第3話【問題用務員と深海用礼装】
「ん、しょと」
女子更衣室に艶めいた声が落ちる。
肌にピッタリと張り付く撥水性の高い布地を引っ張り上げ、ユフィーリアは胸元の釦を留める。首元から手首、足首まで完全に真っ黒な布地で覆い隠されており、露出している部分と言えば顔ぐらいのものだろう。
布地の伸縮性を確かめるように首元や胸元の布地を引っ張ってみると、腕などの布地には問題ないのに対して胸元だけが異様に突っ張っている。布地の余裕もあまりなさそうだ。
ユフィーリアは顔を顰めると、
「仕立て直しかよ、去年は着れたのに」
「おっぱいが大きくなってるんだから仕方がないじゃなイ♪」
「うるせえ」
諌めるような口調のアイゼルネに、ユフィーリアは低く唸る。
そんなアイゼルネの格好は胸元を貝殻で覆った非常に露出度の高いものとなっていた。括れた腰、クッキリと刻まれた胸の谷間、妖艶な鎖骨などが露わとなってしまっている。異性であれば目のやり場に困りそうな装備だ。
彼女の下半身だが、いつもの球体関節が特徴的な義足とは打って変わっていた。色鮮やかな緑色の魚の尾鰭となっている。ビチビチと尾鰭が床を打ち、まるで本物のようだ。この深海用の義足に取り替えれば、彼女も自由に海の中を泳ぎ回ることが出来るのだ。
アイゼルネは頭を覆う南瓜のハリボテを撫でると、
「この義足、泳げるのはいいけれど歩けないのよネ♪」
「そりゃ魚の尾鰭だしな」
ユフィーリアは「まあいいか」と胸の布地に余裕がないことを適当に切り上げ、
「ほらアイゼ、抱えるぞ」
「お願いするワ♪」
両腕を広げて待ち構えるアイゼルネを横抱きにすると、ユフィーリアは頭にゴーグルを乗せて女子更衣室を出る。
すでに男性陣は着替えが終わっていたのか、ユフィーリアとアイゼルネが出てくると「やっほぉ」「待ってたよ!!」と応じる。
廊下で待っていたのはエドワードとハルアの2人だった。どちらもユフィーリアと同じような真っ黒い礼装で全身を覆い隠しており、頭には頑丈なゴーグルを乗せていた。
ユフィーリアは抱きかかえたアイゼルネをエドワードに渡し、
「あれ、ショウ坊は?」
「まだ更衣室にいたよぉ」
「着替えてたよ!!」
エドワードとハルアの言葉に、ユフィーリアは「ああ」と頷いた。
ショウに仕立てた礼装はアイゼルネと似て非なる礼装である。彼らしい可愛い礼装を仕立てたので、エドワードやハルアのように撥水性の高い布地で全体を覆い隠すような味気ない格好ではないのだ。
仕立てる際に色々と小物を付け足してしまったので、着替えるのに手間取っているのは理解できる。このまま待つ他はない。
すると、女子更衣室の隣に設けられた男子更衣室の扉が控えめに開いた。
「あの、着替えたのだが」
扉から顔を覗かせたショウは、
「に、似合っているだろうか?」
扉を控えめに開けて姿を見せたショウは、青を基調としたワンピースを身につけていた。ふんわりと膨らんだ青色のスカート部分には白いレースが幾重にも縫い付けられており、可愛らしいエプロンが青色のスカートに添えられている。
膨らんだ袖から華奢な両腕が伸び、白魚のような指先を覆うのはレースで編まれた手袋だ。背中で揺れる大きなリボンが触手のようにゆらゆらと揺れており、頭頂部にちょこんと乗せられた水色のモブキャップが可愛らしさを演出する。白い長靴下で覆われた足元は紺色のストラップシューズで飾られている。
青色の傘をくるくると回すショウは、
「海月みたいなメイド服だ」
「がんわ゛い゛い゛よ゛お゛!!」
ユフィーリアは思わず膝をついてしまった。
ショウの深海用礼装は、海月を題材にしたメイド服である。彼の正装としてもはや定着しているメイド服に海月を落とし込むとは我ながらなかなかいい発案だと自信があった。
ふんわりと膨らんだメイド服の青いスカートと頭に乗せたモブキャップ、そしてくるくると手持ち無沙汰にショウが回している傘は海月が持つ傘みたいな部分を示しており、腰で揺れる大きなリボンは海月の口腕だ。もう海月とメイド服の超融合が天才的発想である。最高だ、生きててよかった。
膝をついて拝み始めるユフィーリアに、ショウは驚いた様子で言う。
「え、えと、ユフィーリア? 大丈夫か?」
「はー、最高。もうこれだけで頑張れる。生きててよかった。ありがとう世界」
静かに涙を流しながら最愛の嫁を拝み倒すユフィーリアの後頭部に、エドワードの手刀が容赦なく落ちる。その衝撃で我に返った。
「ユーリぃ、ショウちゃんはお前さんのお嫁さんであって救世主じゃないんだよぉ」
「お前の乳首部分に魔法で穴開けていい?」
「殺していいならやればぁ?」
エドワードは無言で拳を握り込み、ユフィーリアに脅しをかけてくる。本気で頭が柘榴みたいに弾け飛んでやべえことになるのは目に見えていた。
「あらショウちゃン♪ 海月さんなんてとっても素敵だワ♪」
