第11話【問題用務員と宝石魔法】
煙草屋から逃走を図り、ユフィーリアたち問題児はアーリフ連合国の外れまでやってきていた。
小売店が軒を連ねる商店街から外れると、閑静な住宅街に行き着く。見るからに高級そうな一軒家や瀟洒な外観が特徴の集合住宅などが建ち並び、どこもかしこも広い庭を有している。この砂漠の真ん中で不思議なことだが、庭は全体的に芝生で覆われていた。
そして住宅街の中心を静かに流れる川がある。規模はそれほど大きくないが、落下防止の手摺が巡らされていて誰も進入できないような仕様となっていた。水深がそこまで深くはないのに川の侵入を許さないのは、この先に最高責任者のカーシムが待ち受けているからだろう。
その問題の川付近まで逃げてきたユフィーリアは、
「おい、あの全裸にひん剥いた男の追っ手とかいるか?」
「いないよぉ」
走ってきた方向に視線をやったエドワードが、額に浮かんだ大粒の汗を拭いながら応じる。
ただでさえアーリフ連合国の住民から国宝を盗んだ犯人だと冤罪をかけられて追いかけ回されているのに、余計に追っ手を増やすのは愚策である。いいやどちらかと言えば、非難されるべきなのはあの豪商風の男だが。
ユフィーリアが七魔法王の第七席【世界終焉】として姿を見せれば土下座で許しを乞うてもおかしくないのに、よくもまあ「枕で仕事を取るものだ」と言い張れたものだ。そんな奴、全裸にひん剥くどころか最愛のお嫁様が言うように人間バーベキューにしてやった方がいい。
手摺から身を乗り出して川を見やるハルアは、
「おかしいね、魚とかいない!!」
住宅街を静かに流れる川は、生物が存在しない。魚どころか蛙や虫の1匹だって生息していないのだ。
ユフィーリアは手摺から川の様子を眺め、煙草屋で得た情報を頭の中で反芻する。
あの豪商風の男は「アーリフ連合国の外れにある川をずっと下る」と言っていたか。アーリフ連合国の外れにある川と言えばこの住宅街を静かに流れる川しかないので、彼らの情報は正しいものである。あとはこの川を下っていくだけだ。
川へ飛び降りようとしたユフィーリアだが、
「ん」
「どうしたのぉ、ユーリぃ?」
唐突に動きを止めたユフィーリアに、エドワードが首を傾げる。
今はまだ性転換薬の効果が持続しているが、もうそろそろ効果が切れそうな予感があった。現状の服装は商人の男を装う為に男性用の衣類を身につけているが、元に戻った暁には全体的にぶかぶかの見窄らしい格好を晒す羽目になってしまう。
問題児筆頭として、相手を笑わせる為の格好だったらいくらでもしてやる所存だが、相手から笑われるような格好は避けたい。笑われるとはすなわち無様な格好である。そんなの問題児筆頭の矜持が許さない。
ここはとっとと魔法薬の効果を断ち切ってしまった方がよさそうだ。
「よいしょっと」
雪の結晶が刻まれた煙管を一振りすると、一瞬にして煙管の形状から銀製の鋏に早変わりした。螺子の部分が雪の結晶の形となった、いいものも悪いものも何もかもを切断できる神聖な鋏である。
銀製の鋏を手にすると同時に、ユフィーリアは『絶死の魔眼』を発動させた。視界を埋め尽くす勢いで伸びる色とりどりの線が見え始め、ユフィーリアの手足に纏わりつく。魔眼の精度を上昇させれば無数の糸が絞られていき、やがて紫色の糸だけが残った。
紫色の糸は、ユフィーリアの身体から伸びているものである。その数は3本――自分自身にかけた魔法が糸として可視化されていた。
「ほいっと」
面倒なので3本まとめて断ち切ると同時に、ユフィーリアの姿が元の状態に戻る。
夜の闇を想起させる黒髪から透き通るような銀髪へ、そして夕焼け空を溶かし込んだかのような赤い瞳から澄んだ海を彷彿とさせる色鮮やかな青い瞳へ戻っていく。服装も商人風の男性用衣装ではなく、普段から愛用している肩が剥き出しとなった黒装束だ。
