第5話【問題用務員と敗北】
「――――ッ!!」
ユフィーリアは飛び起きる。
身体が驚くほど軽い。重力から解放されたかのようだ。
試しに手を握り込んでみたり、肩を回してみたり、身体が正常に動くことを確かめてみる。それまで指先1つ満足に動かすことが出来なかったのが嘘のようだ。今では問題なく動かすことが出来る上に、妙に身体が軽くて頭の中もスッキリと冴え渡っていた。
これがアイゼルネの施した悪魔のマッサージの実力なのだろうか。見事に半日ぐらい身体が動かなくなるのだが、そのあとの恩恵が素晴らしすぎる。
「凄えな、身体が軽い」
ユフィーリアは側に放置されていた雪の結晶が刻まれた煙管を手に取り、
「ていうか、アイゼはどこに行った?」
用務員室を見渡してみるのだが、南瓜頭の娼婦の姿はない。
可能性があるとすれば用務員室の隣に設けられた居住区画に引っ込んでいるかだが、不思議なことに居住区画は驚くほど静かである。居住区画にもいない可能性が十分に考えられた。
ユフィーリアは慌てて居住区画の扉に飛びつき、
「アイゼ、いねえのか!?」
居住区画に飛び込むと同時に、浴室の扉が開かれる。
マッサージを終えて風呂にでも入っていたのかと思えば、ユフィーリアの声に反応して姿を見せたのはエドワード、ハルア、ショウの問題児の男子組である。今まで寝ていたのか、寝起きですと言わんばかりの様子だった。
そんな彼らは、衣類を一切身につけていない。せいぜい腰を覆う紙製の下着ぐらいのものだが、そんな防御力皆無の格好がまともな衣類に数えられる訳がない。3人とも今の服装には気づいていないのか、自分の身体に視線を落とすことすらない。
彼らはユフィーリアと視線が合うと、
「何か知らないけど身体が軽いよぉ!?」
「オレの身体に何が起きたの!?」
「肌もツヤツヤのウルウルになっているのだが!?」
「うん、お前らが錯乱してるってのは嫌でも分かる」
混乱した様子の3人を見やり、ユフィーリアは納得したように頷く。
彼らも悪魔のマッサージを体験して錯乱する気持ちは大いに分かる。マッサージで気絶させられて、目が覚めたら驚くほど身体が軽くなっているのだ。自分の身体ではないような感覚に驚愕するのも無理はない。
だからこそほぼ全裸と言っても差し支えない格好でユフィーリアの前に飛び出してきても気がつかないのだ。いい加減に気づかないのか。まあ面白いので黙っておく。
ユフィーリアは居住区画を見渡すと、
「風呂場にアイゼはいなかったのか?」
「いなかったよぉ」
「オレらが起きた時にはいなかった!!」
「きっと外に出ていったんだと思う」
「やっぱりか」
ユフィーリアは極小の舌打ちをする。
アイゼルネは魔力量が少なく、不審者と遭遇しても撃退する術を持たない。義足なので走って逃げることは叶わず、魔法で自衛しようにも先に魔力が尽きて魔力欠乏症を引き起こしてしまう恐れがある。だから常日頃から誰かと行動を共にさせていたのだが、この度単独デビューを許してしまった。
今はまだヴァラール魔法学院も夏休み期間で生徒たちもおらず、教職員も少ない。だが油断をしていると間違いなく危ない。
「このままだと危ないよぉ」
「早く探しに行かなきゃ!!」
「アイゼさんを危険な目に遭わせる訳には……!!」
「おう、そうだな。お前らの気持ちはよく分かる」
アイゼルネを助けに行くと主張する男子組3人に、ユフィーリアはついに現実を突きつけた。
「でもその格好だとグローリアに何を言われるか分からないから、着替えてこいよ」
「…………」
「…………」
「…………ッ」
エドワード、ハルア、ショウの視線がゆっくりと自分の身体に移動する。
そこにあったのは紙製の下着のみを身につけた状態の己の肉体だった。アイゼルネによる悪魔のマッサージを受けてお肌はツヤツヤ、身体は軽くて絶好調なのだが、衣服の類は片鱗も見られない。紙製の下着を衣類に数えるのだとしたら常識を疑う。
