第2話【問題用務員と環境維持魔法陣】
「環境維持魔法陣が壊れたァ?」
ユフィーリアのそんな声が用務員室に落ちる。
「昨日、予報にない嵐妖精の襲撃があったでしょ。その時に雷が屋根を掠めたみたいで、環境維持魔法陣が壊れちゃったみたいなんだよ」
頭に氷嚢、手にはアイゼルネが入れた冷たい紅茶で満たされた硝子杯が握られた暑さ対策が万全に施されたグローリアが困ったように言う。
確かに昨夜、予想されていない嵐妖精の襲撃があり雷もゴロゴロと凄かった。雷が苦手なエドワードは頭まですっぽりと布団を被ってガタガタと震え、ハルアは窓の向こうでビカビカと輝く稲妻に興奮するという騒がしい深夜を過ごした気がする。
その襲撃がまさか環境維持魔法陣を破壊してくれる大惨事を引き起こすとは、完全に想定外だ。嵐妖精に対する怒りの念がフツフツと湧いてくる。
適当な書類の束を団扇の代わりにしてバサバサと自分を扇ぐユフィーリアは、
「じゃあとっとと直してくれよ。誰かいるだろ、そんなの得意な奴」
「環境維持魔法陣は業者を呼ばなきゃ直せないよ。しかも昨日の嵐妖精の襲撃のせいで各地の環境維持魔法陣が壊されちゃって、業者はてんてこ舞いなんだ。こんな辺鄙な地に即日で来てくれる業者なんていないよ」
「嘘だろ、しばらくこの暑さと一緒に過ごさなきゃいけないのかよ!!」
ユフィーリアは天井を振り仰いだ。
室温はジワジワと上昇していき、今や先程よりも1度ぐらい上がって36度を記録していた。ふざけないでほしい。
いっそ季節感が一切排除された冥府に押しかけるべきだろうか。暑くもなければ寒くもない、常に気温が一定に保たれている冥府は環境維持魔法陣がぶっ壊れた地上から見て最高の環境である。魔法陣が修復されるまで身を寄せるのもアリかもしれない。
冥王第一補佐官であるショウの父親に通信魔法を飛ばそうと、ユフィーリアは懐から通信魔法専用端末『魔フォーン』を取り出す。そこでグローリアからこんな質問が投げかけられた。
「ユフィーリア、環境維持魔法陣を修復できるでしょ?」
「出来るには出来るけど、正確に直してもらった方がいいだろ」
ユフィーリアは「門外漢がやるより専門家がやった方がいいに決まってる」と主張した。
確かに環境維持魔法陣の修復方法も知っているし、何なら修復することだって可能だ。ただ、こういうことは専門家に任せた方がいいとユフィーリアは考えている。
環境は時代の変化に伴って変わっていくものだし、環境維持魔法陣もユフィーリアが学んだ時とはだいぶ勝手が変わっているかもしれないのだ。学び直す時間を確保するよりも最新の技術を身につけた業者を入れた方が的確に修復することが出来る。
グローリアは冷たい紅茶を啜り、
「急拵えでもいいさ。業者が来るまでに持たせてくれたらいいよ」
「やれってのか? このアタシに?」
「君しかいないよ。僕は自信ないもん」
「アタシだってねえよ」
環境維持魔法陣は屋根に仕込まれることが多く、ヴァラール魔法学院も例外に漏れず魔法陣そのものを屋根に仕掛けているのだ。修復するとなったら高所の作業になる。
ユフィーリアもグローリアも、高所の作業は別に嫌いではない。浮遊魔法で空中に浮くことも長い時を生きる魔女や魔法使いにとっては基本中の基本だし、箒で空を飛ぶことだってままあるのだ。屋根に登って環境維持魔法陣の修復作業なんてお茶の子さいさいである。
ではどうして互いに仕事を押し付けているのかと言えば、太陽が出ている炎天下の中で作業をしなければならないからだ。カンカン照りの中で修復作業などという仕事はやりたくないのだ。
「ふざけんなグローリア、名門魔法学校の学院長を名乗るならお前がやれ!!」
「君は用務員でしょ、ユフィーリア!! それに魔法の天才を自称するなら君がやった方が確実じゃないか!!」