やはりいつも通りの格好が1番だ。カーシムの居場所まであと少しだから、元の姿に戻ってもいい頃合いだろう。
脱ぎ散らかされた衣装を拾い上げたユフィーリアは、
「宝石だけ持っておくかな」
「売る為に持っておくのか?」
「まさか」
瞳を瞬かせるショウにユフィーリアが宝石を持っておく理由を話そうとするが、
「――放て、紫水晶」
紫色の閃光が、ユフィーリアの真横を通り過ぎていった。
元の姿に戻った瞬間にこれである。執念深いと言えばいいのか、運がなかったと言えばいいのか。
閃光が飛んできた方向へ視線をやれば、見覚えのあるドレッドヘア野郎が大群を引き連れてユフィーリアたち問題児の周りを取り囲んでいた。誰も彼もユフィーリアたちめがけて煌びやかな宝石を突き出しており、問題児の行動に警戒心を剥き出しにしている様子である。
大群を率いるドレッドヘア野郎は、紫水晶を石飛礫感覚で弄びながら言う。
「ようやく追い詰めたぞ、盗人が」
「だから盗んだのはアタシらじゃねえんだよ」
「黙れ、盗人の戯言など耳を傾けるに値しない」
まるで話を聞かないドレッドヘア野郎に、ユフィーリアは深々とため息を吐いた。
これはもうお手上げである。国宝を盗まれた怒りで我を忘れるのは理解できるが、少しは冷静になって話を聞いてもらいたい。
仕方なしに、ユフィーリアは懐から古びたランプを取り出した。埃に塗れた汚いランプだが、国宝と呼ばれるだけあってランプを目の当たりにした追っ手たちの目つきが変わる。「本当に持っていたのか」という驚愕と「これが国宝か」という羨望、そして「お前如きが国宝に触れるとは何事だ」という敵意。
敵であることは確定済み、問題児は冤罪だが国宝を盗んだ犯人になってしまった。今すぐこれをドレッドヘア野郎に突き返して済む話ならいいのだが、それで許してくれそうな気配はない。
「分かった分かった、返すよ。返せばいいんだろ」
ユフィーリアはランプの取っ手を握りしめ、
「――おっと手が滑ったあ!!」
半身を捻り、勢いに任せてランプをぶん投げる。
放物線を描いたランプは、そのまま川めがけて落下していく。誰もが驚愕に目を見開き、身体を石像よろしく固める中で問題児どもは素早く行動した。
華麗に手摺を飛び越えると、少し下方にある川に着地を果たす。ショウは歪んだ白い三日月――冥砲ルナ・フェルノにアイゼルネを一緒に乗せて川へ飛び込んだユフィーリア、エドワード、ハルアを追いかける。
そして肝心の魔法のランプだが、
「拾ったよ、ユーリ!!」
「でかした、ハル。そのまま落とすんじゃねえぞ!!」
「あいあい!!」
水面を漂う魔法のランプを回収したハルアは、ユフィーリアの命令に従って両手で抱えて浅い川を駆け抜けていく。
要求には答えない、さらに最悪の事態に持っていく、開き直るのは問題児の信条である。期待通りに動かないのはもはや通例だ。問題児の常識である。問題児試験にも出てくるような至極簡単で赤ちゃんでも正解できる設問だ。
開き直ることでもういっそ追いかけられる状況を楽しんでしまった方がいいのではないか、という結論に至ったのだ。物事を『面白い』か『面白くない』かで考えるユフィーリアたち問題児だからこそ、状況を引っ掻き回して混乱させてしまった方が断然面白いと判断したまでである。
我に返ったドレッドヘア野郎が、
「逃がすか!!」
「はっはァ、初歩の宝石魔法しか使えねえ雑魚に何が出来るってんだ!?」
走りながらユフィーリアが取り出したものは、性転換薬を用いて商人役を装っていた際に身につけていた宝飾品である。青い宝石が特徴の指輪で、かなり大粒の碧玉が指輪の中心に居座っていた。
当然ながら使われている宝石は本物である。碧玉の他に何種類かの小さな宝石も合わさっており、非常に豪華な指輪だ。国外の換金屋に持っていけば多額の現金が手元に転がり込んできそうな代物である。
