第15話【問題用務員と貧困街】
大量の食べ物を荷車に積んだリオンについて行き、その先に待ち受けていたのは薄暗い日陰の街だった。
獣王国『ビーストウッズ』の果てにある、貧しい半獣人たちが身を寄せ合って暮らしている貧困街である。汚れた道にはゴミが積み上げられており、家屋はガラクタなどを寄せ集めて作られたボロボロの状態なものが並んでいる。これでは雨風など凌げない。
幽鬼のように歩き回る貧困街の住民は、ボロ雑巾と見紛ってもおかしくない衣類を身につけていた。何日も風呂に入っていないのか髪も肌も汚れており、裾や袖から伸びる小枝のように痩せ細った手足は傷だらけだ。
こんな場所を不用心に歩けば、貧困街の住民にとってはいいカモである。身包みを剥がされて殺されるか、女性や子供だった場合は強姦されたのちに殺されそうである。どのみち待ち受ける未来は最悪の状況でしかない。
「お前たち、食事の時間だ。数に限りがあるから子供を優先とする!!」
そんな貧困街の住民に、リオンは荷車を引きながら大声で呼びかける。
道端に寝転がっていた男や建物の影に隠れていた子供たち、まだ乳飲み子を抱きかかえた女性などが一斉にリオンの元へ押し寄せる。「子供が優先だと言っているだろう!!」とリオンが一喝すれば、荷車の食べ物に手を伸ばそうとしていた住民たちが言われた通りにすごすごと引っ込んだ。
成長途中にある子供たちだけがリオンの周りに集まり、手ずから紙に包まれた食事を渡されていた。色とりどりの瞳が輝き、様々な動物の耳が揺れ、弾んだ声で「ありがとう、リオンにいちゃん!!」などと口々にお礼を言う。
リオンは快活に笑いながら、
「そうかそうか、少しで悪いがちゃんと食って大きくなるがいい。子は国の宝だからな!!」
「うん!!」
「にいちゃん、いつもありがとう!!」
子供たちは包み紙を汚れた手で破り捨てると、中から出てきたパンにかぶりつく。久しぶりの食事だと言わんばかりの勢いだった。
リオンは次いで、大人たちに食事を手渡していた。大人たちもまた子供たちと同じように感謝の言葉を述べて、包み紙を丁寧に剥がしてから中身のパンを口いっぱいに頬張っていた。中には涙を流しながら食事をする者もいて、彼らには「泣きながら食事をする奴がいるか」とリオンが呆れた様子で言っていた。
食事を貧困街の住民に分け与えるなど、下心ありきの慈善事業でもしているのかと思えても仕方がない。だがこの光景を見ると、リオンは貧困街の住民から相当敬われていることが分かる。全員してリオンの言うことを聞くのだから、上手いこと関係性を築けているのだ。
「ねえちゃんたち、だれ?」
「しらないひとだぁ」
「きれいなかっこうだなぁ」
不意に足元から声がした。
早々に食事を終えてしまった子供たちが、リオンの後ろについて回るユフィーリアたちに羨ましそうな眼差しを向けていた。大きくつぶらな瞳が何かを選別するように蠢く。
ユフィーリアはショウとアイゼルネを守るように警戒し、雪の結晶が刻まれた煙管を握りしめる。いざとなれば魔法で応戦、それから転移魔法で撤退である。誘われるがままに貧困街までやってきてしまったが、やはり不法侵入をやらかすような男の言葉に乗るのはよくなかったのだ。
ところが、
「お前たち、この者どもは我々の同志だ。無礼を働くことはこのオレが許さん」
リオンは子供たちを睨みつけると、
「言ったはずだ、仲間割れは愚か者のすることだと」
「ごめんなさい……」
「わ、わるかったよぅ……」
リオンに睨みつけられ、子供たちは弱々しく謝罪してきた。
襲い掛かられると思ったが、やはりリオンとの関係性を良好に保ちたいのか態度を変える。ユフィーリアたちを狙っていたらしい大人連中も、リオンに説教されるのが嫌なのか視線を逸らしていた。
謝罪をしてきた子供たちの頭を撫でたリオンは、
