第3話【問題用務員とランプの魔人】
「んん? ありゃ、随分とまあ見窄らしいご主人様ですねぇ」
紫色の煙と共にランプから現れた少女は、眠たげに瞼を擦りながらユフィーリアを高みから見下ろす。
重力に反して虚空を漂う少女は紫色の長い髪を三つ編みに結っており、日に焼けた褐色肌が健康的で快活な印象を与える。切れ長の瞳は綺麗な金色をしており、欠伸をしたことで生理的な涙が浮かんでいた。化粧も施されているのか瞼には銀粉が混ぜられた濃い紫のアイシャドーを引き、ふっくらとした唇は色鮮やかな口紅が塗られていた。
南側の衣装として特徴的な水着のように露出の高い極彩色の装束は、ランプの魔人ではなく踊り子に見える。胸元から臀部にかけての線は滑らかで女性的ではあるものの、艶やかさはなく子供が頑張って大人のような衣装を身につけているだけに思える。褐色肌を彩る金銀財宝など贅の限りを尽くした装飾品が、少女が身じろするたびにシャラシャラと音を立てた。
分かりやすく言えば見た目が10代そこそこで貧乳な紫髪の少女が、何だか生意気なことを言いながらご主人様であるユフィーリアをジロジロと見ていたのだ。何様だ、コイツ。
「まあでも、私を呼び出したんですからねぇ。どうしても叶えたい願いがあるのでしょう?」
妖艶に笑う少女はユフィーリアの顎をツゥと撫で、
「さあご主人様、願い事は何ですか?」
「貴女の死です」
「ぎゃーッ!?」
少女の背後からショウが腕を突き出してきた。
勢いよく突き出された腕は少女の薄い胸元を貫通するが、肉は抉れず骨は折れず血の1滴だって流れなかった。少女の身体はまるで煙のように掴めず、ショウの腕を難なく受け止め続けている。
ただ、少女からすれば異様な感覚しかないようだ。胸元に突き刺さったままのショウの腕に顔を青褪めさせ、甲高い悲鳴を上げる。
ショウは忌々しげに舌打ちをすると、
「おかしいな、確実に心臓を狙ったはずなのだが」
「し、心臓を狙うとか何を考えてるんですかこの馬鹿ちんが!!」
「特に誘惑できる部分がない貧乳・クソチビ・ちんちくりんの生意気なメスガキが何を言ってるんですか。えっちくないんですよ」
「い、い、言いましたね!? 私が気にしている部分を言いましたね!?」
何故だろう、最愛の嫁とランプの魔人が子供らしく罵り合いである。凄い光景だ、面白すぎる。
「大体、貴女のような貧相極まる脳味噌スッカスカそうな頭悪い女がユフィーリアを『見窄らしい』など言える立場にありますか? 貴女の目は節穴ですか?」
「私は誰より美しいので他全員は見窄らしいんですぅ!! ご主人様はもれなく全員見窄らしんですよ!!」
「ではそのご主人様に該当するユフィーリアをご覧ください」
少女の怒りに満ちた金色の瞳がユフィーリアに向けられる。――主に、胸の部分。
こう言ってはあれだが、ユフィーリアは胸が大きい方である。知り合いの女性陣では上位に食い込むぐらいに成長している。重量感のある豊かな胸部と括れた腰つき、引き締まった臀部にかけての身体の線は女性らしく艶やかだ。
そして少女の視線が自分自身の身体に注がれた。起伏のない身体つきはまさに寸胴という言葉が相応しく、括れた腰もなければ臀部もそこまで大きくない。よく言えば華奢、悪く言えば貧相である。
泣きそうになる少女へ、ショウがトドメを刺した。
「貴女が持たざるものを、ユフィーリアはお持ちです。貧相で見窄らしいのはどちらでしょう?」
「――う、うわあああああああああああん!!」
少女は泣き崩れた。
ショウの容赦ない言葉の弾丸に心を抉られ、ついに涙腺が決壊した。赤ん坊のように大泣きするや否や、長椅子に腰掛けたまま呆然と最愛の嫁とランプの魔人が口論する様を眺めていたユフィーリアに縋り付いてくる。
