第10話【問題用務員と情報戦】
「こちらにどうぞ」
甘やかな匂いで満たされた薄暗い店内を、ユフィーリアとアイゼルネは店員に案内されて歩く。
他の客は新たに煙草屋へ足を踏み入れた2人の存在を、まるで品定めするように一挙手一投足を観察している。あれだけ賑やかだった店内が嘘のように静まり返り、どことなく緊張感が漂い始めていた。
特に注目しているのは、ユフィーリアの後ろに楚々と続くアイゼルネだろう。相手の情欲を煽るかのように露出度の高い扇状的な衣装を纏い、胸元や華奢な両腕などを宝飾品でふんだんに飾り付けた最高の美女である。男なら嫌でも注目したくなるものだ。
女性店員は布で仕切られた座席にユフィーリアとアイゼルネを案内し、
「こちらをご使用ください。壺はすぐにお持ちいたします」
「ハナモギリか、エデンズはあるか?」
「どちらも取り扱いがございます」
「じゃあハナモギリの方」
「かしこまりました」
女性店員に慣れたように注文したユフィーリアは、案内された座席を見やる。
ふかふかなクッションが置かれた長椅子は寝そべることが出来るようになっており、用意された調度品はどれも高級と銘打たれたものばかりだ。天井から垂れ落ちる布が仕切りとなっているおかげで、周囲の目線を気にすることなくお薬が楽しめる仕様である。
恭しげにお辞儀をして立ち去る店員を見送り、ユフィーリアは「ふぅ」と息を吐いて長椅子に腰掛けた。とりあえず第一関門は突破といったところだろう。
「大丈夫なノ♪ ハナモギリなんて頼んでモ♪」
「だいじょばない」
隣に腰掛けてきたアイゼルネが小声で問いかけ、ユフィーリアは真剣な表情で否定する。
ハナモギリとは魔法薬にも使われる植物で、桃色の斑点が特徴の花を咲かせるのだ。その花弁を燻すことによって強い依存性を引き起こす麻薬となるのだが、これには対策が施せる。
実はこのハナモギリ、寒さには滅法弱い性質があるのだ。元々熱帯地域に生息する植物なので、凍えるほどの寒さには耐えられずに枯れてしまう。枯れてしまうと麻薬としての機能を失ってしまうので、あとはゴミとして捨てればいいだけだ。
そして寒さと言えばユフィーリアである。氷の魔法が得意でよかった、と心の底から感じていた。
「それにしても空気が悪いな」
「そこら中でキメてる人ばかりだもんネ♪」
「耐えられそうか?」
「前の職場ではこれよりも酷いものを吸ってお仕事をしていたのヨ♪ 可愛いものだワ♪」
アイゼルネの自信に満ちた言葉に「頼もしいな」と笑い返すと、硝子製の壺を抱えた女性が戻ってくる。
仕切りとなっている布を捲り、領域に足を踏み入れると黙々と壺を設置し始めた。硝子製の壺には水で満たされており、壺の口を塞ぐように鉄製の受け皿が置かれている。この受け皿で麻薬の元となる植物を燃やして成分を壺の水の中に落とし込み、発生させた水蒸気を吸い込むのだ。
壺の設置が終わった女性店員は、ユフィーリアに向かって桃色の斑点が特徴の花弁が乗せられた皿を差し出す。
「ごゆっくりお寛ぎくださいませ」
「ん、ご苦労様」
ユフィーリアは花弁が乗せられた皿を受け取ると、女性店員にルイゼ紙幣を握らせてやった。アーリフ連合国にやってきて散財しかしておらず、なけなしの金を駄賃として手渡す。
ある意味では、商品をダメにしてしまうという意味を込めての迷惑料だ。アーリフ連合国でしか認められない商売だが、彼女たちも商人らしく店を経営している訳である。厳選した商品を使わずにゴミとして捨てるのは忍びないが、この事実が明るみに出ると学院をクビになりかねない。
女性店員は駄賃を豊満な胸の谷間に忍ばせると、妖艶に微笑んで立ち去った。何も言わないでいてくれてよかった。
「〈凍結〉」
小声で魔法を発動させ、皿の上に乗せられた花弁を氷漬けにする。これでもう麻薬成分を出すようなことはない。
凍らせた花弁を椅子の下に放り込み、ユフィーリアはしれっと鉄製の受け皿に魔法で火を入れた。受け皿に植物を入れなくても壺はきちんと機能するのだ。ただし発生するのは無味無臭の水蒸気だが。
管を咥えたユフィーリアは、発生した水蒸気を吸い込んで煙を燻らせる。
「風邪の時によさそう。喉が潤う」
「本来の用途とは全く違うように使ってるわネ♪」
「だって吸いたくねえもん」
