第6話【問題用務員と浴衣】
「まさかアタシにまで浴衣が用意されてるなんてなァ」
アイゼルネに浴衣を着せられたユフィーリアは、目の前に置かれた姿見で自分の格好を確認する。
普段着である肩だけが剥き出しになった黒装束を半ば強引に脱がされ、代わりにあれよあれよと着させられたものは濃紺の浴衣である。袖や裾には大輪の牡丹の花が描かれており、編み込まれた銀糸が華やかさな印象を後押ししていた。
細い腰に巻き付けられた薄桃の帯は可愛らしさがあり、真紅の花飾りをあしらった帯留めが目を引く。裾から伸びるユフィーリアの素足を守る漆塗りの下駄は濃紺の鼻緒が特徴的で、足の指には色鮮やかな青色の爪紅まで塗られていた。
いそいそと化粧道具まで並べ始めるアイゼルネは、
「せっかくの花火大会なんだもノ♪ ユーリだってお洒落をして、ショウちゃんをメロメロにさせちゃいまショ♪」
「たかが浴衣でメロメロになるかな」
浴衣の袖を揺らすユフィーリアは、何気なくそんなことを言う。
形式は違えど、星屑祭りの際に浴衣姿は見せたことがある。色や模様が変わっただけであの可愛い嫁がアイゼルネの言う通りにメロメロとなるだろうか。
むしろユフィーリアはメロメロになる。星屑祭りの際に着ていた赤色の浴衣で着物風メイドちゃんも可愛かったのだが、艶やかな浴衣姿になっただけで心臓が捩じ切れるかもしれない。今のうちから遺書を用意しておかなければダメだ。
遠い目をするユフィーリアは、
「遺産相続することになったら、仲良く財産を分けてくれよ……」
「不吉なお話をしているところ申し訳ないのだけどネ♪ ユーリが死んだらおねーさんたちも漏れなく死んじゃうのヨ♪」
残酷な現実を容赦なく突きつけてくるアイゼルネは、小さな丸椅子をユフィーリアの目の前に置く。その両手にはいつのまにか化粧道具が装備されており、無言で丸椅子を指で示してきた。「座れ」という合図に威圧さえ感じる。
大人しく丸椅子に腰掛ければ、アイゼルネの指先がユフィーリアの頬に触れていく。まずは化粧水を染み込ませた脱脂綿で肌に潤いを持たせてから、下地の化粧を始めていった。
別に顔をベタベタと触られるのは嫌いではないので、ユフィーリアはアイゼルネの好きにさせておく。問題児きってのお洒落番長のなすことに口を出してはいけない。
「アイゼは浴衣を着ねえのか?」
「着るわヨ♪ ユーリのお化粧を終えてからネ♪」
カチャカチャと素早く化粧筆や鋏によく似た道具などを持ち替え、アイゼルネの化粧は順調に進んでいく。もう自分の顔がどうなっているのかさえ検討がつかなくなっていた。
閉ざされた瞼の上に化粧筆が何度も行ったり来たりを繰り返してユフィーリアの目元を彩り、鋏みたいな道具を使って睫毛を巻いていく。瞼を挟まれるのではないかとヒヤヒヤしたが、アイゼルネがそんな間違いを起こすはずがなかった。
最後に細めの化粧筆で淡い色合いの口紅をユフィーリアの唇に乗せて、アイゼルネは満足そうに頷いた。
「完成♪」
「ほー」
ユフィーリアはアイゼルネに差し出された手鏡を覗き込み、化粧の出来栄えを確認する。
色鮮やかな青い瞳を強調するように目元は青系を中心とした化粧が施され、艶やかな唇に思わず視線が留まってしまう。着物の色味と合わせた化粧の具合となっていた。
桜色に染まる頬に触れてみたり、くるんと巻かれた睫毛に指先で触れてみたり、鏡に映り込む自分の顔が本当に自分自身ではないみたいに思えて仕方がない。ユフィーリアの化粧技術もここまで高くはなく、せいぜい最低限のことが出来て終わりである。
化粧が施された自分の顔を見入るユフィーリアは、
「相変わらず器用だな」
「ユーリも極めてみたらどうなノ♪」
「魔法で化粧が出来たら最高だよな」
「すぐに魔法へ頼ろうとするんだかラ♪」
アイゼルネは衣装箪笥から藤色の浴衣を取り出すと、ユフィーリアの前で広げて見せる。