そんな指輪を、ユフィーリアはドレッドヘア野郎めがけて投げつけた。まずコントロール力が底辺を這いずっているユフィーリアに正確な投擲はほぼ不可能なのだが、それでも躊躇いのない投げっぷりだった。
「宝石魔法を使えるのがお前らだけだと思うなよ」
ユフィーリアは大胆不敵に笑うと、
「凍てつけ、碧玉!!」
「なッ!?」
ドレッドヘア野郎が驚愕の声を上げる。
放物線を描いてあらぬ方向にすっ飛んでいく青い宝石があしらわれた指輪だが、ユフィーリアの言葉を受けて中心に据えられた青い宝石が砕け散る。粉々に砕けた青い宝石がアーリフ連合国に吹いた熱気の孕んだ風に乗せられ、ドレッドヘア野郎やその他の追っ手に降りかかる。
すると、砕け散った青い宝石の粉末が触れた箇所から、ドレッドヘア野郎や追っ手の身体が凍り始めた。被害は青い宝石の粉末が触れた部分だけに留まったが、この砂漠の世界で身体が凍りつくなどというのがもはや未知の領域だ。
頬や髪の一部が凍った影響で白くなったドレッドヘア野郎は、川を駆け抜けていく問題児どもを睨みつけて叫んだ。
「馬鹿なッ、碧玉で発動される魔法は水のはずでは!?」
「氷を見たことねえか、お兄さん。なら想像力が随分と足りてないことですねェ!!」
ユフィーリアはゲラゲラと笑いながら叫び返す。
宝石を用いた攻撃魔法のことを『宝石魔法』と呼ぶ。元々は宝石産業が盛んなアーリフ連合国が発祥となっているが、それを発展させたのは他国の魔女・魔法使いだ。何もアーリフ連合国だけの特権ではない。
この魔法を使う際に必要なことは想像力だ。宝石の色や伝承から連想して魔法が及ぼす事象を制定し、宝石そのものに魔力を流して魔法を発動させる訳である。宝石は魔力をふんだんに取り込んだ、いわゆる爆弾のようなものなので宝石魔法は小規模から中規模程度の攻撃範囲が見込める。
欠点は宝石が高いということぐらいだろう。宝石魔法は1発限りの爆弾見たいなものなので、使ってしまうと宝石は砕け散って二度と使えなくなってしまうのだ。
「アイゼ、気に入らなかった宝石とかあるか?」
「気に入らない訳じゃないけど、素敵なものならあるわヨ♪」
アイゼルネは手首に嵌めていた腕輪を外すと、ユフィーリアに「どーゾ♪」と渡してくる。
腕輪にあしらわれていたのは、これまた大粒の翠玉である。生命の息吹を感じさせる色鮮やかな緑色は、まさに自然の色だと言えよう。
ユフィーリアは遠慮なく翠玉のあしらわれた腕輪を投げると、
「芽吹け、翠玉!!」
腕輪に取り付けられた翠玉が粉々に砕け散ると、今度はドレッドヘア野郎の足元に散らばる。宝石という魔力爆弾が発動したのは、ニョキニョキと伸びてきた蔦だった。
両足に絡みつく蔦に拘束されて身動きが取れなくなるドレッドヘア野郎。足元の石畳を突き破る訳でもなく、極小の砕けた翠玉から蔦が伸びてきたとは誰が思うだろうか。これも想像力がなせる技である。
逃げる問題児に、ドレッドヘア野郎は怒声を叩きつける。
「待て、盗人が!!」
「追いつけるものなら追いついてみな!!」
「人海戦術を使っても無駄だよぉ」
「ランプは預かったよ!!」
「持ち主にはちゃんと返しておくワ♪」
「まあ壊れていたらそれはそれで、ということで」
怒りを露わにするドレッドヘア野郎と追っ手たちに中指を突き立てる問題児は、浅い川の下流を目指す。
《登場人物》
【ユフィーリア】装飾品で好きな類は耳飾り。耳飾りなら結構な数を持っている。
【エドワード】装飾品で好きな類は首飾り。チョーカーの類が特に好きだが、宝石がついた奴より牙などのモチーフが好き。
【ハルア】装飾品で好きな類は首飾り。エドワードと違って長めのものが好き。ドッグタグとか。
【アイゼルネ】装飾品で好きな類は髪飾り。髪は女の子の命よね。
【ショウ】装飾品で好きな類は指輪。ユフィーリアから貰った従僕契約の指輪はいい思い出。