第5話【問題用務員と冥府落ち】
装置の群れに囲まれた白い三日月に歩み寄り、ショウがそっと手を伸ばす。
神造兵器を運用するには、その兵器に適合することが必須となる。
その適合条件が何なのか不明だが、およそ100万人に1人しか神造兵器に適合できない。かなり確率が低いので適合者を探すよりも、神造兵器が適合するように人間の身体構造を作り替えた方が早い。
幸いにもショウは身体構造を作り替えるという真似をせずに済み、強大な威力を誇る兵器を自在に操ることとなるだろう。うん、なかなか凄い展開になってきた。
「にしてもユーリさぁ」
「何だよ」
隣に立ってショウが神造兵器に適合する瞬間を眺めていたエドワードが、不意に口を開く。
「あんな歪な三日月が、本当に月砲ルナ・サリアなのぉ?」
「どういう意味だ?」
「月の女神様が持っていた月砲ルナ・サリアはぁ、もっと綺麗な三日月の形をしていなかったっけぇ? あんな歪な三日月なんて見たことないんだけどぉ」
「…………」
ユフィーリアは改めて、ショウが触れる白い三日月に注目する。
確かに、綺麗な三日月とは言い難いほど歪んでいる。三日月と表現するより、弓と言った方がいいだろうか。
月砲ルナ・サリアに見た目は似ているが、酷く歪んだそれを神々が好んで持つとは限らない。特に綺麗なものを好む傾向にある月の女神システィは、美しい三日月の形状をした月砲ルナ・サリアに絶対の自信と誇りを持っていた。
――いいや、待て。何か忘れているような気がする。
「冥府落ち……」
ユフィーリアは月の女神システィが起こした事件を思い出した。
お転婆で破天荒な女神とされる月の女神システィは、ふとした拍子に地の底である冥府へ落ちてしまった。冥府を無傷で出るには自分の持ち物や権能を1つだけ置いていく必要があり、月の女神システィは泣く泣く自分の神造兵器である月砲ルナ・サリアを捧げたのだ。
月をも射抜ける超長距離射程と抜群の破壊力、2度と地には降りれぬほど自然に宙へ浮かぶことが出来る飛行の加護を受けた月砲ルナ・サリアは、冥府の手によって改造を施された。冥王の裁きとして、罪人を呵責する兵器として。
紅蓮の炎を束ねて放つ超高火力を誇り、罪人の魂までも焼き尽くす恐るべき魔弓――冥砲ルナ・フェルノ。それが月砲ルナ・サリアの生まれ変わった姿である。
「まずいッ」
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を握り直し、
「今すぐショウ坊を三日月から引き剥がせ!! それは冥府の武器だ、瘴気にやられて乗っ取られるぞ!!」
部下へ指示を飛ばしながら、自分も魔法でショウを引き寄せようとする。
「『もう遅い』」
白い三日月に触れていたショウが、軽く右手を振った。
配線に繋がれた白い三日月から、紅蓮の炎が噴出される。
三日月を取り囲んでいた装置の群れを一瞬にして消し炭にし、三日月を繋ぎ止めていた配線を焦がす。無機物が焼け付く嫌な臭いが鼻孔を掠めた。
白い三日月に寄り添うショウは、ほんの少しだけ地面から浮いていた。それは月砲ルナ・サリアが適合者に与える飛行の加護で、それが発動しているということは選ばれたのだろう。
冥砲ルナ・フェルノの適合者として。
「『ふふ、あははははは』」
身を捩らせて笑うショウは、
「『これは素晴らしい。力が漲ってくる』」
彼の口から紡がれる声は、あまりにも低いものだった。ショウの口を借りているものの、彼自身の声ではない。
おそらく冥砲ルナ・フェルノに身体を乗っ取られたのだ。彼の精神は休眠の状態に陥り、冥砲ルナ・フェルノが彼の身体を動かしている。
遅かったか、とユフィーリアは舌打ちをした。あと少し気づくのが早ければ、ショウをこんなことに巻き込まなくて済んだのに。