「おねーさんはこの浴衣♪」
「お」
アイゼルネが広げる藤色の浴衣には、綺麗な朝顔の花が描かれていた。以前、ショウとハルアが育てていた目玉模様の浮かぶ不気味な朝顔ではなくちゃんとした品種の朝顔だ。袖や裾などを飾る朝顔の花から緑色が鮮やかな蔦や葉が伸びて、浴衣全体を飾っている。
大人びた印象のある浴衣だ。用務員のお姉さん的存在であるアイゼルネにピッタリの意匠であると言えよう。「帯はこっチ♪」と次いで衣装箪笥から紅色の帯も取り出して、その組み合わせに思わず唸ってしまった。
藤色の浴衣に紅色の帯――なかなかいい組み合わせである。アイゼルネらしく落ち着いており、派手すぎない格好だ。
「ふんふーン♪」
ユフィーリアが目の前にいるにも関わらず、アイゼルネは平然と着ていた赤色のドレスを脱ぎ捨ててしまった。
残ったものは彼女の豊満な胸元を支える胴着とやたら布面積が少ない女性用下着、それから踵の高い靴のおかげで自由に動く球体関節が特徴的な義足だ。同性であるユフィーリアも惚れ惚れする肉感的な体躯を惜しみなく晒す彼女は、ワンピースにも見える肌着を最初に身につける。鼻歌混じりに藤色の浴衣へ袖を通して、姿見で確認をしながら着々と準備を進めていった。
アイゼルネが浴衣を着付けていく様を後ろから眺めるユフィーリアは、
「いつのまに浴衣の着方を学んだんだか」
「樟葉さんに習ったのヨ♪ 和装のお買い物はお値段が張るけど、いい生地だし素敵な絵柄だから後悔していないワ♪」
「そうかァ」
雪の結晶が刻まれた煙管を吹かしながら、ユフィーリアは何気なく応じる。
問題児のお洒落番長だから、あらゆる衣類の着方は学んでおきたいのだろう。その向上心は素晴らしいものである。
さて、ここまで綺麗に整えてもらったのであれば髪型も自分でやってしまおう。髪を結ぶ程度であればユフィーリアだってアイゼルネに頼らず出来る。化粧よりも髪を結ぶ方が得意かもしれない。
「きゃーッ!! ルージュ様、何をなさっているんですか!!」
「あの料理の真髄すら分からない問題児に一泡吹かせるんですの!!」
「ダメですダメですそんなものを入れたら大変なことになってしまいます!!」
衣装部屋の外から、何やらリリアンティアとルージュのやり取りが盛大に聞こえてきた。
「…………」
「…………」
髪の毛を梳かそうと櫛を手にしたユフィーリアと、ちょうど帯を締めている最中だったアイゼルネの動きが止まる。
衣装部屋の外から聞こえてくるのは、どすんばたんと揉み合う音だろうか。非常に嫌な予感しかしない。
騒ぎから予想して、あの必殺料理人がユフィーリアのカレー鍋に劇物を投入しようと目論んでリリアンティアに阻止されているのか。見張りをつけておいてよかったと思う反面、リリアンティアではルージュの奇行を止められるのか不安になってくる。
ユフィーリアは舌打ちをし、
「あの野郎ッ!!」
「ユーリ♪ おねーさんも行くワ♪」
「お前はちゃんと浴衣を着て化粧もしてから出てこい!!」
追いかけようとしてくるアイゼルネにその場へ残ることを言い渡して、ユフィーリアは衣装部屋を飛び出した。
☆
背後でカレーの寸胴鍋を守る白い浴衣姿の聖女様と、紫色の液体が揺れる小瓶を握りしめてカレーの寸胴鍋に近づこうとしている必殺料理人の取っ組み合い現場に遭遇した。
「〈蒼氷の塊〉!!」
「うぎゃあッ!?」
ルージュの脳天に一抱えほどもある氷塊を叩き落とし、彼女の手から紫色の液体が入った小瓶を落とす。小瓶は床に叩きつけられて呆気なく割れ、悪臭のする液体をぶち撒けた。
脳天に氷塊を食らったルージュは、淑女にあるまじき野太い呻き声を漏らして床に座り込んでいた。味覚は馬鹿だが痛みはあるらしい。末恐ろしい真っ赤な淑女様だ。
半泣きでカレー鍋を守っていたリリアンティアへ振り返ったユフィーリアは、
「大丈夫か、リリア。変な液体とか食らってねえか?」
