第7話【異世界少年と必殺料理人の罪】
カラン、という涼やかな音がヴァラール魔法学院の廊下に落ちる。
「ふんふーん♪」
鼻歌混じりに廊下を進んでいくショウの足取りは、どこか軽やかである。
せっかくの花火大会ということもあり、バニー風メイド服ではなく桜色の浴衣に着替えたのだ。薄桃色の浴衣には全体的に桜の花が描かれた可愛らしいもので、腰に巻かれた真紅の帯には赤い小さな花が特徴の帯留めが飾っている。足元を彩る漆塗りの下駄は桃色の鼻緒が目を引き、とても可憐な意匠となっていた。
艶やかな黒髪はお団子にまとめられ、桜模様の蜻蛉玉が素敵な簪が煌めく。少女めいた儚げな顔立ちにも薄く化粧が施されていて、主張しすぎない奥ゆかしさが見事に演出されていた。
隣を歩くハルアがショウの顔を覗き込むと、
「楽しそうだね、ショウちゃん!!」
「花火大会が楽しみだからな」
ショウは浴衣の袖を広げると、
「父さんも素敵な浴衣をありがとう」
「気に入ってくれたかね?」
「ああ」
後ろを歩くキクガは「そうかね」と嬉しそうに頷いていた。
実はこの浴衣、キクガが持ち込んだものである。「花火大会に行くなら浴衣だろう」ということで用意してくれたのだ。
最初は自分だけ浴衣を着るのも、ということで辞退しようとしたのだが、浴衣姿で最愛の旦那様であるユフィーリアをメロメロにすることを天秤にかけたら葛藤など吹き飛んでしまった。ユフィーリアを夢中にさせる為にキクガの協力を得て、綺麗に着飾った次第である。
普段はメイド服が中心だが、たまには和装を着るのも悪くはない。普段とは違った一面を見せつけて褒めてもらうのだ。
「そういえばぁ、ユーリがご飯を用意してくれるんだってぇ?」
「リリアちゃんが夏野菜も一緒に提供してくれたんだって。だからカレーを作るって意気込んでたよ」
エドワードの質問に、彼の隣を歩くグローリアが何とはなしに応じる。
そう、今日の夕飯は事前にカレーであると予告を受けていたのだ。何でもユフィーリアが「リリアから夏野菜を貰ったから夏野菜のカレーにするぞ」と通信魔法でお知らせしてきた訳である。
ついでに言えば、西瓜のデザート付きみたいだ。夕飯だけではなく、花火大会に相応しい甘味まで用意してくれるとは最高の旦那様である。浴衣姿を見せる前にショウは何度か惚れ直してしまいそうだ。いやもうすでに戻れないところまで惚れている訳だが。
スカイが「楽しみッスねぇ」と呟き、
「素麺の時も思ったッスけど、ユフィーリアって料理が上手ッスよね。問題児どもは毎日あんな美味い飯を食えるってのが羨ましいッスわ」
「俺ちゃんと当番制だよぉ」
「用務員室の料理番はユーリとエドの2人だよ!!」
「俺とハルさんは調理場に立たせてもらえないんです」
ハルアと顔を見合わせて「そうだよね!!」「そうだな」と頷くショウ。その姿を、何故かエドワードが悩ましげな表情で眺めていた。
調理場に立たせてもらえない理由は皆目見当もつかないのだが、元々料理は得意ではないので料理上手な旦那様が出来て幸せである。ユフィーリアから無言で首を横に振られたので、調理場に自分の意思で近づくことは止めた。
花火大会の会場である校庭を目指していると、
「ん?」
どこからか嗚咽が聞こえてきた。
誰かが泣いているようである。
ちょうど校庭に繋がる廊下を歩いている最中だったが、誰かいるのだろうか。夕闇が迫り来る時間帯なので幽霊か何かが出現した可能性も考えられる。
周囲を見渡したショウは、嗚咽の正体に気づいた。
「リリアちゃん、泣かないのヨ♪ 西瓜は残念だったワ♪」
「身共が、身共がもっと厳しく止めていれば……」
ゴロゴロと台車を押す浴衣を着た南瓜頭の女性が、ポロポロと涙を落とす金髪の少女の手を引きながらショウたちの後ろにいたのだ。
南瓜頭の女性はアイゼルネだろう。妖艶なドレス姿から涼しげな藤色の浴衣に着替えて、花火大会に備えた格好と言えよう。ショウたちの存在に気づくなり「あラ♪」と小さく手を振ってくれた。
そして彼女に手を引かれる金髪の少女は、保健医のリリアンティア・ブリッツオールだ。真っ白な修道服を脱ぎ、今は白を基調とした浴衣姿である。真っ白な生地を泳ぐ金魚の絵柄が可愛らしく、リリアンティアによく似合っていた。
