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第1話【問題用務員と素麺】

「キクガよ、少し話せないか」



 終業後、裁判の記録をまとめている最中だったキクガは上司であり冥府を統括する存在である冥王ザァトに呼び止められた。


 見上げるほどの巨躯を持つ冥王ザァトだが、襤褸布ぼろぬので全身を覆ったその下に隠されているのは黒色のもやである。変幻自在な靄の中には色とりどりの眼球が20個ほど浮かんでおり、それら全てがキクガを注視している。

 表情変化は分からないが、発される声の雰囲気から判断してよほど深刻な内容を抱えているのだろう。この深刻そうな雰囲気を醸しながらも二言目には「殴ってくれ」「蹴ってくれ」「鞭でしばいてくれ」と変態的な要求が飛んでくるので油断も隙もない。


 キクガは非常に嫌そうな表情を見せると、



「…………何でしょうか?」


「おっと、その表情。我の性癖に突き刺さるな」


「帰っていいですか」



 冥王ザァトに応じた自分が馬鹿らしくなって、キクガは退勤を申し出た。頭の中では呑気に今日の夕飯について考えている始末だ。

 今日の夕飯は、食堂で素麺そうめんが出ていたはずだ。冥府に季節もクソもなく年中無休で暖かくもなければ寒くもない気温が続いているのだが、食事の内容で季節感が出ているのが嬉しい限りだ。素麺といえば夏の風物詩である。この世界でも素麺があることに驚きだが。


 冥王ザァトは「まあ落ち着け」とキクガを引き止め、



「其方、素麺は好きか?」


「素麺ですか」



 キクガは「まあ……はい」と曖昧な返答をすると、



「でも何故?」


「実はお中元でたくさん貰ってな」


「ああ……」



 どこか納得したように頷いてしまうキクガ。


 冥府の役人は人種や年齢などを差別しないのだが、どうも極東寄りの従業員が多い気がする。その為、お中元やお歳暮を冥王ザァトに送るのが通例となっているのだ。キクガもお中元やお歳暮を送ってきた相手に冥王ザァト名義で返礼品を送る作業を担った記憶がある。

 夏場は特に、素麺がお中元として送られるのだ。素麺は極東地域でよく食べられる乾麺で、当然ながらキクガの元の世界にあった素麺と同じである。ただし麺つゆの類はないので、各ご家庭のつけ汁とやらに浸して食べるようだ。


 この話の流れから判断して、素麺を多めに貰ってしまったからいくらか消費を手伝ってほしいということだろうか。まあ素麺を茹でるぐらいならキクガでも出来そうだが、つけ汁の調理過程で爆発する恐れがありそうだ。



「素麺がどうかしましたか?」


「どうせ予想は出来ているだろうから言ってしまうが、貰ってくれないだろうか。もう何日も夕食が素麺続きで、もう我は素麺を見たくない」


「そんな状態になるほど貰ったのか」



 冥王ザァトが頭を抱える姿を見て、キクガは軽く戦慄した。


 確かに素麺などの同じ食事が続けば嫌になること請け合いなしだが、冥王ザァトはその巨躯から想像できる通り意外と大食いなのだ。お昼も大盛りのご飯を平らげた上でおかわりしては食堂のおばちゃんたちに注意されるぐらいである。

 その冥王ザァトが「もう見たくない」と言わしめる量の素麺である。どのぐらいの量が届いたのか想像できない。


 冥王ザァトが食べきれない量なんて、キクガが貰っても腐らせるだけである。消費の手伝いも碌に出来ないかもしれない。



「…………ご相談ですが、それは他人に譲渡するのは可能ですか?」


「というと?」


「明日は有給休暇なので、息子たちのところにお裾分けをしようかと」


「おお、それはいい提案だ。其方の息子もいい年頃だろう、食べ盛りではないか?」


「私と似て痩せ型の小食気味なので、息子自身はそれほど協力できそうにはありませんが……」



 キクガが想定しているのは息子であるショウの先輩方である。

 特にショウが世話になっている先輩のエドワード・ヴォルスラムとハルア・アナスタシスは、なかなか食べる印象がある。エドワードはあればあるだけ食べる大食漢なので、大量の素麺を貰っても平らげてしまうだろう。


