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第14話【問題用務員とお帰り】

 カラン、と音がする。



「…………」



 獣王国の王宮に宿泊することとなったユフィーリアは、バルコニーに椅子を出して読書に耽っていた。


 側には小さな机を置き、火酒ウィスキーが並々と注がれた硝子杯グラスと酒瓶が並ぶ。硝子杯には大きめの氷が揺蕩たゆたい、夜風を受けると硝子杯にぶつかってカランと涼やかな音を奏でる。

 獣王国の夜は意外にも明るく、紺碧の空には白銀の星々と綺麗な三日月が浮かんでいる。月明かりで本のページもよく見えるし、周辺が静かだから読書も捗る。



「…………」



 読書中のユフィーリアは、ふと視線を持ち上げる。


 その先にあったのは火酒ウィスキーの注がれた硝子杯グラス――ではなく、その隣に置かれた皿である。

 小さめの皿にはサンドイッチが鎮座していた。程よく焼かれた獣王国特有の丸みを帯びたパンには塩胡椒で味付けをした肉と瑞々しい野菜がふんだんに挟まれた、見た目以上にボリュームのある夜食である。これ1つだけで十分に腹を満たすことが出来るだろう。


 ユフィーリアは、そのサンドイッチに手をつける様子はない。夜食として作ったそれを一瞥すると、再び本の頁に視線を落とす。



「ねえ」



 聞き覚えのある声が、夜の風と共に運ばれてくる。



「ねえ、お姉さん。そのサンドイッチ、食べていい?」


「…………」


「食べていい? お腹が減って仕方がないんだ」



 記憶にあるやり取りだ。


 そういえば、あの時も確かにこんなやり取りをした。

 雪の降る寒い日に迷い込んできた小さな子供。どこから逃げてきたのか、衣類はボロボロだし靴の類は身につけていない。灰色の頭髪は泥だらけで、今にも消えてしまいそうな儚げな雰囲気があった。


 ユフィーリアは本の頁から視線を外すことなく、



「疲れて帰ってきたどこかの馬鹿の為に作ったものだ。このままだと食材が無駄になっちまうから、食えるならお前が食ってくれ」



 そう言うと、横合いから手が伸びてきてサンドイッチが乗った皿を掴み取る。ややあってカリカリに焼かれたパンと一緒に肉と野菜を噛み切る音が鼓膜を僅かに揺らした。


 ユフィーリアは本を閉じ、いつのまにか帰ってきていた筋骨隆々とした巨漢に視線をやる。

 月明かりを反射する灰色の短髪、バルコニーから見える王宮の景色を眺める銀灰色の鋭い双眸。真っ赤に濡れた手でユフィーリアが作ったサンドイッチを掴み、ベッタリと赤い何かが付着した汚れた口いっぱいにサンドイッチを詰め込んでいる。彫像のような肉体美を押し込んだ迷彩柄の野戦服にも赤い液体が飛び散っていた。


 何食わぬ顔で平然と戻ってきた元部下の男に、ユフィーリアは言う。



「随分と遅いお帰りだったな、そんなに多かったか?」


「まあねぇ、もう最後だしぃ」



 あっという間にサンドイッチを完食してしまった筋骨隆々の巨漢――エドワード・ヴォルスラムは、



「長かったけどぉ、ようやく終わったよぉ」


「そうかい」



 彼の横顔は、どこか清々しい雰囲気が漂っていた。


 今回を含めて5度の退職騒ぎは、全て銀狼族が関係していた。ユフィーリアも最初の離脱騒ぎに遭遇した時には「ああ、そういう時もあるもんだな」と少し泣いたものだが、次の日には何食わぬ顔で帰ってきて2度見したぐらいだ。あの時の涙を返してほしい。

 聞けば家族を殺してくれた銀狼族を全て食い殺してやることを目的としていたらしく、銀狼族の存在が確認できるたびに彼はユフィーリアに退職の意思を示してくるのだ。そして食い殺すたびに「お腹減ったぁ」と帰ってくるので慣れてしまった。


