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第16話【問題用務員と腐敗病】

 シャルの自宅は、他の家屋モドキと同様にガラクタを寄せ集めただけの物置みたいに小さな建物だった。


 ボロボロの布が扉の代わりとなっており、その薄い布の向こう側から激しく咳き込むような声が聞こえてくる。「お母さん……」とシャルの悲しそうな声も聞こえてきた。

 扉の代わりであるボロボロの布を捲れば、部屋には色褪せた絵本や腕の千切れたぬいぐるみなどが散乱している。縁が欠けた皿が何枚も重ねられて隅に置かれており、台所のような場所は見当たらない。狭い部屋の奥には汚れた布が敷かれており、そこに痩せ細った半獣人の女性が横たわっていた。


 シャルは涙を堪えてで女性の手を握っており、彼女の弟らしき子供はわんわんと泣きながら女性に縋り付いている。痩せ細った女性は小枝のような手でシャルの手をかろうじて握り返しているだけで、ひゅーひゅーと喉の奥から苦しそうな呼吸が漏れるだけだ。



「シャル……ネロ……ごめんね……」


「お母さん、死んじゃ嫌よ……!! あたしの花嫁姿を見てくれる約束でしょう!?」



 ついに堪えきれなくなったのか、シャルの瞳からはボロボロと涙がこぼれ落ちる。母親はなおも「ごめんね……」と小さく謝るだけだ。

 リオンは部屋の隅に立ち尽くして、悔しそうに歯噛みをするだけである。拳を握りしめすぎて爪が皮膚に食い込み、僅かに血が足元に滴り落ちている。あれほど陽気な彼でも救えないものがあるのかと驚きだ。


 深刻そうな室内を覗き込むユフィーリアは、



「なあリオン、シャルのお袋さんは何かの病気か?」


「ああ、腐敗病ふはいびょうだ」



 リオンは消え入りそうな声で、



「不治の病とされている病気で、医者も治療に匙を投げた。もうシャルの母親は助からん」


「え?」



 ユフィーリアは病名を聞いて驚いた。


 腐敗病とは身体が腐っていく病気である。皮膚が腐り、骨が腐り、内臓が腐り、やがて死に至る重篤な病だ。特効薬もなく、腐敗病に罹ってしまうと医療技術では手に負えなくなってしまう。不衛生な場所で長時間に渡って滞在すると発症する確率が高くなるので、きっとシャルやその弟も腐敗病に罹っている可能性も考えられる。

 ただ、不治の病とは言っても世の中には大変便利なことに治癒魔法がある。病気の診断が出来る医学知識に長けた魔女や魔法使いが治癒魔法を扱うのだが、中には神託によって治癒魔法を行使する魔女もいるので腐敗病が治らない訳ではない。


 腐敗病が不治の病として認識されていたのは、治癒魔法がまだ高等技術として認識されていた500年以上前のことである。それなのに、まだ不治の病としての認識が外れていないのか?



「ふざけんじゃねえぞ、クソ馬鹿王子野郎が!?」


「へぶんッ!?」



 ユフィーリアは思わずリオンの頬を殴っていた。


 室内なので手加減をしたが、今この状況でぶん殴ることではない。だが我慢できなかったのだから仕方がないのだ。

 500年前の知識から進歩した技術を吸収しようともせず、目の前で潰えそうな命をただ黙って見ているだけとは王族が聞いて呆れる。少しは勉強をしようという気力は起きないのか。



「治らない? 治らないだァ? お前の頭の中身は一体何年前で止まってんだ馬鹿野郎、そんなんで国を変えるとか言ってんのか。進歩するどころか後退するわ!!」


「腐敗病は不治の病だ、治せる訳がない!!」


「魔法があるだろうが何言ってんだカス!!」



 もう1発、今度は顎を殴ったユフィーリア。殴られたリオンは「ぐおぉ……」と呻き声を発すると共に、その場で膝をついた。



「お前ら半獣人デミ・アニマや獣人が魔法を使えねえってのは理解してる。魔法を使う為の神経がない代わりにずば抜けて身体能力が高かったり、力自慢だったり、平均的な寿命が飛び抜けているってのも過去にご協力いただいた半獣人や獣人のお陰で魔女や魔法使いの間じゃ常識なんだよ」



 リオンやシャルなどの半獣人デミ・アニマ、そして純粋な獣人には魔法を使う為の神経が備わっていない。代わりに身体能力が非常に優れており、怪力だったり、平均寿命が長かったりと利点に見える部分は多いのだ。

