第7話【南瓜の娼婦とパンサーピンク】
「ワタシの相手はアナタなのねぇ」
桃色の甲冑に身を包んだ女豹が、くねくねとシナを作りながら言う。
鋼のような光沢感を残し、なおかつ桃色に染めるとはなかなか高等技術である。鎧の形式も女豹の細くしなやかな体型に合わせて設計されており、機能性と意外性が上手く同居していると言えた。
女豹自体は可愛らしい顔立ちをしており、異様に睫毛がくるんくるんと長くて巻かれているのは厚化粧が原因だろうか。黒い斑紋が浮かぶ顔にも白粉をこれでもかも振りかけ、口元にはグリグリと真っ赤な口紅まで引いている。
正直に言おう、化粧が下手くそすぎる。厚化粧が素材の良さを殺してしまっている。
「お化粧が下手ネ♪」
「アナタも南瓜のハリボテなんて芋らしいものを被ってるじゃないの」
「おねーさんのハリボテは事情があるのヨ♪」
厚化粧なクソ女豹に南瓜のハリボテを「芋らしい」とか言われたくない。
アイゼルネは綺麗に三つ編みされた緑色の髪を払い、豊満な胸元にくっきりと刻まれた谷間からトランプカードをバラバラと取り出す。
戦う為の魔法は獲得していない。せいぜいでもアイゼルネが出来るのは支援だけだ。幻惑魔法を攻撃に転用できるものとは思えないが、相手の頭をおかしくさせる程度なら容易だ。
中指と人差し指でトランプカードを挟むアイゼルネは、
「おねーさん弱いのヨ♪ 手加減してくれるかしラ♪」
「弱いのは大歓迎だわ」
桃色の甲冑を身につけた女豹――リィナ・エデンズはポキポキと指先の骨を鳴らし、凝り固まった身体をほぐすように跳ねたり肩を回したりと準備運動を始める。
弱肉強食の精神が植え付けられた獣人たちにとって、アイゼルネは格好の餌食だ。弱者は強者に食われて蹂躙されるべき存在で、問題児の中でも特に身体能力にも魔法の技術にも優れていないアイゼルネは本当に弱い。
リィナはすでにアイゼルネを獲物と認識している。肉食獣特有の軽々と輝く黒曜石の双眸は真っ直ぐにアイゼルネを狙っており、濃く口紅が引かれた唇を肉厚な舌でベロリと舐める。このままでは完璧に骨の髄までしゃぶり尽くされて食われるのがオチだ。
「アナタって肉付きがよくて美味しそうだもの!!」
「ッ」
リィナは地面を蹴飛ばし、アイゼルネへ肉薄する。
アイゼルネは即座に防衛魔法を発動させ、リィナからの攻撃を受け止めた。透明な天幕がリィナの鋭い爪を弾くが、獲物を見定めているリィナは防衛魔法を突破しようとめちゃくちゃにアイゼルネが展開する透明な天幕を引っ掻いてきた。
本来なら傷つくことなどない防衛魔法だが、一般的な魔女よりもやや下に位置するアイゼルネの技術力では女豹の攻撃に耐えることが出来ない。透明な天幕が鋭い爪で削られるたびに、キラキラと輝く粒子のようなとのが飛び散る。
「美味しそうねぇ美味しそうだわ早く食べたいわアナタの柔らかそうな胸を食いちぎって腕も足も喉元も柔らかそうだものねえねえ」
「ふふッ♪」
足が柔らかそうだと?