 冥王ザァトはおもむろに身を屈め、執務机の下を漁る。そして、



「ざっと2000人前はある」


「にせッ!?」



 キクガの声がひっくり返った。


 裁判場にドカドカドカッと冥王ザァトが広げたのは、木箱に詰め込まれた大量の素麺である。幸いなことは素麺の袋がまだ開いていない状態だが、1袋に2人前分の素麺が入った袋が途方もなく大量にある。

 山のように積まれた素麺入りの木箱を見上げ、キクガの瞳から光が消えた。いくら何でも限度があるだろう。これを食えと言うのはさすがに苦行が過ぎる。


 冥王ザァトは助かったと言わんばかりに安堵の表情を見せ、



「いやぁ、我だけでは消費できぬのでな」


「どうして……こんな量を……」


「我が大飯食らいだから『きっとこれぐらいイケるだろう』と思ったのだろうな。塵も積もって何とやらだ」


「積もりすぎな訳だが」



 消費するのに時間がかかりそうな素麺の山を眺めて、キクガはため息を吐いた。これを明日、息子のところに持っていくのが心苦しい。



 ☆



「――――そんな訳で」



 有給休暇を利用して用務員室を訪れたショウの父親――アズマ・キクガは、非常に申し訳なさそうな表情で背後に積まれた木箱たちを示す。


 人間なら2人ぐらいは詰め込めそうなほど大きな木箱には、隙間なく素麺の袋がギッチギチに並べられていた。「いくら何でも限度があるだろ」と叫びたくなる量だ。

 昼前に用務員室の扉が叩かれたと思えば、事前に有給休暇で遊びに来ると予告していたキクガの来訪である。涼しげな水色の着物に桃色の帯を巻き、白色の花をあしらった帯留めで飾っている。艶やかな黒髪も着物と同色の蜻蛉玉とんぼだまを使ったかんざしでまとめた姿は妖艶で、本来の性別を忘れそうなほどの色気があった。


 大量の素麺を引っ提げて来訪したキクガに、銀髪碧眼の魔女――ユフィーリア・エイクトベルは「大変だな」と同情する。



「つっても2000人前だろ? エドなら簡単に平らげられそうだけど」


「いけちゃうよぉ」



 大量の素麺が詰め込まれた木箱を前にいそいそと食器を準備し始める筋骨隆々の巨漢、エドワード・ヴォルスラムが非常にイキイキとした表情で応じる。

 あればあるだけ食べることが出来る底なしの胃袋を持つエドワードなら、2000人前の素麺を平らげることなどあっという間だ。薬味などの味変も楽しみ、数種類のつけ汁も用意すれば完璧である。


 そんなことを言うユフィーリアだが、素麺なら結構食べられる自信があった。麺類が好きなのだ。特に極東地域で生産される素麺はヴァラール魔法学院近郊だとなかなか手に入らず、購買部でも取り寄せに数日かかってしまうので、大量に素麺が食べられる滅多にない機会にワクワクしていた。



「素麺!!」


「ハルア君が大興奮している訳だが」


「ああ、素麺好きだからな」



 木箱に詰め込まれた大量の素麺を前に大興奮しているのは、用務員の中でもとびきりの暴走機関車野郎であるハルア・アナスタシスだ。

 琥珀色の瞳を爛々と輝かせ、両手に素麺の袋を掲げて「素麺!!」と小躍りしている。夏場に食べる素麺が好きなハルアにとって、大量の素麺はもはや天国と呼んでもいい。


 小躍りをしていたハルアは唐突に素麺を両手いっぱいに抱えると、



「ショウちゃん、素麺だよ!!」


「大量だ」


「素麺祭りだね!!」


「ハルさん、とても嬉しそうだな」



 両手いっぱいになるほど大量の素麺の袋を渡されたのは、ユフィーリアの愛する嫁である女装少年――アズマ・ショウだ。


 今日は実の父親が遊びに来るということもあって、白地に色とりどりの花の刺繍が施された着物を身につけて水色の帯を巻いた涼しげな和装だ。それらの上からフリルがあしらわれたエプロンを装備し、可憐な和装メイドさんの完成である。

 毎日の手入れを欠かさない艶やかな黒髪を真っ赤な花が特徴的なかんざしで飾り付け、紅玉を想起させる瞳と合致していて艶やかさが後押しされる。足元も足袋と白色の鼻緒が特徴的な下駄と着物に合わせている。頭の先から爪先まで完璧に可愛い、綺麗、完璧である。


