第9話【学院長と半壊実習室】
グローリアが学院長室で2学期の授業準備をしている時だ。
――ドゴンッッッッ!!
広大なヴァラール魔法学院を揺るがすほど盛大な爆発音が、グローリアの鼓膜に突き刺さった。
授業の準備をする手を止めて、グローリアはどこか遠くを見つめる。
可能性として考えられるのは2つだ。そのうち1人は非常に歓迎できない爆発だが、とりあえず歓迎できる方の爆発に賭けて確認するしかない。
無言で通信魔法専用端末『魔フォーン』を取り出したグローリアは、拙い指遣いで魔フォーンの表面に触れると通信魔法を発動する。相手はすぐに応じてくれた。
「今の爆発はスカイ?」
『惜しかったーッ!! あともう少しで僕の設計した超大型魔法兵器が運用できたんスけど、肝心の動力炉が過熱しちゃって大変で大変で』
「ああよかった、君が起こした爆発ならいいや」
グローリアは何気なく窓を見やる。
広々とした校庭には生徒が夏休み期間で不在なのをいいことに、魔法工学を専攻する教職員が超大型魔法兵器の設計・開発に勤しんでいた。何段にも組み上げられた足場を忙しなく駆け抜ける魔女や魔法使いたちは全員揃って動きやすい作業着姿をしており、頬や手などが機械油で汚れてしまっている。
魔法工学を専門分野とするヴァラール魔法学院の副学院長、スカイ・エルクラシスが設計したとされる超大型魔法兵器は人間の形をしているらしい。グローリアは直接この目で確かめた訳ではないので憶測に過ぎないのだが、スカイは「完成してからのお楽しみッスよ」と頑なに口を割らないのだ。
まあ先程の爆発が魔法兵器の実験で起きたものであれば許容範囲である。それ以外の可能性は考えたくない。
「こんな炎天下でよくやるよね。涼しい地下の儀式場でやればいいのに」
『儀式場を借りてもいいんスけど、どうしても作業場が狭くなっちまうんスよね。やっぱり広いところでやった方がいいって言うか』
「熱中症には気をつけるんだよ」
『作業員には熱中症対策の魔法兵器を配ったんで大丈夫ッスよ』
魔フォーンの向こう側でスカイは『いやー、悔しいッス』と嘆き、
『動力炉を安定させるにはやっぱり操縦士として人間を搭載した方がいいッスけど、こんな危なっかしいブツに乗せられる人間なんて犯罪者ぐらいしかいないじゃないッスか。乗せて起動させた途端に茹だっちゃうから実用化に至るまでに相当な人体実験をしないと』
「何でそんなものを設計・開発しちゃったの」
『男の浪漫』
「暑さで頭が茹だっちゃったかな?」
グローリアは深々とため息を吐く。
そんな危険な代物には誰も乗りたくないだろう。犯罪者でも「乗ったら全身が茹で上がって死にます」なんて言われたら全力で拒否するかもしれない。グローリアが同じ立場だったら研究者たちを全員ぶん殴ってでも抵抗する所存だ。
世の中は甘くない。都合のいい被験体など転がっていないのだ。もしそんなものが存在するなら歓迎されるべきである。
「ユフィーリアに頼んでみたら? 喜んで協力するかもしれないよ」
『問題児に頼んだらまず真っ先に校舎が爆発四散しそうじゃないッスか?』
「やっぱり止めよう。彼女に任せたら学院が木っ端微塵に消し飛ぶかもしれない」
普段から問題行動を起こしまくる問題児に、超危険な魔法兵器を玩具として渡せばどうなるか分からない。少なくともヴァラール魔法学院は無事では済まない。
魔法の天才と名高い主任用務員のユフィーリアに任せればいい結果ぐらいは出してくれそうなものだが、その過程でとんでもねーことが起きるのだ。付き合いの長いグローリアであるなら理解できている。
グローリアは「まあいいや」と続け、
「好きにやったらいいよ。校舎を吹き飛ばすような真似は止めてね」
『グローリア、都合のいい実験台はいないッスかね』
「いないよ、そんなの。自分で手配するんだね」
しれっと頭の螺子が3個ほど外れているのではないかと疑いたくなる要求を突っぱねて、グローリアは通信魔法を切断した。
静かになる学院長室に、深い深いため息だけが落ちる。最近ではスカイも頭の螺子がどこかおかしな方向に突き進んではいないだろうか。そのうちとんでもないものを作り出してしまいそうである。
考えていても始まらないので紅茶を入れつつ休憩に入ろうとしたグローリアだが、
――どかばきぐしゃめきゃめきゃどんッ!!
