第12話【獅子の王子と因縁の対決】
「うおおおッ!!」
裂帛の気合いと共にリオンはランパードに突っ込む。
悠然と待ち構えていたランパードは、迷いなく突っ込んできたリオンめがけてよく研がれた右の爪を振るう。
寸前で急停止したリオンは咄嗟に膝を折ることでランパードの右爪を回避するのだが、相手は悪逆を極めた性格の悪い獣王である。膝を折ったリオンの顔面に、ランパードの左足が炸裂する。
「いでッ」
リオンは鼻っ面で蹴りを受け止め、痛みのあまり地面に転がった。
鼻の奥から熱い液体が垂れ落ちてくる感覚。吸い込めば血の味が喉の奥で広がっていったので、鼻血が流れているのだろう。ランパードの前でしゃがみ込んだのが原因だが、それにしても実の弟相手に顔面を蹴飛ばすなどという行為は野蛮ではないのか。
垂れ落ちてきた鼻血を親指で拭い、リオンは即座に地面を転がる。リオンが今まで寝転がっていた場所にはランパードの踵がめり込んでいた。見事な踵落としである。
「兄上、いつのまに身体を鍛えやがった!?」
「舐めるなよ、愚弟が。余は身体能力でも貴様を上回る」
地面にめり込んだ踵を引っこ抜き、ランパードは金色の瞳でリオンを睨みつけてきた。
「たかが半獣人に、国を率いることが出来るものか。人間の血が混ざったことで獣人の血が薄まり、強き獣王から程遠い貴様が玉座に座れば獣王国は破滅への道を辿ることになる」
「何を言っておられますか、兄上」
リオンは外套や髪に付着した砂粒を気にせず立ち上がると、
「兄上の方がよっぽど酷いではありませんか。現状を認識しようとせず、自分だけの箱庭を作っておままごと遊びばかり。信者を恐怖で支配してさぞ居心地はいいでしょうね。ここには自分を否定する存在はいないから」
「黙れ、愚弟が!!」
ランパードは激昂すると、リオンに殴りかかってくる。
迫る拳を回避し、リオンはランパードの懐に潜り込んだ。
リオンにはランパードの皮膚を裂けるような鋭い爪などない。獣人らしい場所など獅子の耳と尻尾ぐらいのもので、爪や牙などはほぼ人間と同じような見た目である。
それでも腕力や身体能力には自信があった。今日まで鍛えてきたのは事実だし、獣王になる者として多くの国民の期待を背負っている。こんな場所で負ける訳にはいかなかった。
「――ォオア!!」
リオンはランパードの鳩尾めがけて拳を叩き込む。
柔らかな肉を抉る感覚。見かけは鍛えられていても、リオンの拳が埋まる彼の腹はちょっとばかり弛んでいるようにも認識できた。獣王の玉座を手に入れてから、贅沢三昧の日々を送ってきたのだ。身体能力が優れていようとも、いずれ形勢は逆転できる。
鳩尾をぶん殴られたランパードは、呻き声を上げて膝から崩れ落ちる。鈍い痛みが残るランパードの項垂れた頭を踏みつけ、リオンは嘲笑した。
「無様ですね、兄上。兄上こそ箱庭からお外に出たらどうですか」
「――余の頭を踏みつけるなど、不敬である」
リオンの足に抵抗するかのように身体を起こすランパードは、未だ闘志が消えない金色の瞳でリオンを睨みつける。
「――――GRRRRRRRRRRRAAAAAAAAAAAAAAA!!!!」
大気を震わせる咆哮が轟く。
ビリビリと肌で感じる圧迫感、緊張感。威厳のある獣王としての咆哮に、リオンは身体を硬直させてしまう。
最強と呼び声の高い先代獣王も相手を威圧する時に使っていた『重圧咆哮』と呼ばれるものだ。王族である獅子属獣人にしか使えない特殊な技能で、リオンには当然ながら使えない御技だ。
身体を硬直させたリオンの足元から簡単に抜け出してしまったランパードは、即座に立ち上がると右爪でリオンの眼球を狙う。我に返ったリオンはランパードの突き出してきた爪を掴んで止めるが、すぐ横からランパードの左拳が強襲してきて吹き飛ばされてしまう。
「ぐッ、ぅ」
「兄に敵うと思うたか、愚弟が」
ランパードは地面に転がったリオンの脇腹を蹴飛ばす。
高く打ち上げられるリオン。鈍い痛みが全身を支配していて、思うように身体を動かすことが出来ない。
放物線を描いて舞うリオンの身体は、重力に従って地面に叩きつけられた。落ちた衝撃が背骨を伝って全身に行き届き、かろうじてうつ伏せになることだけは出来る。
じゃり、と地面に爪を立てて、リオンは何とか立ち上がる。全身の骨が軋み、息を吸うだけでも身体に痛みが走った。
「おおおおッ!!」
「ッ!?」
痛みによって迫り上がってくる泣き言を気合いの雄叫びに変換して、リオンはランパードへ殴りかかる。リオンの拳の軌道は的確にランパードの顎を狙うのだが、
「甘いわ」
「ごッ!?」
横合いから鋭い回し蹴りが叩き込まれ、リオンはやはり呆気なく吹き飛ばされてしまう。
身体能力や膂力がリオンとは桁違いだ。身体が鍛えられていないと思うのが嘘のようである。歴代最強だった先代獣王は隙間時間が出来ればひたすら鍛錬に打ち込んでいたが、獣人だからと言って鍛えないでもここまでの差が出てしまうのか。
リオンの鍛え方が足りなかった訳ではない。明らかに土俵が違い過ぎているのだ。リオンはランパードの立つ土俵にすら上がることを許されていない。
