第3話【問題用務員と倍々魔法薬】
「にしてもなァ」
ユフィーリアは木箱に詰め込まれた大量の素麺を見やる。
最初に見た時より素麺の袋の数はかなり減っているとはいえ、まだまだ量は多い。一般的に見れば十分すぎるほど余っているのだが、問題児には底なしの胃袋を持つエドワードがいるので足りないぐらいだ。
キクガが持ってきた時には2000人前の素麺が木箱いっぱいに詰め込まれていたのだが、今やすっかり木箱1つ分に収まるぐらいとなってしまった。これを茹でて食べたら、なくなるまであっという間である。
ユフィーリアはショウへと振り返ると、
「ショウ坊、ハルはどれぐらい釜の中に入れてた?」
「大体1500人前ぐらいは入れていたような気がする」
「4分の3ぐらいは入れてんのか」
最愛にして聡明な嫁の回答を受けて、ユフィーリアは「うーん」と頭を悩ませる。
単純計算で500人前しか残っていない。ほぼ9割をエドワードの胃袋に収めたとして、ユフィーリアたちの胃袋の許容量で残りの素麺を消費するのは足りないような気がしないでもない。
かといって、今から購買部に駆け込んで素麺の取り寄せをお願いしても数日はかかる。せっかくつけ汁も用意して『ながしそーめん』とやらの準備もしていたのに、肝心の素麺がなければ話にならない。
しばらく頭を悩ませていたユフィーリアだが、
「あ」
唐突にあることを思い出して、ユフィーリアは用務員室に引き返す。
自分の執務机の引き出しをひっくり返して「あれじゃねえ」とか「これでもねえな」とか呟き、ようやく机の奥底から引っ張り出したのは手のひらに乗るほどの小瓶だ。
茶色の小瓶は開封されておらず、ラベルには2個に増えた林檎の絵が描かれている。金色の文字が示している小瓶の内容は『倍々魔法薬』とあった。随分と昔に存在していたのか、ラベルは黄ばんでいるし小瓶も埃を被っているように見える。
ユフィーリアは小瓶に付着した埃を払い落とし、
「これを使うか」
「それは何だ?」
「倍々魔法薬って言ってな、これをかけると倍増するんだよ」
首を傾げるショウに、ユフィーリアは倍々魔法薬について説明する。
倍々魔法薬とは、かけたものを2倍以上に増やすことが出来る魔法薬だ。人間相手には効果を発揮しないのだが、食事や衣類などの物品に使用すると全く同じものが複製されるという優れものだ。特に食べ物に使えば同じ食べ物が複製されていくので、飢餓を解消するのにも一役買った魔法薬である。
使い方は簡単で、食べ物に薬品をかけるだけだ。またスープなどの食事に混ぜ込むことで嵩増しにもなる。これで素麺を茹でれば複製されてたくさんの素麺を食べることが出来るだろう。
「その魔法薬って随分と前に発売されたものよネ♪」
「いつに発売されたか忘れた。でも魔法薬って賞味期限ないし平気だろ」
ユフィーリアは試しに小瓶を開封する。金属製の蓋を開けて中身の匂いを嗅いでみるが、変な匂いがするなどの現象は起きていない。
自分の鼻だけでは不安なので、問題児の中で最も嗅覚に優れたエドワードも道連れとして匂いを嗅がせる。彼は非常に嫌そうな表情を見せたが、観念したようにユフィーリアが突き出す瓶に鼻を寄せた。
嫌々といったような態度で匂いを嗅いだエドワードは、
「別に何の匂いもしないねぇ」
「腐った雰囲気はあったか?」
「ないよぉ。ていうか魔法薬って腐るのぉ?」
「よし使える」
判定がガバガバである。
ユフィーリアは鼻歌混じりに素麺の準備に取り掛かる。廊下で横倒しになっていた大釜に魔法で出した水を投入し、ついでに温度も魔法で調整してお湯に変える。全ては魔法を使えばあっという間である。
グツグツと煮えたお湯の中に、ユフィーリアは次々と素麺を投入する。大釜は普通の鍋よりも大きいので500人前など余裕で茹でることが出来る。ショウたちも手伝って、素麺の袋を開封しては大釜のお湯にザバザバと放り込んでいた。
さて、最後に500人前まで減ってしまった素麺の嵩増しである。
「あれ」
「どうかしたのか、ユフィーリア?」
「この倍々魔法薬、使用方法が書いてねえな」
ユフィーリアは小瓶を確認するのだが、使用方法がどこにも書かれていない。瓶の裏側や蓋に記載されているのかとよく確認してみたのだが、やはり使用方法らしき文言は見当たらない。
小瓶に何かが貼ってあったような痕跡はあるものの、それが果たして倍々魔法薬の説明なのか不明だ。小瓶を引っ張り出した際に剥がれ落ちてしまったのだろうか。
