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第5話【問題用務員とカレー】

 用務員室の隣に設けられた居住区画に、香辛料の匂いが漂う。



「丁寧にたっぷり愛情を込めて〜♪」



 寸胴鍋をかき混ぜながら、ユフィーリアは調子外れな歌を唄う。


 鍋の中身は茶色い液体で満たされており、全体的にドロドロとしていた。時折、顔を覗かせるのは柔らかく煮込まれた影響でほんの僅かに溶けている夏野菜たちだ。

 園芸が趣味のリリアンティアから「ついでにこちらもどうぞ」と夏野菜を提供されたので、夏野菜のカレーを作ることになったのだ。巨人西瓜を使ったデザートと同時進行である。魔法を使えば並列して作業をするなど朝飯前なのだ。


 小皿にカレーを掬って味見をしてみると、刺激のある辛さと溶け込んだ夏野菜の旨味が絶妙に合致していた。香辛料からこだわったので誰でも楽しめる辛さになっているはずである。



「そういや、リリアとアイゼは大丈夫か……?」



 カレーで満たされた寸胴鍋をかき混ぜながら、ユフィーリアはポツリと呟く。


 アイゼルネがリリアンティアを居住区画にある衣装部屋に引っ張り込んでから、かれこれ1時間が経過しようとしていた。純粋無垢な聖女様が魔性の女の罠に嵌められたかと考えたものだが、耳をそばだてても悲鳴らしいものは聞こえてこないので問題はないはずだ。

 魔女の従者として信頼している彼女が、七魔法王セブンズ・マギアスの同僚に何かよからぬことをしでかすとは考えられない。ユフィーリアもマッサージの実験台にはされたりするものの、基本的にアイゼルネはユフィーリアの有益になるようなことしかしないのだ。


 そんなことをぼんやりと考えていると、



「ユーリ♪」


「おう、アイゼ。衣装部屋で何してたんだ?」


「ご覧なさイ♪」



 リリアンティアを衣装部屋に引っ張り込んでいたアイゼルネが「じゃーン♪」と嬉しそうに何かをお披露目してくれる。


 恥ずかしそうに衣装部屋から顔を覗かせたのは、浴衣を身につけたリリアンティアである。真っ白な修道服を脱ぎ捨てて白を基調とした浴衣を身に纏い、涼しげな装いに変貌を遂げていた。艶やかな金色の髪も白い花飾りを使ってお団子状にまとめられており、襟首から覗くうなじが何とも艶かしい。

 細い腰を強調する桃色の帯は背後で花の形に結ばれており、床を踏みしめる漆塗りの下駄は薄桃の鼻緒が可憐さを添える。ちょっと恥ずかしそうに顔を隠す袖には尾鰭が優雅な金魚の絵柄が描かれていた。


 アイゼルネはリリアンティアの両肩を掴んでユフィーリアの前に突き出し、



「せっかくの花火大会だもノ♪ お洒落をしなキャ♪」


「浴衣なんてどうしたんだよ」


「極東から樟葉くずのはさん経由で仕入れたのヨ♪」



 自信満々に言うアイゼルネの背中に隠れてしまったリリアンティアは、



「あ、あの、身共は聖職者であって、このような格好は非常に向かないというか何というか似合わないと言いますか」


「いいじゃねえか、似合ってるぞリリア」


「あうあうあうあう」



 リリアンティアは顔全体を茹で蛸のように赤く染めると、アイゼルネの背中に隠れてしまった。せっかくのお洒落を台無しにする勢いで「ふにゃあああ」とアイゼルネの腰に顔を擦り付けている。

 浴衣を着せたアイゼルネは困惑したような素振りを見せ、恥ずかしがるリリアンティアの頭を撫でて宥めてあげていた。レティシア王国で開催された舞踏会があってから、彼女なりにリリアンティアのことを気にかけている様子である。


