第12話【問題用務員と川の向こう】
下流までやってくると、下水道の入り口みたいな場所に行き着いた。
「いるな」
「いるねぇ」
「いるね!!」
「いるわネ♪」
「こんな場所に衛兵なんて本当にいたのか」
遠くから様子を窺う問題児たちは、下流にボケッと佇む衛兵の存在を確認する。
川の終着点は下水道か用水路を想起させる洞窟のように薄暗い空間と、行手を阻むように設置された鉄格子が待ち受けていた。川の水は鉄格子の向こう側めがけて絶えず流れており、さらに鉄格子の前には長槍を携えた衛兵がたった1人で仁王立ちをしている異様な光景である。
深さなんて足首程度のところまでしかない浅い川のど真ん中に、長槍装備の物々しい雰囲気が漂う衛兵がぽつんと1人だけ立っていれば異様と捉える人物はいるのではなかろうか。周辺をご通行中の皆様は気にされない様子らしい。
というか、
「誰もいなくねえか?」
「声も聞こえないねぇ」
「気配もないよ!!」
「静かすぎるワ♪」
「見たところ建物も見当たらないのだが……」
問題児は周囲を見渡すが、建物らしい影は確認できない。先程までは住宅街の屋根ぐらいなら見えていたのが、今ではすっかり広い青空だけしか存在しない。
周囲の建物がなくなるに伴って、人の声が全く聞こえなくなっていた。周辺に誰かがいれば話し声の1つでも聞こえてこなければおかしいのだが、不思議なことに風の音と川の音ぐらいしか認識できないのである。聴力に優れたエドワードに確認してもらっても、話し声らしいものは聞こえてこなかった。
ユフィーリアはショウを見やり、
「ショウ坊、ちょっと飛んで確かめてきてくれねえか?」
「分かった」
歪んだ白い三日月――冥砲ルナ・フェルノに腰掛けるショウは、
「アイゼさん、飛ぶのでしっかり捕まっていてくださいね」
「分かったワ♪」
冥砲ルナ・フェルノにショウと同じく腰掛けたアイゼルネは、振り落とされないようにと冥砲ルナ・フェルノの本体に抱きつく。ショウの場合は冥砲ルナ・フェルノの加護を受けて空を自由自在に飛び回れるが、その加護は冥砲ルナ・フェルノを椅子代わりにするアイゼルネにまでは適用されないのだ。
晴れ渡った青空に、歪んだ白い三日月が勢いよく昇っていく。ある程度の位置まで上昇して、ふわふわと右に左に漂う。一緒に乗ったアイゼルネといくらか会話を交わしてから、ゆっくりと下降してきた。
上空から状況を確認した結果は、
「何もなかった」
「真っ白な壁で囲まれた広い土地があるだけヨ♪」
「何だその無駄に怪しい土地は」
ショウとアイゼルネの報告を受けたユフィーリアは眉根を寄せる。
彼らの言葉を信じない訳ではないが、だだっ広い土地を壁で囲んで何になると言うのだろうか。何かの工事予定地だとしても怪しすぎる。
魔法で建物そのものが透明化となっているのだとすれば、魔法の気配を察知することが出来るはずだ。魔法の気配は感じないので、本当に建物がないだだっ広い土地が白い壁に囲まれているだけだろう。
すると、ユフィーリアの耳に「おい、そこの!!」という鋭い声が飛んでくる。
「この場所でさっきから何を話している!!」
「うわ川の中心で黄昏てた奴が話しかけてきた」
「黄昏てないわ!!」
川の中心で堂々と仁王立ちをしていた衛兵が、長槍を引き摺りながらざぶざぶとユフィーリアたちに歩み寄ってくる。
いつ追っ手が来るのか分からない状況で、衛兵による事情聴取を受けるのはまずい。そんなものを受けている暇があるなら一刻でも早く逃げたいところだ。
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管の先端を突きつけ、
「この場所の立ち入りは固く禁じられている。見ず知らずの人間が」
「〈眠れ〉」