「ルナ・フェルノ、ソイツはウチの新人の身体だ。適合して嬉しいのは分かるが、返しちゃくれねえか?」
「『断る』」
ショウは――いいや冥砲ルナ・フェルノはキッパリと答えた。
「『もう長いこと、こんな薄暗い場所に繋ぎ止められていたのだ。我をこんな場所に追いやった人間どもに裁きを与えてやらねば気が済まん』」
「だからって、ウチの新人の身体を使って復讐するこたァねえだろ。ソイツを私怨に巻き込むんじゃねえ」
「『私怨ではない、これは裁きだ。我を冥府から勝手に持ち出した挙句、この地下空間で長いこと放置した罰だ』」
赤い双眸でユフィーリアを睨みつける冥砲ルナ・フェルノは、
「『我を冥府から連れ出すことだけでは飽き足らず、研究だ何だと言って我の身体を散々弄った連中の顔を忘れたことはない。あれは屈辱だ、耐え難い出来事だった!!』」
ショウの口を借り、ショウの表情を利用して、冥砲ルナ・フェルノは怒りを訴えてくる。
適合者がいなければ、神造兵器は無用の長物である。ただし内蔵された魔力や加護の状態は適合者がいなくても維持されるので、研究熱心な魔女や魔法使いにとって最高の実験材料と言えよう。
そういえば、この学院にも熱心な研究馬鹿の魔法使いがいたか。下手をすれば人命とて実験動物として使い潰す、腐れ外道とも呼べる思考回路の持ち主である魔法使いだ。
まさか、この冥砲ルナ・フェルノの怒りを買うような真似をしたのは。
「『貴様は見かけない魔女だな』」
地上から僅かに浮かび上がる冥砲ルナ・フェルノは、足音もなくユフィーリアに歩み寄ると赤い瞳を眇めた。
「『適合者を得たことで、我はとても気分がいい。貴様と、そこの雑種どもは見逃してやろう。我が裁きを終えるまで、大人しく待っているといい』」
「――ふざけんな」
ユフィーリアは真っ向から冥砲ルナ・フェルノを睨み返すと、
「ウチの可愛いショウ坊に、変な真似をさせるんじゃねえッ!!」
雪の結晶が刻まれた煙管を振り上げる。
狙いは目の前の冥砲ルナ・フェルノに操られたショウではない。
焦げた装置に囲まれたままとなっている白い三日月――冥砲ルナ・フェルノの本体だ。
「〈凍結〉!!」
真冬にも似た空気が漂い始める。
初期の氷魔法であり、相手を凍らせる効果が見込める。複数の相手を狙う訳ではないのだが、ユフィーリアの狙いは冥砲ルナ・フェルノの本体だけだ。
だが、相手が悪かった。月砲ルナ・サリアであれば通用しただろうが、冥砲ルナ・フェルノは業火を束ねて射出する魔弓である。炎の属性を持っているのは明らかだ。
冥砲ルナ・フェルノは肩を竦め、
「『見逃してやると言ったのに』」
右手を軽く触れば、白い三日月から炎が吹き荒れて冷気を散らす。
「『炎と氷では相性が悪い。貴様では我を止められんよ』」
冥砲ルナ・フェルノが思い切り高く飛び立てば、それに白い三日月が追随する。配線から解放されたことで自由を得て、冥砲ルナ・フェルノは魔導書都市の最深部から脱走してしまう。
そうはさせるか。
遠ざかっていくメイド服姿の少年の背中を睨みつけ、ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を握り直した。頭の中で魔法式による計算を済ませ、部下の3人を呼び寄せる。
「転移魔法で飛ぶ、お前ら近づけ!!」
煙管を一振りして、ユフィーリアは転移魔法を発動させた。
「〈転移〉!!」
一瞬にして目の前の景色が切り替わり、薄暗いだけの魔導書都市最深部から魔導書が道端に転がる地上に戻ってくる。
周囲を見渡しても、白い三日月を携えた少年の姿はない。
最深部まで長い階段を下りてきたのだ、上るのにも時間がかかるだろう。あの三日月によって空を飛んでいるとはいえ、短いけれど猶予はあるはずだ。
