第6話【異世界少年とオウルシルバー】
「貴様の相手はこの私だ」
逃げ惑う翼の生えた一般兵士を狙って炎の矢を放っていたショウは、ふと攻撃の手を止めて視線を持ち上げる。
雪のように白い羽を散らしながら、銀色の甲冑を身につけた純白の梟がショウの目の前に降りてくる。背中の部分だけ存在しない特殊な形状の甲冑は磨き抜かれた銀色の輝きを放っており、背中から生えた翼をはためかせるたびに白い羽が雪のように舞い散る。
黄緑色をした切長の双眸でショウを真っ直ぐに見据え、逞しい腕を胸の前で組んで堂々とした態度で邪魔をしてくる。足元は不思議と靴などの装備品はなく、代わりに鋭い爪が綺麗に研がれた状態で露出されていた。裸足でいるのは爪を武器にしているからか。
冥砲ルナ・フェルノを椅子の代わりに腰掛けるショウは、
「焼き鳥がご所望でしたら今すぐ提供できますが」
「ふん、生意気なヒトザルめ」
純白の梟の黄緑色をした眼球が、ショウを品定めするように観察する。
「大人しく投降すれば愛でてやるというのに」
「その羽を全部引き剥がせば、羽毛布団の1枚ぐらいは作れますかね」
ショウがポンと手を叩けば、地面から数え切れないほどの腕の形をした炎――炎腕が生えてくる。5本の指を威嚇するように広げる炎腕の群れは、純白の梟を取り囲んで白い羽を引き千切ろうとした。
綺麗な羽だし、もふもふとした手触りも期待できそうなので布団の材料にしてしまうのがちょうどいいだろう。この異世界の真冬がどれほど厳しいものか体験したことがないので不明だが、最愛の旦那様であるユフィーリアの寝具ぐらいには使えそうだ。
ところが、梟野郎はワラワラと群がる炎腕を見やると、
「ふんッ」
もふもふとした翼を大きくはためかせて、突風を巻き起こす。
強風を受けた炎腕は、慌てた様子で梟野郎から距離を取った。翼で起こされる突風如きで吹き散らされることはないだろうが、それでも強風は鬼門なのだろう。
地面から生える炎腕のうち1本が、ショウが椅子代わりに使う冥砲ルナ・フェルノの側面から生えて手首を横に振る。「ダメだった」と報告してくれている様子である。
ショウは炎腕の手の甲を撫でてやると、
「大丈夫だ、炎腕。気にすることはない」
炎腕は「申し訳ない」と言わんばかりに手首を揺らすと、冥砲ルナ・フェルノの内部に引っ込んだ。言うことを聞いてくれるだけありがたい存在だ。
ショウは真っ直ぐに梟野郎を見据える。
確か、モフレンジャーとかいうダサい称号を掲げていたような気がする。獣王国の守護神とか言っていたが、ちゃんと守れているのは貴族区画に住む優遇された獣人ぐらいのものだろう。有象無象の獣人と違って、かなりの手練れと見受けられた。
椅子の代わりにしていた冥砲ルナ・フェルノから立ち上がり、ショウは歪んだ三日月にそっと寄り添う。
「お名前はダイア・シュラウドさんで間違いなかったですか?」
「いかにも」
白い梟野郎ことダイア・シュラウドは傲慢な態度で応じる。
「ヒトザルなどと呼ばれたくないので、俺は名乗らないでおきますね」
「いい心がけだ。冥府の底で私の名前を思い出して後悔するといい」
「冥府では父が働いておりますので、貴方が後悔する方だと思います」
朗らかな笑顔を絶やすことなく、ショウはダイアとの言葉の応酬を交わす。言葉を1つ取っても苛立つことしか言わないのは、獣人が人間を見下している証拠だ。
ショウとダイアはしばらく互いに睨み合う。どちらが先に動くか牽制しているのだ。
わあわあと悲鳴や絶叫が幾重にもなって不協和音を奏でる中、バゴンという建物が破壊されるような轟音が引き金となった。
「ッ!!」
「はあッ!!」
ショウは風を切って晴れ渡った青空めがけて飛び立ち、ダイアがそれを追いかける。
ごうごうと風の音がうるさい。ポニーテールに結んだ自慢の艶やかな黒髪が盛大に揺れてボサボサに乱される。