すぱすぱとただの水蒸気で輪っかを作ったりして遊んでいると、仕切りとなった布の向こう側から「兄ちゃんよ」という濁声が聞こえてきた。
どうやら釣れたようだ。
第二関門突破――そしてここからが決戦の時である。
「何だよ、お楽しみ中だぞ」
「悪いな、随分な別嬪さんを連れてるもんだから興味が湧いたんだ」
僅かに仕切りの布を捲って応じると、そこに立っていたのは煌びやかな宝飾品をこれでもかと身につけた豪商風の男である。その背後には同じような格好をした男が、歪な笑みを見せて佇んでいる。
先程、カーシムの居場所がどうとか話していた連中だ。目的の人物があっさりと釣れたことで、ユフィーリアは胸中で天高く拳を突き上げる。
口元が緩みそうになることを懸命に堪えて、ユフィーリアは「ああ」と丁寧に応じる。
「失礼、仕切りで顔が拝見できなかったものですから」
「いやいや、こちらこそ。お楽しみ中に声かけして悪かった」
豪商風の男は無遠慮にユフィーリアを押し退けるなり、長椅子に腰掛けたままのアイゼルネに詰め寄る。
「おお、こいつはなかなか。瞳が見る角度によって色を変えるとは珍しい」
「肌にもハリがあるし、肉感もある。上等な娘ではないか」
豪商風の男どもは揃ってアイゼルネを遠慮なしに品定めし、それから太った指先を彼女の胸元に伸ばす。
その柔い肌に触れる直前で、ユフィーリアは片手で男たちの手を制した。まんまと釣れたのは結構なことだが、些か遠慮がなさすぎる。
遠慮のない猿どもにお灸を据える目的で、ユフィーリアは底冷えのするような声で告げた。
「触るな、ウチの大事な商品に手垢がつく」
――ユフィーリアが今回演じるのは、奴隷商人だ。アイゼルネを同伴として選んだ理由も、それが原因である。
アーリフ連合国では未だに人身売買が盛んであり、特に見目麗しい女性は愛玩用の奴隷として高く販売される。他人の手垢がついていないような美女であれば尚更だ。
高く取引されるということは、他人の手出しがあればその分の利益が見込めずに損害賠償責任にもなる。商人の街で育ったのであれば、その罪がどれほど重いものか嫌でも理解できるはずだ。
豪商風の男どもは慌てた様子で、
「す、すまない。あまりにも美しいものだから」
「だから賠償責任だけはどうか勘弁を……」
反省しているように見える男どもを眺めて、ユフィーリアはアイゼルネの隣に腰を下ろす。そっと身体を寄せてきたアイゼルネの腰を抱き寄せてやり、指先で宥めるように頬を撫でてやった。
「賠償責任の問題にはしませんとも。ただ少し教えてもらいたいことがございまして」
「教えてもらいたいこと?」
瞳を瞬かせる商人の男たちに、ユフィーリアは「ええ」と頷いた。
「最高責任者のカーシム様が転居なされたとか。今はどちらにお住まいですか?」
「カーシム様に?」
「お前さん、一体カーシム様に何の用事だ」
商人の男どもの目つきが変わる。明らかに警戒しているのだ。
アーリフ連合国で最も勢いのある豪商のカーシム・ベレタ・シツァムは、他の商人からも絶大な支持を受けている。新参者が居場所を聞けば警戒されるのもやむなしだ。
ユフィーリアは努めて笑顔で、
「この国ではカーシム様のお眼鏡に叶わないと商売が出来ないと聞き及んでおります。私は東の国で人身売買の商売をしておりましたが、少し営業範囲を広げてみようかと思いまして」
「ああ、なるほど。新参者か」
「確かにそうだ。カーシム様がまず許可を出さなければな」
互いの顔を見合わせた男どもは、
「アーリフ連合国の外れに川がある。その川をずっと下ると衛兵がいるから、事情を話せば通してもらえるのではないか?」
「カーシム様は懐の深いお人だ。きっとすぐにでも営業許可は出るさ」
非常に有益な情報が転がり込んできた。多少の危険を冒しただけの価値はある。
アーリフ連合国の最高責任者は商売の天才であることはもちろん、世界有数の大富豪として名を轟かせている。それ故に命を狙われる危険性があるので、頻繁に転居を繰り返して行方を眩ませているのだ。外部の人間は当然ながら知ることは出来ず、こうして知っている人から情報を教えてもらうしかない。
これで任務は完了だ。あとは適当に話を切り上げて撤退するだけである。
「有益な情報をありがとうございます。私はこれからカーシム様の営業許可をいただいてきますので、許可がいただけた暁にはぜひともご贔屓に」
