第5話【問題用務員と屋根の修理】
とんてんかんかん、とんてんかん。
「クソめー……」
「あづいー……」
「死ぬー……」
真夏のヴァラール魔法学院に、日曜大工を想起させる軽快な音が響き渡る。
原因は屋根修理の仕事に当たっているユフィーリア、エドワード、ハルアの3人だった。学院長室に開いた屋根の大穴を修繕魔法で塞ぎ、問題は環境維持魔法陣だけである。修繕魔法をかけたせいで魔法陣が消えてしまったのだ。
そもそも修繕魔法は他人の記憶に依存するものなので、魔法陣の形式を記憶していなければ復活されない。屋根を修理してから屋根の瓦に魔法陣が彫られていることに気づき、こうして鑿を片手に屋根の瓦へ魔法陣を刻み込んでいるのだ。
額から流れ落ちる汗を拭ったユフィーリアは、
「クッソ、今度は絶対に上手くやる。上手に極寒地獄を作ってやる」
「次も失敗するのは目に見えてるんだから止めようよぉ」
「懲りてよユーリ」
「うるせえお前ら、上司の決定に文句を言うんじゃねえ」
文句を垂れるエドワードとハルアに一喝すると、横から「お茶が入ったぞ」などと声が飛んできた。
鑿の手を止めて顔を上げると、歪んだ白い三日月――冥砲ルナ・フェルノに乗ったショウとアイゼルネが陶器製の薬缶と人数分のカップを籠に詰めてやってきた。炎天下で作業をする旦那様と先輩たちにお茶を入れてくれるとは素晴らしい嫁と従者である。
作業道具を放り出し、ユフィーリアたち3人は勝手に休憩を取り始める。この炎天下での作業なのだ、こまめな水分補給は必須である。水分補給をしなければ、いくら魔法の天才で長い時を生きているユフィーリアでも脱水症状を起こして保健室に担ぎ込まれてしまう。
ショウから手渡された紅茶に口をつけると、キンとした冷たさが喉を伝って胃の腑に落ちていく。生き返ったような心地だ。
「美味え……」
「冷たくて生き返るぅ」
「美味しい!!」
冷たい紅茶で喉を潤す3人は、もう作業のことなどそっちのけでお茶を楽しんでいた。夏場の優雅なお茶会である。
「そもそもユーリぃ、何で俺ちゃんとハルちゃんが巻き込まれなきゃいけないのよぉ」
「屋根を壊したのってユーリじゃん!! 今回はオレ全然関係ないよ!!」
「馬鹿野郎、このカンカン照りの中を1人で作業しろってのか」
無関係を訴えてくるエドワードとハルアの主張を理不尽な理由で一蹴するユフィーリアは、
「か弱いアイゼとショウ坊ならともかく、お前らは全力で尻拭いに巻き込んでやるからな」
「酷えなこの上司!!」
「鬼畜だねぇ、天罰くだらないかなぁ」
「たとえアタシに天罰がくだってもお前らにもなすり付けてやるよ」
外道の考えを見せるユフィーリアは、エドワードとハルアから「この鬼!!」「クズ魔女!!」などと罵声を浴びせられる。痛くもなければ痒くもない、どこ吹く風である。
小鳥の囀りを楽しむようにエドワードとハルアの罵倒を聞きながら冷たい紅茶を啜っていると、浮遊魔法を使ったスカイがぎゃあぎゃあと騒がしいヴァラール魔法学院の屋根までやってくる。
勝手に休憩を取ったことに対して文句でも言ってくるかと思いきや、彼がユフィーリアたち3人の足元に放ったものは鑿である。よく見れば先程まで屋根に魔法陣を刻み込む作業に使っていた道具だ。
からんからーん、と屋根の瓦に叩きつけられて軽い音を立てる3本の鑿。底冷えのするような空気を纏って降臨なさった副学院長は、
「おい」
「はい……」
「うっす……」
「何!?」
「作業道具を投げてんじゃねえッスよ、危ないな」
「すんません……」
「ごめんなさい……」
「ごめんね!!」
「次やったら額に『私は馬鹿です』って刺青をするんで」
「誠に申し訳ございません」
「二度としません」
「思わず手が滑った時には許してください!!」
副学院長からヒシヒシと伝わってくる重圧に耐えきれず、ユフィーリアたち3人は直角のお辞儀をした。エロトラップダンジョンで実験台にされるどころの話ではない、間違いなく逆らったら処刑される。
