第4話【南瓜の娼婦と次の獲物】
「あら、マッサージですの? ぜひ受けさせてほしいですの」
魔導書図書館の司書を務める真っ赤な淑女を、ヘッドマッサージで沈めてきた。甲高い悲鳴を上げながら気高い彼女が崩れ落ちる様は見ていて気持ちがよかった。
「まっさーじ……? 身共には経験のないことですが、身体にいいのであればぜひお願いしたいです」
魔法学院の保健医であり永遠聖女と名高い幼き聖女様を、足のマッサージとツボ押しで撃沈させた。訳の分からない快楽に声を震わせる少女の姿は、思い出すだけでも笑いが止まらない。
「アイタタタタ……腰、腰を痛めた……部品を無理して運びすぎた……」
腰を痛めたヴァラール魔法学院の副学院長様には、痛めた腰を重点的に按摩と鍼灸治療で陥落させた。途中から異変に気づいて叫ぶ様子は心が躍った。
「あいぜ殿、儂にも」
「こちらに太い針があるけれど、試してみるかしラ♪」
「何で儂だけそんな悪意あるんじゃ!?」
調子に乗った白い狐には太い針を見せて脅しておいた。ついでに上司がいつぞやにやった時と同じように尻穴へ針をぶっ刺して昇天させておいた。別に恨みがあった訳ではない。
神よりも崇拝される七魔法王の面々は、見事にアイゼルネのマッサージ技術の前に撃沈した。魔女・魔法使いだけではなく一般人からも崇められている存在が、まさかマッサージだけでドロドロに蕩けて悲鳴を上げるとは夢にも思わないだろう。
所詮は彼らも生きた人間なのだから、身体の構造は似たり寄ったりである。アイゼルネが学んだ悪魔のマッサージに不可能はない。
弾んだ足取りで伽藍とした廊下を歩くアイゼルネは、
「次の獲物はどこかしラ♪ 楽しくて仕方がないワ♪」
もう楽しくて仕方がない訳である。
今までの施術者たちは素敵な悲鳴を聞かせてくれたが、まだまだ聞き足りないのだ。いつもは守られてばかりのアイゼルネも、今この時だけは誰も止めることの出来ない無双状態である。
これなら誰にでも勝てることが出来る。あの魔法の天才と名高い問題児筆頭のユフィーリアや学院長のグローリアさえも陥落させたのだ。今のアイゼルネに敗北はない。
次の獲物を探し求めていると、唐突に「おや」と聞き覚えのある声がアイゼルネの耳朶に触れた。
「アイゼルネ君ではないかね。息災な様子で何よりな訳だが」
「あら、キクガさン♪」
アイゼルネの目の前に現れたのは、ショウの実の父親であるアズマ・キクガだ。今日は何か用事あったのか、和装美人の格好ではなく装飾品を限りなく削ぎ落とした神父服姿である。胸元で揺れる錆びた十字架が目を引いた。
頭に髑髏の仮面を乗せ、艶やかな黒髪は地面に到達しそうなほどに長い。ショウと同じく夕焼け空を溶かし込んだかのような赤い瞳が色鮮やかで、大人びた光を湛えていた。天然ボケで戸惑わせることも多いのだが、今は完全に冥王第一補佐官としてのお仕事モードである。
キクガはやれやれと肩を竦め、
「死者蘇生魔法の申請を間違った使用者に説教をしていたところな訳だが。全く、ちゃんと学んでいるにも関わらず申請をせずに死者蘇生魔法を執り行うなど言語道断だ」
「キクガさんも大変ネ♪」
アイゼルネはお疲れ気味なキクガに労いの言葉をかけてやると、
「そうだワ♪ キクガさん、もう冥府に戻っちゃうかしラ♪」
「用務員室にてショウとユフィーリア君たちに挨拶をしてから戻ろうかと思った訳だが、何かあったかね?」
「キクガさんったらとってもお疲れのご様子だからマッサージでもどうかと思ったのヨ♪」
南瓜のハリボテの下でアイゼルネはほくそ笑む。
冥王第一補佐官など疲労が溜まりに溜まるような仕事に違いない。特にキクガは有能で冥府の様々な職員から頼りにされる人材だ、疲労感は桁違いかもしれない。
そんな有能な冥王第一補佐官のキクガをマッサージで蕩けさせることが出来れば、今度こそ七魔法王は陥落だ。誰もアイゼルネのマッサージには勝てない。これで天下を取れる。
キクガは不思議そうに首を傾げ、
「もしかして、アイゼルネ君が?」
「おねーさん、マッサージの勉強中なのヨ♪ 施術者が多ければ多いほどお勉強になるノ♪」
「実践体系で学ぶとは君も勤勉な訳だが。感心する」
キクガは肩を自分の手で揉むと、
「ではお願いしよう。働き詰めで疲れが溜まっている訳だが」
「それなら中庭に移動してほしいワ♪」
現在地から用務員室まで距離があり、またアイゼルネは元々の魔力量が少ないので転移魔法を発動できる距離にも限りがある。1人だけなら妖夢陰湿に戻れるかもしれないが、キクガを連れて転移魔法を発動すると大幅に魔力を消費してしまう恐れがあった。
幸いにも近くには中庭がある。長椅子や東屋などがあるので、座れる場所が確保できればアイゼルネもマッサージがしやすい。立ったままでは力が込めにくいし、何よりキクガの身長が高すぎるのでマッサージがやりにくいのだ。
