第5話【異世界少年と宝石の異変】
「おやすみ」
「おやすみなさぁい」
「おやすみ!!」
「おやすみなさイ♪」
「おやすみなさい」
ユフィーリアの号令のもとベッドに潜り込み、そのまま数十秒もすれば寝息が聞こえてくる。全員よほど疲れていたのだろう。
それもそのはず、今日は色々なことがありすぎた。購買部に注文したはずの宝石を取りに行ったら変な宝石まで混ざっており、それをアドリア空賊団とエッダ王国の軍隊が狙うという奇妙な展開になってしまった。渦中の宝石を返却しようとしたショウだが、ハルアには何度も取り上げられるしユフィーリアから「絶対に誰にも渡すな」と言われる始末である。
天蓋付きベッドに仰向けで寝転がり、ショウは枕元に置いた小さな箱を手に取る。蓋を開けると、あの青色と翡翠色が混ざった宝石と対面を果たした。
「炎腕」
暗闇にそう呼びかけると、ベッドの下から腕の形をした炎――炎腕が伸びてくる。
最近では完全に『燃やすもの』と『燃やさないもの』を区別したのか、ショウがお願いしたものは燃やしてくれるようになった。大きな荷物を運んだり、ユフィーリアに擦り寄る不届き者をボッコボッコにすることが出来るので大変便利な腕たちである。
ベッドの下から伸びてきた炎腕は手首を振ってショウの呼び声に応じる。まるで「何だ?」と言わんばかりの態度だ。
「これが盗まれないように見張っていてくれないか。誰かが来たら起こしてほしい」
小さな箱を示すと、炎腕は親指をグッと立てて応じた。「任せろ」と言っているようである。
炎腕は頼りになる存在だ。ショウが眠っている時でも自動的にショウを守るように展開されるようで、お昼寝の時もよほどのことがない限りは無防備なショウを護衛してくれているのである。
炎腕がベッドの下に引っ込んだことを確認してから、ショウは小さな箱を手にして瞳を閉じる。すぐに睡魔が夢の世界へとショウを連れて行き、そのまま意識が途切れた。
☆
――返して、返してえ。
暗闇の中で声が響く。
――それを返して、お願いだから返して。
悲痛な女性の声が、ただ響く。
――返して、返してよ!!
やがてその声がどんどん大きくなっていき、何度も「返してほしい」と訴えてくる。
――お願いだから、それを返してえ!!
暗闇の中で浮かび上がったのは、翡翠色の髪を持つ女性だった。
白いドレスを身につけ、色鮮やかな青い瞳からは涙を静かに流す。最愛の旦那様と比べれば見劣りしてしまうが、それでも顔立ちは整っており『美しい』と表現できよう。華奢な腕を何度も何度もこちらに伸ばして、暗闇を懸命に掴んでいる。
膝裏にまで届く翡翠色の髪には白い薔薇の花など色とりどりの花が咲き、頭頂部をぐるりと巡る月桂樹の冠が特徴的だ。どこかのお姫様かと思うが、お姫様よりも神々しい気配が感じ取れる。白いドレスを纏う体躯は豊満で、豊かな胸元と括れた腰つきは南瓜頭の用務員の先輩と同じぐらい目を惹く。
裸足で駆け寄ってくる女性は、
「お友達を助けたいなら、それを返しにきて」
その言葉が明瞭に聞こえた。
「――――――――ッ!!」
ショウは飛び起きる。
今までのやり取りは夢だったのか。
妙に現実味を帯びた不気味な夢である。しかもユフィーリアではない女性を夢の中に登場させるのは如何なものか。「返して」と何度も訴えてきたが、何を返せばいいのか皆目見当もつかない。
額に浮かんだ冷や汗を拭うショウは、
「ユフィーリアのところに行こう……」
悪夢に魘されることはなくなったと思ったのだが、今回は別の意味合いで怖い夢である。何も盗んだ記憶はないのに「返して」と泣く女性が登場する夢など見たくない。
宝石の箱を手にしたショウは、天蓋付きベッドのカーテンを開ける。
窓から差し込む青白い月明かりが共同の寝室を照らしており、ショウの使うベッドと同じ形のベッドが4台ほど並んでいた。誰も彼もカーテンを閉め切っているのだが、誰がどのベッドを使っているのか分かってしまう辺り共同生活にも慣れたものだ。