この学校内で誰よりも付き合いの長い魔女と魔法使いの口論が勃発した。互いに名門魔法学校の創設に関わった偉大な魔女・魔法使いであり、世間一般では神以上の存在として崇め奉られている七魔法王の第一席と第七席である。なおかつユフィーリアもグローリアも、方向性は違えど頭はいいものだからあの手この手で仕事を相手に押し付けようと必死だった。
完全に置いてけぼりを食らった残りの問題児どもは、溶け始めた氷塊に集りながら冷たい紅茶をチビチビと傾けて水分補給をしていた。こんな不毛な争いに首を突っ込むのは馬鹿だと思っているのだろう、それが正解である。
グローリアは「とにかく!!」と口論をぶった切り、
「用務員としての仕事を全然していないんだから、これを機にちゃんとお仕事をしてよね!! そろそろ用務員じゃなくて問題児として雇っているんじゃないかと錯覚しちゃうんだから!!」
「そうだぜアタシら問題児!!」
「威張るな仕事しろ!!」
半ば強制的に環境維持魔法陣の修繕を押し付け、グローリアは冷たい紅茶を一気に呷る。それから空の硝子杯をアイゼルネに押し付けて「ご馳走様!!」と告げるなり用務員室を飛び出してしまった。
納得が出来ない。用務員だからと言って、この炎天下に放り出すような真似をするのが名門魔法学校の学院長がやることなのだろうか。従業員の健康など、彼にとってはどうでもいいことなのだ。
ユフィーリアは「チッ」と舌打ちをすると、
「業者が入るんだしサボるかな」
「でもユーリ♪ お部屋はとても暑いのヨ♪」
ユフィーリアにも冷たい紅茶を用意するアイゼルネは、
「これだと夜はとても寝にくいワ♪」
「風呂入ったのに汗掻いて寝たくねえな……」
寝苦しい熱帯夜を想像して、ユフィーリアは顔を顰めた。
ただでさえ暑い環境なのに、夜まで快適に眠ることが出来ないなんて嫌すぎる。どんな拷問なのだろうか。
それならばまだ我慢して環境維持魔法陣を修復した方が賢明である。グローリアの思惑通りになるのが癪に触るが、やはりここは環境維持魔法陣を修復した方がいいのか。
「ん!!」
「どうしたんだ、ユフィーリア?」
唐突に何か妙案を思いついたかのような反応を見せるユフィーリアに、ショウが冷たい紅茶の満たされた硝子杯を傾けながら問いかけてくる。
「修復作業を委託されたってことは、全体的にこっちの匙加減でやっていいってことだろ?」
「確かにそんな受け取り方にはなるが」
「じゃあ好きに直させてもらおうじゃねえか」
「好きに直させてもらう?」
言葉の意味が分からずに首を傾げるショウに、ユフィーリアは悪い笑みを浮かべて言う。
「お前ら、冬服を用意しておけ」
☆
そんな訳で。
「あづいー……」
「溶けるー……」
浮遊魔法を使ってヴァラール魔法学院の屋根に登るユフィーリアとエドワードは、あまりの暑さに早くも仕事のやる気をなくしていた。
燦々と降り注ぐ陽光は容赦なくヴァラール魔法学院の屋根を照りつけ、瓦で構成された屋根から熱気が伝わってくる。この上に玉子でも落とせば目玉焼きが簡単に作れそうである。
よく見れば、屋根を構成する瓦には細かな傷跡のようなものが見えた。それらは屋根全体に及んでおり、瓦の上に巨大で精巧な魔法陣が描かれている。瓦は経年劣化が見られる部分がいくつかあるので、その部分も併せて修復していかなければせっかくの修繕作業が台無しだ。
ユフィーリアは額から伝い落ちた汗を拭い、
「エド、測定器」
「はいよぉ」
エドワードは背負っていた背嚢から、太い巨大な針を取り出す。針の先端には銀色の球体が括り付けられており、縫い針や人を刺す為の凶器としては機能していないのは見て分かる。
その針には太い配線が伸びており、エドワードの背嚢に収納されたずっしりと重たい測定器と繋げられている。測定器には様々な形式の目盛が表示されており、今はまだ何も計測をしていないので全ての数値は0のままだ。
