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第10話【族長の息子と絶望】

「ようやく帰ってきたか、エドワード」



 薄暗くて冷たい、噎せ返るほどの鉄錆の匂いで満たされたテントの奥から狼が姿を見せる。


 灰色の毛並みを赤く濡らし、左右に引き裂けた大きな口にはベッタリと血糊が付着している。暗闇の中にあっても爛々と輝きを失わない銀灰色の双眸は、呆然と立ち尽くすエドワードを見つめていた。

 その姿は、エドワードの家族を皆殺しにした犯人であると物語っていた。指先から足元まで真っ赤に染まり、血に濡れた足でうつ伏せに倒れた父親のアッシュを踏みつける。


 エドワードは震える唇を動かし、



「何で……」


「何で? 愚かな同族を始末するのに理由が必要なのか?」



 全身を真っ赤に濡らした同族は、低い声で馬鹿にしたように笑う。



「お前の父親は愚かだ。我々獣人が、人間に対してどんなことをされてきたのか知った上で『人間と仲良くしよう』だなんてほざく。あいつらが俺たちに何をしてきたのか知らないだろう?」


「確かに、知らないけどッ」



 エドワードは家族を殺した犯人を睨みつけると、



「でも、俺の家族は関係ない!! どうして殺されなきゃいけなかったんだ!!」


「お前が原因だ、エドワード」


「俺が……?」



 大股で距離を詰めてくる同族は、血に濡れた牙を見せつけるようにニィと笑うと「そうだ」と頷く。



「憎い人間の姿をしたお前を、いつまで経っても匿う愚かな同族に銀狼族のほとんどの連中は呆れていたさ。見ていられないほどに弱い虫ケラみたいなのに、アッシュの野郎は処分しないで……」



 同族は「あいつほど強い銀狼族はいなかったのになぁ」と感慨深く呟く。


 エドワードは他人とは違う容姿を持っていた。父親とも似ておらず、母親とも似ていない。森の中で拾われた弱い人間の赤ん坊だと言われてもおかしくない。本当に血の繋がりを疑うほどだ。

 それでも、父親のアッシュも母親のミランダもエドワードを捨てるような真似はしなかった。両親らしく深い愛情を注いでくれたと思う。そう感じていたのは、果たして自分だけだったのか。


 エドワードは、生きていない方がよかったのか。



「いらない息子をいつまでも処分しない弱虫野郎に、銀狼族は任せちゃおけない」



 血に濡れた爪をギラリと輝かせて、同族はさらに距離を詰めてくる。


 石鹸が詰まった紙袋を足元に落とし、エドワードは後退りをする。テントの扉に足を取られて尻餅をつくと、冷たい世界が小さな子供を無慈悲に包み込んだ。

 早くこの場所から逃げなければ、自分も殺されてしまう。あの同族に殴られただけでもどれほどの怪我になるのか分からない、今はとにかく逃げなければならない。


 それなのに、



「あ、ぁ」



 エドワードは息を呑んだ。


 這いずりながらも逃げようとした矢先、他の同族がエドワードの自宅を取り囲んでいることにようやく気づいた。彼らの両手は真っ赤に染まり、一体何人でエドワードの家族を蹂躙したのか嫌でも理解してしまう。

 彼らが殺したのだ。エドワードといういらない子供をいつまでも匿う同族にほとほと呆れた同族は、全員でエドワードの家族を殺したのだ。


 逃げ場がない。弱いエドワードでは、走って逃げたところですぐに追いつかれてしまう。



「お前もすぐに家族のところへ送ってやろう。安心しろ」



 テントの扉を捲って追いついた同族が、鋭い爪が生えた指先を伸ばす。



「――冥府で家族と仲良くな」



 その時だ。





「――――俺の息子に触んじゃねえ!!」





 全身を血に濡らした同族の喉笛が、背後から伸びてきた鋭い爪によって引き裂かれる。


 噴き出る血潮、断末魔もなく崩れ落ちる同族。

 真っ白な雪の上に赤い斑点が落ち、引き裂かれた喉笛から静かに流れる鮮血が積もった雪に染み込んでいく。カッと見開かれた瞳は恐ろしいものがあり、思わずエドワードの口から短い悲鳴が漏れた。


 あっという間に死んだ同族の屍を蹴飛ばして、テントの中から姿を見せたのは父親のアッシュである。牙を剥き出しにし、喉の奥から地を這うほど低い唸り声が聞こえてくる。



「父さ……」



 エドワードは父を呼んだが、アッシュはエドワードを小脇に抱えて駆け出す。自宅のテントを取り囲む同族連中を突き飛ばし、殴りつけて強引に包囲網を突破した。

 速度はいつもの足の速さではないと思える。時折、アッシュは呻き声を漏らして脇腹を押さえる。ボタボタととめどなく大量の鮮血が父の身体から流れ落ち、真っ白な雪の大地を赤く汚した。