行動は即座にしなければ、すぐに取り逃してしまう。
「アイゼ、罠魔法で網を作って入り口に張れ」
「分かったワ♪」
「エドはルナ・フェルノが引っ掛かったら全力で引っ張れ。力づくでも行かせるなよ」
「はいよぉ」
ユフィーリアはエドワードとアイゼルネに指示を飛ばしてから、
「ハル、お前はルナ・フェルノの本体を叩け」
「うん!!」
「あれってお前の推しだって聞いたけど」
「ショウちゃんを操るなら推しじゃないもんね!!」
推しの武器と可愛い後輩の命を天秤にかけると、圧倒的に可愛い後輩の命を優先したのだろう。あっさりと冥砲ルナ・フェルノをぶっ叩く意思を示したハルアは、黒いつなぎに数え切れないほど縫い付けられた衣嚢に手を突っ込む。
そこからずるりと引っ張り出したのは、身の丈を超える騎士槍だ。明らかに衣嚢へ収納できる大きさではなく、衣嚢そのものに魔法が仕掛けられているのだ。あの衣嚢はどんなものでも収納できる万能衣嚢である。
騎士槍をぐるんと振り回すハルアは、最深部へ繋がる階段を睨みつけて「ばっちこーい!!」と叫んだ。階段にはすでにアイゼルネによる罠魔法が仕掛けられ、エドワードが側に控える。準備は万端だ。
「来るよぉ!!」
エドワードの声に、緊張感が走る。
最深部の階段の向こうが、ぼんやりと白く輝いている。
白い輝きは徐々に大きくなり、やがて階段の入り口へ仕掛けた網に白い三日月とそれに乗った少年がかかる。
「『網?』」
冥砲ルナ・フェルノは自分の身体と三日月に引っかかる網へ怪訝な表情を見せ、網など知ったことかとばかりに飛び上がる。
しかし、網の端をエドワードが掴んだ。
完全に網に引っかかった冥砲ルナ・フェルノは、網を掴むエドワードすら引き摺ってヴァラール魔法学院を目指そうとする。エドワードも懸命に網を引っ張って行かせないようにしていた。
そこへさらに、ハルアの猛追である。騎士槍を振り上げて地面を蹴飛ばした彼は、ショウではなく白い三日月を狙う。
「ショウちゃんを返せーッ!!」
騎士槍をぶち当てようとするが、
「『見逃してやると言ったろう』」
燃え盛る業火が吹き荒れて網を焼き尽くし、飛びかかるハルアに体当たりをかまして叩き落とす。
背中から落ちたハルアは、痛みに呻いていた。その手から騎士槍が滑り落ちる。
さらに邪魔をされたことで、冥砲ルナ・フェルノの雰囲気は変わった。先程までは「見逃してやる」と偉そうなことを言っていたが、そんな優しいことも言わなくなった。
「『どうあっても邪魔をするなら、貴様らから先に冥府の底へ送ってやろう』」
少年に寄り添う白い三日月の前に、複雑怪奇な魔法陣が何重にもなって生み出される。
ギチギチ、ギチギチという嫌な音が耳朶を打った。
眩いばかりの炎が白い三日月に集約され、
「『堕ちろ』」
少年の合図によって、白い三日月に集約された炎が放たれる。
防衛魔法を寸前で張るも、炎が穿ったのはユフィーリアたちが立つ地面だ。
炎が地面に触れた瞬間、盛大に爆発する。地面に亀裂が生じ、真っ黒で巨大な穴がユフィーリアたち問題児の足元に作られる。
重力が襲いかかり、ユフィーリアたちは穴に吸い込まれていく。
「クソがああああッ!!」
ユフィーリアの渾身の悪態は冥砲ルナ・フェルノに身体を乗っ取られたショウにまで届かず、彼の冷たさを孕んだ赤い瞳に見据えられながら彼女たちは穴の奥へ姿を消した。
《登場人物》
【ユフィーリア】冥砲ルナ・フェルノを冥府から持ち出した馬鹿に当てがある問題児筆頭。
【エドワード】戦いは嫌いな平和主義者だが、可愛い後輩が操られたら許せない。
【ハルア】ショウちゃん返せ!!!!
【アイゼルネ】罠魔法をぶち破られてちょっと悔しい。
【冥砲ルナ・フェルノ】適合者の身体を得てご満悦。自分を地下空間に閉じ込めたとある魔法使いに復讐を目論む。