第4話【問題用務員と凍りつく校舎】
環境維持魔法陣の暴走により、ヴァラール魔法学院の校舎はゆっくりと凍りつき始めていた。
「やべえどんどん凍ってる!!」
パキパキと音を立てて凍りついていく校舎の壁や床を見て、ユフィーリアが焦燥感に満ちた声を上げた。
ちょっとした悪戯のつもりが大惨事の引き金を引いてしまった。まさか環境維持魔法陣に改造を施しただけで校舎が凍りつくような展開に誰が想定するだろうか。最初からこの可能性を予見できていれば、ユフィーリアだって余計なことをしなかった。
暴走気味の環境維持魔法陣の威力は徐々に増していき、外套を着ていても凍てつくような寒さが肌を突き刺してくる。吐く息も白くなり、動いていなければ即座に氷像となりそうな勢いで寒い。このままでは本当に死にかねない。
寒さによって顔を青褪めさせたグローリアは、
「寒い……もう眠くなってきた……」
「おい寝るんじゃねえ、死ぬぞ!!」
グローリアの胸倉を掴み、ユフィーリアは彼の頬に張り手を叩き込む。こんな極寒地獄で寝れば死ぬに決まっている。
闇雲に校舎内を駆け回り、階段を上り、寒くない場所を求めているうちに学院長室にまで辿り着いた。真冬のような寒さはあるものの、まだ学院長室まで氷の範囲は及んでいない。
立派な扉を蹴り開けて極寒の学院長室に転がり込み、とりあえずユフィーリアは学院長室の扉を閉める。こんな扉1枚で氷の浸食を止められることなど出来る訳がないのだが、氷の浸食が到達したことは分かりやすいだろう。
冷たくなった床に座り込むユフィーリアは、額に滲んだ汗を拭った。極寒だというのに驚くほど暑い。暑さを回避する為に環境維持魔法陣を改造したのに、動き回ったせいで暑くて仕方がない。
「クッソ、どうすりゃいいんだよ……!!」
「そりゃアンタが改造した環境維持魔法陣を止めるのが先決ッスね」
寒さのあまりガタガタと震え始めたグローリアに防寒用の魔法兵器を渡してやりながら、副学院長のスカイは続ける。
「とりあえず余計なとこに投入した魔法式を消せばどうにかなるんじゃないッスか?」
「副学院長、学院長に渡してるその箱は何!?」
「これ?」
スカイはグローリアに手渡した箱を示す。
鉄製の小さな立方体はプレゼント箱と呼んでも差し支えないほどだ。手のひらに収まる程度の大きさしかない箱には幾重にも複雑な溝が刻まれており、赤い光が溝を駆け回っている。箱を両手で包み込むグローリアの表情が和らぎ、身体の震えも治まってきている様子だった。
ハルアはグローリアの握りしめる鉄製の箱に興味津々なのか、琥珀色の瞳に好奇心の感情を滲ませて箱を観察している。試しにグローリアの持つ箱に手を翳してみた彼は「あったけえ!!」と叫んでいた。
長衣の下をガサゴソと漁ったスカイは、グローリアに手渡したものと同じ鉄製の箱を取り出す。それは複数あるのか、袖や裾からもゴロゴロと転がり落ちていた。
「真冬用に作った魔法兵器『あっためーる君』ッスよ。充填した魔力を消費して熱を発生させる持ち運び用の暖房魔法兵器ッス」
「何度も使えるカイロみたいだ」
「回路? 確かに回路はあるッスけど」
ショウの言葉に首を傾げるスカイ。『カイロ』と言うのだから、異世界の知識か。
「えっと、俺のいた世界にも同じようなものがあるんですよ。鉄の粉を使うんですが」
「そっちも何だか魔法みたいなことをやってのけるんスねぇ」
「本物の魔法を目の当たりにしてしまうとさすがに考えてしまうのですが……」
苦笑いするショウに、スカイは「はい、これであったまるんスよ」と言いながら鉄製の立方体を握らせる。『あっためーる君』なる魔法兵器のおかげで、最愛の嫁の表情が緩んだ。うん、可愛い。
