第9話【問題用務員と性転換】
さて、ここに5本の魔法薬と硝子杯がある。
「…………」
ユフィーリアは心底嫌そうな表情で、目の前に並べられた5本の魔法薬を眺める。
魔法薬の種類は『性転換薬』である。男性が服用すれば女性に、女性が服用すれば男性に変身できる代物だ。魔法薬は市販でも取り扱われているので気軽に購入することが出来るのだが、自分で調合するより効き目は少しばかり弱い。
そんな代物が5本だ。魔法の天才と名高いユフィーリアは魔法薬にも高い耐性を持っているので、市販の性転換薬を服用しても5分程度で元の姿に戻ってしまうのだ。魔法薬の効果を持続させるには大量に摂取するしかない。用法容量を守った正しい服用方法など華麗に無視である。
今にも逃げ出したそうな足を懸命に押し留め、ユフィーリアは震える手つきで魔法薬の瓶を手に取った。コルク栓を引っこ抜き、まずは1本目を硝子杯に注ぎ入れる。
「おっふ……」
漂う薬品臭に吐き気を覚える。
ただでさえ魔法薬を飲むのが苦手なのに、性転換薬を飲まなければならないという選択肢を取ってしまった過去の自分が憎い。せめて服用を手助けしてくれる補助剤みたいなものがあればよかったのだが、いかがわしいサービスを楽しむ煙草屋にそんな気の利いたものは置いていない。
泣きそうになりながらも、ユフィーリアは2本目、3本目、4本目と魔法役の中身を硝子杯の中に注ぎ入れる。そして最後の5本目を硝子杯に注ぎ入れると、中身は半分以上が魔法薬で満たされていた。
強くなる薬品臭。大きめの硝子杯に揺蕩う緑色の液体。これを今から服用しなければならないという過酷な状況に立たされたユフィーリアは、
「――ええい、ままよ!!」
気合を入れて硝子杯を引っ掴むと、そのまま勢いよく中身を飲み干す。
舌を通じて爽やか酸っぱ苦い味が全身に伝わり、胃の腑に大量の不味い魔法薬が落ちていく。空きっ腹に魔法薬を大量に落とし込んだので気持ち悪さが這い上がってきたが、気合と根性で吐き気をねじ伏せた。
硝子杯を満たす5本分の性転換薬を飲み干したユフィーリアは、
「おえッ」
嗚咽を漏らすと同時に、ぼふんという間抜けな爆発に巻き込まれる。
白い煙が目の前を覆い隠す。軽く咳き込みながら手で煙を払い除けると、自分の手が変化していた。
白魚のような綺麗で女性らしい手指はなく、代わりに男性らしい節くれだった指先と手の甲がお目見えする。手首や腕なども筋肉質で太くなり、豊かな双丘は立派な胸筋に早変わりだ。感覚的に近かったはずの床がどこか遠くに感じる。
ユフィーリアは売店の側にあった姿見の前に立ち、
「お、なかなかイケメンだな」
そこにいたのは、黒髪赤眼で長身の美青年である。我ながらなかなかいい色男に化けたと思う。
艶やかな黒髪は肩甲骨に届く程度の長さとなり、切れ長の赤い瞳は怜悧な印象を相手に与える。精悍な顔立ちは大通りを歩けば見ず知らずの女性を10人ぐらいは引っ掛けられそうなほど整い、鍛えられた腹筋が艶かしさを醸し出す。筋肉も見苦しくない程度についているので、細マッチョと呼ばれる分類になるのだろうか。
雪の結晶が刻まれた煙管を片手に、ユフィーリアは意気揚々とエドワード、ハルア、ショウに振り返る。
「どうよ、見事なイケメンだろ」
「むぅ」
「お?」
晴れやかな笑みと共に振り返ったユフィーリアの腰に、ショウが抱きついてくる。いつもは身長差があってユフィーリアが隠れる方だったが、今や身長差は逆転してユフィーリアの方が高いのでショウのつむじが新鮮に感じる。
肝心のショウは、頬を膨らませてユフィーリアの胸板にグリグリと額を擦り付けてくる。何故か最愛の嫁がめちゃくちゃ不機嫌である。心当たりがないので困る。
困惑のあまりつむじをチョンチョンと突くユフィーリアに、ショウが不満げな声を漏らした。
「元の姿でもそうだが、男の人になってからえっち指数が増した。これは由々しき事態だ」