涙と鼻水でぐっちゃぐちゃになった顔面をユフィーリアの腹に押し付け、少女はおいおいと膝の上で泣き叫ぶ。
「ご、ご主人様、あの人酷すぎるんですけどぉ!!」
「あー……まあ、さすがに言い過ぎだってのは分かるけどな」
ユフィーリアは困惑した表情で、
「ショウ坊、さすがに言い過ぎだぞ。女の子は体型のことを気にするんだから、あんまり指摘してやるなよ。リリアにも同じことを言えんのか?」
「リリア先生は慎ましやかで儚い聖女様なので余計な脂肪分はいらないんだ、ユフィーリア。俺とリリア先生はちっぱい同盟を組んでいるから同志にそんな乱暴な言葉は使わない」
「リリアと何してんだ、お前」
嫁が保健室の先生と一緒に何かおかしな同盟を組んでいる事実に驚きが隠せなかった。交友関係が広がるのはいいことなのだが、よからぬものに巻き込まれていないか心配である。
ユフィーリアがショウに注意したことで、ランプから飛び出てきた少女は鬼の首を取ったかのように態度を変え始めた。どこから来るのか自信を取り戻したようで「ふふん♪」とユフィーリアにもたれかかってくる。
ここまではよかったのだが、このあとに余計なことを言わなければ平和に解決できたのだ。少女の頭は学ばない様子である。
「そうですよ、言っちゃってくださいご主人様。あの見窄らしい侍従は私の凄さを何も理解していないんですから」
――シャキン。
「おい」
ポトリ、と少女の紫色の長い三つ編みが床に落ちる。
瞬時に雪の結晶が刻まれた煙管を銀製の鋏に切り替えたユフィーリアは、少女の綺麗な紫色の髪を切り落とした。見事な長髪がバッサリと短髪に早変わりである。切り口も雑なので整える気など全くないのだろう。
ガタガタと震え始める少女の眼前で銀製の鋏をショキショキと鳴らす銀髪碧眼の魔女は、右目だけを極光色に輝かせながら首を傾げる。少女の華奢な喉元に鋏の尖った先端をツゥと突きつけ、
「誰が、見窄らしいって?」
「あ、あの、その」
「言ってみろ、誰が見窄らしいって?」
別に自分が見窄らしいと言われるのはよかった。
実際、黙っていれば美人とはいえ、ユフィーリアは自分自身を着飾るつもりが毛頭ないので装飾品など身につけていない。ショウが怒るのはありがたいが、洒落っ気がないのは事実なのだ。
だが、最愛の嫁であるショウを『見窄らしい』と呼ばれるのはいただけない。彼以上に可憐で可愛らしくて献身的な嫁は存在せず、この世で最も愛している嫁を貶されて怒る旦那はいない。
「お前の存在、いらねえよな?」
ユフィーリアは綺麗に微笑むと、
「この世から存在を抹消してもいいか?」
「すみませんでした」
ショウ以上の重圧に耐えられなかったようで、少女はガタガタと震えながら即座に土下座していた。
☆
「あ、あの、私はサーリャって言います。ランプの魔人をやらせていただいております……」
土下座をしたままの少女――サーリャは、今までの態度とは打って変わって敬語で名乗り始めた。
長椅子に腰掛け、アイゼルネに爪の手入れをされているユフィーリアは「ああ、そう」と適当に応じる。
魔法の天才であるユフィーリアは、別に叶えたい願いなどなかった。まあ強いて言えば「金がほしい」ぐらいだろうが、使い道はどうせ酒に使うぐらいしかない。
「で?」
「あ、あのですね、私はご主人様に呼び出された時点で契約は成立しておりまして」
「おう」
「願いを3つ叶えないと、あの、私は自由にならないって言うか……」
土下座から顔を上げたサーリャは片目を瞑って、
「え、えへ」
「エド、ソイツの頭を潰せねえか?」
「触れない時点で無理だねぇ」
「すみませんすみませんごめんなさい!!」
背後に佇む強面の巨漢が怖かったのか、サーリャは再び土下座の姿勢に戻ってしまった。