 ただ、時代は進歩する。魔法を使えないのが半獣人や獣人であるという認識だが、今は外部で注入された魔力の電池みたいなものを用いることで魔法に使う際にいる神経が必要なくても魔法を使えるような魔法兵器が発明されているのだ。誰だって魔法を自由に使える時代である。


 そんな時代なのに「魔法が使えないから」という言い訳を掲げて魔法を学ぼうとしないのは、知識が停滞している証拠である。進化もクソもない。



「国を変えたいって理想を掲げるならまず自分が変われ!! 魔法の基礎から勉強して出直してこい!!」



 痛みを訴える顎を押さえて呻くリオンに一喝し、ユフィーリアは寝床らしき布の上で苦しむ半獣人の女性に駆け寄った。


 顔色は最悪だが、顔の皮膚にまで腐敗は届いていない。シャルの手を握る指先はすでに緑色と紫色が混ざり合ったような腐敗の魔の手が及んでいるのだが、病の進行具合はギリギリと言ったところだろう。

 涙を流すシャルと弟を「ちょっと失礼」と押し退け、胸の辺りまでかけていた布を捲る。ボロボロの衣服を身につけた女性の身体には満遍なく緑色や紫色の腐った痕跡が広がっており、特に下半身の部分は元の肌の色が判別つかないほど腐敗病が進行していた。


 虚な瞳でユフィーリアを見上げてくる女性は、



「どちら様……何のお構いも出来ずに……」


「お袋さん、喋んないでいいから。すぐに楽にしてやるからな」



 ユフィーリアは女性の胸元や首筋など腐敗が進む肌に触れながら、



「お嬢ちゃん、お袋さんが病気になったのはいつだ?」


「え、えと、2年前……」


「2年も持ったか、さすが半獣人だな。普通の奴だったら半年で死ぬけど、2年も持ったなら生命力が凄えんだな」



 頭の中で魔法式を描きながら、ユフィーリアは「起こすぞ」と女性を抱き起こす。

 もうすでに力が出ないのか、女性は抱き起こしたユフィーリアにもたれかかるだけだった。抱き起こした拍子に激しく咳き込む。肺にまで腐敗病が進行しているようだ。


 ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を女性の頸に突き立て、



「お袋さん、息吸って」



 耳元で触れる浅い呼吸。



「吐いて」



 はあ、という温かな吐息。



「そのまま吐き続けて」



 身体の空気を全て吐き出すと共に、女性の身体から力が抜けていく。その隙を見計らって、ユフィーリアは魔法を発動させた。



「〈治癒せよ〉」



 その時である。


 女性の身体を支配していた緑色や紫色の腐敗部分が、徐々に消えていったのだ。ボロボロの衣類から垣間見えていた腐敗病の証がなくなり、元の真っ白な肌が蘇る。

 それと同時に、女性の呼吸も安定していた。驚いたように腐敗がなくなった指先を眺め、咳の出なくなった喉を撫で、唖然とした視線でユフィーリアを見据える。


 役目を終えたユフィーリアは同じく呆然とした様子で座り込むシャルを見やり、



「よかったな、お嬢ちゃん。お袋さんに花嫁姿を見せてやれ」



 その一言で、シャルと弟の涙腺が決壊した。



「お母さん!!」


「かあちゃん!!」


「シャル、ネロ!!」



 親子3人、感動の抱擁である。

 腐敗病も完全に治癒したが、この悪環境にいれば再発する可能性だってある。それに今まで共に生活していたシャルと彼女の弟が腐敗病に感染していないとは限らない。いずれ発症するなら今のうちから何らかの対策をしておくべきだろう。


 元気に我が子を抱きしめる半獣人デミ・アニマの女性を眺めるリオンに、ユフィーリアは綺麗な笑みを見せて言う。



「今度からお前を無能って呼んでやろうか?」


「……そうだな、オレは無能かもしれん」



 すんなり肯定したリオンに、ユフィーリアは面白味のなさを感じた。馬鹿にしているのだから少しぐらい抵抗してくれてもいいのに。



「魔法、魔法か。そうか、世の中は魔法の使えない連中にも優しくなったんだな」


「そりゃ浸透させるのに時間はかかったけどな」



 誰でも魔法を使えるように、という意味合いでヴァラール魔法学院は存在している。魔法を学びたいと望むのであれば、たとえ魔法が使えなかったとしても卒業する頃には立派な魔女や魔法使いになれるのだ。