「謝罪が出来たことには褒めてやろう。もう考えるなよ」
「うん」
「わかった」
「特にこの白い髪の女は、オレが口説き落としてきた魔女だからな。粗相をして見捨てられたら敵わん」
「え、そうなの?」
「そうなの?」
子供たちの目線が一気に変わる。期待というよりは興味といったような雰囲気があった。
「リオンちゃんにもうそんなお相手が……」
「リオンちゃんも顔は格好いいからなあ」
「お似合いだ」
「別嬪さんだしな」
しかもよくねえ方向に話が進んでいっている。大人たちも納得していた。納得すんな。
「おいこのクソ野郎、何ふざけたこと抜かしてんだ」
「あだッ、いだだだッ、肩甲骨のところを煙管でグリグリするな!!」
「痛くしてやってんだよォ、勝手なことを言いやがってよォ。誰がお前に口説き落とされたんだ、お前のことなんか毛ほども興味ねえわ」
ユフィーリアはリオンの背中にグリグリと煙管を突き刺してやり、
「アタシには綺麗で可愛いお嫁さんがいるんですゥ、お前なんぞお呼びじゃねえんだよクソ変態野郎」
「冗談が通じんのか、この魔女は」
「笑えねえ冗談は嫌いなんだよ」
舌打ちをしたユフィーリアは、
「お前ら帰るぞ、このクソ馬鹿変態野郎の戯言に付き合ってられるか」
「まーて待て待て頼むから待て思い直せ」
「お? 何だ、自ら死ににきたのか?」
「ふざけましたごめんなさいちょっと強がりましただからお願い帰らないで帰らないで」
リオンは情けなくユフィーリアの足にしがみついて縋りついてくるのだが、
「リオンさぁぁぁぁぁあああああああん!?!!」
その時、貧困街に絶叫が響き渡った。
リオンは弾かれたように立ち上がり、周囲を警戒するように見渡す。それから慌てて逃げようとするのだが、彼の腰に勢いよく誰かが突進してきて地面に押し倒されてしまった。
突進してきたのは黒猫の耳が特徴的な半獣人の少女だった。勝ち気な印象を与える顔立ちと吊り上がった緑色の綺麗な双眸、洗濯のしすぎで擦り切れたワンピースの下に隠された華奢な体躯。腰から伸びた黒猫の尻尾は、少女の怒りを表現するようにぶわぶわと膨らんでいた。
少女は牙を剥き出しにしてリオンの上に馬乗りとなり、
「あたしという女がいながら、他の女と浮気!?」
「シャル、落ち着け。オレは別にそういった意味で言った訳では」
「誰よ!! どこの馬の骨よ!?」
少女は憎悪に満ちた眼差しをユフィーリアに向けてくると、
「お前かあ!!」
「させません、ちぇすと」
「いだあッ!?」
飛びかかってきた少女とユフィーリアの間に躍り出たショウは、彼女の横っ面に強烈な平手打ちを叩き込んでいた。
平手打ちを叩き込まれた少女はギロリとショウを睨みつけるも、ショウは逆にゾッとするほど冷たい視線を少女に突き刺していた。ついでに勘違いの原因となったリオンのことも睨みつけていた。仲間割れがどうのとリオンが高尚なことを宣っていたが、今や一触即発の仲間割れ状態である。
少女は「何すんのよ!?」と叫ぶが、
「そこの変態の妄言にユフィーリアを巻き込まないでください。彼女のお嫁さんはこの俺です、別にそこの男とは何の関係もありません」
「え、ないの?」
「俺の最高の旦那様を口説き落としたなどという妄言は信用しないでいただきたいです」
ショウの言葉を受けて、少女は「なぁんだ」と安堵する。ようやく自分の早とちりであることと、リオンの戯言であることを理解したようだ。
「ごめんなさい、早とちりしちゃった」
「大丈夫です。こちらも殴ってごめんなさい」
「いいの、殴ってもらわなかったら止まらなかったわ。あなたの旦那さんを傷つけてしまってかも」
少女は先程までの態度とは一転して、聞き分けよく応じていた。根はいい子なのかもしれない。
「あたしはシャルよ、リオンさんのお嫁さんになるの」