すぐ後ろをダイアが白い羽を撒き散らしながら追随し、逃げるショウの尻を付け狙ってくる。変態としてこのまま処すべきだ。
並走して飛ぶ白い三日月に手をかざすと、
「ルナ・フェルノ、多めに」
ショウの願いを聞いて、冥砲ルナ・フェルノから紅蓮の炎が雨のように細かくなって射出される。
狙うのはピッタリと後ろをついてくるダイアだ。両脇を締めて空気抵抗をなくし、最速でショウを追いかける真っ白な梟野郎は顔面から炎の雨を浴びることとなって「ぎゃッ」という悲鳴を上げた。
目潰しの目的も果たせたことだし、第二段階である。ショウは冥砲ルナ・フェルノへ上空に行くよう指先だけで指示を出すと、自分はグンと高度を下げて地上に向かう。
「逃がすか!!」
ダイアもまた、地上スレスレを飛ぶショウを追いかけてくる。
瓦礫の山と化した建物と建物の間をすり抜け、獣王国を守護する鎧姿の兵士と反逆を企てる半獣人や獣人たちとの戦場を縫うように飛び回り、ひたすらダイア・シュラウドを撒けるように戦場を駆け抜ける。
数人の甲冑を身につけた兵士は突き飛ばしたような気がするのだが、それはそれでご愛嬌だ。ユフィーリア・エイクトベルという絶世の美女から褒められる可憐な女装メイド少年に突き飛ばされてありがたいと思ってほしいぐらいだ。
その時である。
「ご苦労だな」
「ッ」
ショウの行手を阻むように、ダイアが両腕を組んで待ち受けていた。
急停止をかけるショウ。即座に身を翻して逃げようとした矢先、ダイアの回し蹴りがショウヘ襲いかかる。
かろうじて身体そのものは回避できたものの、鋭い爪はショウの大切な雪の結晶が随所に刺繍されたメイド服のスカートを引き裂く。ビビッという布地が破ける音が耳朶に触れた。
「ほう、肉付きの悪い太腿だが肌は綺麗だな」
「ッ、変態!!」
ショウは破けてしまったメイド服のスカートを押さえ、ダイアを睨みつける。怒りに触発されたのか、炎腕が地面から生えてワサワサとダイアを取り囲む。
炎腕に取り囲まれたダイアは「ふんッ」と再び強風を起こす。吹き散らされる勢いの風が炎腕に襲いかかり、ダイアを取り囲んでいた炎腕は距離を取った。やはり風には弱いらしい。
それでも今回は主人であるショウの怒りに触れて、ダイアの周囲から撤退することはない。すごすごと引き下がることはなく、威嚇するように5本の指を広げて距離を詰めていく。
「それほど怒ることではない。これは名誉あることだ」
ダイアは鷹揚と両腕を広げ、
「私は鳥人の中で最も強い。その強者たる私に愛でられる栄誉は、獣人のみならず人類であれば喉から手が出るほど欲するものだ」
「傲慢ですね、どれほど自信に満ちていればいいのか」
ショウは余裕の笑みすら見せるダイアを睨みつけ、エプロンドレスを脱ぐ。メイド服の破けた部分はちょうどお尻から足にかけての位置なので、エプロンドレスを後ろに向けて装着することで覆い隠すことにした。
大切なメイド服を破いた梟野郎は絶対に許さない。もふもふとした羽毛など諦めて、とっとと全身を黒焦げにして冥府の法廷に立たせるべきだろう。冥府で働く父にその罪を暴かれて怒られるがいい。
ダイアは「ああ、いい目だ」と恍惚とした表情で呟き、
「その気高き瞳を絶望に染めるのが至高だ。そう思わないか?」
「悪趣味ですね」
「貴様の目も素晴らしいものだが、ああ、そうだな」
ダイアはどこか遠くを眺めて、
「あの銀髪碧眼の魔女は、素晴らしい瞳を持っていたな。あれを凌辱し、絶望に堕とすことが出来れば最高だ」
――――――――身体の芯が冷えていくのを感じた。
「……今、何と?」
ショウは静かに問いかける。
足先から体温がなくなっていく感覚。それと同時に、自分の中で何か熱いものが煮えたぎる。
この梟野郎が言った台詞を理解できない。何を言っていたか覚えていないし、覚えていたくない。ただこれだけは理解できるのだ。
