第9話【強面巨漢とエレファントブルー】
「お前の相手は僕なんだゾウ!!」
一般兵士を殴り飛ばしたエドワードの目の前に立ち塞がったのは、青色の甲冑を身につけた象の獣人である。
大きな耳と長い鼻、立派な牙が特徴的な象だ。身長はエドワードよりも少し高い程度だが、2メイル(メートル)を超えているだけあって高身長であることは間違いない。丸太のような2本の足で巨躯を支え、きちんと二足歩行が出来る姿に驚きが隠せなかった。
光沢感のある青色の甲冑は特注品なのか、その巨体を守る為にかなり分厚く設計されているようだ。急所として狙えそうな甲冑の隙間も鎖帷子で完全に防御されており、対策はバッチリ取られている。
気絶した一般兵士を軽々と放り捨てたエドワードは、
「あ、別にいいですぅ」
「何がなんだゾウ」
「相手にしてくれなくて大丈夫ですぅ」
明らかに相手は強そうな気配しかしないので、エドワードは飄々と笑いながら丁寧に断った。出来れば勝てそうな相手としか戦いたくない。
しかし、象の獣人は納得しなかった。
急に右腕を引き絞って半身を捻ってきたかと思えば、強烈な掌底がエドワードに襲いかかる。両腕を交差させて攻撃を防いだのだが、象の獣人から放たれた凄まじい衝撃に耐えられることなく吹っ飛ばされてしまう。
数メイルほど吹き飛ばされ、華麗に放物線を描いて地面に背中から叩きつけられるエドワード。何が起きたのか分からず、しばらく空を眺めたりしちゃった。
「何が起きたんだろうねぇ……」
今まで吹き飛ばされるような経験がなかったから、青い空を流れていく雲を眺めながらエドワードは感慨深げに呟く。
ぶん殴られただけで吹き飛ばされるような過去はない。ハルアによる助走をつけた頭突きを受けたって、数メイル単位で吹き飛ばされるようなことはなかった。さすがに後輩のショウが乗る神造兵器に轢かれるような真似はないが、多分あれもそこまで吹き飛ばされるようなことはない。
それなのに、今回でこれである。青い空を通り越して幻覚の宇宙が見えてしまった。
「ぱおーん!!」
「おっと」
どすどすどす、という地響きにも似た足音が近づいてくる。
エドワードは即座に跳ね起きると、突撃してくる象の獣人へ右拳を叩き込んだ。
起き抜けの1発なのでそこまで力が入らず、なおかつ重量のある象の獣人なので殴ってもあまり吹き飛ばなかった。せいぜい数歩程度よろけたぐらいである。殴った顔面がエドワードの拳の形に凹むとか、相手の顔が風船のように弾け飛ぶようなこともなかった。
殴られた頭を振る象の獣人は、
「ぱお、ぱおーん!!」
「おっとっとぉ!?」
右、左、右、とエドワードに掌底を突き出してくる。
エドワードは慌ててそれらの攻撃を回避した。ぶおんぶおんと空気を裂いて突き出される掌底は物凄い勢いがあり、1発でも食らえばまた数メイルほど吹き飛ばされることは目に見えていた。
この攻撃はエドワードなら食らってもそれほど痛みもなく受け止められるだろうが、機動力を重視した身軽なハルアや華奢な体型のショウが受けたら全身複雑骨折は確定である。この象の獣人の相手が自分でよかったかもしれない。
ひたすら掌底を繰り出してくる象の獣人の懐に潜り込み、エドワードは相手の腰に組み付いた。
「はいよっとぉ」
「ぱおーん!?」
まるでボールでも投げるかのような気楽さで、象の獣人を放り投げる。
あっさりと放り投げられた象の獣人は、瓦礫の山と化した元民家に突っ込んだ。青色の甲冑に包まれた両足がだらりと瓦礫の山から生えていたのだが、すぐにピクリと動いて復活したことを示す。