 素麺の袋を信頼できる先輩から受け取ったショウは、



「父さん、素麺ありがとう」


「ショウ、量が多いから無理をしなくていい訳だが。あとで冥王様はしばき回しておく」


「無理はしていないぞ」



 ショウは自信ありげに胸を張ると、



「実は素麺なら2人前を食べられるようになったんだ」


「何だと……!?」



 キクガは驚愕した表情でユフィーリアに視線をやる。


 彼の言いたいことを理解したユフィーリアは、肯定するように頷いた。

 実はショウ、だいぶ胃袋が強化されてきた訳である。ヴァラール魔法学院に召喚されたばかりの頃は1人前を食べきることさえ出来なかったのだが、今ではすっかり3時のおやつを食べても夕飯を完食できるようになったのだ。しかも素麺なら2人前を簡単に平らげてしまう。


 ふふんと自慢げな様子の我が子の頭を撫でたキクガは、



「このまま小食気味でますます痩せ細ってしまったらどうしようかと思っていた訳だが、やはりユフィーリア君に息子を任せて正解だ」


「毎日ご飯が美味しくて幸せだ」


「よかった、本当によかった訳だが」



 感動のあまり涙ぐむキクガ。息子が健康的に生活できている様子で嬉しそうである。



「キクガさんはお昼ご飯まだかしラ♪」


「ああ、まだ取っていない」


「じゃあご一緒しまショ♪ ユーリの作るつけ汁は種類が豊富で美味しいのヨ♪」


「それは楽しみな訳だが」



 木箱から素麺の袋を取り出す南瓜頭の娼婦、アイゼルネがキクガを昼食に誘う。もちろん最初からそのつもりだったので、ユフィーリアとしても問題はない。

 ただ、この大量の素麺をドバッと出す場所がない。いくら2000人前を軽く平らげられる最終兵器が存在するとはいえ、場所がなければ意味などないのだ。魔法を使って素麺を茹でてもいいのだが、余所見をしていると吹きこぼれる可能性もある。


 大量の素麺を前に頭を悩ませるユフィーリアに、最愛の嫁から魅力的な提案があった。



「これだけあれば流し素麺が出来るな」


「ながしそーめん?」



 首を傾げるユフィーリアに、ショウが「俺もやったことはないのだが」と言いつつも説明してくれる。



「こう、竹を半分に割ったものに水と一緒に素麺を流して」


「ほう」


「流れてきた素麺を掬って食べるんだ」


「そりゃ面白そうだな」



 掬うタイミングも考えなければならず、面白い食べ方である。大量の素麺を流せば場所を考える必要もない。

 ちょうど流す場所は存在しているし、今の時期は校舎内に人が少ないので誰にも邪魔をされずに流し素麺とやらを楽しむことが出来る。この上なく絶好の実行日和だ。


 ユフィーリアは素麺の袋を手に取り、



「じゃあ流し素麺ってのをやるか」


「俺ちゃんもつけ汁作り手伝うねぇ」


「流し素麺!!」


「おねーさんは素麺を茹でちゃうワ♪」


「ハルさん、素麺を袋から出しておこうか」


「流れるような役割分担な訳だが。さすがだ、連携が上手く取れている」



 流し素麺の準備に取り掛かる問題児の姿を見て、キクガは感心したような素振りを見せるのだった。

《登場人物》


【ユフィーリア】素麺は魚介の出汁であっさりいただきたい派。乾麺とか蕎麦とか、極東の料理は割と好き。

【エドワード】素麺は肉系のつけ汁でガツンと食べたい派。この前は真っ赤で辛いつけ汁でヒーヒー言いながら食べてた。

【ハルア】素麺は色々な種類のつけ汁があると嬉しい派。あっさり魚介と生姜とネギの組み合わせの最高さよ。

【アイゼルネ】素麺はお野菜たっぷりのつけ汁で食べる派。夏バテ気味の身体に素麺は嬉しい。

【ショウ】素麺はハルアお勧めの味が濃いめのつけ汁派。異世界にやってきてから素麺を2人前も食べられるようになった。


【キクガ】素麺は麺つゆ派。この世界に麺つゆはないので味噌系をちょっと辛くして食べる。

【冥王ザァト】意外と大食いな冥王様。お前どこから飯を食ってんだというツッコミは聞かない。素麺はカレーにつけて食う。

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