何か色々と壊れるような音が幾重にもなって校舎内に響き渡った。
これはもう分かる、分かってしまう壊れ具合である。超大型魔法兵器の開発に勤しむスカイが足場を崩したのかと校庭に視線を投げかけてみるも、足場が崩れているといった危険な様子は見られない。必然的に他の誰かによる破壊音である。
そしてそんなことをするような連中は、ヴァラール魔法学院でも1人だけだ。いいや正確に言えば1組だけか。彼らは5人揃って1組のような認識がグローリアの中ではあるのだ。
出来るなら関わりたくないが、そうもいかない。学院長としてどれほどの規模で壊れたのか把握しておかなければならないのだ。
「今度は何を壊したんだろう……」
どこか遠い目をしながら、グローリアは重い腰を上げるのだった。
☆
何か黒い物体が突き刺さっていた。
「…………」
グローリアがやってきたのは、海洋魔法学実習室の前である。
海洋魔法学実習室の扉は黒い巨大な物体によって突き破られ、壁も破壊されて崩れ落ちている。瓦礫が散らばる廊下へ染み込んできているのは、海洋魔法学実習室に設置した転移門から流れてくる海水だろう。ゆっくりと廊下を侵食してきている。
そして黒い物体とは、見たところ潜水艇で間違いなさそうだ。巨大な鯨を想起させる見た目は海中探索用の潜水艇の外見と一致しており、グローリアもスカイが設計書を何度も見せてきたので構造は理解している。
そんな物体が、どうして海洋魔法学実習室の床を突き破ってヴァラール魔法学院に飛び込んできたのか。
「お、グローリア。出迎えご苦労様」
「ユフィーリア……」
海洋魔法学実習室を半壊に追い込んだ潜水艇の上から、銀髪碧眼の魔女――ユフィーリア・エイクトベルがひらりと降りてくる。濡れた銀髪を手で払い、朗らかに笑いながら「ただいま」などと言う。
彼女の手は珍しいことに、手袋をしていない。代わりに絵の具か何かを使用したのか、真っ赤に汚れていた。ポタポタと水滴と一緒に垂れ落ちるものだから、怪我をしたのではないかと一瞬だけ疑ってしまう。
ユフィーリアは清々しいほどの笑顔を見せ、
「海洋魔法学実習室にゴミなんてねえよ、全然ない。八雲の爺さんが捨てたんだか捨てられたんだか分からねえエロ本はあったけど」
「これはどういうこと……?」
「え?」
瞳を瞬かせるユフィーリアに、グローリアは問いかける。
「どうして海洋魔法学実習室に潜水艇が突っ込んできたの?」
「そりゃお前、アタシが魔法で制御を奪って突っ込ませたに決まってんだろ」
悪びれる様子もなくユフィーリアは言う。
さすがに申し訳なさそうにしてほしかった。いや問題児筆頭として名高い彼女が素直に謝るとは思えないのだが、海洋魔法学実習室を半壊に追い込んだのだからせめて謝る姿勢ぐらいは見せてほしかった。
何を平然と「魔法で制御を奪って突っ込ませた」とか言っているのだろうかこの馬鹿。心の底からふざけないでほしい。
グリグリと自分のこめかみを揉み込むグローリアに何かを察知したのか、ユフィーリアは慌てた口ぶりで言い訳を並べてきた。
「いや聞いてくれよ、実はオルカの連中が人魚たちを連れて行ってよ」
「オルカって、人魚専門の人身売買組織のこと?」
「そうそう」
オルカ――人魚を専門とする人身売買組織は、人魚を捕まえては奴隷として販売したり剥製にして蒐集家に販売したりする悪質な組織だ。本来であれば規制されて然るべきなのだろうが、コソコソと隠れながら営業しているものだからなかなか尻尾が掴めない。