いやいや、ショウの可愛さに癒されている場合ではない。この窮地を脱するにはどうするべきなのか考える必要があるのだ。
ユフィーリアは両腕を組んで頭を悩ませ、
「外に出るしかねえかなァ……」
「ユーリ♪ 大変ヨ♪」
「え?」
バシバシと凄い勢いでアイゼルネに肩を叩かれ、ユフィーリアは意識を現実に引き戻す。
「どうした、アイゼ」
「扉が凍りついてきているワ♪」
アイゼルネに指摘され、ユフィーリアは視線を学院長室の扉に投げかける。
見れば学院長室の扉がゆっくりと凍りついていたのだ。ついに氷の浸食が学院長室にまで及んでしまったようである。
逃げ場はもうない。学院長室はヴァラール魔法学院の最上階にある部屋なのでこれ以上となると屋根に登るしかないのだ。屋根に登るとなったら冬服装備では絶対に暑い。
いいや、この際にそんな我儘なことを言っていられない。扉が塞がれているなら窓から逃げればいいだけの話だ。
「うわ」
学院長室の窓に振り返ったユフィーリアは、顔を引き攣らせた。
学院長室の窓が凍りついているのだ。パキパキと音を立てながら窓にも霜が降り、本格的に真冬にも似た凍てつくような空気が肌を撫でる。
これはまずいことになった、八方塞がりである。残す道は転移魔法で無理やり外に出る方法だが、極寒の校舎内の外を出れば灼熱地獄である。正直な話、灼熱地獄に飛び込むぐらいなら氷漬けになる方がマシだ。
氷の浸食を恐れるエドワードは半泣きの状態で、
「ユーリが原因じゃんねぇ!! 早くどうにか出来ないのぉ!?」
「追加した魔法式を消せばどうにかなるけど、どこに書いたか思い出せねえ!!」
「役立たず!!」
「この場で氷漬けにするぞ筋肉だるまが!!」
役立たずと罵られながらもユフィーリアは頭を回転させる。
魔法式を消せば氷の浸食も止まるだろうが、肝心の魔法式をどこに書いたのかすっかり忘れていた。そもそもどこから屋根に登っただろうか。寒さのせいなのか、頭が回らなくなってきている。
ならばもういっそ魔法陣を壊してしまう方が最適だ。魔法陣を用いた儀式や魔法を解除するには、要となっている魔法陣を破壊するのが代表的である。具体的には描かれた魔法陣を踏み消したり、魔法陣が描かれている物品を破壊したりなど方法はいくらでもある。
――そうだ、壊せばいい。環境維持魔法陣はヴァラール魔法学院の屋根全体に描かれており、屋根をぶち抜けば環境維持魔法陣が破壊されて寒さも収まるかもしれない。
「〈絶氷の棘山〉!!」
ユフィーリアは魔法を発動させる。
床から氷の棘が突き出し、バキバキと音を立てながら天井めがけて伸びていく。伸びていくのだが、天井に到達する寸前で防衛魔法が展開されて阻まれてしまった。
屋根をぶち抜かれたら困るからか、簡単に破壊されないように防衛魔法が仕込まれているのか。確かに環境維持魔法陣を破壊されたら校舎内の環境が総崩れとなってしまうので、容易に壊れないように設計されるのは理解できる。
唐突に天井を壊そうと奇行に走るユフィーリアに、スカイが「何してんスか!?」と叫ぶ。
「まさか天井をぶち抜くつもりッスか!?」
「もうそれしかねえだろ!?」
「環境維持魔法陣が壊れるじゃないッスか!!」
「どうせ業者が来るんだからいいだろうがどうなっても!!」
「よくないッスよ!?」
副学院長の悲鳴をよそに、ユフィーリアはさらに氷の棘へ魔力を注ぎ込んで天井に仕掛けられた防衛魔法を突破しようと試みる。
直しにくる業者が来るのだったらいっそ壊して新しい状態にしてもらった方がよさそうだ。どうせこのヴァラール魔法学院の建物も老朽化が進んでおり、天井をぶち抜いて新しいものに変えてもらった方がいい。
そんな時、ユフィーリアの目の前へ救世主が現れる。
「……天井を撃ち抜けばいいのか?」