ベッドの下に置いたスリッパに足を突っ込み、ショウは隣の天蓋付きベッドのカーテンをそっと開ける。
「ユフィーリア」
「…………」
「ユフィーリア、いいか?」
「…………」
ベッドに丸まって眠る銀髪の魔女は、ショウの呼び声に応じない。それほど眠りが深いということだろう。
彼女に気づかれないよう、ショウはそっとユフィーリアの眠るベッドに潜り込んだ。さすがにベッドへ潜り込めば気づくはずだ。
小悪魔めいた笑みを漏らして、眠る銀髪の魔女を抱き寄せる。髪から香る花のような匂いが心を安らがせ、薄皮1枚を隔てた向こう側に心臓の鼓動がショウに安眠を促す。
――はずなのだが、何故だろう。ユフィーリアの胸から鼓動が聞こえてこない。
「ユフィーリア?」
ショウは起き上がると、ユフィーリアを確認する。
瞼を閉ざし、起きる様子は見られない。規則正しく上下していなければおかしいはずの胸元は動きがなく、口元に耳をやっても呼吸が聞こえてこない。体温が冷たくなっているということはなく、まるで眠ったその状態で時間を止められてしまったかのようだ。
その異変はユフィーリアだけに留まらない。いつもいびきを掻いているエドワードが驚くほど静かだし、ハルアも寝言がなく、アイゼルネは――これはいつも通りである。明らかに異常と呼べる状況だった。
ショウはユフィーリアの肩を揺らし、
「ユフィーリア、ユフィーリア!! 起きてくれ、ユフィーリア!!」
激しく肩を揺らしても起きない。
どれだけ激しく揺さぶっても、髪の毛を引っ張っても、頬を抓っても、ユフィーリアは起きることがない。
目の前がゆっくりと歪んでいき、目から熱い液体が零れ落ちる。それが涙だと認識するまで、混乱するショウの思考回路では数秒ほど要した。
「ユフィーリア……ッ、やだ、ユフィーリア、死んじゃやだ……!!」
「ショウちゃん、どしたの!?」
「きゃあッ!?」
動かなくなってしまったユフィーリアに対して涙を流すショウだったが、唐突に背後から声がかけられて悲鳴を上げてしまった。自分で思う以上に甲高い悲鳴が出た気がする。
カーテンを思い切り開いて様子を伺ってきたのはハルアである。涙を流すショウと眠るユフィーリアを見比べて、関係性が結びつかないようで不思議そうに首を傾げていた。
いつも賑やかで意味不明な寝言を高らかに響かせているのだが、それが聞こえてこないと思ったらまさか起きていたとは想定外である。今は夜中とも呼べる時間帯なのだが、どうして起きていたのか謎だ。
ベッドから転げ落ちそうになったところを何とか耐えたショウは、
「あ、あの、あの、ハルさん。何で、何で?」
「お腹が痛くなっちゃって、さっきまでトイレで格闘してたよ!! 参ったね!!」
ハルアはエドワードの眠るベッドを指差して、
「エドについてきてもらおうかと思ったのに、ぐっすりだったんだもん!! 何か息もしてないから、多分あれ病気だね!!」
「実はユフィーリアもなんだ、息をしていなくて……」
「じゃあユーリも病気かな!? 起きたらちゃんリリ先生に診てもらおうね!!」
ショウの頭を撫でたハルアは、
「だからショウちゃん、泣かないんだよ。必ず原因があるんだってユーリも言ってたし」
「ああ、そうだな」
頼れる先輩用務員の力強い言葉に、ショウは涙を拭う。
よく考えれば分かることだ。ショウやハルアは魔女の従僕契約を結んでおり、ユフィーリアと命が繋がっている。ユフィーリアが死ねばショウやハルアも生きていることが出来なくなってしまうのだ。
今もなお、こうしてショウとハルアが生きていられるのがユフィーリアの生きている証拠である。本格的に死んだ訳ではないのだとすれば、外的要因で仮死状態にされたのだろうか。
「あれ?」
「ハルさん?」
「時計が止まってる!!」
ハルアが指差したのは、ユフィーリアの枕元に置かれた目覚まし時計である。
おかしなことに、目覚まし時計の秒針まで止まっていた。壊れたとかそういう訳ではなさそうで、ちょうどきっかり深夜12時で時間が止まっている。