そして注目すべきは、アイゼルネが押す台車に積まれたものだ。一抱えほどもある木箱には通常の大きさである西瓜が詰め込まれていて、それが5箱ほど積み上げられて縄で縛られていた。
「アイゼぇ、何で西瓜を持ってるのぉ?」
「今日のデザートは巨人西瓜ではなかったんですか?」
エドワードとショウがアイゼルネに質問を投げかければ、何故かアイゼルネに手を引かれるリリアンティアが「うううう」とさらに泣き始めてしまった。何かまずい質問だったのか。
「実はルージュ先生が西瓜をダメにしちゃったのヨ♪」
「あー……」
「それはー……」
「擁護できない訳だが」
グローリア、スカイ、キクガが顔を顰める。特にキクガは苦虫を数十匹ほどまとめて噛み潰したかのような渋い表情になっていた。
「だからおねーさんとリリアちゃんは新しい西瓜をお運び中ヨ♪」
「手伝いますか?」
「あらいいのヨ♪ エドにやらせるかラ♪」
ショウが手伝いを申し出たところ、何故か流れるようにエドワードへ仕事が押し付けられてしまった。
押し付けられた本人も「ええ!?」と驚いていたが、台車を使っていても女性に西瓜を運ばせるのはアレかと考えたのか文句を言わなかった。さすが先輩。
アイゼルネは朗らかに笑いながら、
「ユーリが校庭でお待ちヨ♪ 行きまショ♪」
☆
花火大会の会場である校庭には、大きめのござが敷かれていた。
「わあ、凄い」
「すでに準備されてる!!」
ショウとハルアは瞳を輝かせる。
ござの中心にはお盆が重石として乗せられており、そのお盆には硝子杯と水差しがそれぞれ並べられていた。自分で注ぐ形式のようである。
昼間に副学院長のスカイが組み上げた凸の形をした魔法兵器――花火打ち上げ装置『たまやー君』から距離があるところにござは敷かれているのだが、花火が見やすい位置に場所を取ってくれていた。最高の位置である。
そして問題のユフィーリアは、
「――――」
ショウの呼吸が止まりかけた。
ユフィーリアを探して校庭を見渡すと、巨大な寸胴鍋をかき混ぜている美しい銀髪碧眼の女性がいた。透き通るような銀髪をサイドテールにして肩に垂らし、青色の花飾りでまとめた大人っぽさと色気のある髪型が目を引く。化粧も青系でまとめられているのか、色鮮やかな青い瞳を飾る睫毛や瞼には青みのある化粧が施されていた。
濃紺の浴衣は彼女らしくあり、袖や裾に描かれた大輪の牡丹が問題児の女王として君臨する最愛の旦那様をよく体現していた。銀糸も縫い込まれているのか、袖などが煌めいているように見える。漆塗りの下駄で守られる彼女の華奢な足の爪には爪紅まで塗られてお洒落だ。
女神の如き妖艶で可憐な最愛の旦那様、ユフィーリア・エイクトベルがそこにいた。
「…………!!」
寸胴鍋の中身をかき混ぜていたユフィーリアが顔を上げると、何故かその場で倒れてしまった。
「ユフィーリア!?」
「天使がいる!!」
「お迎えが来てしまったのか!?」
唐突に「天使がいる!!」なんて叫ぶものだから、ショウはてっきりお迎えが来てしまったのかと勘違いしてしまう。残念なことに翼を生やした美少女の大群はその場にいなかった。
駆け寄ったショウの手を借りて、ユフィーリアは何とか起き上がった。ショウの顔や格好を見るなり感極まって涙を浮かばせていたが、どこか変な場所を打ったのではないかと心配になる。
浴衣に付着した土埃を払うと、ユフィーリアは何事もなかったかのようにショウたちを迎えた。
「おう、お前ら。ようやく来たな」
「ショウちゃんの可愛さに汚え声出してたのは知ってるからねぇ」
「忘れなきゃ飯抜きにするぞ」
「何の話してたっけ?」
ユフィーリアの脅しが通じたのか、エドワードの記憶が見事に消え去った。都合の良すぎる記憶である。
「ユフィーリア様、西瓜をお持ちしました……」
「リリアとアイゼも悪かったな。西瓜はアタシがやるから、お前らは休んでていいぞ。リリアの精神状態も気になるし」
エドワードが台車で運ぶ西瓜の入った木箱の山を魔法で移動させるユフィーリアは、木箱から西瓜を取り出して緑と黒色の縞模様が特徴的な皮を叩いていた。甘さを確認しているのだろうか。