わざわざ鑿を返却しにきてくださった副学院長様は、そのままゆっくりと浮遊魔法で降下していった。地上からユフィーリアたちが屋根をちゃんと修理するか監督しているらしい。地上を見れば日傘が備え付けられた机に夏空を想起させる青い飲み物なんて置いちゃって、優雅にバカンス気分を味わってやがった。
そんな優雅にバカンスしながら監督してくるスカイを見下ろし、ユフィーリアは「チッ」と舌打ちをする。
「何であんなに優雅なバカンスをしてやがるんだよクソが」
「元の原因はユーリなんだから羨ましがらないのよぉ」
「そうでしたー、ちくしょう」
エドワードに正論で諭され、ユフィーリアは夏空を振り仰ぐ。反省はしていないが後悔はしていた。こんな面倒ごとが起きるならやらなければよかった。
冷たい紅茶を一気に飲み干し、足元に落ちた鑿を拾う。残すところはあと少しだ、とっとと作業を終わらせて本格的な修繕はそのうちやってくる業者に任せた方がいい。
とんてんかん、とユフィーリアは最後の魔法式を環境維持魔法陣に刻み込む。余計な魔法式は投じていないので、きっと氷漬けにもならなければ灼熱地獄になるようなこともないだろう。
「よーし終わり終わり」
「お疲れぇ」
「お疲れ様!!」
炎天下の中で一緒に作業をしていたエドワードとハルアも、作業終了を喜んだ。これで上司の尻拭いから解放されると思っているのか、どこか嬉しそうな雰囲気ではある。
額に滲んだ汗を拭い、ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を咥える。一仕事を終えたあとだからか、身体に冷気が溜まっていた。白く濃い煙を吐き出して、凝り固まった肩や首を回す。
背筋を伸ばして背骨をポキポキと鳴らすユフィーリアは、
「エドとハルも付き合わせて悪かったな、詫びに購買部でアイス買ってやるから許せ」
「さっすがユーリぃ、分かってるねぇ」
「鬼上司じゃなくて神上司だね!!」
「手のひら大回転すぎだろうが、手首取れるぞ」
屋根の大穴も塞いだし、環境維持魔法陣も修復した。この上なく問題児はよく働いたと思う。まあ全ては自業自得なのだが、そこは問題児だから仕方がない。
どうせ専門業者が来るのだから、本格的な修繕はその時にやってもらえばいい。もうこれ以上は働きたくない、炎天下の中での作業も御免である。
浮遊魔法で地上に降りるユフィーリア、エドワード、ハルアの3人は、
「はあ、もう炎天下の作業は懲り懲りだな」
「暑いだけでいいことはないもんねぇ」
「ユーリが余計なことをしなければよかったんじゃないかな!!」
「ハルのアイスはエドの胃袋に消えることになるかな」
「ごめんて!! 許して!!」
そんないつも通りの他愛ないやり取りを交わしながら、問題児は涼しくなり始めた校舎内に戻るのだった。
☆
「あれ、まさか仕事をほっぽりだした?」
直射日光を避ける日傘を設置して熱中症対策を万全に施したところで監督していたのだが、問題児はスカイが認識していないうちに帰ってしまったようだ。いつのまにか炎天下の中で取り残されたのは副学院長1人だけとなってしまった。
念の為に『現在視の魔眼』で位置情報を確認すると、彼らは購買部に移動したようである。呑気にアイスなど選んでいる始末だ。まさかとは思うが屋根の修理を投げ出して購買部に逃げ込んだ訳ではあるまい。
地面に投げ出された鑿を拾ったスカイは、
「ッたくもー、問題児って奴は」
「ユフィーリアはちゃんとお仕事してましたよ」
「うわあッ!? いたんスか!!」
「ユフィーリアと一緒に購買部に行きたかったんですけど、お客さんが来たので」
歪んだ白い三日月――冥砲ルナ・フェルノに乗った女装メイド少年、アズマ・ショウが「こちらです」と噂のお客様をスカイの前まで連れてくる。あまりにも気配がなさすぎて驚いてしまった。
ショウが連れてきたお客様は、随分と身長の低い毛むくじゃらなおっさんの集団だった。頭には帽子を被り、豊かな髭と大きな鉤鼻が特徴的である。子供よりも身長が低くてずんぐりむっくりした体型ではあるものの、肌艶から判断してかなり年齢を重ねていることが分かる。
その小さなおっさん集団は大工道具が詰め込まれた工具箱を抱え、複数人で大きめの梯子を担いでいる。見るからに建物関係を直す大工のようだ。