「ありがとうございます。アイゼさんも人魚さんの格好が綺麗です」
「髪の毛を整えてあげるワ♪」
「助かります」
エドワードに一旦廊下に下ろされて、アイゼルネはショウに手招きをする。ショウはアイゼルネの手招きに応じて、ちょこんと彼女の前に背中を向けて座った。
アイゼルネの白魚のような指先がショウの艶やかな黒髪を梳き、丁寧に丁寧に三つ編みへ編んでいく。転送魔法で用務員室から青いリボンを手元に召喚すると、ショウの黒髪に結びつけた。おさげ髪がまるで海月の口腕のようである。
綺麗に結ばれた三つ編みを指先でチョンチョンと弄るショウは、
「…………!!」
ぱああ、と花が綻ぶような笑みをユフィーリアに見せてくる。
「エド、アタシはまだ生きてるかな。綺麗な天使がお迎えに来てくれたんだ」
「嫁が尊くて死にかけてる旦那なんてどこの世界線の話よぉ、ちゃんと戻ってきなさいねぇ」
「いでッ」
純粋無垢極まるショウの可愛い笑みを一身に浴びたユフィーリアはそのまま天に召されそうになり、エドワードに後頭部を殴られて現実に引き戻されていた。
嫁が可愛くて仕方がないのだ。ユフィーリアも大概嫁馬鹿である。
正気を取り戻したユフィーリアは軽く咳払いをすると、
「じゃあ海洋魔法学実習室に行くぞ。とっとと掃除に取り組まねえと日が暮れちまう」
☆
海洋魔法学実習室の部屋に開けられた穴を、5人の問題児が取り囲む。
そのうち3人――ユフィーリアとエドワード、ハルアは掃除要員らしく布地の分厚い手袋と頑丈なゴーグル、それから拾ったゴミを入れる麻袋を装備していた。綺麗さは欠片もなく、機能性を重視した格好である。
アイゼルネとショウは、掃除の邪魔をしてくる人魚たちを食い止める要員だ。地上での事件を面白おかしく語ってくれるだけで時間稼ぎにもなる。
「この礼装は海中でも息が出来るように設計されているから心配するなよ」
「ああ、分かった」
不安げな表情で海洋魔法学実習室の穴を見つめていたショウは、ユフィーリアの言葉を受けて安堵の表情を見せる。
水の中で息が出来なければ海洋魔法学の授業は成り立たないので、この加護は必須である。水中でも地上と同じように行動できないと海洋魔法学ではまずやっていけない。
実習室の掃除だってそうだ。万全の対策をして臨まないと掃除中に何が起きるか分かったものではない。深海用の礼装を身につけている限りは呼吸も出来るし水圧によって鼓膜が破れるなどという事故に見舞われる心配もない。あとは人魚たちがどう興味を示してくるか、だ。
ユフィーリアは穴の中に足を入れ、
「よし、じゃあ行くぞ」
「はいよぉ」
「あいあい!!」
「分かったワ♪」
「ああ」
ユフィーリアは躊躇なく穴の向こうに広がる海の世界に飛び込んだ。
冷たい水に全身が包み込まれる。
長い銀髪が水の中で幻想的に広がり、青々とした海中の世界がユフィーリアたち問題児を出迎えてくれた。難破船に海中遺跡、色鮮やかで綺麗な珊瑚礁まで興味深いものがそこかしこに存在している。
ふと頭上を見上げれば、石造りの塔が存在していた。天辺に飾られた法螺貝みたいな場所がヴァラール魔法学院の海洋魔法学実習室の穴と繋がっているのだ。帰り道をしっかりと覚えておかないと海の中で永遠と迷い続けることになってしまう。
「息が、出来る」
「喋れるだろ?」
「ああ、凄いな」
青い傘を両手で握りしめながらふわふわと降下していくショウは、
「あの法螺貝みたいなところは?」
「あれが帰り道だ。覚えておけよ」
「分かった」
真剣な表情で頷くショウ。聡明な彼なら帰り道も問題なく覚えているだろう。
さて、ここから別行動だ。
ユフィーリア、エドワード、ハルアの3人はゴミ拾いをしなければならない。ショウとアイゼルネは人魚たちの注意を逸らす係だ。遊ぶのはそのあとでも構わないだろう。
「ショウ坊、アイゼ。危ないって思ったら海洋魔法学実習室を出てていいからな」
「ああ、分かった」
「分かったワ♪」
海中をふわふわと漂うショウの手を引き、アイゼルネは鮮やかな緑色の尾鰭を揺らして岩影で楽しく談笑する人魚たちに近づいていく。危険なことはないだろうが、注意しておくに越したことはない。
ユフィーリア、エドワード、ハルアはショウとアイゼルネの2人を見送って、海の底へと泳いでいくのだった。
楽しい楽しいゴミ拾いの始まりである。
《登場人物》
【ユフィーリア】海の生物で好きなものはクラゲ。疲れた精神状態でふわふわと漂うクラゲを眺めていたら、学院長のグローリアから心底心配されたことがある。
【エドワード】海の生物で好きなものはウミガメ。産卵シーンで大泣きした。
【ハルア】海の生物で好きなものはイルカ。単純に見た目が可愛いから好き。
【アイゼルネ】海の生物で好きなものはエイ。笑ったんだか悲しんでいるんだか分からない顔が面白い。
【ショウ】海の生物で好きなものはジンベエザメ。あの大きさを生で見た時には感動した。