魔法陣測定器と呼ばれる魔法兵器だ。魔法陣がきちんと機能しているのかを調べる為の道具である。
「これを屋根の魔法陣にっと」
ユフィーリアは手にした巨大な針の先端を、屋根に刻み込まれた巨大魔法陣に触れさせる。
瓦に走る溝に針へ括り付けられた銀色の球体が触れると、エドワードの背負った背嚢から『ピー、ピー、ピー』という耳障りな甲高い音が聞こえてきた。目盛を確認すると明らかに異常とも呼べる高い数値が表示されており、魔法陣測定器からも『異常、異常』とご丁寧に状態まで実況してくれていた。
巨大な針をエドワードに突き返したユフィーリアは、
「いっぺん魔力を流してみなきゃな」
「出来そうなのぉ?」
「アタシを誰だと思ってんだ。魔法の天才、ユフィーリア様だぞ」
エドワードの心配をよそに、ユフィーリアは屋根の魔法陣に雪の結晶が刻まれた煙管を突きつける。
すると、屋根の魔法陣が青く輝き始めた。ゆっくりと溝をなぞるように青い光が走り出し、魔法陣にユフィーリアの魔力が順調に流れていく。
魔法陣が壊れた箇所を探すには、魔力を流して反応を見た方が早い。魔法陣は様々な魔法の集大成みたいなものなので、魔力を流して反応を見ればどの部分が壊れているのか探すことが容易なのだ。
そして今回も例外に漏れず、嵐妖精の襲撃によって壊れてしまった環境維持魔法陣が浮き彫りになる。
「お、あそこか」
「途切れてるねぇ」
「壊れてるから魔力が流れねえんだな」
魔法陣の壊れている箇所を発見したユフィーリアは、エドワードも浮遊魔法で浮かばせながら修復地点に急行する。
雷で打たれた影響か、瓦の一部分に無惨な焦げ跡がついていたのだ。おかげで魔法陣が判別できないようになってしまい、ユフィーリアが流した魔力も堰き止められて反応しなくなってしまっている。
焦げ跡がついた瓦を取り外し、修復魔法をかけてやれば跡形もなく焦げ跡が消え去る。魔法陣の一部分が刻まれただけの瓦がユフィーリアの手元に残された。
ユフィーリアはエドワードから受け取った白墨で、
「ここに1本書き足して」
本来ある魔法陣の溝とはまた別に、1本だけ白墨によって魔法式を書き込む。
「それだけでいいのぉ?」
「いいんだよ、魔法陣ってのは余計な魔法式が少しでも入ればおかしくなるんだ」
首を傾げるエドワードにそう答えながら、ユフィーリアは瓦を元の位置に戻す。
魔法陣が修復されたことで、屋根に仕掛けられた環境維持魔法陣が復活の兆しを見せていた。その証拠として、魔法陣が自然と白色の光を放ち始めている。ユフィーリアが書き足した白墨の部分まで魔法陣として認識されたのか、白色の光をピカピカと放っていた。
これで悪戯は完了である。問題児を炎天下に放り出し、重要な魔法陣の修復作業にあたらせるのが悪いのだ。
ユフィーリアは清々しい笑みを見せ、
「帰るか」
「はいよぉ」
「帰ったらあったかいもの食おうな」
「まずは着替えないとねぇ」
げははははははは、という問題児による悪どい笑みが静かな校舎内に響き渡っていく。
《登場人物》
【ユフィーリア】環境維持魔法陣の修復も意外と出来てしまうのだが、やはり問題児なので余計なことをしてしまう。炎天下の作業は大嫌い、出来れば他人に押し付けたい。
【エドワード】ユフィーリアが計画する悪戯にたいてい巻き込まれるが、自分も割と楽しんでいる。炎天下の作業は大嫌いだが、耐久度を鑑みると真っ先に任される。
【ハルア】炎天下に放り出すとすぐに帰ってくる。夏の暑さは醍醐味ということは理解しているが暑いのやだ。
【アイゼルネ】炎天下の作業はもちろんやらない。お肌が焼けちゃうじゃないノ♪
【ショウ】日焼けとは無縁で肌が赤くなってヒリヒリしてしまうタイプ。虐待時代、炎天下に放り出されたことがあるので、暑さにはある程度の耐性がある。
【グローリア】暑いの苦手なので炎天下での作業もやりたくない。魔法の実験はたいていが屋内なのが救い。