問いかけてきたのは、最愛の嫁であるショウだ。両手でスカイの開発した小型の暖房魔法兵器『あっためーる君』を抱えて首を傾げている。
そうだ、彼は高火力・高威力を誇る神造兵器の使い手である。冥砲ルナ・フェルノだったら簡単に防衛魔法を突破し、天井をぶち抜いてくれるはずだ。天井さえぶち抜けばいいのだから。
ユフィーリアはキラリンと青い瞳を輝かせると、
「ショウ坊、頼めるか?」
「もちろんだ、ユフィーリア」
真剣な表情で頷くと、ショウは右手を掲げる。
網膜を焼かん勢いで炎が噴き出ると、白い歪んだ三日月――冥砲ルナ・フェルノが出現する。冥砲ルナ・フェルノを取り出すと同時にショウの足元が床から離れた。
冥砲ルナ・フェルノは主人を地上に下ろすことが出来ない飛行の加護がかけられている。空は自由自在に飛べるのだが、冥砲ルナ・フェルノをしまうまで地面に降り立つことが出来ない。
親指と人差し指で狙いを定め、ショウは天井を見上げた。
「ルナ・フェルノ、放て」
白く歪んだ三日月に、炎の矢が束ねられて射出される。
巨大な炎の矢は呆気なく防衛魔法を突破すると、環境維持魔法陣が刻まれた屋根を吹き飛ばした。
崩壊する屋根、落ちてくる瓦礫。ユフィーリアは思わず防衛魔法を展開して、降り注ぐ瓦礫から身を守る。
もうもうと煙が立ち込める学院長室だが、煙が晴れると天井には望んだものが存在していた。
「うわー……」
スカイが口元を引き攣らせる。
ショウの冥砲ルナ・フェルノはきちんと仕事をしてくれたようで、天井が崩落すると同時に冬のような寒さがなくなっていた。環境維持魔法陣の解除は無事に終わったようだ。
再び舞い降りてくる暑さに額を拭うユフィーリア。表情は清々しく、仕事をやり終えたと言わんばかりだ。
ユフィーリアはショウの頭を撫で、
「よくやったショウ坊」
「貴女の役に立てたのであれば何よりだ」
むふー、とショウは鼻息荒く返す。本当に可愛い一面があるものだ。
さてこれにて一件落着である。寒さは止まったし、氷の浸食も収まった。
恐れるものは何もない。熱帯夜は厳しいところだが、涼しさを維持する為の魔法兵器でも組み上げるべきだろうか。
そんなユフィーリアに、副学院長のスカイが笑顔で肩を叩いた。
「誰が、この屋根を直すんスか?」
「…………」
そう、天井の崩壊である。馬鹿みたいに大きな穴が開いてしまった訳だ。
直すのは当然のこと、環境維持魔法陣もどうにかしなければならない。改造をして面倒なことになった、やらなければよかったと少しばかり後悔する。
今回の騒動の原因を作った犯人のユフィーリアは、静かに凍りついた床へ正座をした。
「誠に申し訳ございませんでした、命だけはお助けください」
「ちゃんと直すんスよ」
「はい……」
副学院長に屋根を直すように命じられ、ユフィーリアは泣きそうになりながらも応じるのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】環境維持魔法陣をうっかり暴走させた銀髪碧眼の優秀な魔女。慌てるととんでもねーことをやらかす。
【エドワード】上司の優秀さも理解しているが、慌てすぎるととんでもねーことをやらかすことも知っている。
【ハルア】天井に穴が開いたけど大丈夫かな、雨とか入ってこないかな。
【アイゼルネ】上司が焦った結果、やばい結末を引き起こしたことに笑うしかない。どうしてこうなったし。
【ショウ】ユフィーリアのお役に立ててご満悦。屋根? 別にどうでもよくないですか?
【グローリア】寒さのあまり眠くなりかけた。スカイの魔法兵器のおかげで凍死せずに済んだ。
【スカイ】生活に便利な魔法兵器の組み上げもお手のもの。問題児が逆らえない数少ない存在。