こんなメスガキに3つの願いを叶える能力があるのか不明だが、今のところ欲望はないので適当な願いを告げて凌ぐという手段もある。
確実にこのメスガキ魔人とおさらばする方法は、ユフィーリアの『絶死の魔眼』による契約解除だ。あらゆるものを終焉に導くユフィーリアであれば、ランプの魔人であるサーリャを呼び出した時点で強制的に結ばされた契約を解除することも可能である。
すると、缶入りのクッキーを頬張っていたハルアが瞳を輝かせ、
「え、じゃあオレの身長を2メイル(メートル)にすることって出来るの!?」
「ま、まあ出来ますが……」
「やって!!」
サーリャに詰め寄ったハルアは身長を伸ばすことを望むが、
「わ、私はご主人様のお願いしか聞けないんです。残念ですが、貴方は私のご主人様ではないので」
「ユーリ!!」
ぐるん、とハルアの首がユフィーリアに向けられる。
望むものに望むことをしてやった方がよさそうだ。ハルアが身長を望むなら、それを叶えてやるのもご主人様の務めである。都合よくそこに願いを叶える為の手段がある訳だし。
ユフィーリアは咳払いをすると、
「じゃあ、ハルの身長を2メイルに伸ばしてやれ」
「はあ、えーとじゃあ叶えますね」
サーリャは人差し指を一振りする。
ユフィーリアの願い通りに魔法が発動して、ハルアが紫色の煙に包まれる。
紫色の煙の向こうでハルアが「ふあーッ!?」と叫び、煙が晴れると彼の身長が劇的に変化していた。何か、凄えことになっていた。
つまり、
「痛い痛い痛い痛い!!」
両手と両足はとんでもなく伸び、いつも着ている無数の衣嚢が縫い付けられたつなぎがつんつるてんになっていた。身長があり得ないぐらい伸びてしまった影響で天井に頭がついてしまい、首を曲げても天井に収まることはない。中腰になってどうにかというところだろう。
身長2メイルどころではない。彼の筋肉量と体格がまるで合っていないので、腕と足の長さを誰かと入れ替えたと言っても過言ではない。気持ち悪い伸び方だった。
ユフィーリアはサーリャを見やり、
「これ身長いくつにしたんだ?」
「正確なご希望をお伺いしておりませんでしたので」
サーリャは舌をペロッと出すと、
「現在の身長に2メイルを加えた状態に」
「お前それ3メイル68セメル(センチ)になってんじゃねえか!! ふざけんなドポンコツ!!」
「じゃあ正確な要望を出してくださいよぉ!!」
ユフィーリアに怒鳴りつけられて、サーリャは半泣きで叫び返していた。そりゃそうである。
ちなみにハルアは身長が3メイルを超えたことでエドワードの頭を掴んで「やーいチビ!!」と普段は言えないことを言い、エドワードに向こう脛を蹴飛ばされて痛みに悶え苦しんでいた。
両手と両足が気持ち悪く伸びた状態でもいいらしい。これはこれで面白い。
《登場人物》
【ユフィーリア】着飾ることがないので見窄らしいと言われても納得できるが、嫁やその他を見窄らしいと言われると鋏を振り回して怒る。鋏の切れ味は悪いものでも切れるので、思念体であるはずのランプの魔人さえも切れる。
【エドワード】人生で初めて「チビ」と呼ばれた。こんなに苛立つ気分を味わわせてくれたハルアにはお礼に向こう脛を蹴飛ばしておいた。
【ハルア】この度願いを叶えてもらい、身長が368セメル(センチ)になった。天井に頭がつくなんて初めて!
【アイゼルネ】ハルアの身体が気持ち悪い伸び方したな、と思っている。
【ショウ】ユフィーリアへ好意的な感情を抱くことは許さないし、ユフィーリアを誘惑する奴の接近など以ての外。全力で排除させていただく所存である。最近、保健医のリリアンティアと同盟を組んでいるらしい。
【サーリャ】ランプの魔人。子供が頑張って大人の格好をしている系のメスガキ。ランプを擦られてこなかったので自信過剰な世間知らずに成長した。