「何言ってんだ、ショウ坊」
最愛の嫁が突拍子のないことを口走り、余計に混乱する。
もしかしてこの格好がいけないだろうか。確かにユフィーリアの今の服装は、アイゼルネが選んだ暗殺者か踊り子に見紛われそうな露出度の高い黒装束である。さすがにこの格好で煙草屋に踏み込めば、男性従業員と間違えられそうだ。
ショウはユフィーリアの細い腰を鷲掴みにし、
「この細い腰がいけないんだ、細い腰が!!」
「イダダダダダダダダダダ内臓出る内臓出る内臓出る内臓出る」
「誰を魅了するんだ、俺以外の誰を魅了するつもりなんだ!?」
「待ってショウ坊、男の状態で腰を絞られても括れは作れねえんだよそれ以前に内臓が出る内臓が」
ギチギチギリギリと腰を締め上げられて、ユフィーリアは堪らず悲鳴を上げた。女性の状態だったらまだ耐えられただろうが、男性の状態でいくら腰を締め上げられても括れは作れないのだ。
最愛のお嫁様、自分の旦那が思いのほか格好いい男性に変身してしまって混乱中である。お目目ぐるぐるでユフィーリアに抱きつくなり「この腹筋は、いや頭の先から爪先まで俺のだ俺の」と所有権を主張してくる。混乱する嫁は可愛いのだが、そろそろ内臓が圧迫されて口から押し出されそうである。
ユフィーリアは混乱中のショウを抱きしめ返すと、
「ショウ坊以外を魅了する気なんてねえよ、安心しろ」
「男の人になっても格好いい……」
頬を赤く染め、ショウが一瞬で陥落した。ユフィーリアの腕にしがみつくなりスリスリと頬擦りまでしてくる始末だ。
「まぁた随分とイケメンさんになったねぇ、羨ましい」
「なあ、エド。アタシはどうして未成年組から両腕をマーキングされてるんだろうな」
「楽しいんじゃないのぉ?」
ユフィーリアが性転換薬を服用して男性になるまでの一部始終を観察していたエドワードが、どこか恨めしげに言う。
ついでにハルアは何故かショウがスリスリと擦り付く腕とは反対側の腕を占拠し、同じくスリスリと頬擦りをしてきた。楽しいのか、これ。
両腕を未成年組に占拠されたユフィーリアは、
「エド、男用の衣装を見繕ってくれ」
「身長は何セメル(センチ)ぐらいなのぉ? それによって大きさを考えなきゃいけないしぃ」
「186セメル」
「意外とスラッと言うのねぇ。測ってもないのにぃ」
「世の中には閲覧魔法っていう大変便利な魔法があるんだよ」
魔法をかけた相手の身長体重、年齢、性別、趣味嗜好に至るまで閲覧することが出来る『閲覧魔法』だが、下手をすれば個人情報の漏洩に当たるので普段は閲覧魔法の防衛を義務化した洋服や装飾品などで対処するのだ。世の中に流通している衣料品は、大半が閲覧魔法などに対策が施されている。
ただし、自分自身に閲覧魔法をかけるのは犯罪ではない。自分自身のことを知りたいのであれば閲覧魔法は最適だ。余計な器具を使わないで済むのがいい。自分の情報を自分自身で探ることは何ら不自然ではないのだ。
スリスリと頬擦りしてくる未成年組を両腕からやんわりと引き剥がすユフィーリアは、
「それと前に性転換薬を飲んだ時に身長を測ったら、ちょうど今と同じぐらいの身長だったからな」
「高身長のイケメンなんて女の子からモテモテじゃんねぇ、この色男」
「何だよ嫉妬してんのか? 大丈夫だって、お前も十分に格好いいじゃねえか」
「これが上司とか長年の付き合いのある馬鹿野郎じゃなかったら殴ってたねぇ、嫉妬でぇ。『テメェが言うな』まで出たと思うよぉ」
受付のすぐ横のハンガーにかけられていた洋服の山から男性用の衣装を適当に見繕ってきたエドワードは、ユフィーリアに布の塊を押し付けてくる。ユフィーリアの着る洋服の傾向をよく理解しているのか、真っ黒い布地だらけだった。
広げれば襟元が大きく開いたゆったりと着れる黒い襯衣と、裾が絞られた黒い洋袴である。全体的に真っ黒の状態ではなく金色の刺繍が随所に施されており、洋袴の腰には赤い飾り布が巻き付けられていた。死神を想起させる黒い衣装ではなく、どことなくアーリフ連合国らしいお洒落さが織り交ぜられた服だった。