キクガは頷き、
「酷いコリだとは思うので、どうか無理はしないでほしい訳だが」
「任せテ♪ どんなコリでも解消してあげるワ♪」
「頼もしい訳だが」
何の疑いもなくマッサージを受け入れてくれたキクガに、南瓜のハリボテの下で悪戯が成功した子供のように微笑むアイゼルネ。七魔法王もこれで全員、悪魔のマッサージに陥落である。
☆
「この辺りでいいかね?」
キクガが腰を下ろしたのは、中庭の長椅子である。年季が入って少しばかり古めかしい長椅子だが、頑丈さは折り紙付きだ。
背もたれもそれほど高い訳ではなく、後ろから見るとちょうどキクガの上半身が突き出ていた。背後に回れば肩が揉みやすい。
何も疑うことなく背中を預けてくるキクガに、アイゼルネは少し不安になった。
一部を除いて、キクガは非常に寛大だ。基本的に怒られるような場面に遭遇しない。何か悪いことをしても肯定的に捉えてくれるところは、さすが天然と呼ばれるだけはあるということか。そう言った寛大さを持ち合わせているのは、上司のユフィーリアと同じだ。
アイゼルネはキクガの背後に立つと、
「何も疑わないから心配になっちゃうワ♪」
「君が不利益を生じるようなことをするとは思えない訳だが」
キクガは平然と答え、
「勤勉で献身的な君のことだ。色々と無茶をしがちなユフィーリア君の為を思って、マッサージも勉強中ということなのだろう。少しでも勉強に役立てればいい訳だが」
「…………」
アイゼルネは何とも言えない気持ちになった。
キクガは、アイゼルネが自分の上司であるユフィーリアの為にマッサージを勉強しているのだと信じて疑わない。確かに最初はそのつもりだったのだが、実践していくうちに施術者たちが悲鳴を上げるので楽しくなってしまったのだ。
確かに不利益は生じないだろうが、半日は身体を動かすことが出来ないという欠点がある。ただでさえ忙しい冥王第一補佐官の半日を奪うことになるのだ、砂粒程度の罪悪感はある。
まあ、彼も働きすぎな傾向があるので仕方がない。半日ぐらい休憩として換算してもらおう。
「じゃあ、始めるワ♪」
「よろしく頼む」
キクガの肩に手を乗せ、アイゼルネは軽く親指で肩を指圧してみる。
「?」
おかしい。
指が肩にめり込まない。
岩の壁を親指で押しているような感覚である。あまりにも硬すぎるのだ。
「キクガさん、聞いてもいいかしラ♪」
「何かね?」
「キクガさんって岩で出来た人形とかじゃないわよネ♪」
「ちゃんと生きている人間なのだが……」
困惑した様子で応じるキクガだが、アイゼルネもまた困惑していた。
だって硬すぎるのだ、この肩。岩が詰まっていますと言っても過言ではないほどである。親指で押しても全然指が肉に沈んでいかないのだ。
これはなかなか手強い。学院長のグローリアはハンドマッサージだけで終わってしまったが、キクガはそれ以上に根気よく揉みほぐしていかなければ昇天させられない。
「まずはさすっていくワ♪」
「ああ」
手始めに、アイゼルネはキクガの両肩を軽くさすっていく。
いきなり揉んでしまうと、かえって痛みの原因となってしまうのだ。まずは慣らすところから始めなければならない。
手のひらなどで岩のように凝り固まってしまったキクガの肩をさすり、アイゼルネは様子を窺う。肩をさするだけでも気持ちがよかったのか、キクガの表情は緩んでいた。
「この調子だと肩だけじゃなくて首も凝っていそうネ♪」
「意外と自分では分からない訳だが」
「自分では分からないじゃないワ♪ キクガさんやユーリは自分で認識しようとしないのヨ♪ 誤魔化しちゃうでショ♪」
「耳に痛い言葉だ」
アイゼルネからの手厳しい指摘を受けて、キクガは苦笑する。
彼もそうなのだが、ユフィーリアもまた無茶をしがちなのだ。痛みなどを適当に誤魔化すからあとで大変な目に遭うのである。「無理はよくない」とは何度も言っているのだが聞かないので、割と強硬手段に出ることが多い。
24時間戦えますよ、じゃないのだ。時には休息だって必要なことである。必要には思えないかもしれないが、生きていく上では大事なことなのだ。
肩をさすったことで力が抜けたのか、キクガの両肩が僅かに軽くなる。まだ岩みたいに凝り固まった肩はそのままだが、これで準備は整ったと言ってもいいだろう。
「それじゃあ始めるワ♪」
「よろしく頼む」
あの七魔法王のほぼ全員を陥落させた悪魔のマッサージでキクガも虜にすべく、アイゼルネは凝り固まった彼の肩を揉みほぐしていくのだった。
《登場人物》
【アイゼルネ】悪魔のマッサージを習得して無敵状態の南瓜頭の娼婦。次なる獲物としてキクガを選んだ。これでとろとろにしてやるのだ。
【キクガ】冥王第一補佐官にしてショウの父親。今日は仕事で現世に訪れたところ、アイゼルネからマッサージを受けることになった。