見下ろすと、
「ユフィーリアさん、犬は好きですの?」
「犬?」
「大型犬や小型犬など、犬はお好きですの?」
何かと思えば「犬は好きか?」という質問である。意図が読めずに混乱する。
「え、好きだけど」
「そうですの。では犬派か猫派かお伺いしても?」
「おっと」
その究極の2択は困る。
ユフィーリアは頭を抱えた。
犬も猫も、どちらとも可愛いので選べない。犬には犬のよさが、猫には猫のよさがそれぞれあるのだ。どちらか片方を選べとなったら非常に厄介である。
両腕を組んで悩む素振りを見せるユフィーリアは、
「ちょっと時間をもらっていいか? 3時間ぐらい」
「猫派ですの?」
「いやいや犬も好きだぞ犬も、うん」
疑うような眼差しを突き刺してくるルージュに、ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を咥えながら言う。
「大型犬は格好いい種類が多いし、小型犬はコロコロしてて可愛いよな。それに犬は忠誠心があって頭もいいから、芸を教え込む楽しさもあるし」
「なるほど、よく分かりましたの」
ルージュは用務員室を見渡し、
「そういえば、アイゼルネさんとお嫁さんがいらっしゃいませんが」
「ああ、居住区画で紅茶の淹れ方講座を開催中だよ」
ユフィーリアは「お前は混ざるなよ、絶対に」と釘を刺す。
現在、最愛の嫁であるアズマ・ショウは南瓜頭の先輩用務員から紅茶の淹れ方を習っている最中である。アイゼルネの入れる紅茶はとても美味しいので自分でも入れてみたいのだとか。
アイゼルネもアイゼルネで、弟子が出来たみたいで嬉しそうにしていた。自分の研究した紅茶の淹れ方を後輩相手に披露して、その技術を教え込むのが楽しそうである。
用務員室の隣にある居住区画への扉を一瞥したルージュは、
「そう、それは残念ですの」
「何か用事でもあったか?」
「出来れば5人揃っての状態がよかったんですの。でも他に用事があるなら仕方がありませんの」
ルージュはユフィーリアへと向き直ると、
「はいですの」
ガチャン、と。
ルージュはユフィーリアの首に犬用の首輪を装着する。
ちゃんと第七席【世界終焉】を象徴する黒色の首輪だ。全然嬉しくない。
「は!?」
「捕獲完了ですの」
「何してんの!? 何してんの!?」
ユフィーリアはルージュに嵌められた犬用の首輪を外そうとするが、
「外したらいけませんの」
「ぐえッ!?」
ユフィーリアに嵌め込まれた犬用の首輪にはリードが繋げられており、ルージュに軽く引っ張られたことで首輪を外そうとする行動が強制終了させられてしまう。ついでにちょっと首も絞まった。
冗談ではない。犬耳メイドさんに首輪を嵌めて調教ならまだしも、自分が犬になるアブノーマルプレイは御免被りたい。そんな趣味など最初から持ち合わせていないのだ。
ルージュは恍惚とした笑みを見せ、
「ユフィーリアさん、貴女はわたくしの為に犬になるんですの。うふふ」
「ふざけんじゃねえ!! 頭沸いてんのか!?」
怒号を叩きつけるユフィーリアは誰よりも犬用の首輪が似合いそうなエドワードとハルアを生贄として捧げようとするのだが、
「いねえッ!?」
用務員室に取り残されていたのはユフィーリアだけだった。扉が開け放たれたままの状態で放置されているので、おそらくユフィーリアが捕まった瞬間に用務員室から飛び出したのだろう。薄情な部下たちである。
恍惚とした笑みを見せるルージュに捕まったのはユフィーリア1人だけである。味方はおらず、リード付きの首輪が嵌め込まれているので逃げ出そうにも逃げ出せない。
戦慄するユフィーリアだったが、
「こんにちは」
ポン、とルージュの肩を誰かが叩く。
彼女の背後に現れたのは、黒髪赤眼の可憐なメイドさんである。艶やかな黒髪が背中を流れ、夕焼け空を溶かし込んだかのような色鮮やかな赤い瞳には冷酷な光が宿されている。少女めいた顔立ちに綺麗な笑みを浮かべているものの、根底にあるのは別の感情だろう。
雪の結晶が刺繍された古風な半袖のメイド服を身につけ、頭に装着したホワイトブリムには黒い犬耳が垂れている。細い腰を強調するように巻かれたベルトには犬の尻尾が伸びており、小刻みに揺れていた。細い首には犬がつけるような首輪を巻き、短めのリードが胸元で揺れている。
可憐な犬耳メイドさん、いいやユフィーリアを愛してやまない世界で1番お嫁様なアズマ・ショウの降臨である。
「あら、ごきげんよう」
「お紅茶はいかがですか? ハーブティーを入れたんです」
満面の笑みでショウが手を叩くと、ルージュの足元から腕の形をした炎――炎腕が召喚される。
数え切れないほどの炎腕はルージュの身体をあっという間に拘束する。何をするかと思えば、1本の炎腕が紅茶のカップを掲げていた。ルージュに飲ませてやろうとしている様子である。
ただしその紅茶、グツグツと沸騰していた。明らかに温度がおかしい。
「召し上がれ」
ショウの地雷を全体重で踏み抜いた愚かな魔女の口に、火傷するほど熱い紅茶が注がれたのは言うまでもない。
《登場人物》
【ユフィーリア】犬派か猫派か問われたら長考したのちに猫派と答える魔女。でも犬も大好き。結論から言えばもふもふした動物であれば何でも好き。
【エドワード】断然犬派。特に大型犬が好き。小型犬も好きなのだが潰しそうで怖い。
【ハルア】小さな動物は何でも好き。特にウサギが好き。動物には懐かれる。
【アイゼルネ】犬も猫も大好きだが、毛の長い子のトリミングをしてやりたい。
【ショウ】犬も猫も大好き。散歩中の犬を触らせてもらったり、野良猫と一緒に黄昏ていたりと元の世界での思い出がいっぱい。
【ルージュ】魔導書図書館の司書であり、七魔法王が第三席【世界法律】を冠する真っ赤な淑女。問題児を犬にしようとトチ狂った思考回路を働かせてしまった。