一般的に流通されている魔法薬は、どこかに使用方法が書いてあるのが常識である。使い過ぎれば毒となり、死に至る可能性だって考えられるのだ。過剰摂取はどんな薬品でも命に関わる。
「うーん」
ユフィーリアは大釜の中に揺蕩う素麺たちを見下ろして、
「まあいいか、腹壊すようなもんじゃねえし」
能天気にそんなことを言い、ユフィーリアは倍々魔法薬を大釜の上でひっくり返した。
ザバァ!! と小瓶の中身が一気に投下される。
大釜の中に飛び込む青色の液体。グツグツと素麺が茹だるお湯の中に混ざり込むが、変な匂いはしてこないので問題はなさそうだ。魔法薬独特の味に関しては水で濯げば落ちるだろう。
鼻歌を歌いつつユフィーリアは木ベラで大釜を掻き混ぜつつ、
「素麺はすぐに茹だるからな。今のうちにつけ汁の用意をしておけよ」
「はいよぉ」
「あいあい!!」
「分かったワ♪」
「了解した」
「ユフィーリア君1人に任せても平気かね?」
「アタシが吹きこぼすようなヘマをすると思うか?」
心配する素振りを見せるキクガにユフィーリアは「大丈夫だよ」と告げ、つけ汁を取りに行かせる。500人前の素麺は確かに量が多いし管理するにも骨が折れるが、まあ爆発するような事態にはならないから大丈夫だ。
改めて大釜の中身を覗き込むと、ゴボゴボと沸騰していたお湯の勢いが増してきた。熱湯の中を揺蕩う素麺も量が徐々に増えていき、倍々魔法薬の効果が順調に発揮していることを示していた。
問題は、ショウの言う『ながしそーめん』とやらの方法だ。彼は「竹を使って云々」と言っていたが、竹が生息しているのは東方地域の山奥に限定される。残念ながらヴァラール魔法学院の近郊では竹の存在が確認できないのだ。
両腕を組んで「うーむ」と唸るユフィーリアは、
「とりあえず廊下に水を流して『ながしそーめん』とやらの代用とするかな。素麺が流れていりゃいいんだろ」
ユフィーリアが『ながしそーめん』とやらの文化を再現するのに最適な場所として想定していたのが、この長い長い廊下である。
ちょうどヴァラール魔法学院は夏休み期間中で、誰も廊下を歩き回るような人物はいない。教職員も長期間に渡る夏休みを利用して実家に帰省している頃合いだ。校舎内に残っているのはユフィーリアたち用務員の他に数名の教職員が存在するぐらいだが、今は全員お部屋に引きこもっていることだろう。
この瞬間、利用しない手立てはない。生徒がいないからこそ出来る問題行動は最高である。
「ん?」
ゴボゴボゴボゴボ、と沸騰するお湯の勢いが想定よりも増している気がする。
大釜の中身を覗き込むと、順調に倍々魔法薬で量を増やしていく素麺と熱湯があった。熱湯が増えすぎて大釜の表面にまで到達している。
おや、これはまずくないだろうか。何がまずいって、素麺もお湯も増えすぎて大釜から溢れ返りそうになっているのだ。このままでは大釜から溢れて大変なことになる。
「やべッ」
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を一振りして、熱湯の温度を操作する。沸騰していたお湯が冷水に変化して、グツグツと煮えていたお湯も大人しくなった。
大人しくなったのだが、増水は止まらない。ついに大釜から冷水と共に素麺が溢れてきてしまった。
気づいた時にはもう遅い、事態は最悪の方向に転がり落ちる。
「あ」
ドバッと、勢いよく大釜の中から素麺の奔流が起きた。
冷たい水が大釜から溢れ出して廊下を濡らしたかと思えば、白い麺の大群が冷水に乗って押し流されていく。素麺と冷水は無限に大釜からドバドバと溢れ出てしまい、廊下を勢いよく流れていった。
なるほど、これが本当の『ながしそーめん』なのか。そんな訳あるか。
「何これ何これ何これ何これ!?」
ユフィーリアは倍々魔法薬の小瓶に視線を落とす。
原因は間違いなく、この倍々魔法薬である。素麺の奔流が起きたのは十中八九、これと想定してもいい。
使用方法が書いていなかったから全部まとめて大釜の中に投入してしまったが、それが間違いだったのだ。魔法薬を用法用量を守らずに使用した結果が素麺の奔流である。悪夢か。
どれほど倍々魔法薬の小瓶を観察しても使用方法が浮かび上がってくる訳ではないので、ユフィーリアは閲覧魔法を発動させる。人物や物品などの情報を閲覧することが出来る魔法だ。
「えーと」
閲覧魔法によって表示された倍々魔法薬についての情報に視線を走らせる。
――倍々魔法薬とは?
