第20話【問題用務員と未来の獣王】
深夜1時を過ぎた頃合いだ。
「ふあ……」
ユフィーリアは欠伸をしながら部屋の長椅子に腰掛け、適当な雑誌の頁を捲っていた。
雑誌の表紙には獣王国『ビーストウッズ』の風景が使われ、見出しとして『絶景100選』なる文字が並んでいる。自然豊かで活気のある獣王国は景色が綺麗な場所も多いので、明日はこれらを巡ってみようかと全員で話し合っていたところだ。
特に明日から国王決定戦が始まる。獣王国を訪れた旅行者はどれほどつまらないものか見学しに行くだろうが、すでにそのつまらなさを体験しているユフィーリアたちは足を運ばない。むしろ他の場所が空いているのをいいことに、絶景スポットを巡っていく所存だ。
机に並べられた酒瓶を手に取り、空っぽの硝子杯に注ぎ入れる。琥珀色の液体が硝子杯の中に我が物顔で居座る大きめの氷を揺らし、カランという涼やかな音が奏でられた。
――カツ、カツン。
音がした。
ふと顔を上げれば、部屋の中に小さな石が転がっている。清掃が行き届いた高級ホテルの客室にあるものとは考えられない。
部屋のカーテンは閉ざされているものの、窓は開け放たれたままだ。夜風を受けて揺れるカーテンの向こう側に、背の高い人影のようなものを認識した。
「…………」
雑誌を閉じ、ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を握りしめて立ち上がる。
隣に繋がる寝室を見やれば、可愛い4人の部下が身を寄せ合って眠っていた。今日は色々な出来事があったので、疲労感も溜まっていることだろう。寝かせておいてやるのが吉か。
はだけた布団を魔法でかけ直してやり、ユフィーリアは開け放たれたままの窓に近寄る。カーテンを開けると、その向こうで立っていた人物と対面を果たした。
「よう、いい夜だな」
夜の闇に溶ける黒髪に爛々と輝く琥珀色の双眸、頭頂部で存在を主張する獅子の耳と腰から伸びた獅子の尻尾が特徴的な半獣人の青年。
バルコニーの柵から身を乗り出したリオンが、爽やかな笑みで挨拶をしてきた。その手には小さな石が握られていたので、ユフィーリアが顔を出さなければ2個目を投げ込むつもりでいたのだろう。
雪の結晶が刻まれた煙管を咥えたユフィーリアは、
「不法侵入をしねえとは殊勝な考えだな」
「昨日は死ぬほど怒られたしな。あんな経験は今後2度としたくない」
「学んだ様子で何よりだよ」
ユフィーリアはバルコニーを示し、
「バルコニーまでなら許す。ウチの部下どもはもう寝てるんだ、部屋に上がるんじゃねえぞ」
「縄張りに入れてもらえるとはありがたいな」
リオンはバルコニーの柵を飛び越えると、軽やかに着地を果たした。さすが身体能力の高い半獣人である。
「ユフィーリア・エイクトベル」
「おう」
「すまなかった」
リオンは唐突に頭を下げて謝意を見せる。
「オレはずっと、ずっと民の為に良かれと思って行動していた。国を変えたいと願ったのも、国家転覆の誘いを持ちかけたのも、全て本心だ。そこは変わらない」
顔を上げたリオンは、
「ただ、やはり自分の奥底で燻っていた望みがあったことも事実だ。それは認めよう」
「その望みってのは?」
「お前はオレの父上――先代の獣王を知っているか」
その話題を持ちかけられ、ユフィーリアは「ああ」と頷いた。
先代の獣王は、歴代の獣王の中で最も強いと言われていた。成人してから国王決定戦に初出場し、見事に優勝を勝ち取ってから50回にも及ぶ玉座防衛に成功している。
自らに挑んでくる成人した王族たちを拳のみで捩じ伏せ、叩きのめし、優れた身体能力と飛び抜けた腕力だけで玉座を防衛してきた。弱肉強食の精神が根付いている獣人や半獣人にとって、先代の獣王は正しく獣人であったのだ。
当時の国王決定戦は、それはそれは人気が高かった。誰もが最強の獣王を一眼でもいいから見たくて、国王決定戦の開催が決まると旅行者が獣王国に殺到するほどだ。ユフィーリアたちも過去に何度か観戦したが、大いに盛り上がったものである。
「お前の親父さんは、確かに強かったな。獣人も、半獣人も分け隔てなく接して獣王国を大きく成長させてきた。今の獣王とは比べ物にならないぐらい、先代の獣王はいい王様だったよ」
「そんな父上だから、オレは憧れたのだ」
古き日々を思い出すかのように夜空を見上げるリオンは、
「父上のように立派な獣王になりたくて、オレは来る日も来る日も努力した。国王決定戦に出場できるのは成人した王族だけだ。オレは父上に挑む日が待ち遠しくて仕方がなかった」
滔々と語り、
「兄上は、恐れたのだろう。オレが成人し、国王決定戦に出場できる年齢になってから王宮の衛兵たちを脅して追放処分にした。本当は殺したかっただろうが、今もなおオレがこの地で生きているとは思っているまい」
淡々と話し、
「追放された先で獣王国の現状を目の当たりにし、自分で出来る限りは民の為を思って行動した。それでも、それでも結局はこの願望に辿り着いてしまうんだ!!」
牙を剥き出し、リオンは叫ぶ。
「オレだって国王決定戦に出たかった!! 父上をこの手で下し、オレ自身の手で獣王の玉座を勝ち取りたかった!!」
静かな夜の風を掻き消す勢いで、リオンの願望が響き渡る。
どれほど努力し、あの最強と謳われた先代獣王に立ち向かおうとしたのか計り知れない。その努力を全て無駄にされてきたのだ。
