第9話【問題用務員と悪臭花火】
次々と打ち上がる花火は、それはもう見事なまでに綺麗なものだった。
「アタシこんなに用意したっけな……」
「いやいや、これはボクが個人的に持ってた奴ッスよ」
「何で持ってんの?」
しれっとそんなことを言う副学院長のスカイに、ユフィーリアは思わずツッコミを入れる。
花火を個人所有する機会など滅多にない。魔法兵器の組み上げに必要なものと説明されたところで「何に使うんだ?」という疑問に行き着く。
副学院長のことなので有意義に扱うものか、それとも意味もなく阿呆な魔法兵器を組み上げるのか線引きが読めない。もしかしたら意味もなく組み上げた阿呆な魔法兵器に搭載する予定として花火を個人で所有していたのかもしれない。
スカイは自慢げな表情で、
「どうせ持ってるなら使った方がいいかと思ったんスよ。ユフィーリアの持ち込んだ匂い花火は真ん中に取っておくッス」
「それを言うなら最後に取っておくとか言わねえか?」
「何を仰いますやら。ボクは楽しみにしているものを真ん中に楽しむんスよ」
よく分からないこだわりを披露するスカイは、
「ユフィーリア、お嫁さんのとこに行かなくていいんスか?」
「何でショウ坊が出てくるんだよ」
「だって花火大会デートがしたかったから、わざわざ匂い花火なんて癖のある花火を取り寄せたんでしょ? ボクらは一緒にいるけど、デートを楽しんじゃいなッスよ」
ユフィーリアの背中を叩き、スカイは「ヒッヒッヒ」と引き攣った笑い声を漏らして校庭の隅に引っ込んだ。粋なことをしてくれる魔法使いである。
スカイに言われ、ユフィーリアは花火大会の観覧席として敷いたござに視線をやる。
そこには最愛の嫁であるショウが、チョコンと正座をして夜空に次々と咲いていく花火に見入っていた。その膝には半分ほど消費されたユフィーリア特製の西瓜かき氷の器が乗せられていて、花火に夢中となっているせいか手をつける様子は見られない。夏の暑さでかき氷は溶け、やや水っぽくなってしまっていた。
ユフィーリアはあえて足音を殺してショウの隣に忍び寄ると、
「おりゃ」
「ひゃッ」
冷感体質のせいで冷たくなった指先で、ショウのうなじをツゥと撫でてやった。
唐突な悪戯に、ショウの口から甲高い悲鳴が漏れる。その悲鳴は花火の破裂音に紛れてしまったが、隣にいたユフィーリアにはよく聞こえた。
首筋を押さえて振り返る彼は、不満げに唇を尖らせてユフィーリアを睨んでくる。「何をするんだ」と彼の赤い瞳は物語っていた。
雪の結晶が刻まれた煙管を咥えるユフィーリアは、
「かき氷が気に入らなかったようで」
「あ、花火に夢中だったから……」
ショウはようやく、かき氷が溶けて水っぽくなってしまったことに気づいたようだ。硝子製の器を満たすのは赤色の液体と、数個の素団子である。手持ち無沙汰に匙で赤色の液体を掻き混ぜれば、一緒に素団子も液体を揺蕩う。
ユフィーリアは「貸してみな」とショウから硝子製の器を受け取る。
溶けてしまったのであれば、また凍らせればいい。氷の魔法を使えば簡単である。まあ団子も一緒に凍ってしまうのだが、そこはご愛嬌で許してほしい。
両手で硝子製の器を抱えると、器の中で揺れていた赤い液体が再び凍りついていく。パキパキと音を立てて完全に氷の状態へと戻り、硝子製の器を通じて冷たさも伝わってきた。
「ほらよ」
「ありがとう、ユフィーリア」
硝子製の器を受け取ったショウだが、
「あ」
「あ、やべ」
器から突き出ていた匙まで、見事に凍りついていた。ショウが匙を引っこ抜こうと試みるのだが抜けず、それどころか器から凍りついた赤い液体が塊で引き剥がされるという事案が発生する。
匙を支え棒としたアイスキャンディみたいだ。不格好すぎて齧り付くのも躊躇ってしまいそうである。魔法の天才ユフィーリア・エイクトベルの痛恨のミスだ。
ユフィーリアは申し訳なさそうに「悪い」と謝罪し、
「新しいのに変えるか?」
「このままでいい」
ショウは不格好なアイスキャンディを硝子製の器に戻すと、
「今日は暑いから、また溶け出してくるはずだ。食べ頃になったら美味しくいただかせてもらう」
そう言って、綺麗に微笑んだ。
最愛の嫁による天使の如き微笑に、ユフィーリアの心臓は見事に撃ち抜かれる。この場で心臓が捩じ切れて吐血しながら冥府に旅立ってもいいぐらいだ。
骨の髄まで惚れているので何をやっても「可愛い」以外の感想は見当たらないし、何をされても笑顔で許してしまう。こんな可愛い少年が本当に嫁なのか、都合のいい夢ではないのか。