「み、身共は平気です、平気です」
リリアンティアは緑色の瞳からボロボロと涙を零しながら、
「す、すみません。身共がカレーの味見をしているうちに、その、ほんの少しだけ目を離してしまいまして……!!」
「気にすんな、お前はあの必殺料理人から鍋を守ろうとしてくれたじゃねえか。それを誇れ」
「カレーは、カレーは無事なんです、その、他がもう手遅れで」
震える指先で、リリアンティアは食料保管庫を示した。
ユフィーリアは慌てて食料保管庫の扉を開くと、不気味な紫色に変わった挙句にボコボコと沸騰している金属製のトレーとご対面を果たした。
それは数十分前にユフィーリアが食料保管庫で冷やしていた、巨人西瓜のシャーベットである。西瓜そのものが大きいのでいくつかの金属製トレーが食料保管庫で冷やされているのだが、それら全てがボコボコと沸騰する紫色の何かに様変わりしていた。
鼻孔を掠める生ゴミとヘドロを掛け合わせて黴びた雑巾の搾り汁を入れて腐った牛乳を添えたような悪臭が漂い、ユフィーリアは反射的に食料保管庫の扉を閉めた。この臭いが食料保管庫に染み込んでしまった以上、もうこの魔法兵器と中に置かれていた食材は全て使えない。
「せっかく、せっかくユフィーリア様が美味しくお料理してくれたのに、身共は守れな、守れなかったです、ひっ、うええ」
とうとう耐えきれなくなって声を上げて泣き始めたリリアンティア。
彼女は努力した、それはもう精一杯の努力をした。七魔法王が第六席【世界治癒】の名前を冠する聖女様であっても、成人にも満たない幼い少女なのだ。馬鹿な大人の相手をたった1人に任せるのは酷だった。
ユフィーリアはリリアンティアの頭を撫でてやり、
「大丈夫だ、リリア。お前はよく頑張った、あの必殺料理人から全員の胃袋を守ったんだ。戦果は上々だよ」
「でも、でもぉ……」
「西瓜を無駄にしちまったのは、アタシも謝らなきゃいけねえ。せっかくあんな大きい西瓜を育ててくれたのに、変にしちまって悪かったな」
ボロボロと涙を流すリリアンティアの顔を転送させた手巾で拭いてやり、ユフィーリアは心配そうに衣装部屋から顔を覗かせてくるアイゼルネを手招きで呼び寄せる。
「リリアの化粧を直してやってくれ。泣きまくったからせっかくの可愛い顔が台無しだ」
「分かったワ♪」
「リリア、悪いけど化粧を直したら普通の西瓜を分けてくれねえか?」
「は、はい、はい……」
嗚咽を漏らすリリアンティアは、アイゼルネに連れられて衣装部屋に消えていく。
しょんぼりと肩を落とす少女の背中を見送り、ユフィーリアは床をビチビチと元気にのたうち回る真っ赤な淑女様に目をやる。
氷塊を叩き落としたダメージは凄まじかったようで、未だに脳天を押さえて暴れていた。だがリリアンティアが手塩にかけて育てた巨人西瓜を無駄にしたことと食料保管庫内の食材、そして食料保管庫そのものをダメにしてもなお足りない罰則である。
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を一振りし、銀製の鋏に切り替える。悶え苦しむルージュに絶対零度の眼差しを向けると、
「魔女狩りだーッ!!」
「ですのおおおおおおお!?!!」
ルージュの甲高い悲鳴が学院全体を揺らすのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】あまり和装には慣れない魔女。どちらかと言えばドレスの方が着慣れている。
【アイゼルネ】こんな時の為に和装の知識を仕入れておいたし、ブツも用意した。着付けも樟葉から教えてもらって完璧である。
【ルージュ】必殺料理人。本人に悪気はないが、あれで人は死ぬので怒らなければならない。
【リリアンティア】ルージュからカレー鍋だけは何とか死守したものの、自分の手塩にかけて育てた西瓜が大変なことになって泣いた。