脇腹を貫いた鈍痛に、弱気な部分が込み上げてくる。痛みに耐えながらも何とか立ち上がれば、リオンの首にランパードの大きな手のひらが襲い掛かった。
「ぁッ、がぅ」
「哀れだな」
呼吸を阻害されて苦しむリオンを見上げるランパードは、
「貴様に獣王など不可能だ、愚弟。夢を見るのは大変結構だが、こうして弱い貴様に弱肉強食の思想が根付いた獣王国を率いることなど出来ようか」
「兄上だってッ、率いてないではないかッ」
リオンは首を締め上げるランパードの毛深い手に爪を立てて抵抗し、
「ここは兄上の箱庭ではないッ、父上や歴代の獣王たちが命を賭して守ってきた我らが故郷だッ!! それを、獣王の立場を利用して好き勝手に変えていいはずがない!!」
「力のない貴様に、余へ意見をする資格などない」
ランパードの右爪がギラリと輝く。
ゾッとするほどの冷たく平坦な声。金色の双眸がリオンを真っ直ぐに見据えている。
さながらナイフのように右爪を構えたランパードは、
「その目が気に入らんな、抉ってくれる」
リオンの左目に、爪の先端を突き刺した。
「あああああああああああああああッ!?!!」
焼け付くような痛みが襲いかかる。
片方の視界を塞がれ、激痛に耐えられずリオンの口から絶叫が迸った。あまりに暴れ回るからか、それとも左目を抉ったことで戦意を削いだとでも思ったのか、ランパードの手がリオンの首を解放する。
背中から地面に叩きつけられたリオンは、痛みのあまりゴロゴロと地面を転がった。左目を押さえる指の隙間から止めどなく血が溢れ出てきて、鈍い痛みがまだ残る全身に更なる痛みが重ねられた。
「諦めろ、貴様の実力など所詮はその程度だ」
ランパードは抉られた左目を押さえて転げ回るリオンを見下ろし、淡々と吐き捨てた。
悔しい。悔しい。悔しくて堪らない。
獣人と半獣人ではこうも力の差が出てしまうのか。どれほど自分の身体能力が飛躍的に高くても、所詮は驕りだった訳である。強者が正義だと主張する弱肉強食の世界なら、弱者であるリオンは永遠に頭を踏みつけられて生きるのか。
兄だけが居心地のいい箱庭を崩せるのは、リオンだけしかいないのに。
「――――」
リオンを睨みつけるランパードの後ろで、見慣れた獅子の獣人が仁王立ちをしていた。
これは白昼夢か、痛みが見せる幻覚か。
煌びやかな勲章を胸元に飾った軍服と緋色のマントを纏い、背筋をピンと伸ばしてリオンを静かな眼差しで見据えている。明るい橙色の鬣と金色の双眸、口の端から覗く鋭い牙や指先に揃った鋭い爪など、兄のランパードと瓜二つの容姿である。
――リオン、よく覚えておきなさい。
頭の中に、穏やかな声が響く。
――我らが祖先は空から落ちた星の女神と結ばれた。そして我ら獅子属獣人が生まれたのだ。
昔話を聞かせる父の声だ。
――しかし祖先は傲慢な態度で女神に愛想を尽かされ、空に還る女神を飲み込んでしまったのだ。
――愛する女神を飲み込んでしまった傲慢な祖先の鬣は金色に染まり、女神の力を得て飛躍的な強さを発揮して一族を支配した。
父はリオンへ言い聞かせるように、
――リオン、お前は傲慢でありなさい。
――我らが祖先のように、女神を飲み込んだ最も強き獅子のように。
――獣王は自分しか出来ぬのだ、と傲慢でありなさい。
痛みによる絶叫を飲み込む。
その通りだ、獣王は自分にしか務まらない役目である。どれほど強い獣人であっても、その座はリオンにしか出来ないのだ。
傲慢であれ。その役目は自分だけに与えられたものなのだ。兄でもなく、リオン・レオハルト・ビーストウッズという若造に課された使命だ。
全身を支配する痛みを堪えて、リオンはなおも立ち上がる。ランパードが面倒臭そうに鼻の頭へ皺を作るが、傲慢な兄を嘲ってやった。
「兄上には務まらない、務まるものか」
――傲慢であれ。
「民草を苦しめる王がいてたまるか。我ら王族は傲慢が故に、民草の存在を忘れてはならないのだ。下々がいなければ、我らが獣王国は成り立たん」
――傲慢であれ!
「その椅子は俺のものだ」
――傲慢であれ!!
「寄越せ!!」
リオンは牙を剥いて叫んだ。
兄に敵わないチャチな牙である。それでも、リオンの闘争心は潰えていなかった。
民草の存在を考えず、ただ見下すばかりの傲慢な獣の王を引き摺り下ろさんとする心は未だ死んでいない。左目が抉れても、全身が擦り傷や打ち身だらけでも、右目に宿された闘志だけは消えていない。
ランパードは無様な格好の弟を鼻で笑うと、
「弱者が獣王になる資格などない、と言ったはずだが。まだ立ち上がるのか、雑魚が」
「強者の皮を被った卑怯者が、王を語る資格などない!!」
リオンはランパードを睨みつけ、
「オレが獣王になるのだ!!!!」
その時である。
晴れ渡った空から一陣の光が滑り落ち、眩い光の尾を引いてリオンの目の前に落ちてくる。
まるで「自分を飲み込め」と言わんばかりに、星が空から落ちてきた。
《登場人物》
【リオン】左目を潰されても意外と頑丈。父親から昔話を聞かされていたが、どういう意味があるのか分かっていなかった。
【ランパード】父親の昔話など片手間に聞き流していた。異様に頭がいいので悪知恵が働くが都合のいいことしか覚えていない。