もしかして、死んだ訳ではなくて時間が止まっているだけだろうか。それなら呼吸をしていない理由にも、心臓の鼓動が聞こえない理由も納得できる。
「でも、時間を止めるなんて誰が?」
「学院長が面白半分で止めたかな!?」
「しばく」
「ショウちゃんのその判断力が早いとこ、オレ結構好きだよ」
ショウの思考回路が学院長に対する殺意で染まった。
そういえば、学院長のグローリアは時間や空間を操る魔法を得意としていた。面白半分でユフィーリアたちの時間も止めることが出来るかもしれない。ショウとハルアだけ無事だったのが謎だが、無事だった以上は学院長をしばき回さなければ気が済まない。
学院長室に乗り込もうと決めるショウだが、
「あ」
「どしたのショウちゃん!?」
「ハルさん、これ」
ショウがハルアに示したのは、今まで手で握り込んでいた宝石の箱である。それを見ると、頭の中からすっぽ抜けていた夢の内容が戻ってきた。
夢では、女性が何度も「返して」と訴えてきたのだ。おそらくこの宝石に関係している女性なのだろう。昨日の異変を鑑みれば、宝石に結びつけるのが妥当だ。
宝石の箱に視線を落としたショウは、
「夢で、女の人が何度も『返してほしい』と言ってきたんだ。だからこれは返してあげなきゃダメなんだと思う」
「うん、じゃあ返してあげよう」
ショウの言葉に同意を示したハルアは、
「ショウちゃんの言葉に嫌な予感はしなかったから、きっとその女の人が持ち主なんだと思う。だから返してあげようか」
「ああ」
宝石の箱を握りしめ、ショウは頷く。
あの夢の女性は「お友達を助けたかったら返しにきて」とも言っていた。ユフィーリアたちの時間が止まった原因は、よく考えれば学院長ではなく夢に出てきた女性かもしれない。それならこの宝石を返せばすぐに問題は解決である。
問題は、この宝石の返却先だ。女性は場所の指定までしなかったという不親切仕様である。返しに行きたいのは山々だが、場所まで教えてくれなきゃ返しに行けない。
ハルアも同じことで悩んでいたようで、
「あ、そうだ!!」
「何か思いついたか?」
「宝石に聞いてみよう!!」
ハルアはショウの手に握られた宝石の箱を開けると、天鵞絨の台座に置かれた宝石に大声で語りかけた。
「宝石さん、オマエのお家はどこ!?」
「ハルさん、宝石は何も喋らないと思うのだが」
「返してって言うぐらいだからお家の居場所も分かるでしょ!! お届けしてあげんだから場所まで教えてくれなきゃ!!」
その時である。
箱の中の宝石から青色と緑色の光が溢れ出し、それらが一条の光となって窓の向こうを示した。
試しに窓へ近づくと、光は空のその先を目指して伸びている。これが方向だとすれば、光が差す先に向かえば宝石の返却先が待っているということだろう。
ショウとハルアは互いの顔を見合わせて、
「空の向こう側だって、ショウちゃん」
「ハルさん、こういう時は外部の力だ」
「何か考えがあるの!?」
ショウとハルアは残念ながら魔法を使えない。冥砲ルナ・フェルノで空を飛んでいくことは可能だが、長距離を飛んだことはないので命の保証はない。
頼れるユフィーリアは時間を止められており行動不能である。それなら第三者の手を強制的に借りるしかない。幸いにも、ヴァラール魔法学院には空を駆る手段を持つ人物が都合よくいるのだ。
ショウは朗らかに微笑み、
「懲罰房にいるアドリア空賊団に連れて行ってもらおう。彼らもこの宝石をほしがっていたから、それを餌にして動かせばいい」
《登場人物》
【ショウ】嫌な夢を見て旦那様に慰めてもらおうと思ったら旦那様の時が止まっていた。何を言っているか分からないと思うが、自分にも分かっていない。多分宝石が原因。
【ハルア】夕ご飯を食べすぎたせいで夜中にお腹が痛くなってしまい、今の今までトイレの個室で奮闘していた暴走機関車野郎。ついでに天井から覗き見していた子供たちは便器に流しておいた。