嫁の可愛さに現実逃避をし始めるユフィーリアに、ショウがピトリと身体を寄せてくる。彼はユフィーリアの肩に頭を乗せ、
「ユフィーリア、俺は貴女に出会えて本当によかった」
「いきなりどうした?」
「だって、毎日がこんなにも幸せなんだ。元の世界では考えられなかったことだから」
ふにゃりと幸せそうに顔を緩めるショウの頭を、ユフィーリアは優しく撫でてやる。
「言ったろ、幸せにしてやるって」
ショウを異世界に召喚してしまった最初の頃、ユフィーリアは「幸せにしてやる」と宣言したのだ。虐待で苦しむ彼をこれ以上、傷つけて苦しむのはあまりに過酷すぎる。もうすでに十分すぎるほど不幸な目に遭ったのだから、あとは幸せにするだけで人生の釣り合いが取れる。
その役目は他でもない、ユフィーリアが彼のことを幸せにしてやりたいと思ったから言ったまでだ。やると決めたからには有言実行する魔女である。
この先、数々の問題行動を起こして怒られることもあるかもしれないが、そんな騒がしい日常の中でもこの愛しい少年が幸せであることを感じられるように。
「だからこれからも、アタシはお前を幸せにするよ」
「ユフィーリア……」
「愛してる奴を幸せにしたいって思うのは当然のことだろ?」
ショウは小さく笑って「そうだな」などと応じる。小っ恥ずかしい台詞を言っただろうが、鼻で笑われなくてよかった。
「はーい、次はユフィーリア提供の匂い花火を打ち上げるッスよ」
そこへ、副学院長のスカイが匂い花火を打ち上げることを予告してくる。
夜空に咲き誇る花火に気を取られていたが、本日の目玉はユフィーリアが極東地域から仕入れた『匂い花火』である。極東地域の流行で花火が散ると同時に花のような香りもすると話題の花火玉だ。
どういう原理なのか不明だが、今まさにその神秘のヴェールを脱ごうとしている。樟葉にお勧めされるがままに購入していたのだが、ショウは気に入ってくれるだろうか?
普通の花火玉が一時中断し、スカイが暗闇の中で匂い花火を準備し始める。1人では大変そうだったのでエドワードとハルアも手伝っていた。
「匂い花火なんて初めてだ」
「アタシもだよ。ちゃんと綺麗な花火になるか心配だな」
「ユフィーリアが選んでくれたものだから、綺麗ではないなんてことはあり得ない」
「そこまで言われちゃうとハードルが上がるんだよなァ」
この嫁はユフィーリアのなすこと全てを肯定してくれるので、どんな馬鹿なことをやらかしても「さすがユフィーリアだ」と応じてくれるものだから不安になる。むしろユフィーリアの考えに異議を唱える人物を排除しにかかるぐらいだ。
いや実際、匂い花火に関してはユフィーリアも樟葉にお勧めされるがままに購入しただけだ。そんなに悪いものではないと思っているのだが、ちゃんと綺麗なのだろうか。
やがてスカイが匂い花火の準備を終えて、
「じゃあ打ち上げるッスよ」
そう宣言してから、魔法兵器を起動させる。
ぽしゅん、と音を立てて匂い花火が夜空に打ち上げられる。
どんな花火が上がるだろうか。最愛の嫁の手前なので、出来れば格好悪いところを見せたくはない。ドキドキと逸る心臓を押さえて、ユフィーリアは夜空に注目する。
そして、
――ぽひんッ。
間抜けな音を立てて、匂い花火は弾けた。
派手な花火も上がらなければ花のような匂いもしない。何だか間抜けは音と共に紺碧の空で弾けただけだ。
初めての匂い花火を前に、誰しも困惑する。大輪の花火も見えなければ匂いもしない、まさに不良品を掴まされたと言ってもいいぐらいだ。
匂い花火の不発に眉根を寄せるユフィーリアだが、
「ぐあッ!?」
「――――ッ!!」
ユフィーリアとショウは、2人揃って口元を押さえる。
臭い、あまりに臭いのだ。
まるでヘドロとゲロを足して糞尿を混ぜ合わせ、さらにその上から腐った牛乳と発酵が進んだ干物を散りばめてあり得ないほどの激臭である。芳しい花の香りなんて嘘っぱちだ。
激臭に喘ぐのはユフィーリアとショウだけではなく、当然その場にいた全員も同じように苦しんだ。
「ぎゃあああ!?」
「何これぇ!!」
「おごおッ」
「くッ……!?」
あまりの臭さに校庭が阿鼻叫喚の地獄絵図と化す。
それまで花火の綺麗さに魅了されていた面々は、強烈な臭さを発する匂い花火に苦しめられた。グローリアは紫色の瞳に涙を浮かべ、スカイは地面をのたうち回り、キクガは眉根を寄せて臭いに耐えている様子である。