「ユフィーリア、ルージュちゃんはどこに行ったの?」
「ん?」
用務員室から鉈のように巨大な包丁を転送させたユフィーリアは、グローリアの問いかけに気軽な口調で応じる。
「あそこで魔女狩りの処刑をしてる」
「うわあ!?」
グローリアがあからさまに驚いた声を上げていた。
ユフィーリアが示した方向には、丸太に縛り付けられたルージュの姿があった。先程から「離すんですの!!」とか叫んでいるが、ユフィーリアは無視している。頑丈な鎖で全身を締め上げられているからか、身動きが取れない状態となっているようだった。
さらに彼女の足元では、紅蓮の炎が焚かれていた。典型的な火刑である。彼女の足から焼けていくのは時間の問題だ。
さすがに見ていられなかったのか、スカイは西瓜を切り分けるユフィーリアに苦言を呈する。
「ルージュちゃんが劇物お料理を作るのはいつものことじゃないッスか、何もあそこまでせんでも」
「ほらよ」
ユフィーリアが指を弾くと、金属製のトレーがスカイの目の前に転送された。
金属製のトレーを満たすのは、何やら紫色の半固形物である。ボコボコと沸騰しており、加えて異様な悪臭が漂っていた。
金属トレーを受け取ってしまったスカイ、それを唖然とした表情で観察するグローリアとキクガ、ショウを守るように立ち塞がるハルア、そして色々と察知して距離を取るエドワードと三者三様の反応を見せる。誰だってこんなものは警戒する。
次の瞬間、全員して口を揃えて叫んでいた。
「「「「「くっっっっさ!!」」」」」
スカイが金属製のトレーを放り捨てる。
放物線を描いた金属製のトレーは、中身を盛大に校庭へぶち撒けてひっくり返る。ひっくり返ると同時に地面からシュウウウという嫌な音が聞こえてきたのだが、気のせいだと思いたい。
一体何を使ったらこんな酷い状態に出来るのだろうか。これがあの昼間に食べた美味しい巨人西瓜の成れの果てだとすれば、冥府の刑場で呵責を受けても文句は言えない。
グローリアは恐ろしいものでも見たかのような視線をユフィーリアにやると、
「何の、材料を使ったか分かる?」
「コカトリスの血清」
ユフィーリアは平然と答え、
「あの猛毒を持つ鶏の血液をぶち撒けやがってな、おかげでリリアが丹精込めて作った巨人西瓜は全部お釈迦になった上に用務員室の食料保管庫にも臭いが染み付いてんだよ。中の食材も、食料保管庫そのものも買い換えなきゃいけなくてだな?」
「ルージュちゃん、毒物劇物取扱責任者の資格と魔法植物取扱責任者の資格を剥奪するね」
「何故ですの!? わたくしの至高の調味料を集めるのに必要な資格ですのに!!」
淡々としたユフィーリアの説明を受けて、グローリアは問答無用でルージュに罰を与えていた。至高の調味料とはよく言ったものだが、毒性があっては洒落にならないのだ。
《登場人物》
【ショウ】最愛の旦那様の浴衣姿が見れて女神が降臨したかと錯覚。浴衣姿は星屑祭りの際にも見たことあるのだが、やはり何度見ても最高である。
【ハルア】カレー楽しみだったのだが、リリアンティアの丹精込めて作った西瓜がとんでもねーことになっていたので「これ悪夢かな?」と夢であることを疑い始めた。
【ユフィーリア】食料保管庫と中身の食材はルージュに頼んで買い替えてもらうつもり満々。責任は取るよな?
【エドワード】コカトリスの血清によって変貌した西瓜の激臭に鼻がやられた。
【アイゼルネ】リリアンティアを慰めるのに必死。西瓜をという単語を出しただけで泣きそうなのが可哀想。
【グローリア】とうとうやりやがった、と頭を抱える学院長。ルージュの必殺料理人はさすがに止められない。
【スカイ】さすがに魔女狩りスタイルはやりすぎなのではないかと慈悲を見せたら妥当な罰だった。
【ルージュ】ただ自分なりに料理を美味しくしようと思ったのに、どうして魔女狩りスタイルにならなければならないのか。
【キクガ】義娘の料理を無駄にしたので、あとで何かしらのお礼参りをしようと画策。
【リリアンティア】西瓜をダメにされた怒りとユフィーリアに迷惑をかけたという罪悪感で押し潰されそう。