追放処分となった現在、リオンに国王決定戦へ出場する資格はない。王宮の前でどれほど叫ぼうと、今の獣王が生きている限りは彼が国王決定戦に出場できる可能性は万に一つもない。そのうちリオンが先に死ぬことだろう。
彼が国王決定戦に出場するには、明日開催の国王決定戦に乗り込む他はない。そしてその為には王宮の衛兵など数多くの障害を乗り越えなければならず、規模はまさに国家転覆と同等と言えよう。
「頼む、ユフィーリア・エイクトベル」
炯々と輝く琥珀色の瞳でユフィーリアを真っ直ぐに見据えたリオンは、
「オレは国王決定戦に出たい、だから協力してくれ!!」
その願いに、ユフィーリアは口の端を吊り上げて答えた。
「未来の獣王陛下様に賭けるのも悪かねえ。面白そうだから、その計画に乗ってやろうじゃねえか」
最初から協力するつもりではいたが、獣王国の環境を変える為に国家転覆の計画へ乗り出すのは問題児としてあまりに不釣り合いだ。英雄でも救世主でもなく、その真逆を爆進するユフィーリアたち問題児には似つかわしくない称号である。
お綺麗な理由は唆らないが、リオンの「国王決定戦に出たいから協力しろ」というのはなかなか心躍るものがある。ユフィーリアだって対戦者不在の国王決定戦は見たくない、どうせなら兄弟同士で因縁の対決をしてもらおうじゃねえか。
ユフィーリアは部屋へ振り返ると、
「なあ、お前ら。聞いてただろ? 明日は国王決定戦にお客様を送り込むぞ」
「やっと吐いたのぉ?」
「待ちくたびれたね!!」
「首を長くして待っていたワ♪」
「もうバレているのだから往生際悪く隠さなくてもよかったのに」
広いベッドを占領して寝ていたはずのエドワード、ハルア、アイゼルネ、ショウが揃って飛び起きるとユフィーリアの呼びかけに反応を返す。
彼らもリオンの願望は何となく理解している様子だった。理解はしているが相手が何も言ってこないので放置していただけである。国王決定戦にリオンを送り込むということで、意気込みは増していた。
リオンは感動のあまり琥珀色の瞳を潤ませ、
「オレは優秀な臣下を持てて幸せだなぁ!!」
「誰が臣下だ、クソボケ。寝言は寝て言え」
「いだあッ!?」
ふざけたことを宣うリオンの頬を引っ叩き、ユフィーリアは彼の目を覚まさせてやる。
問題児を御せるなど考えない方がいい。名門魔法学校、ヴァラール魔法学院の学院長でさえ雇われている立場にいるはずのユフィーリアたちを制御できないのだ。相手が王族だろうが何だろうが、自分が気に食わなければ言うことなど聞かないのである。
優秀な臣下をお求めならば、貧困街の住人に金でも掴ませて雇えばいい。問題児は問題児らしく、この国がひっくり返る様を楽しく見物していようではないか。
ユフィーリアは清々しい笑顔で、
「明日が楽しみだな」
「なあ、何でオレは殴られたんだ?」
「起きた状態で寝言をほざいてたからかな」
殴られた頬を押さえて言うリオンに、ユフィーリアはそんな調子でしれっと答えるのだった。
☆
「今日も絶好調だねぇ」
迷彩柄の野戦服に犬が装着する躾用の口輪を胸元にぶら下げ、エドワードは頑丈な長靴の紐を結びながら言う。
「バッチリ!!」
数え切れないほどの衣嚢を縫い付けた特殊な黒いつなぎを身につけたハルアは、軽く準備運動をしつつ応じる。
「持ってきておいてよかったワ♪」
扇状的な赤いドレスを身につけ、履き慣れた踵の高い靴を鳴らすアイゼルネは感慨深げに呟く。
「ユフィーリア、準備できたぞ」
雪の結晶が随所に刺繍された古風なメイド服のスカートを翻し、艶やかな黒髪をポニーテールに結んだショウは愛しの旦那様へと振り返った。
「おう、じゃあ行くか」
首元まで覆い隠す黒の上衣と幅広の洋袴、袖のない外套という肩だけが剥き出しとなった独特の黒装束を着たユフィーリアは問題児を引き連れてバカンスの為に借りた客室を出る。
荷物はすでに転送魔法でヴァラール魔法学院の用務員室に送り届けた。お土産を買うのはまた今度だ。
せっかくのバカンスを楽しんでいたはずだが、ずっと獣王国に滞在していては退屈である。やれることも限られてくるだろうし、ならばいつものように問題行動を起こして楽しむべきだ。
今日の問題行動は、ちょっと大きめで危険な香りが漂うものである。
「楽しんでいこうぜ」
「はいよぉ」
「あいあい!!」
「はぁイ♪」
「分かった」
名門魔法学校を騒がせる問題児は今日に限り、獣王国『ビーストウッズ』を騒がせる大戦犯となるのだ。
《登場人物》
【ユフィーリア】この度、国家転覆の計画になることを選んだ魔女。獣王国のためというより、リオンが国王決定戦に出場したいという欲望を叶えた方が面白い。
【リオン】先代の獣王に憧れて身体を鍛えていたのだが、自分が成人した途端に兄の策略にハマって王宮から追放された。国王決定戦に出れるかもしれないという可能性に期待を抱く。
【エドワード】上司が決めたことなので、上司が何か言うまで現状維持を続けていた。忠犬なので待ちます。
【ハルア】実はあの時寝ているふりをしながら、ショウと指相撲をしていた。
【アイゼルネ】いつも死んだように眠るので、今回も目を閉じていただけで寝ていると判断されたらしい。
【ショウ】ハルアとの指相撲は1勝1敗で終わった。次は勝ちたい。