第1話【問題用務員と魔導書図書館】
「…………」
多くの生徒が移動教室の際に通る正面玄関にて、ヴァラール魔法学院創立以来の問題児と名高いユフィーリア・エイクトベルは立ち止まっていた。
彼女が注目しているのは、連絡事項や行事予定の張り紙が掲示されている掲示板である。連絡事項には「寮室の清掃は自分で」や「ゴミの回収日について」などの生活関連、行事予定には「4月から5月の行事」という内容が記載されている。
その中で、特に目立たない場所に張り出された羊皮紙に『今月の新書』という題名のものがある。5冊程度の書籍の題名が記載され、それらが貸出予定となっている様子だった。
【初級】
・簡単、属性魔法〜これでアナタも完璧な属性魔法使いに!!〜
・浮遊魔法の応用術〜箒を使わずに出来る!? 簡単、浮遊魔法の使い方〜
【中級】
・魔法植物の見分け方、改訂版〜希少魔法植物まで記載〜
【上級】
・マレット=ウィングスマンの手記※
【特級】
・世界終焉ノ予言書※
※の印がついた魔導書は『魔導書解析学』の履修が必要となります。
羊皮紙に記載された5冊の魔導書の題名を確認したユフィーリアは、
「グローリアの奴、アタシが前々から言ってた『世界終焉ノ予言書』をとうとう入れやがったか!!」
彼女の声は弾んでいた。
図書館にある魔導書は、要求すれば該当する魔導書をすぐに図書館へ置いてくれるのだ。魔導書は授業でも使う場面が何度もあるので、生徒から要求があった時は意外と迅速に行動してくれる。
まあユフィーリアは用務員以前にまともな仕事をしない問題児なので、要求をしても通らなかったのだ。学院長にも直談判したが門前払いを食らってしまった。
今回の貸出予定には、ユフィーリアが前々から図書館に並べるように要求していた魔導書が掲載されている。これは生徒の手に渡る前に借りたいところだ。
「そうと決まれば魔導書図書館に行くか」
「それは一体どこだ?」
「おおおおうッ!? 背後に立つのは誰だァ!?」
慌てて振り向けば、その先に立っていたのは本日もメイド服でお洒落をしている可愛い新人のショウだ。
真っ黒なワンピースの裾はくるぶしまで届かん勢いで長く、さらに白い雪の結晶が刺繍されている。上から身につけた純白のエプロンドレスにも薄青の糸で雪の結晶が刺繍され、スカートの裾から伸びる黒い長靴下に覆われた足元は磨き抜かれた革靴で守られる。
艶やかな黒髪を赤い髪紐で1つにまとめ、さらに頭頂部にはホワイトブリムが燦然と輝く。本日の装飾品は、胸元を飾る赤い魔石を使ったスカーフだ。真っ赤な彼の瞳とよく似合っている。
「何だ、ショウ坊か……驚かせんなよ」
「ごめんなさい。ユフィーリアが張り紙を熱心に見ているから、何かと思って」
ショウは掲示板に張り出された『今月の新書』という題名の羊皮紙を探し出し、
「あの題名は全て魔導書なのか?」
「そうだぞ。今月から魔導書図書館で貸し出しされるんだ」
雪の結晶が刻まれた煙管を咥えて、ユフィーリアは言葉を続けた。
「魔導書図書館ってのは、この世界で最大級の魔導書のみを置いた図書館だな。世界中から集められた魔導書があるって言われてる」
魔導書図書館の存在は、エリシアでは少ないが確かにある。
ただ魔導書のみを置いても、魔法が使えない人間からすればただの意味の分からない書籍に過ぎない。どうしても一般書籍と混同した状態で図書館に置かれるので、魔導書の蔵書は少なくなる。
ヴァラール魔法学院の魔導書図書館は、魔導書のみを置いた巨大な図書館である。蔵書数は100万冊を超え、世界中から集められた魔導書が置かれていると有名だ。