 ユフィーリアはカレーを混ぜる手を一旦止めると、



「ほらリリア、アイゼが困ってるだろ。せっかく可愛くお洒落したのに」


「で、でも身共は聖女であって、このような格好はそのあの」


七魔法王セブンズ・マギアスが浴衣を着ちゃいけないなんて法律はねえだろ。いいじゃねえか、花火大会なんだから。むしろ浴衣が花火大会の正装だぜ?」


「…………」



 リリアンティアはアイゼルネの背中からひょっこりと顔を出すと、



「本当ですか? むしろこの格好こそが花火大会の正装だと?」


「おう、本当本当。花火大会に浴衣は正しい衣装だよ」



 まあ着るか着ないかはその本人の自由意思に委ねられるが、花火大会といえば浴衣で間違いないだろう。極東の花火大会でも浴衣姿の観客はよく見かける。


 リリアンティアは少し考えて、アイゼルネの背中から離れる決心をしたようだ。ゆっくりと南瓜頭の娼婦から手を離すと、乱れてしまった浴衣の襟元や髪型を直して「正装なら仕方がありません」と受け入れる。生真面目だからか、お洒落にも何か理由がなければ精神的に受け付けられないのだろうか。

 説得の甲斐あってリリアンティアが浴衣姿を受け入れたので、アイゼルネは密かにユフィーリアへ親指を立てて称賛を送る。信頼に於ける部下が時間をかけて着飾らせたことが無駄にならなくてよかった。


 ユフィーリアはポンと手を叩き、



「そうだ、リリア。夏野菜カレーの味を見てくれよ」


「身共がですか?」


「辛さ具合をアタシ基準にしちまったから、他の連中が食えないってなるとお話にならねえだろ。意見は多い方がいい」


「なるほど、そういうことでしたら引き受けます」



 真剣な表情でリリアンティアは頷く。その隣でアイゼルネも「おねーさんも味見したいワ♪」と申し出てくれた。

 辛さの好みが分かれる今回の料理は、なるべく多くの意見を取り入れた方がいい。辛すぎて食べられないというオチになるのだけは避けなければ、せっかくリリアンティアが心を込めて育てた夏野菜たちも可哀想だ。


 ユフィーリアは味見用の小皿を取ろうと寸胴鍋へ振り返り、



「お味はまあまあですが、隠し味が必要ですの。そうですの、先日購入したばかりのマンドラゴラの粉末を隠し味として入れてみるんですの」



 ――真っ赤なドレスの必殺料理人が、無断で味見をした挙句に変なブツを投入しようとしていた。



「鍋に触るなって言ってんだろうがクソボケ必殺料理人が!!」


「ほげえッ!?」



 ユフィーリアの回し蹴りが、ルージュの脇腹に炸裂した。


 吹っ飛ばされていくルージュ。冷たい床に転がった彼女は何事もなかったかのように起き上がると「何するんですの!?」と金切り声を上げる。

 必殺料理人がカレーに投入しようとしたブツ――緑色の粉末が入った小瓶は、ユフィーリアが回し蹴りをルージュに叩き込んだ衝撃で床に落ちたようだ。慌てて寸胴鍋の状態を確認すると、カレーの色味や香りは問題なさそうである。少量でも粉末が投入されれば、色味が大変なことになるし香りもとんでもねーものになるのでギリギリ食い止めることが出来たと見ていい。


 ユフィーリアは床に転がる小瓶を踏み潰すと、



「おう必殺料理人、鍋には近づくなってあれほど言ったよな?」


「ぼんやりした味を引き締めようとしただけですの」


「ふざけんな舌馬鹿が。カレーを暗殺の道具に使うつもりか?」



 言い訳にもならない戯言をほざくルージュを睨みつけ、ユフィーリアはとりあえずカレーをかき混ぜて状態を確認する。


 混ぜてみても変色はなく、香りも先程と同じままだ。小皿に掬って味を見てみるも変わらない。

 マンドラゴラの粉末は魔法薬の材料として使われるものだが、食事に混ぜれば毒となる危険な代物だ。スープなどに混ぜればたちまち紫色へ変わり、鍋の底から「おげえええええ」などというマンドラゴラによく似た悲鳴が聞こえてくる。