 それも、もう終わりである。エドワードは見事、家族を殺した銀狼族の連中を全て食い殺すことに成功した。もう彼を縛り付ける呪いはない。



「じゃあ、そんな訳でぇ」


「おう」


「ユーリぃ、復職お願いしまぁす」


「またかよ」



 ユフィーリアは呆れたような表情で、



「もう銀狼族に対する復讐は終わったんだから、1人で生きていけよ。用務員も辞めたんだし、次の職場はアタシの面白事件に巻き込まれないで平和に過ごせるんじゃねえの」


「えー、やだよぉ」



 エドワードはパン屑が落ちた皿まで食べながら、



「だってユーリと一緒にいた方が面白いじゃんねぇ」


「それは本音か?」


「もちろん本音だよぉ」



 皿まで完食してしまったエドワードは「もう問題児根性が染みついちゃったしねぇ」とのほほんとした口調で続ける。


 ユフィーリアはやれやれと肩を竦めると、机の上に投げ出していた雪の結晶が刻まれた煙管を手に取る。

 実のところ、戻ってくる気配を察知して用務員の雇用契約と魔女の従僕契約は切っておくだけに留めておいたのだ。切ったら終了という訳ではなく、再びユフィーリアが糸を繋ぎ合わせれば復帰できる。


 復帰の気配を感じ取ったのか、エドワードはユフィーリアの前で膝をついた。彼も用務員に、もとい問題児に復帰する気があるようで喜ばしい。



「お前、次はねえからな」


「もう終わったからやらないよぉ」


「『辞めたい』って言った暁には本当に復職なんて認めねえからな」


「これが最後だよぉ」



 ユフィーリアはエドワードの頬に手を添え、



「ところでエド」


「なぁに?」


「お前、よくもアタシの嫁を泣かせたな?」



 朗らかな笑みを見せるユフィーリアとは対照的に、エドワードの表情が引き攣る。

 彼もよく理解していることだろう。ユフィーリアの嫁とはつまり、彼自身の後輩であるショウだ。先輩が辞めるということで後輩であるショウを悲しませることは想定していただろうが、嫁の涙にユフィーリアが黙っている訳がなかった。


 冷や汗をダラダラと流して震え始めるエドワードは、



「え、まさかぁ、そのぉ……復職できない感じぃ?」


「いやいや、復職するつもりがあるんだったら迎え入れるよ。アタシは世界で最も寛大で心優しい慈愛に満ちた魔女様だ、5回も退職騒動をやらかしてヒヤヒヤさせてくれたお前の所業なんて笑顔で許せるさ」



 そっとユフィーリアはエドワードから離れると、



「ただ、アイツらが許すかな?」


「え」



 次の瞬間だ。



「エド!!」


「エド♪」


「エドさん!!」



 バルコニーに飛び込んできたのは、今まで姿を潜めていたハルア、アイゼルネ、ショウの3人である。時刻は深夜に差し掛かった頃合いだが、この時の為に夜更かしをして待ち構えていたのだ。

 身のこなしがもはや常軌を逸した未成年組による華麗な飛び膝蹴りがエドワードの顔面に叩き込まれ、倒れ込んだところで身体にのしかかったハルアとショウにボッコボコに殴られる。その手つきに容赦はない。鍛えられたエドワードでも、手加減のての字もない未成年組の拳には悲鳴を上げざるを得なかった。


 さらに普段は暴力を行使しないアイゼルネも、エドワードを丁寧に踏みつけていた。彼女が履いているのは踵の高い靴である、踏まれたら痛いのは目に見えている。



「いだッ、いだだだだッ、ちょ待って叩かないで痛い痛い!!」


「ふざけんじゃないよ!! どのツラ下げて戻ってきたの!!」


「5回も退職して復職するの繰り返しって何を考えているんですか!!」


「おねーさんたちの悲しみと心配と寂しさを返しテ♪」



 3人からの暴力を受けるエドワードは、



「ユーリ、ユーリ助けて!! 俺ちゃん死んじゃう!!」


「安心しろ、エド」



 ユフィーリアはゆっくりと椅子に座り直し、読みかけの本を開く。

 助けるつもりなんてサラサラなかった。余裕ぶっていたユフィーリアだって「今度こそエドワードが戻ってこないかもしれない」という不安があったのだ。結果的にその不安は杞憂に終わったが、他はユフィーリアの比ではないぐらいに不安だったことだろう。