アイゼルネは思わず笑ってしまった。
ああ、深い切れ込みから垣間見える足はちゃんとした生身の足に見えることだろう。そう言った格好を好むので、誰もアイゼルネの足には気づかない。
あえてドレスの裾から足を見せてやったアイゼルネは、
「おねーさんの足はこんな感じヨ♪」
ドレスの裾から伸びたアイゼルネの足は、球体関節が特徴的な義足だった。まるでお人形のような作り物の足である。
リィナは爪研ぎのようにガリガリと防衛魔法を引っ掻いていたが、アイゼルネが義足を見せた途端に飛び退った。黒曜石の双眸が警戒するように蠢く。
彼女は世の中に、五体満足で生まれない人間もいることを知らないのだ。今まで人間に恨みつらみを抱いて寄り添うことも対話も拒否してきたのだから、人間に対する知識がない。相手をただの獲物と思ってもらっては困る。
「な、何それ!? 全然美味しそうじゃないわ!!」
「そうでしょうネ♪」
義足はまず食べられないし、球体関節がよく見えるので美味しそうにも見えない。せめてもっと生身の足のような義足がならば食べられるようにも見えただろうが、この義足をアイゼルネは気に入っているのだ。
何故ならこの義足は、かつて主人である銀髪碧眼の魔女が手ずから作ってくれた大切なものだ。たとえ腕や胸を食いちぎられたとしても、この義足だけは食わせるものか。
アイゼルネは中指と人差し指で挟んだトランプカードを見せると、
「お客様には楽しんでいただきたいかラ♪」
そのトランプカードに描かれていた模様は、大鎌を担いだ死神の絵である。不気味なジョーカーだ。
「とびきり楽しい夢を見せてあげるワ♪」
アイゼルネは指に挟んだジョーカーを足元に落とす。それから気持ち悪い虫でも踏みつけるかのように、踵の高い靴でグシャリとジョーカーを踏んだ。
土に塗れ、ぐしゃぐしゃになったジョーカーから足を退かすと大鎌を担いだ死神が引き裂くような笑みを見せていた。悪夢にでも出てきそうな模様である。
リィナが警戒するように黒い瞳を音もなく眇め、
「何をするつもりなの?」
「おねーさんね、弱いのヨ♪」
「それは聞いたわ」
「弱いなりに頑張るのヨ♪」
クスクスとアイゼルネは笑うと、
「窮鼠猫を噛むって言葉をご存知かしラ♪ 極東の諺なんだけれド♪」
弱者が強者に蹂躙されることを良しとし、強者が全て正義だと宣うのであれば。
今まで頭を踏みつけられ、蹂躙されてきた側である弱者にやり返されることを想定していなかった愚か者だ。目の前にいる厚化粧が特徴的なクソ女豹のように。
アイゼルネは真っ赤なドレスの裾を摘んで、淑女のように綺麗なお辞儀をする。
「めくるめく夢の世界にようこソ♪」
次の瞬間である。
アイゼルネの長いスカートの下がモゾモゾと蠢いたかと思えば、裾から大量の鼠が飛び出してくる。1匹や10匹程度では通用しない。溝のような汚い色合いの鼠の奔流が、立ち尽くしたリィナめがけて襲いかかる。
甲高い悲鳴を上げながら、リィナは両腕をしっちゃかめっちゃかに振り回して暴れた。鋭い爪が襲いかかってくる鼠の喉笛を引き裂き、真っ赤な血を噴出してバタバタと地面に落ちていく。
1匹、2匹と仕留めたところでリィナの身体を這いずる鼠の大群に敵う訳がない。よく研がれた前歯がリィナの腕や頬、豹らしい可愛い耳や尻尾に噛み付いていく。
「いッ、いだッ」
「あら痛かったかしラ♪ ごめんあそばセ♪」
爪の調子を眺めていたアイゼルネは、痛みを訴えてくるリィナに謝意の欠片も感じられない謝罪をする。
「じゃあこちらはどうかしラ♪」
手品師のようにトランプカードを何枚も取り出すアイゼルネ。そのトランプカードには数字が書かれておらず、かと言ってJやQなどのカードでもない。
それは先程も見せた、大鎌を担ぐ死神の絵が描かれたジョーカーだ。それを足元に散らすと、南瓜頭の娼婦は笑う。
足元に散らばったジョーカーの小さな表面がまるで水面のように揺らぐと、その中から細い腕が突き出てくる。次いで頭、肩、身体、最後に足が出てきた。