食物や衣類、玩具などに垂らすだけで同じものが複製される魔法薬のことである。特に食物へ使用すると人体の消化器官で消費しない限り、延々と増え続ける優れものである。
飢餓を解消する為に開発された魔法薬だが、使用方法を間違えてしまう事故が多発。食物に使用して延々と増え続けてしまい、結果的に中和剤を必須とすることから現在より472年前に開発・販売が中止となった。
――使用方法は?
食物や衣類、玩具などに垂らすだけで簡単に使用可能。ただし人体には倍々魔法薬の効能が適用されない。
スープなどに使用する場合、大釜程度の大きさの鍋に1滴垂らすだけで2倍の量に増える。2滴垂らせば3倍、3滴垂らして4倍といった具合に増えていく。間違っても全ての量を使用してはならない。
なるほど、つまりユフィーリアはとんだ大馬鹿野郎ということか。
「ちょ、何これぇ!?」
「凄え!!」
「素麺が大変なことになってるワ♪」
「だ、大丈夫なのかユフィーリア!?」
「これは果たして何人前の素麺に……」
ちょうどつけ汁の器を片手に戻ってきた仲間たちは、無限に大釜から溢れ出る素麺と廊下を占拠する素麺の奔流に視線を巡らせて唖然としていた。倍々魔法薬で増えるとは聞いていただろうが、ここまでは想定外だったのだろう。ユフィーリアだって考えていなかった。
考えていなかったのだから、こうなってしまったのだ。最初から閲覧魔法で確認しておけばよかったのに、手順を面倒臭がってしまったユフィーリアが愚かである。
ユフィーリアはやけくそ気味に、
「これが問題児風『ながしそーめん』だぜ」
「そうなのか、さすがユフィーリアだ」
「ショウ坊、少しは疑え。お前の中にある『ながしそーめん』をこんな悪夢みたいなものにすり替えんな」
馬鹿正直に妄言を信じてしまう最愛の嫁をガクガクと揺さぶって正気に戻すユフィーリアは、やらかしてしまった自分自身に頭を抱えるのだった。
ともあれ、これで『ながしそーめん』は完成してしまった。
ただし大釜から無限に湧き出る悪夢みたいな仕様になってしまった。
《登場人物》
【ユフィーリア】過去に発売された倍々魔法薬で金銭を複製して増やそうとしたら、魔法薬の効果が適用されずにガッカリした。都合のいいことってないのね。
【エドワード】倍々魔法薬でクッキーを増やしたら延々と増えて嬉しかったのだが、食べ終わるのも一瞬だった。おかしいな、増えた気分がしない。
【ハルア】倍々魔法薬をかければウサギのぬいぐるみも延々に増えて楽しいかなと思っていたのだが、ウサギのぬいぐるみはただ1個だけ複製されて終わってガッカリ。もふもふ天国はいずこ。
【アイゼルネ】倍々魔法薬で愛用している化粧品を複製してしばらくお金を使わずに済んだ。節約上手。
【ショウ】青色のタヌキが思い浮かんだのは多分気のせい。
【キクガ】延々と増え続ける素麺に「これは本当に食べられるのだろうか?」と絶望気味。




