第5話【異世界少年と人魚】
そこはまさに男性にとっての桃源郷である。
「わあ」
目の前に広がる光景に、ショウは思わず声を上げてしまった。
優雅に泳ぎ回ったり、岩場に腰掛けて歓談する人魚たちは全てが女性である。誰も彼も豊満な胸元を貝殻だけで覆い隠した扇状的で露出の多い格好をしており、艶かしい足の代わりに色とりどりの尾鰭が揺れる。
甲高い声で交わされる会話は「また出たみたいよ」「尾鰭の装飾品をつけてみたの」「貝殻を使った装飾品なんて素敵ね」みたいな地上で聞けない内容である。人魚ならではの会話なのだろうか。
ショウの腕を引くアイゼルネは、
「人魚さんは女の子だけしか生まれないのヨ♪」
「じゃあどうやって子供が生まれるんですか?」
「海面に出て男の人を引っ張り込むのヨ♪」
「わあ……」
容赦のない人魚の子供の作り方に、ショウは何とも言えない気持ちになった。
元の世界での人魚も海沿いを歩く異性を歌声で魅了して海に引っ張り込むという逸話が残されている。正直な話、人魚の存在を見たことがないショウにとっては今日までおとぎ話の類だと信じて止まなかったのだが、今まさに事実として認識が塗り替えられてしまった。
アイゼルネは「そんなに緊張しないのヨ♪」と言い、
「ショウちゃんは可愛いから襲われる心配なんてないワ♪」
「そうですか? 俺も一応、男の子なんですけど」
「人魚さんの好みは強い人間なのヨ♪」
アイゼルネの言葉で、ショウは彼女の言わんとすることを理解してしまう。
ユフィーリアは言わずもがな能力だけは最高峰の用務員を率いる魔女なだけあって、強さは折り紙付きだ。星の数ほど存在する魔法を手足の如く操る彼女は間違いなく強い。七魔法王が第七席【世界終焉】としての実力を鑑みれば申し分ない。
最愛の旦那様であるユフィーリアと付き合いの長いエドワードも、問題児の暴走機関車野郎と名高いハルアも、ユフィーリアに次ぐ実力者だ。強さを比べると彼らも得手不得手があるので一概には考えられないのだが、それでも人魚の望む強さがあることは十分に判断できる。
ショウは「なるほど」と頷き、
「つまり余計な動きを見せれば相手を天日干しにしていいと」
「誰もそんなことは言ってないわよ、ショウちゃン♪」
最愛の旦那様にお手つきされる可能性があると判断して思考回路が暴力に振られるショウに、アイゼルネが苦笑する。
「こんにちハ♪」
「こんにちは」
アイゼルネに連行され、人魚の集団の中心に降り立ったショウ。ふんわりと広がった青色のスカートの裾を摘んで優雅にご挨拶を披露する。
歓談中だった人魚のお姉様方は、一斉にショウとアイゼルネに視線をやる。彼女たちの青色や翡翠色の瞳が瞬くと同時に、見覚えのない人物がやってきたことに表情が徐々に明るくなっていった。地上からの人間に興味津々という情報はあながち間違いではなさそうだ。
岩場に腰掛けていた人魚や優雅に泳ぎ回る人魚は、あっという間にアイゼルネとショウを取り囲む。好奇心に満ちた眼差しで2人をグサグサと突き刺してきて、非常に居心地が悪かった。
「あらアナタ、1年ぶりね」
「その子は誰?」
「海月みたいな格好をしているわ」
人魚のお姉様方は、見覚えのないショウに興味の対象が移っていた。アイゼルネは毎年のように人魚のお姉様方の相手をしているので、用務員の新人で海洋魔法学実習室の掃除が初体験なショウに知的好奇心が湧くのは当然のことと言えよう。
華奢な腕をワラワラと伸ばし、ショウのおさげ髪や腰で揺れる大きなリボンなどに遠慮なく触れてくる。まるで人形にされた気分である。
ショウはスカートの裾に伸びようとしていた人魚たちの腕をペシペシと叩き落とし、
「俺に触らないでください。旦那様以外にスカートの中を見せる訳にはいきません」
毅然とした態度で人魚たちの遠慮ない行動を突っぱねてやると、彼女たちはますます表情を明るくさせた。青色や翡翠色の瞳にキラッキラとした光が満ち溢れ、花が綻ぶような笑顔が見せられる。
何が起きたのか分からない。毅然とした態度で「触るな」と突っぱねたはずなのに、どうして喜ばせる要因となるのだろうか。好奇心旺盛の種族は、何に興味を示してしまったのか。
人魚たちは唇を震わせ、
「声が低いわ!!」
「身長も高いし、喉仏もある!!」
「男の子!?」
「どうして女の子の格好をしているの!?」
しまった、女装が彼女たちの興味を刺激してしまった。
ユフィーリアに仕立ててもらった海月モチーフのメイド服が嬉しくて忘れてしまっていたが、女装の文化が届いていない海底の世界ではショウの格好など奇異なものでしかない。男性は男性らしく、女性は女性らしい服装が当然のことだと根付いてしまっているのだ。
だからショウのような女装少年など見たことがないのだ。興味が出るのは必然的だった。自分の格好が仇となるとは完全に想定外である。
ワラワラと人魚たちの腕がショウへ襲いかかる。今度は下半身を中心に狙われていた。本当にショウが男性であるのか確かめようとしている行動なのだろうが、ペシペシと迫りくる人魚たちの腕を叩き落として「止めてください」と拒否の姿勢を突きつけた。
「あんまりウチの新人ちゃんを虐めないでちょうだいヨ♪」