「立ち入ってぐう」
「早いなおい」
ズカズカと大股で歩み寄ってきた衛兵は、睡眠魔法によって膝から崩れ落ちると顔面から浅い川に飛び込んだ。
派手に撒き散らされる水飛沫。その手から滑り落ちた長槍が川に沈み、水にゆっくりと流されていく。顔面を水に沈ませた状態でボコボコボコボコと泡が噴き出るので、このままでは確実に溺死する。
ユフィーリアは衛兵の首根っこを掴んで起こしてやると、
「そうだ、コイツに道案内を頼むか」
「強制操作魔法でも使うのぉ?」
「いや、もうちょっと工夫する」
首を傾げるエドワードに鼻提灯をぷかぷかと浮かばせながら眠る衛兵を押し付け、ユフィーリアはどの魔法を使うか考える。
強制操作魔法は気絶、ないしは睡眠状態で身体の自由が効かない人物を意のままに操る魔法だ。行動の自由を決めるのは強制操作魔法をかけた本人であり、操る対象が気絶から回復してしまったら魔法は解けてしまう。
今回の場合はそうではなく、ぐっすりとお休み中である彼に道案内をお願いしたいのだ。主体はユフィーリアではなく、眠る衛兵の彼だ。彼の記憶を参照にして行動に反映させる魔法の方がいいだろう。
そんな都合のいい魔法など、存在しない訳がなかった。高度な魔法だが、魔法の天才であるユフィーリアが使えないはずがない。
「〈記憶干渉・行動遡行〉」
雪の結晶が刻まれた煙管を一振りすると、エドワードに支えられていた衛兵がシャッキリと自分の両足で立つ。思い出したように行手を阻む鉄格子へと振り返ると、ざぶざぶと川の水を掻き分けて鉄格子まで歩み寄った。
鉄格子のすぐ脇にある煉瓦を迷いのない手つきで押すと、煉瓦の一部分が凹む。それが起動の合図となって、鉄格子が上に収納されていった。おかげで鉄格子を壊さずに先へ進めるようになる。
鼻提灯をくっつけたまま夢遊病よろしく覚束ない足取りで、衛兵は鉄格子の奥に進んでしまう。そのまま放置していたら見失ってしまいそうだ。
「行くぞ、見失っちまう」
「はいよぉ」
「あいあい!!」
「ショウちゃん、おねーさんこのまま乗っていてもいいかしラ♪」
「大丈夫ですよ」
ふらふらと暗闇に消えていく衛兵の背中を、問題児5名は慌てて追いかけるのだった。
☆
「ユーリぃ、衛兵に何の魔法を使ったのぉ?」
「あん?」
薄暗い用水路内を光球魔法で明るく照らしながら進むユフィーリアは、エドワードから飛んできた何気ない質問に反応を示す。
「行動遡行魔法っていう高度な魔法でな、意識のない人間の記憶を読み込んで過去の行動をなぞらせることが出来るんだよ」
「何だか逆再生されてるみたいだねぇ」
「自分の記憶にあること以外は出来ねえけどな」
行動遡行魔法とは、意識のない状況下にある人物の記憶を読み取って行動させる高度な魔法だ。強制操作魔法と似て非なる魔法だが、意識のない人間を意のままに操る強制操作魔法は間違えて使うと犯罪になってしまうが、行動遡行魔法の場合は魔法にかかった対象の記憶を読み取って行動させる魔法なので犯罪にはならない。むしろ覚えておいて損はない魔法だ。
この魔法に最も適しているのが酔っ払いである。道端で眠る酔っ払いに行動遡行魔法をかけてやるだけで、勝手にご帰宅してもらえるのだ。相手にまだ意識のある場合は睡眠魔法で意識を失わせてから、行動遡行魔法をかけてやるだけで酔っ払いに絡まれることなく平和に問題が解決できる。
すると、
「ふあぁ、もう着きました?」
「お前、今まで寝てたな?」
「退屈だったもので」
ハルアが大切そうに抱える魔法のランプから、サーリャが欠伸をしながら飛び出してくる。黄金の瞳に浮かんだ生理的な涙を指先で拭うと、やたら薄暗いだけの用水路を見据えて瞬きをした。
「ありゃ、覚えのある道ですね」
「お前が盗み出された時もこの道を通ったのか?」