もしかして、衣類を着ていないから身体が軽く感じたのだろうか。そんな訳あるか。だとしたら世の中は全裸の変態に塗れている。
3人揃って茹で蛸のように顔を赤く染めると、慌てた様子で浴室に引っ込んだ。バタンと勢いよく扉が閉ざされ、その向こうから羞恥に染まった彼らの声が飛んでくる。
「ユーリのえっちぃ!!」
「見ないでよ!! 何見てんの!!」
「せ、せめて暗い場所だったら……明るい場所だと少し恥ずかしい……!!」
「お前らが見せてきたんだろ!? アタシに責任を押し付けんじゃねえよ!!」
いきなり覗きの罪をなすりつけられたユフィーリアは異議を叫ばざるを得なかった。さすがにこれは酷すぎる。
☆
探査魔法を使った結果、アイゼルネは中庭にいることが分かった。
「中庭で何やってんだろうな」
「だねぇ」
「他の人を餌食にしているかもよ!?」
「今のアイゼさんは暴走気味だからあり得る話ではあるな」
探査魔法が導き出した答えに従って、ユフィーリアたち4人は中庭を目指す。
探査魔法だけでは一緒にいる人物まで判明できないのだが、中庭から位置が移動していないので不審者と一緒にいる可能性は低いと見ていい。むしろ暴走状態にあるのだから、不審者をマッサージの刑に処するはずだ。
そうなると、不審者側が可哀想である。不審者と断定するのはまだ早いのだが、知り合いだろうと知り合いではなかろうとマッサージの餌食にされて半日ほど身体が動かせなくなるのは可哀想だ。
どこまで被害が出ているのか分からないが、全責任がユフィーリアに降りかからないうちにアイゼルネを回収して証拠隠滅を図らなければならない。「風邪だ、流行の風邪だ」とゴリ押しすればいけるだろうか。
「ユフィーリア!!」
「げ、グローリア!?」
中庭へ向かう道すがら、廊下の奥からドスドスと荒々しい足音を立てながらやってきたのは学院長のグローリアである。
怒られる気配を察知するが、今回の件に関してはユフィーリアたちも被害者である。全員仲良くアイゼルネによる悪魔のマッサージの餌食となり、身体の主導権を取り戻したのはついさっきのことだ。
学院長の態度から推察すると、彼もまたアイゼルネのマッサージを食らって身体が動かなくなった犠牲者という訳だ。問題児と違ってお忙しい学院長のことである、半日も無駄にすればそれは怒るに決まっていた。
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を突きつけ、
「何だよグローリア、今回ばかりはアタシだって被害者なんだからな!!」
「アイゼルネちゃんはどこに行ったの!?」
グローリアはユフィーリアに詰め寄ると、
「身体が軽くなったのは歓迎するべきなんだろうけど、僕は忙しいんだから半日も拘束されるのは冗談じゃないんだよね!?」
「その苦情をアタシに言うのは間違ってねえか!?」
「君は上司なんだからちゃんと言っておいてよ!!」
「ぐうの音も出ねえ」
アイゼルネに対する苦情を入れられたが、彼女の上司はユフィーリアなので必然的に苦情が来るのも頷ける。こればかりは仕方がない。
「ユーリ!! アイゼいたよ!!」
「中庭で項垂れているようなのだが……」
すると、未成年組がユフィーリアの黒い袖なし外套を引っ張って教えてきた。
廊下の窓は中庭に面しており、ちょうど平穏な中庭を見下ろすことが出来た。何かが爆発したような気配はなく、荒れ果てた様子も見られない。
燦々と太陽の光が降り注ぐ中庭で、南瓜頭の娼婦が長椅子の側でガックリと項垂れていた。両手と両膝を地面につき、悔しそうに地面を拳で叩いている。項垂れた彼女のすぐ側では、見覚えのある髑髏仮面の神父様がオロオロとした態度で慰めているようだった。
「あれショウちゃんパパじゃない?」
「父さんだ、何しているんだろう」
ハルアとショウは首を傾げる。
何があったのか不明だが、とりあえず理解できるのはアイゼルネがキクガに敗北を喫したという構図だけである。悔しそうにしているから、大方マッサージ関連で納得のいかない結果が出たか。