「ちょっと待て、兄ちゃん」
「え?」
アイゼルネを手招きで呼び寄せて店から立ち去ろうとするユフィーリアだが、豪商風の男に腕を掴まれてしまう。
何か不手際があったのか。それとも情報を教えた見返りとして金銭を要求されるのか。この商人だらけのアーリフ連合国では情報1つでも値段がつくほどである、その可能性はなきにしもあらずだ。困ったことに、衣装代などで散財してしまい、渡せる金額は雀の涙程度のものしかない。
警戒心を滲ませるユフィーリアに、豪商風の男が言う。
「よく見りゃ兄ちゃんも美人だな、美丈夫ってのか」
「そこの姉ちゃんと仲良く出来ねえなら兄ちゃんでもいいわ、ちょっとこっちで色々と話そう」
「は?」
ユフィーリアの思考回路が停止する。
露出の高い美女に釣られるだろうと見込んで極上の餌を用意したが、まさかの自分自身も餌になり得るとは誰が想像できるだろうか。商人相手から舐められないようにと苦手な魔法薬を5本も飲んだというのに、結局はこうなるという最悪の事態が発生である。
側に寄り添うアイゼルネも、この展開は想定外だったのか「あらマ♪」と驚いている様子だった。驚くぐらいなら助けてほしい。
口元を引き攣らせるユフィーリアに、豪商風の男がさらに詰め寄ってくる。
「知ってるか? 若い商人は枕で客を取ることもあるのさ」
「悪いようにはしねえから、さあ」
「いやいや待て待て嘘だろそこまで節操がねえのか!?」
ユフィーリアは豪商風の男から手を引き剥がそうとするものの、指先に込められた力が強すぎて離れない。こうなったら相手の股間でも蹴飛ばして逃げようかと画策するのだが、それより先に助けが入った。
いいや、助けというよりか当然の出来事だろうか。状況を考えれば当たり前のことだと納得できよう。
何故なら、アイゼルネが胸元に仕込んだ通信魔法専用端末『魔フォーン』は通信魔法を繋げたままになっていたのだ。この会話が外側に筒抜けである。
――じッ、と視界の端で紅蓮の炎が通り過ぎた。
ユフィーリアの背後から飛んできた紅蓮の炎は見事に豪商風の男の洋服に着弾すると、そのまま一瞬にして男の洋服を消し炭にしてしまった。やや贅肉だらけでムダ毛だらけな日焼けした全裸が晒されることとなり、下着1枚に至るまで燃やし尽くしてしまったので隠さなければならない【自主規制】も見えてしまっていた。
店内が水を打ったように静まり返る。ちょうど商品を運んでいる最中だった女性店員も、お薬を楽しんでいた客も、唐突に全裸へひん剥かれた男も、その仲間も、全員揃って瞳を見開いた状態で凍りついていた。
恐る恐る振り返ると、20歳以上は入れないと謳われる領域のギリギリ外側から歪んだ白い三日月の形をした魔弓でこちらを狙う、綺麗な笑みを浮かべたお嫁様がいらっしゃった。
「どちらですか、俺の旦那様に邪な感情を抱くゲス野郎は」
第二射を魔弓につがえたショウは、
「誰か分からないので全員燃やします。人間バーベキューします。れっつぱーりー」
暴走気味な嫁の首根っこを引っ掴み、アイゼルネを小脇に担いだユフィーリアは、急いで煙草屋から走って逃げるのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】東国の奴隷商人を装って煙草屋に潜入。黒髪というエキゾチックな見た目と役者顔負けの演技力、相手の心理を読み取る能力には長けるものの不測の事態には混乱する。まさか自分のことも商品になるとは思わないんだ。
【アイゼルネ】ユフィーリアに「酷い役を任せる」と言われた割には愛玩用奴隷の役だったので拍子抜け。豪商風の男に詰め寄られて胸中で呪詛をかけまくっていたが、ユフィーリアに颯爽と助けられて嬉しい。
【ショウ】世界で誰よりお嫁様な女装少年。20歳以上は入れないという店なので、ギリギリの位置から狙撃を成功させて豪商風の男をひん剥いた。実は通信魔法で盗聴している時から店の中に突っ込もうとしてハルアに止められていた。
【エドワード】通信魔法でユフィーリアと豪商のやり取りを聞いていて「あー……」と色々察した。暴走するよねぇ、そりゃねぇ。
【ハルア】後輩のことを押さえていたが、ユフィーリアと豪商風の男との最後のやり取りを聞いて自分の意思でゴーサインを出した。後輩の旦那さんに不埒なことをするのは許さないんだよ!!