まだユフィーリアの両腕に頬擦りをしようとするハルアとショウの襟首を掴んで回収したエドワードは、
「それにしてもぉ、男になる必要性はあったのぉ? 苦手な魔法薬まで飲んでさぁ」
「商人は男の方が舐められないで済むからな。特に煙草屋での商談は女だと圧倒的に不利」
ユフィーリアは魔法でエドワードが選んでくれた男性用の衣装に着替えながら、
「麻薬でラリって上に乗られたら逃げられねえだろ。それに必要な情報はカーシムの居場所だから、商人を装うのが手っ取り早い」
「何でぇ?」
「この町で商売をする時は、最高責任者であるカーシムの審査を受けなきゃいけねえんだよ。商品を持ってアイツに顔合わせしなきゃアーリフ連合国で商売なんか出来ねえ」
カーシム・ベレタ・シツァムという魔法使いは、経済の世界で最も影響力の強い人物だ。審美眼に優れ、本物と贋作を見極め、粗悪品を見抜くという商売に於ける才能を有しているのだ。様々な商人がしのぎを削るアーリフ連合国で、不動の地位を築く経済界の重鎮である。
もちろん商売が下手くそな訳がない。カーシムが売ったものはエリシア全土で流行となり、飛ぶように売れるのだ。その神に愛された商才は、アーリフ連合国で盤石の地位を築くには十分だった。
その話を聞いたショウは、
「何だか七魔法王に名前を連ねてもおかしくない人だな」
「アイツ、魔法の腕前はポンコツだからダメだな。まあ八雲の爺さんをクビにすれば可能性はあるんじゃね?」
ユフィーリアが否定すると、
「お待たセ♪」
今まで着替えと化粧を頑張っていたアイゼルネが姿を見せた。
コテを使って巻かれた緑色の髪には白い花があしらわれた髪飾りをつけ、水着を想起させる露出度の高い上衣は深い緑色をしている。豊満な胸元や括れた腰などをこれでもかと強調し、淡雪のような白い肌の上で輝く宝飾品の数々は絢爛豪華という言葉を体現していた。義足であることがバレないように下半身は花のように何段も薄い布が重ねられた長いスカートを靡かせているが、深く刻まれた切れ込みから艶かしい足の線が覗く。
口元は黄緑色の薄布で覆われているものの、唇の形が妖艶に浮かび上がっている。普段は見られない艶めかしさが存分に発揮されていた。
アイゼルネは「頑張っちゃったワ♪」と笑い、
「旦那様のご要望は何かしラ♪」
「なるべくニコニコしてろ。あと魔フォーンをエドのと繋げてバレないように」
「分かったワ♪」
アイゼルネは豊満な胸の谷間から通信魔法専用端末『魔フォーン』を取り出すと、慣れた手つきで操作してエドワードの魔フォーンに通信魔法を繋げる。これで準備完了だ。
すると、女性店員の1人が「お席のご用意が出来ました」と声をかけてくる。
入場料としていくらか支払い、ついでに同伴するアイゼルネの分も代金に上乗せする。金銭を受け取った女性店員はちゃんと代金があることを確かめてから、ユフィーリアとアイゼルネの2人を煙草屋の店内に誘った。
「じゃあ行ってくる」
「行ってきまス♪」
「何しに行くんだ?」
不思議そうに首を傾げるショウに、ユフィーリアは大胆不敵な笑みと共に答えた。
「ちょっと情報戦に」
《登場人物》
【ユフィーリア】性転換薬を飲んで高身長イケメンになった元銀髪碧眼の魔女。元の姿とはかけ離れた容姿になってしまったので完全に別人。もうこれで誰か分からない。
【エドワード】ユフィーリアが高身長イケメンになって羨ましい。容姿を褒められて「手が出る」と言ったが、内心はちょっと嬉しい。
【ハルア】ショウが腕にスリスリするのが面白いので真似させてもらった。一種の遊びだと思っている。
【アイゼルネ】久々に娼婦の格好をした。この程度の露出なら朝飯前である。
【ショウ】旦那様が最高に格好良くなってしまい、他に目移りしないように腕へスリスリしておいた。