「誰がお前を娶るか」
澄まし顔でそんなことを言うシャルに、リオンは低い声で唸った。
「子供を嫁に娶る気はない、他を当たれと何度も言っただろう」
「そんなことを言ってるけど、本当はあたしのことが大好きなのよダーリンは」
「誰がダーリンだ!?」
正妻の余裕すらあるのか、シャルは笑顔のままである。逆にリオンが追い詰められているような雰囲気すらあった。
愉快である。先程まで余裕をぶっこいていたリオンが、たった1人の少女によってここまでタジタジになってしまうとはいい気味だ。この光景だけで今日のお昼ご飯が美味しくいただけそうである。
ユフィーリアはたじろくリオンを指差して、
「愉快」
「不敬」
「ンだとやんのか不法侵入者。お前、このお嬢ちゃんと結婚させてやってもいいんだぞ」
「止めろシャルを何歳だと思っている、結婚などまだ早いわ」
確かにそうだ、シャルの見た目は結婚するにはまだ早すぎる。リオンと年の差がありすぎるので、リオンの方が変態認定を受けることとなるだろう。
年齢が成人に達していない場合、結婚をすることが出来ない。シャルがリオンに夢中なのは今だけで、もしかしたら数年経てば彼女の王子様が迎えにきてくれる可能性だってある。そうなったらシャルの束縛から解放されるだろう。
ユフィーリアはシャルに優しい笑みを見せ、
「お嬢ちゃん、何歳?」
「これでも17歳になったの。来月には18歳よ」
「お、よかったな」
ユフィーリアはポンとシャルの肩に手を置き、
「いいことを教えてやろうか、お嬢ちゃん。実はこの国の法律だと、16歳から好きな人のお嫁さんになれるんだ」
「!!」
「まあそれでも同意は必要になってくるんだけどな。でもお嬢ちゃんが17歳なら、あそこのお兄ちゃんと結婚できるんだよ」
シャルの表情が徐々に明るくなっていく。
これは世の中の法律とか常識的なアレではなく、獣王国『ビーストウッズ』の掲げる法律を参照にした知識である。今の獣王がご健在なら、結婚は16歳から認められるという文言が生きているのだ。
つまりリオンが逃げるには、獣王を倒すしかなくなっていた。後にも先にも道がない、八方塞がりである。
その時だ。
「ねえちゃん、たいへんだ!!」
シャルと同じような黒猫の小さな子供が、裸足のままペタペタとシャルの元に駆け寄る。小さな手を目一杯伸ばしてシャルの服の裾を掴むと、
「かあちゃんがちをはいた!!」
シャルの顔が青褪める。それから服の裾を掴んできた小さな子供を抱きかかえると、彼女はどこかを目指して走り出す。
話の内容から判断するに、シャルとその弟らしき子供の母親が血を吐いたということだろう。血を吐くということは重篤な病に侵されている証拠だ。
その知らせを受けたリオンもまた、シャルの背中を追いかけて走り出してしまう。残されたのはユフィーリアたちだけだ。
「どうするのぉ?」
「興味あるから行く」
エドワードの何気ない問いかけにサラッと答えたユフィーリアは、遠ざかっていくリオンの背中を追いかけるのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】貧困街の連中にリオンが慕われているとは意外である。貧困街の連中って王族のことを嫌いそうなのに。
【エドワード】部屋に不法侵入をかました野郎がここまで慕われる世の中って一体……?
【ハルア】危ない予感しかしないので出来る限り早く帰りたい。
【アイゼルネ】あんまり綺麗じゃないし、前職のことを思い出してしまうので一刻も早く帰りたい。
【ショウ】16歳から結婚できるのか、いいことを聞いた。
【リオン】たった1人の半獣人にタジタジにはなるが、カリスマ性を持ち合わせる第二王子様。貧困街の住民から慕われている。
【シャル】リオンに一目惚れをした半獣人の少女。幼い弟がいる。名前はネロ。