 寸胴鍋の蓋を閉めてルージュから鍋を遠ざけると、



「手に触れたら殺すからな。魔法植物取扱法を盾にしてお前を冥府の法廷に叩き込んでやる」


「あの爆発料理人の前に引き摺り出されるなんて屈辱ですの」


「うるせえ必殺料理人。親父さんの腕前の方がまだマシだ」



 ルージュが劇物を混入する必殺料理人ならば、どんな料理工程でも一度は必ず爆発する爆発料理人のキクガが可愛く思えてしまう。食材を爆発させるだけで食べられない状態に変える訳ではないのだ。


 カレーはもう完成したということにして、西瓜を使ったデザートの具合を確認する。

 金属製のトレーの上に広げられた西瓜の果肉は氷漬けにされており、2本の包丁がひとりでに動いて西瓜の果肉を粉々に砕いていた。粉々に砕かれた西瓜の果肉はまシャーベット状になっており、それ単体でデザートとして扱えそうだ。


 魔法を解除して2本の包丁の動きを止めると、匙を使って均等にシャーベット状となった西瓜の果肉を混ぜる。それから砂糖を振りかけて、



「よーし、これぐらいかな」



 砂糖と氷漬けにされた西瓜の果肉を混ぜながら、ユフィーリアは金属製のトレーを食料保管庫に入れた。あとは適度に冷やせばシャーベットの完成だ。



「じゃあ、あとは」


「ユーリの浴衣ネ♪」


「は?」



 アイゼルネに腕を掴まれてしまい、ユフィーリアの思考回路が停止する。まだ準備をしなければならないことがあったような気がするのだが、そのせいで全てが吹っ飛んだ。

 弾かれたように信頼する部下へ視線をやれば、南瓜のハリボテの下で彼女はニンマリと笑っていた。ちくしょう、最初からこのつもりだったのか。


 アイゼルネは弾んだ声で、



「リリアちゃんが正装なんだもノ♪ ユーリも当然、正装になるわよネ♪」


「え、いやアタシは」


「それはいい考えです。花火大会は浴衣が正装と仰るなら、ユフィーリア様も浴衣に着替えるべきではないでしょうか?」


「リリア!?」



 まさかのリリアンティアからも援護射撃である。余計なことを言わなきゃよかった、と今更ながらに後悔する。



「さあ行きまショ♪」


「ちょ、待てアイゼ。力が強い強い何でそこまでこだわるんだ!?」


「花火大会だからヨ♪」



 リリアンティアの次の獲物となったユフィーリアは、哀れアイゼルネの手によって衣装部屋に引っ張り込まれる。


 ゆっくりと閉ざされていく扉。

 ユフィーリアを綺麗な笑顔で見送るリリアンティアは、どこか自信ありげに控えめな胸を張って「お任せください」と言う。



「ルージュ様からカレーとデザートは守ってみせますので!!」


「心配はそこじゃない!! いやそれも心配だけども!!」



 ずるずるずる、と衣装部屋の奥まで引っ張り込まれてしまい、無慈悲にも扉が閉ざされる。



 ――そしてこのあと、誰もが予想する悲劇が待ち受けているのだった。

《登場人物》


【ユフィーリア】カレーはスパイスまでこだわる派。具材がゴロゴロ入ったものが好きなので、自分が担当する時は大体何でも具材は大きめのちょっと溶けかけ。中辛より少し甘めが好み。

【アイゼルネ】カレーはスープカレー派。たまにユフィーリアにおねだりして辛めのスープカレーを作ってもらう。カレーの辛さは辛めが好み。


【ルージュ】カレーはドライカレー派。ドライフルーツや豆などを入れたものが好きだし、材料まで割とこだわって自分で作ると台無しにする。中辛より少し辛めが好み。

【リリアンティア】カレーはお子様カレー派。星形の人参やジャガイモが入った家庭的なカレーが好きだが、辛さは中辛でも問題なし。コーンが入ったカレーだと最高。

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― 新着の感想 ―
[良い点] やましゅーさん、こんにちは!! 新作、今回も楽しく読ませていただきました!! リリアンティアさんが浴衣を着せられて、顔を赤くしながら緊張するという可愛らしいシーンや、ユフィーリアさんとル…
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