外部の人間も魔法を研究する際に、わざわざこの魔導書図書館を利用するぐらいだ。あらかじめ学院宛に許可を得れば、外部の人間でも利用できる仕組みである。
その説明を受けたショウは瞳を輝かせ、
「俺も行っていいだろうか?」
「もちろん。興味があるなら付き合ってもらおうじゃねえか」
「やった」
ショウは嬉しそうにはにかむと、
「それなら、ちょっとしたデートになるだろうか。楽しみだ」
「でー……?」
ユフィーリアの思考回路が停止する。
ショウの可愛さで思考回路が崩壊寸前というのも、まあ考えられる理由だ。
1番の問題は彼の発言である「デート」だ。逢引き、逢瀬、ランデヴーである。
魔導書図書館を進んで利用するのは問題児の中でユフィーリアのみで、可愛い新人のショウも興味を持ってくれたのであれば嬉しい限りだ。エドワードやハルア、アイゼルネは読書には向いていないようで、頁を捲って10秒で眠りの世界に旅立つほどである。
つまり、これは2人きりである。なるほど完璧にデートだ、紛うことなき逢引きだ。しかも易々と邪魔されず、うるせえ奴らも寄り付かない魔導書図書館で。
ユフィーリアは「すー……」と静かに息を吐きながら気持ちを整理して、
「発言が可愛くてしんどい……」
「ユフィーリア?」
「いや何でもねえ。デートな、デート」
気持ちを切り替えて、ユフィーリアは「じゃあ行くか」とショウに手を差し出す。
「デートならエスコートしてやらねえとな?」
「……えと、その」
ショウは恥ずかしそうに視線を彷徨わせたが、やがてゆっくりとユフィーリアが差し出す手に自分の手を重ねようとする。
これで横合いから伸びてきた野郎の大きな手が邪魔をしなければ、ショウと仲良く手を繋いで魔導書図書館に行けたはずだった。
ユフィーリアの手を掴んだのは、目の前の可愛い新人ではなくユフィーリアの次に用務員の勤務歴が長いエドワードである。意地の悪い笑みを浮かべた彼は、可愛いメイドさんのショウを抱き寄せて言う。
「ユーリぃ、どこに行くのぉ?」
「オレたちもついてっていい!?」
「おねーさんたちも連れて行ってくれなきゃやーヨ♪」
「お前ら……」
ユフィーリアが熱心に掲示板に注目している横を素通りし、あまつさえ「先に用務員室に戻ってるねぇ」などと言っておきながらこの仕打ちである。何の恨みがある。
先輩用務員で年齢も近いハルアが「こっちだよ!!」とショウの手を引き、雪の結晶が刺繍された黒いワンピースの裾を翻してされるがままに引っ張られていくショウ。せっかく可愛い新人と手を繋げると思ったのに、台無しである。
雪の結晶が刻まれた煙管を噛み、ユフィーリアは恨みがましそうにエドワードと南瓜頭の娼婦ことアイゼルネを睨みつける。2人は知らん顔でハルアとショウを追いかけた。
「お前ら、性格悪いな!!」
「ショウちゃんと2人きりで出かけさせる訳ないじゃんねぇ。全力で邪魔しちゃうもんねぇ」
「おねーさんたちだってデートしたいのヨ♪」
「魔導書図書館なんて絶対にお前らが寄り付かない場所なのに!!」
いつのまに部下たちはこんなに性格が悪くなってしまったのだろう、とユフィーリアは頭を抱えるのだった。
☆
魔導書図書館は硝子張りの三角錐の形をしている。
透明な硝子を通して降り注ぐ陽光は、何もない空間を燦々と照らしている。
十分に駆け回れるほど広い三角錐の内部は、図書館らしく本棚の存在はない。あるのは広い空間の中央に設置された、石碑のような台座だけだった。
「ここが魔導書図書館なのか?」
想像と違っていたらしいショウは、不思議そうに首を傾げる。
当然ながら、この三角錐の内側にある何もない部屋が魔導書図書館ではない。ここにはヴァラール魔法学院が自慢とする100万冊を超える魔導書がないのだ。