 必要なのは『学びたい』という意思である。その意思がなければ、魔法を学ぶことなんて楽しくない。


 ユフィーリアは意気揚々とボロ屋から出て、



「さぁすがだねぇ」


「見事なお手前!!」


「お説教から治療までの流れが完璧だワ♪」


「さすがユフィーリアだ」


「褒めるな褒めるな、調子に乗っちゃうだろ」



 エドワード、ハルア、アイゼルネからは軽い褒め言葉をいただき、最愛の嫁であるショウには背後から抱きつかれるというご褒美までもらった。たまには問題児も人助けをしてもいいだろう。



「お姉様!!」


「ぐふッ」



 唐突にお腹へ衝撃が起きた。

 見ればシャルと、その弟がユフィーリアに抱きついていたのだ。さすが身体能力に優れた半獣人、衝撃が凄すぎて胃の中身が出るかと思った。


 シャルはユフィーリアを強く抱きしめて、



「お母さんを助けてくれてありがとう!!」


「ちょ、ぐるじい、綺麗な川が見えそう……」



 ギリギリギリギリと背骨を折る勢いで抱き締めてくるので、さすがにユフィーリアも綺麗な川が見えそうになった。何なら冥府で働くショウの父親に出会いそうになった。

 熱い抱擁で死に至るなど洒落にならない。出来ればご遠慮したい死因である。しかもシャルだけならまだしも、一緒に弟君もお腹に抱きついて胃を圧迫してくるので内臓も押し出されそうだった。


 シャルは慌てて「ごめんなさい!!」と離れると、



「お姉様、とっても格好良かったわ!!」


「お姉様?」


「お母さんを助けてくれたんだもの、あたしのお姉様よ!!」



 興奮気味のシャルは、



「ねえ、お姉様。あたしもお姉様みたいな魔女になりたいの。なれるかな?」


「おうよ、たくさん勉強すればなれるさ」



 ユフィーリアはシャルの頭を撫でてやり、



「いつかヴァラール魔法学院においで。今はやりたいことが漠然としているだろうけど、世界最高峰の魔法学校はお前の未来に損はさせねえさ」



 そう言ってやれば、シャルは「うん、お金を貯めて絶対に行く!!」と笑いながら宣言してくれた。果たして何年かかるか分からないが、目標が出来ることはいいことである。



「どうしたんだい」


「腐敗病が治ったんだと」


「ありゃ不治の病じゃなかったんかい」


「どんな奇跡だ?」


「いいなぁ」


「俺らもその奇跡にあやかりたいぜ」



 すると、不治の病と言われている腐敗病が完治したという話を聞きつけた貧困街の住人たちが次々と集まってくる。誰も彼もユフィーリアに羨ましそうな眼差しを向けていた。

 選んだつもりはないが、1人を治癒したら今度は自分も、という訳である。全員を治療していたらキリがないと言われるだろうが、ここにいるのは無尽蔵の魔力を持つ魔法の天才様だ。


 ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を咥え、



「調子が悪い奴は治療してやる。ただしお前ら、今日からアタシに足向けて寝るんじゃねえぞ。死ぬまでアタシを崇め敬え!!」



 少しばかり「えー」という文句は聞こえてきたが、ユフィーリアは無視して集まってきた住民の治療に移るのだった。

《登場人物》


【ユフィーリア】意外と医療知識も持っている魔女。治癒魔法の達人が学院にいるので頼りがちになってしまうが、魔法に付随する知識なら習得済みの才女である。

【エドワード】風邪も引いたことなければ怪我もない。身体が頑丈である。

【ハルア】風邪は引いたことないが、怪我は常識である。ただ腕を骨折しても3日で治したほどの高い治癒能力を持つ。

【アイゼルネ】最近は風邪も引かないし怪我も気をつけている。元より両足がないので、むしろそれが怪我のようなものである。

【ショウ】怪我も風邪も昔は常識だったしよく死にかけたが、この世界に来てから怪我も風邪も無縁な生活である。腐敗病なんて初めて見た症状だ。


【リオン】ある程度の医学知識はあれど、数百年前単位で止まっている。民のためにも勉強し直さなきゃ。

【シャル】母親の命を救ってくれたユフィーリアには大感謝。半獣人でも魔法が使える世の中になったと聞いたが本当かしら? もし本当なら魔法を勉強してみたい!

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