「子供……!?」
アイゼルネの散らしたジョーカーから生み出されたのは、小さな子供たちである。頭頂部から突き出たのは動物の耳、腰から伸びているのは動物の尻尾。痩せこけた頬と小枝のように痩せた四肢、ボロボロの衣服は大きさが合っていない。
半獣人の子供たちだった。虚な眼差しをリィナに向け、爪が欠けた小さな手のひらを怯えた様子の女豹に伸ばす。
靴すら身につけておらず、裸足のまま冷たい床を踏み締めて、数え切れないほどの子供たちがリィナにワラワラと群がる。「ひッ」と上擦った声を漏らすリィナの腕や足にしがみつき、子供たちは黄ばんだ歯を鎧に突き立てた。
「止めろ、止めて!! 何をするのよ!!」
「子供のやることじゃなイ♪」
アイゼルネは「それとモ♪」と笑うと、
「何か気になる子でもいたかしラ♪」
「ッ、黙れ!!」
リィナは腕や足にしがみついてくる子供を振り払うと、
「半獣人は汚れた血の種族だ、ワタシたち獣人は高潔な存在で」
「お好みの子じゃないのネ♪」
アイゼルネは肩を竦めると、背中に手を回す。何かを引っ張るような素振りを見せて、
「なら、この子はどうかしラ♪」
「――――」
リィナの勢いが止まった。
アイゼルネが背後から引っ張ってきたのは、痩せ細った豹の半獣人である。ボサボサの金髪へ埋もれるように豹の耳が揺れ、毛並みが乱れた豹の尻尾がだらりと垂れ落ちている。靴も、靴下さえ身につけておらず、ボロボロの衣服でアイゼルネのすぐ側に立っていた。
虚な眼差しで見据えられ、リィナの動きが止まる。呼吸が浅くなる。身開かれた黒い瞳が震え、ガチガチと歯が擦り合わさって音を立てる。
「お知り合いかしラ♪」
「あ、ぁ……」
リィナは首を緩やかに振りながら、
「わ、ワタシは、ワタシは悪くない、悪くないわ。だからそんな目で見ないで、見るな、見るなあ!!」
見知らぬ子供たちを振り払い、リィナは豹の耳と尻尾を持つ半獣人の子供から逃げるように崩れかけた建物の壁に駆け上る。
3階の屋根に手をかけたところで、リィナの体重を支えきれなくなって崩れ始める。ボロリと壁が剥がれ落ち、リィナは虚空に投げ出される。
建物の3階程度の高さだ。通常の獣人ならば即座に体勢でも変えれば助かるはずなのに、果たしてリィナは何を見たのか虚空に手を伸ばしただけだ。
「あ」
それがリィナの最後の言葉である。
3階から滑り落ちたリィナは、地面に叩きつけられて首の骨を折る。ごしゃ、という鈍い音がアイゼルネの耳朶に触れた。
首があらぬ方向に折れ曲がり、リィナはピクリとも動かなくなってしまう。冥府に旅立ち、自分の犯した罪と向き合うべきだ。
「自分の子供が半獣人だったから捨てたのかしラ♪」
アイゼルネはコロコロと笑いながら指を弾く。
首の骨を折って死に至ったリィナをじっと見つめていた子供たちは、ポンポンと音を立てて元のジョーカーに戻ってしまう。鼠の大群も同じだ。
これらはアイゼルネの幻惑魔法によるものである。特にアイゼルネは他人が恐怖するものを幻影として用いるので、ある意味でユフィーリアよりも性格の悪い魔法を使ってくるのだ。
目を見開いたまま動かないリィナを見下ろしたアイゼルネは、
「ほら、噛まれちゃったワ♪」
弱者は弱者なりに戦う術を持っているのだ。強者だからと言って侮るなかれ、である。
《登場人物》
【アイゼルネ】他人に幻覚を見せる幻惑魔法で苦手なものを見せることが得意な元娼婦。パンサーピンクの指に指輪の跡があったことを見抜き、想像で適当に作り出した子供を見せつけたら勝手に死んでくれた。性格の悪い戦い方をするとユフィーリアに何度も言われた。
【リィナ・エデンズ】パンサーピンク。かつてとある旅行者とワンナイトラブしたところ、出来ちゃった。人知れず産んでみたら半獣人が産まれてしまったので、貧困街に問答無用で捨てた。ちなみに子供は今日も元気に叛逆中なことを知らない。