かと言って、指を鳴らしたり魔法の杖を振れば目当ての魔導書が出てくるという訳ではない。ちゃんと図書館らしく魔導書は存在するのだ。
まあ、本棚の群れみたいな図書館とは全然違うのだが。
「魔導書図書館はこの下だ。ここは玄関だよ」
「玄関……? 随分と殺風景だが」
「まあ見てろって」
ユフィーリアは空間の中央に設置された台座に歩み寄り、
「すっ転ばねえように足腰に力を入れてろよ」
「?」
何のことか分からない、とばかりにショウは首を傾げている。表情にも疑問が滲み出ていた。
このままの状態にしておくと転んで痛い目に遭ってしまうので、ショウのことはハルアに支えてもらうことにする。ハルアがショウの手を握って「ショウちゃんのことは任せて!!」と言う。
ユフィーリアは台座に雪の結晶が刻まれた煙管を翳して、
「〈我ら、魔法を学ぶ者。魔法を極めし者〉」
ズズ、と足場が揺れる。
「〈幾万の魔導書の世界に、我らを導き給え〉」
さながら地震と錯覚するほど足元が揺れたと思えば、ズズズと音を立てて足場が沈んでいく。
頭上を覆う三角錐の天井が徐々に遠ざかり、次いで見えたのは真っ暗な空間だ。
この空間を超えた先に魔導書図書館があるのだ。地下空間に100万冊を超える世界最大級の魔導書専門の図書館を作るとは、これを設計した人物は相当な遊び心を持っている。
「つってもな、魔導書図書館って訳じゃねえんだよな。魔導書を貸し出す場所だから便宜上『図書館』って言ってるけど」
「? それでは一体どういう……」
「それは実物を見てからのお楽しみだ」
揺れる足場によって転ばないようにハルアに支えられるショウへ、ユフィーリアは指を下に向けた。
真っ暗な空間もやがて終わりを遂げ、その先に広々とした別世界が存在していた。
地下空間だというのに晴れ渡った青空があり、何故か太陽が燦々と輝いている。よく見れば魔法で出現させた人工太陽であり、白い雲の存在も確認できた。
「うわあ……」
感嘆の声を漏らすショウは、足場の向こう側に広がる世界に赤い瞳を輝かせる。
「ようこそ。魔導書図書館改め、魔導書都市へ」
そこは図書館ではなく、完全に1つの都市だった。
噴水が設置された中央広場から東西南北に太い道が伸び、それからさらに枝分かれして蜘蛛の巣の如く道が広がっていく。煉瓦造りや石造りの一軒家が建ち並び、中には飲食店らしき店もあった。
そして何より、そこかしこに本が積まれている。道端に落ちていたり、路肩に設置された長椅子に積み重ねられていたり、一軒家の郵便受けには開きっぱなしになっている魔導書が突っ込まれている。
これが魔導書図書館改め、魔導書都市である。魔導書があちこちに落ちているのが普通であり、本棚の存在はない。
意外と目当ての本を探すのは至難の業だが、こちらには探索魔法があるので問題はない。ここでゆっくりと読書を楽しむのもいいだろう。
初めて見る魔導書都市の光景に感動するショウを横目に、ユフィーリアは「連れてきてよかったなァ」と密かに思うのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】好きな本の種類は魔導書。それ以外だと図鑑や参考書、画集などが好き。
【エドワード】好きな本の種類は料理本。自分でも作るし、美味しい料理がたくさん載ってる。
【ハルア】好きな本の種類は絵本。ユフィーリアによく読んでもらってる。
【アイゼルネ】好きな本の種類はファッション雑誌。トレンドはチェック済み。
【ショウ】好きな本の種類は小説。元の世界では出来る限り図書館や図書室に入り浸り、子供用の小説から大人用の小説まで全制覇した。