人魚とショウの間に身体を割り込ませて、アイゼルネが人魚たちを窘める。
「度が過ぎるとユーリに言いつけるわヨ♪」
「きゃあッ!!」
「それは止めて!!」
「嫌よ!!」
アイゼルネの一言が人魚たちをショウから遠ざけてくれた。「ユーリに言いつける」という魔法の言葉が物凄く効果的に働いた。
それほど怖い対象に認識されるものだろうか。むしろ人魚たちの好みに合致する強さを持っているので、先程までのショウと同じように取り囲まれて襲われるのかと思うのだが違ったのか。
怯えた様子を見せる人魚たちの反応を見て、ショウはアイゼルネに問いかける。
「ユフィーリアは人魚の好みではないのか?」
「好みヨ♪ 何ならあの手この手で海の中に引っ張り込もうとしたのヨ♪」
「過去形?」
アイゼルネの言葉が過去形で終わる。人魚たちの怯えようから窺うと、何故だか結末が見えてしまうのは何故だろうか。
「あんまりにもしつこいから『ねえ胸の貝殻って剥がしていい? それ絶対に地上で高く売れると思うんだ!!』って言って人魚から身包みを剥がそうとしたのよネ♪」
「わあ、想像できる」
あんまりにもしつこいどこぞの王子様に右ストレートを叩き込んだ時と同じく、それは同性であるはずの人魚にも適用される様子だった。簡単に想像できてしまうあたり、ショウもユフィーリアの思考回路が読めるようになったのか。
しつこい野郎どもを全裸にひん剥けば装備品はかなりのものになるだろうが、人魚の装備品など胸当てに匹敵する貝殻だけである。あとは尾鰭を飾る珊瑚で出来た輪っかとかだが、そんなものを引き剥がしたところで相手に後悔させることなど不可能だ。鱗か、胸元の貝殻を引き剥がすのが効果的だろう。
アイゼルネは困ったような口調で、
「三日三晩にも渡って追いかけ回していたらそりゃあネ♪」
「よく体力持ちましたね」
「ショウちゃん、ユーリの体力は無尽蔵なのヨ♪ 脳内麻薬ドバドバの状態だったら三日三晩に渡る活動なんて目じゃないのヨ♪」
さらに小さく「エドも一緒に追いかけるものだから困っちゃうワ♪」などと言っていた。無尽蔵の体力を誇るユフィーリアと一緒に体力お化けのエドワードも追いかけ要員に加わったら、それはもう地獄の海底鬼ごっこ開幕である。命乞いをしたくなる気持ちも分かる。
人魚にまで恐れられるとは、さすが愛しの旦那様だ。相手に舐められるような態度を取らせないとは恐れ入る。それでこそ普段から問題行動を起こして学院長から正座で説教をされる問題児筆頭だ。
身を寄せ合う人魚たちは、
「最近またオルカが出回っているって言うのに、身包みまで剥がされちゃったら溜まったものじゃないわ」
「すぐに捕まって観賞用奴隷として売られちゃう」
「剥製にされちゃうかも」
「とにかく嫌だわ」
「オルカ?」
聞き覚えのない単語に、ショウは首を傾げた。
「オルカって鯱のことですか?」
「人魚専門の人身売買組織の名称ヨ♪」
アイゼルネは肩を竦めると、
「人魚は全身が高級な魔法の素材になるのヨ♪ 肉を食べれば不老不死になるって言うし、涙や血液は魔法薬の材料として高く取引されるワ♪」
「さらに見目麗しいから観賞用の奴隷としても販売される、と」
「熱帯魚みたいに水槽で飼われるのヨ♪ 自由なんてないワ♪」
それはちょっと可哀想だ。
今まで広大な海の世界を自由に泳いでいたのに、ある日突然捕まって観賞用奴隷としてどこかのご家庭に販売されて、狭い水槽に閉じ込められるとは閉塞感があって嫌だ。人魚専門の人身売買組織――オルカとやらも酷いことをするものである。
人魚たちは口を揃えて、
「オルカは嫌よ」
「私たちに酷いことばかりするの」
「確かに私たちも地上の男の子には酷いことをしちゃうけど」
「狭い水槽に閉じ込めるなんて酷いことをするのだわ」
オルカを「酷い」と訴える人魚たちに合わせて、他の人魚も「そうよそうよ」とか「酷いんだから」とか同意を示す。
「――へえ、酷いか。オレたちは大事な商品を本当にほしがっている人にお届けしているだけなんだけどなぁ」
「え?」
知らない声が耳朶に触れる。
ユフィーリアでもなければエドワードやハルアでもない。アイゼルネが魔法で声を変えた訳でもない。
人魚のお姉様方の表情が引き攣る。それから蜘蛛の子を散らすように色々な方向へ逃げ出す。
ショウはゆっくりと振り返り、
「よう、かわい子ちゃん」
――目の前にいたのは、鯱のように頭から爪先まで真っ黒な水着で包み込んだ誰かだった。
☆
「――ショウ坊、アイゼ?」
ユフィーリア、エドワード、ハルアがショウとアイゼルネの待つ場所までやってくるとそこには誰もいなかった。
ただ、残っていたのはショウが持っていた海月を模した青い傘だけである。主人の手から離れた傘が、所在なさげに転がっていた。
傘を拾い上げたユフィーリアは、
「行くぞ」
「はいよぉ」
「あいあい」
――さて、誰を敵に回したのか後悔させてやろう。
《登場人物》
【ショウ】本日は海月メイド服を着用。意外と肉食系な人魚の生態を知って、旦那様がお手つきをされないか心配。でも実際はそんなことなくて安心。
【アイゼルネ】例年、人魚のお相手をしているのですっかり友達気分。オルカの噂は話だけ聞く程度。