最愛の旦那様であるユフィーリアに触れさせること、そして彼女を妄想の世界に登場させることすら許さない。それだけで生きる価値などないのだ。
「安心しろ、あの銀髪碧眼の魔女の次は」
「聞きたくない」
ショウは静かに右手を掲げ、
「ユフィーリアに触れることも、妄想することも、彼女に関する全ての行動は許さない。貴方は今ここで俺が殺す」
真夏を思わせる風ではない。
肌を焼くような熱気が、ショウの肌をジリジリと焦がす。それは天空に座する歪んだ白い三日月が関係していた。
つがえられた巨大な炎の矢が、地上に向けられている。白い梟野郎はようやく空高くに位置する魔弓の存在に気づいたのか、自分の発言がいかに愚かだったか思い知ることになる。
「死ね」
サッと右手を振り下ろすと同時に、冥砲ルナ・フェルノから特大級の炎の矢が放たれた。
避ける間もなく地上へ襲来した炎の矢は、盛大に爆発してダイアを飲み込む。もうもうと砂煙が立ち込め、視界が容赦なく奪われた。
咳き込むショウは、軽く手を振って砂煙を払う。生暖かい風が吹いて砂煙が晴れると、目の前にあったのは白い梟野郎の死体ではなくポッカリと開いた巨大な穴だった。
穴を覗き込むと、どこまでも深く深く続いている。どこまで続いているのか不明だが、何となく予想は出来た。
「ん」
すると、メイド服の衣嚢に入れておいた通信魔法専用端末『魔フォーン』が通信魔法を受信する。平たい板を見やれば、そこに並んでいたのは冥府で働く父親の名前だった。
「父さんだ」
ショウは魔フォーンの表面に指先を触れ、通信魔法に応じる。
「もしもし?」
『ショウかね?』
「どうしたんだ、父さん」
『冥砲ルナ・フェルノを使っているところかね? 実は冥府の空に風穴が開いた訳だが』
「え」
実は結構とんでもないことになっていた。ショウは通信魔法に応じながら顔を青褪めさせる。
「ご、ごめんなさい父さん。実は……」
『何かあったのかね? 冥砲ルナ・フェルノを使わざるを得ない状況というと、また学院長関係か』
「ユフィーリアで懸想した梟野郎がいたから、つい本気を出してしまった……」
『…………』
魔フォーンの向こうにいる父親は押し黙り、
『先程、黒焦げになった状態の鳥人が冥府で確認できた。ショウ、君は気にしないでいい。こちらで処理を済ませておこう』
「ごめんなさい、父さん」
迷惑をかけてしまった父親に謝ってから、ショウは通信魔法を切った。
本気を出すのは止めておこう。いいや、せめて地面めがけて撃つのは止めておこう。
まさか父親に迷惑が降りかかるとは完全に想定外である。ハルアと同じように手加減を覚えなければならないだろうか。
しょんぼりと肩を落とすショウの元に、冥砲ルナ・フェルノが帰還を果たす。「すまん」と言わんばかりに肩を落とすショウの周りをくるくると回った。
「うん、ルナ・フェルノ。大丈夫だ」
歪んだ白い三日月を撫でたショウは、
「ユフィーリアのところに戻ろう。メイド服のスカートを直してもらわなきゃ」
冥砲ルナ・フェルノは頷くように少しだけ上下に揺れると、ショウを乗せて晴れた空を飛び立った。
《登場人物》
【ショウ】冥府の法廷で働く父を持つ異世界出身の女装メイド少年。ユフィーリアに関することで一喜一憂し、他人がユフィーリアに興味を示した途端に敵対認識である。冥府の空にも風穴を開けちゃう。
【ダイア・シュラウド】鳥人の中で最も強いと自負するシロフクロウ。自意識過剰でナルシストな自称ドS野郎。ショウよりもどちらかといえばユフィーリアの相手をしたかったみたいだが、それでショウの怒りを買って冥府に産地直送された。
【キクガ】2度目の冥府の空に風穴が開いたことで息子の異変を察知したが、どうやら息子が自分の意思で風穴を開けたことで安心。このあとちゃんと風穴は直した。