瓦礫の山を掻き分けて、象の獣人は難なく起き上がる。薄汚れた青色の甲冑は傷や凹みなどが見当たらず、全く相手にダメージが入っていない現実をエドワードに容赦なく突きつけてきた。
これは面倒な予感しかしないので、誰かに処理を押し付けた方がいいかもしれない。エドワードはすぐに身を翻そうとしたのだが、
「ファナ・ジャイアント様から逃げることは許さないんだゾウ!!」
「わあ!?」
比較的大きめの瓦礫を長い鼻で器用に掴んだ象の獣人は、エドワードを狙って放り投げてきた。
慌てて回避すると、今までエドワードが立っていた場所に瓦礫が転がる。あの瓦礫を頭にでも受けていれば、エドワードはもしかしたら重傷を負っていたかもしれない。
素手で襲いかかってきたと思えば、唐突に瓦礫という武器を得てくるなど反則ではないか。肉弾戦をするなら武器など卑怯な真似はせず、拳で勝負をしてほしいところだ。
エドワードは泣きそうになりながら、
「なぁんで気絶しててくれないのぉ?」
「僕は頑丈なんだゾウ!! ぱおーん!!」
「また投げてきたぁ!?」
瓦礫を次々と投げつけてくる象の獣人から、エドワードは反撃できる暇もなく逃げ回るだけだった。
「ちゃんと戦うんだゾウ!!」
「やだよぉ。無駄な労力は基本的に使いたくないもんねぇ。最低限のことだけ出来ればいいんだよぉ、俺ちゃんはぁ」
「そんなの許さないんだゾウ!!」
器用に瓦礫を鼻で掴む象の獣人はやおら仁王立ちすると、
「このファナ・ジャイアント様の相手に相応しくないんだゾウ」
「その語尾は癖なのぉ?」
「うるさいんだゾウ!!」
青色の甲冑を身につけた象の獣人――ファナ・ジャイアントは「ぱおーん!!」と雄叫びを上げて瓦礫をエドワードに投げつけてくる。
これはどれほど言い訳を重ねても諦めてくれる気配はなさそうだ。むしろ「逃げてばかりなんだゾウ」とかいう理由で他の標的に移行されても困るので、ちゃんと相手をするべきだろう。
ファナは瓦礫の残弾がなくなったのか、再びどすどすと激しく地面を揺らしながらエドワードめがけて突進してくる。半身を捻り右腕を引いた体勢を見ると、あの勢いのある掌底を叩き込んでくる気だ。助走もついているので勢いは十分である。
エドワードはやれやれと肩を竦め、
「じゃあちゃんとやるけどさぁ」
グッと拳を握り、迫るファナを真っ直ぐに見据えて言う。
「――死ぬんじゃねェぞ」
勢いづいたファナの掌底を掻い潜り、エドワードは力強く踏み込んでファナの鳩尾めがけて右拳を打ち付ける。
下から抉るような右拳の軌道に耐えられず、ファナの巨体が軽々と晴れ渡った青空に打ち上げられた。「ぱお゛ッ」とかいう呻き声がエドワードの耳朶に触れる。
高く打ち上げられたファナを一瞥したエドワードは、ぐるりと周囲を見渡す。
「あ、あったあったぁ」
見つけたものは、まだ崩れていない民家である。2階建ての若干規模が小さいような気がしないでもないが、足場として最適だ。
エドワードは庇を掴むと、懸垂の要領を用いて腕力のみで身体を持ち上げる。庇を踏み抜かないように気をつけながら、2階建ての屋根の上に到達した。
肝心のファナは高く打ち上げられたところで自由落下を開始したようだ。四肢を広げたまま重力に従って落ち始める象の獣人をしっかりと見据えて、エドワードはその場で膝を折る。
軽い屈伸運動のあと、エドワードは屋根を蹴飛ばした。
「はいっとぉ」
間抜けな掛け声と共に高く飛んだエドワードだが、屋根を蹴飛ばした衝撃で2階建ての家屋が呆気なく崩れて瓦礫の山と化す。一体どんな力で蹴飛ばせば家屋が崩れるようなことに陥るのか。
青空を高々と舞うエドワードは、力なく揺れるファナの長い鼻を鷲掴みにする。白目を剥くファナをぐるんと振り回すと、地面めがけて巨躯を誇る象の獣人を叩きつけた。
