第15話【強面の巨漢とこれからの未来】
――わあ、という歓声が耳朶に触れた。
幾重にもなった歓声に包まれているのは、移動式の浮舟に乗った獣王国の若き国家元首様だ。獅子を模した装飾品が取り付けられた浮舟を魔法の力で動かしており、獣王たる若い青年は手を振る国民たちに笑顔で大きく両手を振って浮舟から身を乗り出している。
そのすぐ近くに控えている同族の血を引く青年が獣王を慌てて引っ張りあげ、獣王の甥にあたる獅子の獣人は苦笑しながらその様子を見守っていた。獣王の青年は「落ちても平気だ」と言わんばかりに不満げな表情を見せていた。
その光景をすぐ側で呆れたように眺めているのは、銀髪碧眼の魔女である。式典ということもあっていつもの肩が剥き出しとなった特異な形式の黒装束ではなく、さながら喪服を想起させる黒色のドレスと薄布で顔を覆い隠した正式な衣装を身につけていた。
「盛り上がってるねぇ」
建物の屋上からのんびりと凱旋パレードの様子を観察しながら、エドワードは感慨深げに呟く。
凱旋パレードの盛り上がり様は凄まじいものだった。軍服を身につけた獣王国の兵士たちが列を成して商店街を練り歩き、彼らに導かれるようにして獅子を模した飾りが特徴的な浮舟が進んでいく。商店街には凱旋パレードの見物客で溢れ返り、誰もが赤い薔薇の花弁を浮舟に投げてお祝いしていた。
雪のように降り注ぐ赤い薔薇の花弁に、獣王たる青年はどこか嬉しそうである。彼にとってはようやく出発点に立てたのだ。ここから獣王国を発展させるのは、彼の手腕にかかっている。
4階建ての小規模な建物の屋上から商店街をゆっくり進んでいく浮舟を眺めるエドワードは、
「まあ、頑張りなよぉ」
自分と同じようにあるべき場所から追放された青年は、兄を排して獣王の玉座を勝ち取った。帰るべき場所に帰れたことが、どこか羨ましく思える。
エドワードはすでに獣人として帰る場所なんてない。銀狼族という阿呆の集団は全員して噛み殺してしまったし、エドワードの家族はすでに冥王の裁判を受けて輪廻転生でもしている頃合いだ。せめて、来世は幸せに暮らしていてほしいものである。
ただ、後悔はしていない。家族を失っても、エドワードにはエドワード・ヴォルスラムとして帰る場所が別にあるのだ。
「エド!!」
「エドさん」
「あらぁ、ショウちゃんとハルちゃん。買えたぁ?」
歪んだ三日月――冥砲ルナ・フェルノに乗ったショウとハルアの手には、紙製の容器に入った巨大なアイスクリームがあった。しかも2段重ねである。崩れる危険性など丸無視だ。
「凱旋パレードが狙い目でした。昨日より混んでなかったです」
「すぐに買えたよ!!」
「それはよかったねぇ」
冥砲ルナ・フェルノから降りたショウとハルアは、エドワードを挟むようにしてピットリとくっついてくる。視線は眼下に広がる凱旋パレードを眺めているのだが、これでは逃げようにも逃げられない。
銀狼族を食い殺す時に、エドワードが退職騒ぎを起こしたことが尾を引いているのだろう。可愛がっている後輩に心配をかけてしまったことが心苦しい。その分、やり返しが酷かったが。
エドワードはショウとハルアの頭を撫で、
「ほら2人ともぉ、リオン陛下に薔薇の花弁でお祝いしてあげてねぇ」
可愛い後輩2人に差し出したものは、硝子製の瓶に詰め込まれた薔薇の花弁である。今日は凱旋パレードというお祝いの日なので、そこかしこの店で大量に販売されていたのだ。
ハルアとショウは揃って瞳を輝かせる。両手いっぱいに瓶から薔薇の花弁を取り出すと、2人ほぼ同時に晴れ渡った青い空めがけて全力投球していた。ぶん投げられた赤い花弁は、ひらひらと雪のように舞い散って浮舟に乗る獣王を祝福する。
赤い花弁を投げたハルアとショウだが、
「オレの方が遠くに投げれたよ!!」
「花弁を投げたところで遠くもクソもないと思うのだが」
「もう1回やろっかな!!」
「俺もやりたい」
キャッキャと楽しそうに薔薇の花弁をどこまで遠くに投げることが出来るのか、と競い合っていた。お祝いする気などまるでないみたいだ。
「エド、薔薇の花弁ちょうだい!!」
「俺にもください」
「はいはい」
ズイズイと両手を差し出してくるハルアとショウに、エドワードは薔薇の花弁を盛ってやる。大量の薔薇の花弁に「凄え!!」「いっぱいだ」などとはしゃいでいた。
今度は1枚ずつ落とす方針に決定したようで、ちまちまと指で薔薇の花弁を摘んで建物の屋上から落としている。どこに落ちたとかあそこに落ちたとかやり取りを交わす様は、既視感があった。
2人の背中を眺めるエドワードは、
――にいちゃ、すごいね!!