特に酷いのはエドワードだ。彼は嗅覚が優れた獣人の先祖返りなので、容赦のない強烈な臭いに鼻を押さえてジタバタと暴れていた。臭さに喘ぐエドワードをアイゼルネとリリアンティアが助けようとしていたのだが、2人もあまりの臭さに吐き気を催していた。
唯一、平気な人物と言えば必殺料理人ぐらいだろうか。校庭を支配する激臭に鼻をひくつかせ、
「あら、とても素敵な香り」
「ルージュ先生の鼻は馬鹿なんだね!! もう死ねばいいんじゃないかな!?」
「何てことを言うんですの!?」
気絶するような激臭に苛立ちを覚えたハルアの暴言に、ルージュが金切り声で返す。この臭さを「素敵な香り」と言ってのける彼女の感性はすでにドブのようなものだ。
「ユフィーリア、君って魔女は!!」
「違え、アタシじゃねえ!!」
匂い花火の提供先がユフィーリアということもあって、グローリアに疑われたユフィーリアは自分の罪を否定する。
よく考えてみてほしい。
たとえ問題児で、問題行動が日常茶飯事だったとしても仲間を巻き込むような事件を起こす訳がないのだ。この場には最愛の嫁であるショウもいるし、仮にこの激臭花火を打ち込むのだったら大砲に詰めて学院長室にぶっ放している。
ユフィーリアは「ふざけんな!!」と叫び、
「自分も食らうのにあえて花火大会の場に持ち込むか!? あれはショウ坊との花火大会デートで使うって言ったろ!!」
「君が特殊なヘキに目覚めたかもしれないじゃないか!!」
「目覚めてねえわ!! 最初から最後までアタシの性癖はメイド服だわ!!」
グローリアに特殊性癖まで疑われるユフィーリアは、匂い花火が詰め込まれていた箱を確認する。
使用方法を読まなかったので、きっと何か手順がおかしかったのだ。そのせいで激臭を放つようになってしまったに違いない。
花火玉が詰め込まれた木箱の底に、目的の紙らしきものが折り畳まれて放置されていた。箱の中に頭を突っ込んで紙を拾い上げ、ユフィーリアはそれを広げる。
『ゆり殿へ
嫁の為に匂い花火なんて高級品を頼むなんて、何と嫁思いな旦那なのじゃ。儂は大いに感動した!
儂も見習って樟葉に匂い花火を贈ろうと思ったのじゃが、まあ値段が高くてのう。最近は財布が寒くて寒くて、買おうにも買えんわい。
じゃからゆり殿が買った匂い花火を拝借するぞい。
これで儂も樟葉との冷え切った仲を回復できるわい。最近だと視線が冷たくて冷たくて、儂の心がポッキリと折れてしまいそうだったんじゃい。
あ、ゆり殿には儂が作っためちゃくちゃ臭い匂い花火を贈るぞい。これで学院長殿に悪戯でもするのじゃ。
それと、箱は返すのじゃ。中身だけいただいていくのう。
八雲夕凪』
あのジジイ。
「ユフィーリア? 説明書には何か書いてあったの?」
「もしかして使い方とかあったんスか?」
グローリアとスカイが気になってユフィーリアに問いかけてきたので、ただ無言で箱の中に置かれていた手紙を見せる。
そこに書かれていた文章を読み込んだ学院長と副学院長の表情が消えた。瞳から光がなくなり、石像のように固まる。
同じように様子を見に来た残りの連中にも手紙を見せると、彼らの表情もストンと抜け落ちた。瞳が手紙を何度も行き交い、並んだ文章を読み込んでいるようである。
ユフィーリアは静かに手紙を閉じると、
「何か、言うことは?」
それから彼らは、口を揃えて叫んでいた。
「「「「「あのクソジジイ!!」」」」」
《登場人物》
【ユフィーリア】可愛い嫁の為に匂い花火なんて高級品を取り寄せたが、見事に八雲夕凪に無断で拝借された。拝借された上でこんな臭え花火を用意されるとは地獄であるあの野郎覚えておけ。
【エドワード】悪臭花火のせいで鼻が死んだ。
【ハルア】悪臭花火のせいで苛立ちが募り、ついルージュに暴言を吐いた。
【アイゼルネ】臭さのあまり立ったまま意識が遠のいた。
【ショウ】せっかくユフィーリアとの花火デートだったのによくも邪魔してくれたな。
【グローリア】無断で資源は消費する問題児と、無断で資源を消費した上でとんでもねーブツと入れ替えて誤魔化す八雲夕凪だったらどっちがタチ悪いのか。
【スカイ】悪臭花火で鼻が死んだ。本当にやめてほしい。
【ルージュ】唯一、悪臭花火で平然としていた。嗅覚も死んでいるらしい。
【キクガ】義娘が用意した花火をよくも、八雲夕凪許すまじ。
【リリアンティア】あまりの臭さに意識が遠のきかけたが、臭い花を嗅いだことがあるので何とか大丈夫だった。