地上に叩きつけられたファナは、仰向けの状態でピクリとも動かなかった。それもそのはず、彼の身体は地面にめり込んでおり、どれほどの力で地面に叩きつけられたのか想像したくない。風船のように破裂する結末を迎えなかっただけ、彼自身の頑丈さを褒め称えるべきだ。
「ええー、ちゃんと戦えって言うから戦ったんだけどぉ」
不満げに唇を尖らせるエドワードは、難なく着地を果たす。ファナから苛立ち気味に「ちゃんと戦え」と言われたからちゃんと戦ったのに、2発でダウンしてしまうとは情けない。
ふと、エドワードは自分の手元に視線を落とした。ファナの鼻を掴んでから着地に至るまで、ずっと何かを大切そうに握っていたようだ。
灰色の縄みたいなものである。縄にしては太いし、しわくちゃだし、エドワードが掴んだ部分とは反対側から血が滴り落ちていた。
「え」
エドワードは起き上がらないファナの顔を覗き込む。
白目を剥くファナの顔面は大惨事になっていた。分かりやすく言えば、あるべき場所にあるべきものが存在していなかったのだ。
つまるところ、エドワードがファナの鼻を掴んで地面に叩きつけた拍子に、彼の顔から自慢の長い鼻が千切れてしまった訳である。顔面は流血沙汰だし、これはもう目覚めることが出来るのかさえ不安だ。
ファナの肩を掴んで地面から引っ張り上げたエドワードは、
「ちょっとぉ!! 鼻が千切れたぐらいで死なないでよぉ!! 俺ちゃんが悪いみたいじゃんねぇ!!」
無茶な相談である。
地面から引っ張り上げられたファナはガクガクと揺さぶられるが、力なく頭を項垂れさせるだけだった。鼻があった部分から真っ赤な鮮血がとめどなく溢れ出てきて、ファナの身につける青色の鎧を汚していく。
その鎧も、鳩尾の部分にエドワードの拳の形で凹みが見受けられた。頑丈だと謳っていたはずだが、ちょっと本気を出して殴ったら拳の形に凹んでしまった。まあ爆発四散しなかっただけマシだろうか。
エドワードは「まあいいかぁ」とファナからパッと手を離し、
「お腹減ったぁ」
ぐるるる、とエドワードから動物の唸り声にも似た腹の虫が響く。ちゃんと戦ったらお腹が減ってしまったのだ。
ちらりとファナを見下ろす。顔面が流血沙汰を迎えた象の獣人は、やはり起き上がる気配を見せない。このまま病院に運び込まれるか、それとも棺の中に運び込まれるかの2択である。
彼の身体は立派なもので、身長はエドワードよりも高い。今まで贅沢な生活をしていただろうから肉付きもバッチリである。
エドワードは首から下がる犬の躾に用いられる口輪を装着すると、
「いただきまぁす」
次の瞬間だ。
ばぎゃんッ!! という骨を食い千切るような音が響くと同時に、ファナの上半身が食い千切られた。
肉や骨だけではなく、青色の鎧まで雑な歯形が残されている。食い破られた箇所から真っ赤な液体が滴り落ちて、地面を容赦なく汚していった。
鉄錆の匂いが充満する中、口元を赤く染めたエドワードは唇に付着した血糊を舐め取りながら言う。
「あんまり美味しくないねぇ」
《登場人物》
【エドワード】問題児目線でいれば面倒見のいい兄ちゃん、その他一般人目線から見れば堅気じゃねえ人物な温厚な兄貴分。滅多なことでは怒らないし本気も出さないけど、人智を超えた剛腕を発揮すると建物はハルア以上に壊れる。何でも食べる(意味深)
【ファナ・エレファント】金持ちボンボンの生まれで、身体に見合った自信の持ち主。よくスレイヴとは喧嘩をしていた身で、王族であるビーストウッズ家には近かった。リーダーのレオハルトとは昔馴染み。