 ちびちびと硝子杯グラス火酒ウィスキーを傾けるユフィーリアは、



「死んだら死者蘇生魔法ネクロマンシーをかけてやるよ」


「上司じゃんねぇ、助けてよぉ!!」


「おかしなことを言うな、エド。まだ雇用契約も従僕契約も復帰させてねえから、お前とアタシは顔見知り以上の関係じゃねえぞ」


「辞めなきゃよかった!! 辞めなきゃよかった!!!!」



 今更になってエドワードは後悔の念を叫んでいた。


 よく考えてほしい。エドワードは銀狼族の矛先がユフィーリアたち向かないようにヴァラール魔法学院の用務員を退職したが、そのヴァラール魔法学院の用務員が普段から何と呼ばれているのかを。

 そう、問題児である。泣く子も黙る問題児である。たとえ銀狼族の矛先を向けられたところで「あ? じゃあ襲い掛かられる前に殺るしかなくない?」と発想に至る馬鹿野郎の集団である。守るのではなく「一緒にボコボコにしに行こうぜ」と誘えばよかったのだ。


 悠々と読書に戻るユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を咥え、



「まあ、アタシの嫁を泣かせた罪をソイツらの玩具になることでチャラにしてやるんだから安いものだろ」


「気が済む頃には死んでそうなんだけどぉ!?」


「だから死んだら死者蘇生魔法ネクロマンシーをかけてやるって言ったろ」


「それだけで本当に済むのぉ!? 損耗率3割を超えそうな勢いだけどぉ!?」


「お、よく覚えてるな感心感心」


「笑い事じゃない!!」



 助けを叫ぶエドワードを無視して、ユフィーリアは読書を再開させた。


 その間にも未成年組とアイゼルネによる暴力は続く。拳による暴力な止まり、何故か方向性がおかしなものに切り替わり始めた。

 いつのまに用意していたのか不明だが、アイゼルネが豊満な胸の谷間にやおら手を突っ込むと試験管を取り出す。試験管には桃色の液体が揺れており、それが魔法薬であることを告げていた。


 顔を青褪めさせるエドワードにハルア、アイゼルネ、ショウの魔の手が迫る。



「さあエド♪ 女の子になりましょうネ♪」


「アイゼが新作のマッサージを試したいんだって、よかったね」


「少し実験台になったユフィーリアが幽体離脱になりかけていたので、おそらく最後まで受けたら天国を見ることが出来ますよ。よかったですね」


「それでも生きていたら全身を綺麗にドレスアップさせてあげるワ♪」


「お洋服もたくさん揃えたよ」


「お化粧品も揃えました。お揃いのメイド服を着ましょうね」


「いやーッ!! 助けて男の尊厳がなくなるってぇ!!」



 白銀の星々が瞬く夜空に、エドワードの絶叫が響き渡るのだった。

《登場人物》


【ユフィーリア】エドワードが退職して少しだけ寂しかった魔女。やはり目論見通り戻ってきたので、その他3人に制裁を任せて読書に耽る。夜食を作っておいただけありがたいと思え。

【ハルア】エドワードが退職して寂しかった暴走機関車野郎。やめないで済むならいい子になると決意するぐらいだったのだが、何食わぬ顔で戻ってきたのでブチギレ。テメェやめたんじゃなかったんかい。

【アイゼルネ】エドワードが退職して寂しかった南瓜頭の娼婦。誰がおねーさんのことを運んでくれるのと嘆いていたのだが、戻ってきたのでさすがに怒った。玩具になるのヨ♪

【ショウ】エドワードが退職して寂しかった女装メイドヤンデレ系少年。エドワードも先輩として頼りにしていたのにやめてしまうなんてと思っていたのだが、復職要請にはキレた。じゃあ休職でいいじゃないですか。


【エドワード】問題児の本質をすっかり忘れて退職なんて手段を選んでしまった今回の大馬鹿野郎。辞めなきゃよかったと後悔。このあとマッサージで綺麗な花畑が見えたところで解放され、ユフィーリアたちに土下座で謝った。

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― 新着の感想 ―
[良い点] やましゅーさん、おはようございます!! 新作、今回も楽しく読ませていただきました!! 次回で何と300回目になりますね。本当におめでとうございます!! 問題児たちの楽しく面白いお話をこれ…
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