第11話【問題用務員と退職】
「ふざけている!!」
応接室にリオンの怒声が響き渡った。
「姿形が違うエドワードを排除する為に家族を殺すなど馬鹿げている!!」
「うるせえな、エドが起きるだろうが」
「む、すまん」
それまで憤りを露わにしていたリオンは、ユフィーリアに「うるさい」と吐き捨てられて正気を取り戻す。この切り替えの速さは見習っていきたい。
気持ちは理解できる。リオンも見た目が半獣人だからと獣人至上主義を掲げる兄によって王宮を追放された経緯を持ち、エドワードも銀狼族の里を追い出されたので憤るのは分からんでもない。
ただ、程度の酷さで言えばエドワードに軍配が上がるだろう。リオンは追放されただけで済み、父親が殺害されたのは獣王の座を狙っていた兄の仕業である。王族同士が醜い争いを繰り広げるのはよくあることだとしても、エドワードの場合は里の全員が家族を皆殺しにするという理解できない酷さがある。因縁は相当なものがあるのだ。
「あの銀狼族たち、追いかけて殺せばよかった!!」
「服を燃やしただけでは飽き足らない、冥府に叩き落として死んでも追いかけ回してやる」
「生温いワ♪ 絶望させるぐらいの幻覚を見せてあげなキャ♪」
「仲間の為に暴力思考に陥っているのは喜ばしいことだけど、そろそろ戻ってこい。あとハルはクッションを置け、それを破いたらとんでもねえ金額を弁償することになるぞ」
ハルア、アイゼルネ、ショウもエドワードの過去を聞いて憤慨していた。特に銀狼族へ遭遇したハルアとショウは、地の果てまで追いかけて殺害すればよかったと後悔の念を見せている。頼れる先輩用務員の為にそこまで思うことが出来るのは歓迎されるべきだが、ハルアがクッションを破きそうになっているのはいただけない。弁償額が怖くて聞けない。
同じく銀狼族のシュッツも、卑怯な手段を取った銀狼族に顔を顰めていた。エドワードのことを思えば怒るのが当然なのだろうが、自分にも銀狼族の血が流れているので複雑なのだろう。
すると、
「ユーリ」
「ん」
キィ、と寝室の扉が開く。
姿を見せたのは、今まで寝ていたエドワードだ。最悪の寝覚めなのか、どこか思い詰めたような表情で佇んでいる。
ちゃんと歩行も出来ているし、呂律も問題はない。腹の傷も治療が出来ているので痛みはないはずだ。
雪の結晶が刻まれた煙管を咥えたユフィーリアは、
「よう、よく眠れたか?」
「お陰様でぇ」
エドワードは銀灰色の双眸をユフィーリアに向けると、
「ねえ、ユーリ」
「どうした」
「俺ちゃん、辞めていい?」
何の脈絡もない質問に、応接室にいたユフィーリア以外の全員が動きを止めた。
「え、と。辞めるって……」
「エド、辞めるって何?」
状況が理解できないショウとハルアがエドワードに詰め寄るも、彼は答えない。冗談を言うような雰囲気でもないので、辞めるということはそういうことなのだろう。
アイゼルネもリオンも、それからシュッツも状況が理解できていないので右往左往するばかりだ。エドワードの真意が読めないので、あわあわするだけである。
唯一、この状況に経験があるユフィーリアは、
「ちゃんと考えた結果か?」
「考えたよぉ。でもぉ、俺ちゃんの頭では他に思いつかなかったよぉ」
苦しさに耐えるような表情を見せるエドワードは、
「みんなを悲しませるのは分かってるけどぉ、これが1番だからねぇ」
「そっか」
瀟酒な長椅子に座り直したユフィーリアは、エドワードに「おいで」と手招きをする。
エドワードはその手招きに応じて、長椅子に座るユフィーリアの足元に膝をつく。刃のような銀灰色の双眸がじっとユフィーリアを見上げてきた。