集団の先頭にいるずんぐりむっくりした小さなおっさんが「どうもどうも」と気さくに挨拶をすると、
「環境維持魔法陣の修理に伺いやした」
「え、仕事が立て込んでて到着に時間がかかるって話を聞いてたんスけど」
「ヴァラール魔法学院さんはお得意様ですんで、ええ。なるべく早めに直した方がいいかと思いやして」
ずんぐりむっくりしたおっさんの集団は、グローリアが事前に呼んでいた環境維持魔法陣の修理業者である。嵐妖精の襲撃を受けて仕事が立て込んでいると聞いていたが、まさかこんなに早く来てくれるとは驚きだ。
ショウはその先の展開に興味がないのか、用事は済んだと言わんばかりに冥砲ルナ・フェルノで飛んでいってしまう。ユフィーリアが関わらないと冷めた態度だ。
スカイは「じゃあ頼むッスわ」と言い、
「ウチの問題――じゃなかった、用務員がある程度は直したんスけどね。環境維持魔法陣の勉強は昔から更新していないようなんで、本当に直せているか自信がないみたいなんスよ」
「へい、じゃあその部分も見させてもらいやす」
「頼んだッスよ」
ずんぐりむっくりの小さなおっさんの集団は、担いでいた梯子を校舎の壁に立てかけると器用に登っていく。
あの小さいおっさんの集団は、ドワーフ族と呼ばれる種族だ。鍛冶仕事や大工仕事を得意とする手先の器用な種族で、魔法陣の構築や定着の仕事も担っている。魔法工学界にもドワーフ族の開発者は多く、スカイにも何人か顔見知りのドワーフ族がいるのだ。
手先が器用なので仕事も早い。きっと問題児が適当に切り上げた魔法陣の修復作業もあっという間に終わらせてくれるはずだ。
「あのー」
「何スか?」
「用務員さんが直したって言いやした?」
「ええ、はいッス」
屋根に登ったドワーフのおっさんが投げかけてきた質問に、スカイは肯定の意味を込めて頷いた。
「直ってるんですよね」
「直ってる?」
「ええ、はい。綺麗さっぱり」
ドワーフ族のおっさんが1人でするすると梯子を降りてくると、
「建物の広さや年間の気候を参考に環境維持魔法陣は変えていかなきゃいけないんですけどね?」
「はい」
「自信がないと仰る割にはきちんと計算して、環境維持魔法陣に落とし込んでいるんですよね。あれじゃ修理なんて必要ないっすわ」
ドワーフ族の修理業者は「ほら撤収だ、撤収」と何事もなかったかのように撤収してしまう。
自信がないとは言うものの、環境維持魔法陣の定着を仕事とする専門家にお墨付きをいただいちゃうということはユフィーリア・エイクトベルという魔女はやはり魔法の天才だ。口先だけは弱気なことを言ってもちゃんと機能してしまう辺りが恐ろしい。
あっさりと帰っていくドワーフ族の修理業者を見送り、スカイはポツリと呟いた。
「ふざける割には仕事をするなぁ」
☆
その問題児どもだが、
「涼しい部屋で食うアイスは美味えなァ」
「環境維持魔法陣が直ったのかねぇ」
「業者が来た!?」
「ショウちゃんが副学院長のところまで案内していたワ♪」
「多分すぐに直してくれたのだろう」
自分たちが完璧に直しちゃったことなど露知らず、呑気に涼しい部屋でアイスを貪り食っていたのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】環境維持魔法陣の最新を知らないと言いながらもちゃんと直せちゃうあたり魔法の天才。だから学院長にも頼られちゃう。
【エドワード】ユフィーリアの問題行動に巻き込まれるが、付き合いが長いので開き直っている。諦めの境地。
【ハルア】ユフィーリアの問題行動に巻き込まれるが、それはそれとして自分も積極的に問題行動を起こす。ユフィーリアに巻き込まれた方が何かとお得であることは学習している。
【アイゼルネ】全体を巻き込む問題行動なら巻き込まれるのだが、それほど積極的に巻き込まれることはない。
【ショウ】エドワードやハルアと同じぐらいに巻き込んでほしいし頼りにしてもらいたい。今回は頼りにされたので満足。
【スカイ】優雅なバカンスセットは自前の魔法兵器。日傘の下に冷却用の魔法式が組み込まれており、下に潜ると涼しい風が発生する。
【グローリア】寒さのあまり保健室に叩き込まれた。