 小脇に抱えられたエドワードは、



「父さん、止めて。俺は、俺はいらないからッ、父さんは」


「誰がいらねえだって!?」



 アッシュはエドワードを怒鳴りつけ、



「俺はただの一度だってテメェのことを『いらない』なんて思ったことはねえ!! ミランダが――テメェの母ちゃんが腹を痛めて必死になって産んでくれた息子だ、可愛くねえ訳がねえだろ!!」



 エドワードを抱えて走るアッシュは、そこで激しく咳き込んだ。内臓にも傷がついているのか、大きな口から血塊が吐き出される。

 このままでは父が死んでしまう。エドワードは泣きそうになりながらも懸命に「父さん、離してッ」ともがくが、アッシュはエドワードを離す気配がない。追いかけてくる同族からエドワードを抱えたまま逃げ続けていた。


 だが、満身創痍の父親が同族から逃げ続けるのは無理がある。走る速度を緩めたアッシュは、エドワードを地面に下ろした。



「エドワード、逃げろ。後ろを振り返らずに、ただ逃げろ」


「嫌だッ、父さんといる!!」


「馬鹿野郎」



 アッシュはボロボロと涙を流して縋り付くエドワードの頭を力なく叩くと、



「俺は、テメェに生きていてほしい。こんなところでくたばらないで、広い世界を生きてほしい。苦しい時も、辛い時もあるかもしれねえけど、でも、親としてテメェには生きていてほしいんだよ」



 そう言ってアッシュは、エドワードを抱きしめる。



「愛しているよ、エドワード」



 そっと、父親の体温が離れていく。

 大きな手のひらがエドワードの頭を一度だけ撫でると、それから背中を強く押し出してきた。押し出されるがまま、エドワードは雪に覆われた森の道を走り出す。


 振り向くなと言われていたが、走りながらエドワードは背後を振り返ってしまった。



「あ――」



 満身創痍の父に、同族たちが襲いかかる。

 その爪で、その牙で、抵抗の出来ない父親を食い殺していく。


 あれだけ強かった父が、呆気なくその最期を迎えた。



「――――ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!!!」



 絶望に満ちた小さな狼の慟哭が、雪の積もった寒々しい森の中をこだまする。



 ☆



 目が覚めると、そこは見慣れない天蓋が広がっていた。



「…………傷がない」



 目覚めたエドワードの腹には傷跡がなかった。

 おそらく、刺された傷は魔法の天才と声高に主張する上司が治してくれたのだろう。あらゆる魔法を手足の如く操る天才魔女様だ、全くもって恐れ入る。


 最悪な夢見のせいで寝覚めも最悪なエドワードは、ゆっくりと身体を起こす。窓の向こう側は夕闇が迫っており、エドワードが安置されていた寝室にも夜の闇が迫ってきていた。

 天蓋付きのベッドはかなり広く、問題児5人で寝転がっても余裕で寝ることが出来るほどの規模だ。実際、身長の高いエドワードが寝転がっても大きさに余裕があるのだから大きさも相当なものだろう。


 ベッドに腰掛け、エドワードは呟く。



「銀狼族……」



 かつて、自分が過ごした仲間たち。

 そして、自分の家族を殺した怨敵たち。


 移動民族だからか足取りを掴むのは至難の業で、だけど誰にも頼りたくはなかった。敬愛する上司の魔女にも。



(……選ばなきゃ)



 エドワードは選択しなければならなかった。


 この選択肢を取れば、大切な仲間たちを大いに傷つけてしまうことになる。足りない頭で懸命に他の選択肢はないのかと探すのだが、やはりこの選択肢以外になさそうだった。

 どう足掻いても彼らを悲しませてしまう選択肢が恨めしい。でも、これを選ばなければどうしたってエドワードの飢えは解消できない。


 もう個体数も少なくなっている現在、これが最後の選択だ。



「もう終わりにしなきゃねぇ……」



 綺麗に磨かれた頑丈な長靴ブーツに足を突っ込み、エドワードは丁寧に靴紐を結ぶ。


 心苦しい選択の結果を口にするまでの時間を遅らせているようだ。

 どうやってもその時は来てしまうのだから、どれほど行動を遅らせても意味がないのだが。



「ん?」



 胸元に下がったいつもの口輪の存在がなくて、エドワードはふと寝室を見渡して口輪を探す。

 目的のものは枕元に放置されていた。無造作に転がっていた口輪を手に取ると、その口輪の隙間に紙片が挟まっている。


 指先で紙片を摘んで取ると、真っ白な紙片に癖のある文字が並んでいた。



 ――後悔のない選択を。



 その言葉は、あの魔女が告げているようだった。



「うん、後悔していないよぉ」



 エドワードは口輪をいつものように首へ引っ掛けると、寝室の扉に手をかけた。

《登場人物》


【エドワード】銀狼族の先祖返り。純粋な獣人なのだが、見た目が人間のせいで先祖返りではないと勘違いされて里から追い出された。

【アッシュ】エドワードの父親にして銀狼族の元族長。不器用ながらもちゃんと息子のエドワードを愛していた。

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