普段は見ることが出来ないエドワードの旋毛を見下ろし、ユフィーリアは彼の頭を撫でてやる。黒い長手袋越しに感じる毛質の硬い頭髪と彼の体温が懐かしく、心地がいい。
「お前も成長したな」
「お陰様でねぇ」
「最初に会った頃はチビだったのにな」
「成長痛で苦しんだよぉ」
そんな他愛のない会話が続く。
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を一振りし、銀製の鋏に切り替える。2枚の刃を留める螺子が雪の結晶の形をしており、いいものも悪いものも断ち切ることが出来ると謳われるユフィーリアの武器だ。
密かに絶死の魔眼を発動させると、ユフィーリアとエドワードを結ぶ色とりどりの糸が認識される。古くから重ねてきた縁、彼と歩んできた問題児としての記憶。魔眼の精度を上昇させて見える糸を限定すると、ユフィーリアとエドワードを結ぶ糸が赤と青の2種類だけが残った。
銀製の鋏を2本の糸に添えたユフィーリアは、
「エドワード・ヴォルスラム。本日を持ってヴァラール魔法学院の用務員を解任し、魔女の従僕契約を破棄する」
赤と青の糸を纏めて切断した。
――シャキン。
音が鳴ると同時に、エドワードの首に巻き付いていた雪の結晶のモチーフが揺れる首輪が青い光を放って消えた。
「今までご苦労、エドワード・ヴォルスラム。達者でな」
「ありがとう、ユフィーリア・エイクトベル。敬愛する魔女に、幸多からんことを」
用事は済んだとばかりに立ち上がるエドワードだが、彼の腰にハルアとショウが抱きつく。まるで退職した彼を引き止めているかのようだ。
とはいえ、もう退職手続きは済ませてしまった。もう用務員でもなければ、ユフィーリアの従僕でもない。ただのエドワード・ヴォルスラムという銀狼族の男だ。
エドワードはショウとハルアの頭を撫で、
「痛いよぉ、2人ともぉ」
「やだよ、エド!! 行かないで!!」
「行かないでください」
ショウとハルアはエドワードに退職を思い直すように懇願する。
彼らの結束は固かった。用務員の男子組で互いに仲がよく、歳の離れた兄弟のような感覚で今まで過ごしてきたのだ。特にエドワードとハルアは付き合いが長く、用務員としての仕事や一般常識などはエドワードから教え込まれたので頼れる先輩というより面倒見のいい兄だったのだ。
それなのに、急な退職騒ぎである。離れ難い存在であるのに、急に「辞める」となれば引き止めたくもなる。
エドワードは腰にしがみついてくるショウとハルアに向き直ると、2人をまとめて抱きしめた。泣きじゃくる子供をあやすように優しく背中を撫でてやり、
「ごめんねぇ」
たった一言だけ謝って、エドワードは応接室をあとにした。
☆
「ユーリ何してんの!! 何で辞めさせちゃうの!!」
「エドさんのことを大切ではなかったのか!?」
エドワードが立ち去ったあと、応接室は荒れた。
ハルアとショウはユフィーリアに詰め寄り、アイゼルネはエドワードが急に辞めたことでどうしていいのか分からず立ち尽くしているばかりだ。用務員同士の問題なので、獣王のリオンやその側近であるシュッツは介入できずに狼狽えるだけである。
この中で唯一落ち着いているのは、ユフィーリアだけだった。ハルアとショウに挟まれて「何で何も言わないの!!」「ユフィーリアが言えばエドさんだって考え直したかもしれないのに!!」と叫ばれながら、ただぼんやりと部屋を明るく照らす照明器具を見上げていた。
考えているのは、
「どうすっかなァ、夜食。どうせアイツ、腹を空かして帰ってくるしなァ」
こんな時に考える内容ではない。
「ユーリ、今は夜食の話をしてる場合じゃないでしょ!!」
「エドさんが辞めてしまったのに」
「ああ、アイツどうせ帰ってくるって。もう5回目だもん」