「あの時はまだ起きていましたからねぇ。起きているとランプの中でも外の世界って見えるんですよ」
サーリャは「やっぱり辛気臭いところですよ」などと文句を垂れ、
「ていうか何でそこの阿呆そうな男が私のランプを持ってるんですか!!」
「阿呆そうってオレ!?」
「それ以外にいませんよ!!」
自分の住処である魔法のランプを持ったハルアを指差すサーリャは、
「そのランプをそこの三日月に乗った下男に渡してください。馬鹿に持たせると絶対にランプは無事では済まなさそうなので」
「ハル、ランプを用水路の壁に擦り付けてやれ」
「あいあい!!」
「ちょっとぉ!?」
ユフィーリアに命令され、ハルアは大切そうに抱えていた魔法のランプを用水路の壁に擦り付ける。ゴリゴリと表面に細かな傷がつくたびにサーリャが甲高い悲鳴を上げた。
乱暴なことをされたくなければ、ユフィーリアが何よりも大切にする最愛の嫁のショウを貶さなければいいだけの話だ。彼女は本当に何も学ばない。多分思わず口に出してしまっているのだろうが、絶対に許してやらない。
そんなやり取りを交わしながら先に進むと、
「何か明るいものが見えるわヨ♪」
「本当だ」
冥砲ルナ・フェルノに乗って水に濡れることなく移動するアイゼルネとショウが、その先にある何かを発見したようだった。
視線をやると、光球魔法が発する光を反射して何かが煌めいている。よく見れば、それはユフィーリアたちの足元――川の底にも及んでいる様子だった。
試しに水底で煌めく何かを拾い上げると、それは金貨だった。通貨として使われているようなものではなく、黄金を貨幣のように薄くした財宝の代表格だ。水滴を纏ってキラキラと光を反射する金貨はずっしりと重たく、表面には男性の横顔のような模様まで彫られていた。
しかし、何故こんな薄暗い用水路に金貨が?
「ゆ、ユフィーリア」
「まずいわヨ♪」
「追っ手か?」
金貨を川に放り捨てつつ、ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を手にする。あのドレッドヘア野郎が追いかけてきたのであれば応戦しなければまずい。この場所には空を飛んで逃げるなどの逃走手段を確保できるほど広さがない。
ところが、追っ手の存在を警戒するユフィーリアとは対照的に、ショウとアイゼルネの視線は光り輝く川の先に固定されていた。彼らの震える指先が、闇の向こうを示している。
そういえば行動遡行魔法で道案内に行かせた衛兵の存在をすっかり忘れていた。覚束ない足取りでなおも川の水を蹴飛ばして進んでいく衛兵の背中を追いかけると、自然とその光り輝く何かの正体に辿り着いた。
その正体というのが、
「――嘘だろ、おい」
ユフィーリアは目の前の光景に驚愕する。
そこには先程拾った金貨が、山のように積み上げられた黄金の世界が広がっていた。
総額いくらあるのか想像したくないのだが、とにかく目一杯にあったのだ。目の前の光景に眩暈を覚えたのは言うまでもない。
《登場人物》
【ユフィーリア】魔法の天才なので高度な魔法でも使えてしまう魔女。行動遡行魔法の使い道は酔っ払ったエドワードをベッドに放り込む際に使う。
【エドワード】自分が行動遡行魔法を1番使われている被験体だとは思っていない。だって記憶にないから。
【ハルア】この前行動遡行魔法にかかったエドワードとアイゼルネが夢遊病みたいに歩いていたので夢かと思った。あれ魔法だったんだね。
【アイゼルネ】ユーリは高度な魔法まで使えて凄いと思っているのだが、自分がかかっているなど夢にも思わない。
【ショウ】ユフィーリアが酔っ払った時にグローリアが使った魔法ってこれだったのか、と思っている。勝手に歩き回るユフィーリアが操られた訳ではないと判断して安心。