そのオルカの組員が乗り込んだ潜水艇を占拠したとすれば、大手柄である。大量検挙すれば人魚も住みやすい海になるだろう。
ユフィーリアは「それでよォ」と続け、
「オルカの連中が、ショウ坊とアイゼを人魚と間違えて捕まえて暴力を振るったんだぜ。酷くねえか? だから仕返ししてやるのは当然だよな」
「ああ、君の手が真っ赤に汚れているのはそれが原因か」
「おう、船体を絵の具で汚した。見てみるか? ちょっと怖くていい感じになってるぞ」
潜水艇に振り返ったユフィーリアは、
「なあ、お前ら。アタシらは人魚を守ったし、海洋魔法学実習室の付近を彷徨いていた連中もこうしてやっつけたよな?」
「間違いないな」
ユフィーリアに次いで降りてきたのは、青を基調としたメイド服に身を包んだショウである。
ふんわりと膨らんだ青色のスカートに小さな頭を飾るモブキャップ、そして腰で揺れる大きなリボンなどの要素を鑑みるとさながら海月のようだ。海月をメイド服に落とし込んだのは、おそらくユフィーリアの妄想力のなせる技だろう。
彼へ同調するように、他の問題児も騒ぎ立てる。
「そうだよぉ、ショウちゃんとアイゼに暴力を振るった連中を俺ちゃんたちが生かしておく訳なくなぁい?」
「殺さないだけマシだと思ってよ!!」
「おねーさん、怖い思いをしたのヨ♪」
エドワード、ハルア、アイゼルネも一緒になって無罪を主張してくる。
オルカの存在は前々から問題視されているし、逃げ回るので捕まえるのが困難だったのだ。今回で捕まえることが出来れば抑止力にもなる。
それに暴力を振るわれた部下に対する報復の意味があっての行動というのも理解できる。ユフィーリアは仲間意識が強く、味方に脅威をなすような行動をすれば確実に陰湿な嫌がらせをしてくる。とても面倒見がよくて心優しい魔女なのだ。
でも、それとこれでは話が別である。
「だからって海洋魔法学実習室を半壊にさせるのはおかしいでしょうが!!」
「チッ、誤魔化せなかったか」
「ユフィーリア、君って魔女は!!」
いくらオルカを検挙できた英雄だとしても学院の設備をぶっ壊したことで相殺できる訳がなかったのだ。
グローリアの絶叫に、ユフィーリアたち問題児は揃って明後日の方角を見上げる。完全に説教を受ける態度ではない。
まずは海洋魔法学実習室を半壊に追い込んだ説教である。オルカの処分はそれからだ。
《登場人物》
【グローリア】久々のお説教に至る出来事で頭が痛い。何で問題児は余計なことしかしないんだ。
【スカイ】夏休みで生徒がいないのをいいことに、校庭で超大型の魔法兵器を開発中。魔法兵器の具合は人間を乗せて起動させた途端に茹であがっちゃうので、早急にこの不具合は直したい。
【ユフィーリア】海洋魔法学実習室を破壊に追い込んだ馬鹿野郎。潜水艇を魔法で操ったらしい。
【エドワード】海洋魔法学実習室を破壊に追い込んだ馬鹿野郎。手のひらが絵の具で汚れているのは、芸術的な血の跡(偽物)をつけたからだろう。
【ハルア】海洋魔法学実習室を破壊に追い込んだ馬鹿野郎。帰ってきても密かに潜水艇を汚していた。
【アイゼルネ】海洋魔法学実習室を破壊に追い込んだ人魚野郎。オルカに追いかけられたのは怖かった。
【ショウ】海洋魔法学実習室を破壊に追い込んだメイド服野郎。旦那様は全肯定。