ユフィーリアの何気ない一言で、応接室の空気が凍りついた。
あれだけ勢いのあったハルアとショウは風船のように萎み、アイゼルネは氷像のように動きを止め、リオンとシュッツは瞳を瞬かせている。彼らにとっては想定外な話だったようだ。
ユフィーリアがこれだけ落ち着いていられるのは、エドワードの性格を知っていたからである。今回で5度目の経験なのだ、もはや詐欺と呼んでも過言ではない。
「……5回目?」
「おう、5回目」
呆けた表情のショウに、ユフィーリアは頷いた。
「ウチの給料ってな、意外と高いんだよ。まともな職場だし」
「やっていることはまともではないのだが」
「今の給料水準を落とさずに住所不定の得体の知れない奴が再就職する先って見つからないんだよな。住み込みの肉体労働でも給金は安いし、美味い飯は食えないし」
よくよく考えると、エドワードが身を置いていたヴァラール魔法学院という職場は最高の環境だった訳である。
種族性別年齢を問わず受け入れてくれる職場環境、3度の食事と安全性の高い寝床を完備したこの状況は誰もが憧れるものだ。問題行動で乱高下はあるものの給与はバッチリ支給されるし、賞与も貰えるという高待遇である。現在の生活水準を落としたくないのであれば、絶対に手放したくない環境だ。
エドワードも脳味噌まで筋肉が詰まっていると思われがちだが、あれはあれで馬鹿ではないのだ。この住環境を手放したらあとが大変になることは嫌でも理解しているはずである。
「じゃあ、エドさんは何でわざわざ退職を……?」
「今の銀狼族って結構狡い連中でな、狙った獲物の周りから攻め込んでいくんだとよ」
呆けた表情で問いかけるショウに、ユフィーリアは懇切丁寧に答えてやった。
現在の銀狼族を率いるヴェルデガータ家はかなり陰湿な性格をしており、狙った獲物の周辺人物から攻め込むという悪質なことをしてくるのだ。
エドワードの場合、家族を殺されて精神的に絶望した状態で危うく殺害されそうになった訳だが、父親に助けられたことで逃げ出すことが出来た経緯がある。現在で考えれば、銀狼族に狙われる可能性の高い人物だとユフィーリアたち4人ということになる。
エドワードは銀狼族がユフィーリアたちに矛先を向けないように、あえて関係性を断ち切ることで銀狼族の襲撃からユフィーリアたちを守ったという形になるのだ。
「でもな、5回はやりすぎだよな」
ユフィーリアはショウとハルアの頭を撫でて、意地の悪い笑みを浮かべた。
「ちょっとした仕返しをしてやるか」
――さて、彼が帰ってきた時が楽しみだ。
《登場人物》
【ユフィーリア】エドワードを送り出した優しい上司。身内に関しては相手の考えを尊重する。エドワードの繰り返される退職騒ぎには辟易しているので、そろそろやり返さないと気が済まない。
【エドワード】元用務員という立場になってしまった。この度退職したのだが、過去に4回も退職しては復職を繰り返している馬鹿野郎。何がしてえんだ。
【ハルア】エドワードの退職騒動に初遭遇。まさか4回も辞めて戻ってを繰り返しているとは思わなかった。戻ってきたら何してやろうかな。
【アイゼルネ】エドワードの退職騒動で右往左往しているしかなかった。まさか4回も辞めて戻ってを繰り返しているとは思わなかった。心臓に悪いので嫌だ。
【ショウ】エドワードの退職騒動で慌てた。辞めちゃう必要はなかったのに、珍しく取り乱してユフィーリアのことも責めちゃったが5回目だと聞いて拍子抜け。このあとユフィーリアには土下座せん勢いで謝った。
【リオン】用務員を辞めたならエドワードを雇えないかと考えた。
【シュッツ】同族がそんなことをしていたと知って嫌悪。