ユフィーリアは廊下の窓に足をかけ、校舎の高さなどものともせずに中庭へと飛び出す。ひらりと虚空に身を躍らせ、自由落下を開始するより先に指を弾いて浮遊魔法を発動させた。
ふわりと空中で浮かぶユフィーリアの身体。外套の裾を翻し、難なく中庭に着地を果たす。
「アイゼ、親父さん。何があった?」
「ああ、ユフィーリア君」
キクガは安堵した様子で顔を上げ、
「あの、アイゼルネ君のマッサージを受けていたのだが……」
「え、親父さんもアイゼの犠牲者に?」
「犠牲者?」
不思議そうに首を傾げるキクガを、ユフィーリアは頭のてっぺんから爪先まで観察する。
アイゼルネのマッサージを受ければ半日は身体の自由が利かなくなる。ユフィーリアたち用務員だけではなく、学院長のグローリアも体験済みだ。マッサージを受けながらも動けるとはこれ如何に。
すると、項垂れていたアイゼルネが弾かれたように立ち上がると、
「ユーリ♪」
「おわッ、アイゼどうした!?」
「効かなかったのヨ♪」
アイゼルネは南瓜のハリボテで覆った頭部をユフィーリアにゴスゴスとぶつけながら、
「キクガさんったら、おねーさんのマッサージが通用しなかったノ♪」
「ええ?」
「そんなはずはない訳だが……」
ユフィーリアとキクガは困惑した様子で応じる。
「え、親父さん平気なのか?」
「平気というか、むしろ身体の調子は絶好調な訳だが。肩こりも解消され、目のかすみや頭痛も驚くほど消えた。これほど身体が軽く感じたのは久しぶりな訳だが」
キクガは「アイゼルネ君の腕前はなかなかいいものだ」と高評価である。
だが、その評価に不満があるのか、アイゼルネはユフィーリアの頭にグリグリと南瓜のハリボテを押し付けてくる。そろそろ攻撃を止めてほしい。
一体何が不満なのか。マッサージでキクガの体調が驚くほどよくなったのだから、これほどいい結果はない。
「キクガさんの悲鳴が聞けなかったワ♪ トロトロのグデグデにしてあげたかったのに、キクガさんの身体のこりが酷すぎたのヨ♪」
「…………」
不満の原因を聞いたユフィーリアは、何とも言えない気持ちになった。
なるほど、働き者は働き者でも書類仕事が多いグローリアとは違って、キクガは冥王第一補佐官として動き回る仕事が多いのだろう。そのせいでコリの具合に差があったのだ。
結果、学院長はデロデロのグデグデに出来たのだが、キクガには一切通用しなかった模様である。思わぬ伏兵に負けた形である。
アイゼルネはキッとキクガを睨みつけると、
「次こそはグデグデのトロトロにしてみせるワ♪ 待ってなさイ♪」
「おや、次も受けられるのかね? それは楽しみな訳だが」
次は絶対に勝つという強い意思を持ちながら宣戦布告してくるアイゼルネに、キクガはどこか嬉しそうに応じていた。あの態度は勝者の余裕ではなく、単純にマッサージが気持ちよかったからだろう。
《登場人物》
【ユフィーリア】アイゼルネのマッサージに敗北した魔女。目覚めたら身体が爽快、軽くて仕方がない。
【エドワード】アイゼルネのマッサージに敗北した巨漢。目覚めたら身体が軽いのだが、その代わりに記憶を犠牲にした。
【ハルア】アイゼルネのマッサージに敗北した暴走機関車野郎。目覚めたら身体が軽いのだが、何をされたのか覚えていない。
【アイゼルネ】キクガに敗北した南瓜頭の娼婦。このあとしっかりユフィーリアとグローリアから正座でお説教された。
【ショウ】アイゼルネのマッサージに敗北した女装メイド少年。裸を見せるのはまだ勇気が出ないので、せめて明かりを落としてほしい。
【グローリア】ただでさえ忙しいのに半日身体が動けなくなってしまうが、そのあとめちゃくちゃお仕事が捗り拘束された時間の仕事が3時間足らずで終了した。デスクワーク中心の仕事が多い。
【キクガ】アイゼルネのマッサージに打ち勝った冥王第一補佐官。身体は軽いし気分も爽快、いつもより動けそうな予感がする。