――にいちゃ、えりーはもっとみたい。
頭の中に響く、子供特有の高い声。
片方は溌剌と、もう片方はどこか落ち着いた雰囲気がある。それらのやり取りは目の前にいる可愛い後輩2人によく似ていた。
2人の背中に幼い弟と妹の姿が重ねられる。弟と妹が成長したらこんな風になるのだろうか。暴走気味なアンドレを、妹のエリザベスが窘める光景が容易に想像できてしまう。
エドワードは自分の手のひらに薔薇の花弁を瓶から取り出し、
「そぉれッ」
思い切りぶん投げる。
晴れ渡った空に舞い散る赤い薔薇の花弁。優雅なそれは一見すると、飛び散る血潮にも見られる。
雪のようにひらひらと、ふわふわと落ちていった赤い花弁は、ちょうど浮舟の上に散った。足元に落ちてきたらしい赤い薔薇の花弁を拾い上げた銀髪碧眼の魔女が、ふとこちらに視線を向けてくる。
黒色の薄布に覆われた人形のような美貌に快活な笑みを浮かべると、小さく手を振った。
「ユーリ、こっち見たね!!」
「気づいてくれたかな」
「さあねぇ」
エドワードは瓶に残った薔薇の花弁を全部適当に放り投げると、
「もうお昼だしぃ、ご飯食べに行こうよぉ」
「エドが奢ってくれるの!?」
「ゴチになります」
「現金な子だねぇ」
エドワードが「まずは買ってきたアイスを食べてからだよぉ」と言えば、ショウとハルアは急いだ様子で大盛りのアイスクリームを掻き込み始める。制止する間もなく口に詰め込むものだから、2人揃って顔を顰めていた。
それから頭を抱える。どうやらアイスクリームを急いで食べたことによって頭痛が起きてしまったようだ。
エドワードは頭痛に苦しむ後輩2人を笑い、
「急いで食べるからそうなるんだよぉ」
「先に言って!!」
「いだぃ……」
「ハルちゃんはよく購買部のアイスも急いで食べて同じ目に遭うじゃんねぇ、少しは学びなよぉ」
笑うエドワードの首には、雪の結晶のモチーフが特徴の首輪が嵌め込まれていた。
――大丈夫、彼の居場所はここにある。
《登場人物》
【エドワード】獣人として帰るべき場所はないが、エドワード・ヴォルスラム個人として帰るべき場所はちゃんとある。これからも問題児として、そして銀髪碧眼の魔女の忠犬として歩んでいく。
【ハルア】エドワードの弟、アンドレによく似た元気溌剌な少年。エドワードは先輩として慕っているし、兄として頼っているし、友人でもある。
【ショウ】エドワードの妹、エリザベスによく似た落ち着きのある聡明な女装少年。エドワードは先輩として慕っているし、親戚で年の離れたおじちゃん感覚で甘える。