第10話【問題用務員と総合衣装専門店】
次の目的地は、アイゼルネの希望で総合衣装専門店である。
「総合衣装専門店?」
「いわゆる洋服しか置いてねえ百貨店のことだな。高級品からお手頃価格の衣類まで取り揃えてある店だよ」
総合衣装専門店という名目のお店に首を傾げるショウへ、ユフィーリアは簡単に店の情報を伝える。
個人店を巡るのもいいが、様々な系統の衣装を試したい場合は総合衣装専門店がお勧めである。建物の中には系統の違う洋服屋が犇めき合っているのでお洒落好きには堪らない店だ。
洋服だけではなく、装飾品や靴などの商品も多数取り揃えられている。アイゼルネがお目当てにしている香水屋も、総合衣装専門店の中に存在していた。
ショウは「なるほど」と納得したように頷き、
「それがこの建物だ、と」
「そうだな」
ユフィーリアたちの前には晴れ渡った蒼穹を貫かん勢いのある塔が聳え立っていた。塔の表面には硝子が埋め込まれ、衣装を身につけたマネキンが展示されている。『夏の大セール中』という横断幕まで垂れ下がっていた。
塔の側面から突き出た看板には『ビーストウッズ総合衣装専門店』とある。一体この塔は何階層に分かれているのか不明だが、おそらく塔の最上階からは獣王国『ビーストウッズ』を一望できることだろう。
遠い目をするユフィーリアは、
「アイゼ」
「何かしラ♪」
「ちゃんと自重しろよ?」
「分かってるわヨ♪」
ワクワクとした雰囲気を醸し出すアイゼルネは、
「その為に夏季賞与をちゃんと持ってきたのヨ♪」
「おい、いくら使う気だ。衣装部屋が大変なことになるだろ」
「大変なことになったら魔法で面積を増やせばいいじゃなイ♪」
「簡単に言うけど改築の魔法って意外と大変なんだぞ、計算とかその他諸々」
不穏な空気を察知して文句を垂れるユフィーリアだが、アイゼルネの「喧しいわヨ♪」という言葉と同時に首根っこを掴まれてしまう。
「今日はアナタのお洋服を見るのヨ♪ いっつも黒いお洋服だけじゃ味気がしないでショ♪」
「アタシのことは別にいいだろうが!?」
「よくないわヨ♪」
問題児の中で最弱と自分でも言っているアイゼルネだが、今はどこからそんな腕力が発揮されるのか抵抗するユフィーリアを引き摺り始めた。彼女の手を振り払おうとしても力があまりにも強すぎて振り解けない。
何ということでしょう、見事にアイゼルネ専用の着せ替え人形に転職することになってしまった。少なくとも数時間は彼女のお人形を演じなければならない訳である。凄え退屈だ。
ユフィーリアは男子3人組に「おい、助けろ!!」と叫ぶが、
「いやぁ、俺ちゃんたちは荷物持ちぐらいしか出来ないからぁ」
「ごめんね、ユーリ。自分のことが可愛いんだよ、オレ」
「ユフィーリアが綺麗になるところを見てみたいなあ」
「畜生」
エドワードとハルアはすでにアイゼルネに対して諦めの感情を抱いており、ショウに至っては惚れ惚れするほど可愛らしい笑みでユフィーリアのドレスアップをご所望である。味方はここにいなかった。
哀れ、ユフィーリアは抵抗虚しくアイゼルネの手によって総合衣装専門店に引っ張り込まれるのだった。
嫌な予感がするのだが、アイゼルネは先程「今日は」と言った。つまり滞在期間中に何度か総合衣装専門店を訪れようと企んでいるのだが、その事実を察知できた人物はいない。
☆
「次はこれヨ♪」
「勘弁してくれ」
30回にも及ぶドレスアップを経て、ユフィーリアはついに白旗を上げた。
総合衣装専門店に足を踏み入れた途端、アイゼルネの購買意欲が爆発した。普段は問題児の問題行動を多少は窘めながらも面白がって協力してくれるお姉さん的存在のアイゼルネが、ユフィーリアの首根っこを引っ掴んだ状態であっちにズルズルこっちにズルズルと引き摺り始めたのだ。
気分は盥回しにされる患者か、監獄送りにされる囚人である。建ち並ぶ数多くの洋服屋に連行されるユフィーリアの表情は死んでいた。
アイゼルネは花柄の襯衣を掲げて「あラ♪」と首を傾げる。
「疲れちゃったかしラ♪」
「30回も色んな服を試せば疲れるに決まってんだろ」
ユフィーリアはアイゼルネをジト目で睨みつけ、
「大体、何でお前は自分の奴を買わねえんだよ。給料と賞与は自分の為に使え」
「この前のお給料で鞄を買っちゃったのよネ♪ だから自分のお洋服はしばらくいいワ♪」
「これだけあるんだから自分の好みの洋服ぐらい見つかるだろ」
ユフィーリアが示した広大な売り場には、女性らしい華やかな意匠の洋服が多く取り揃えられていた。アイゼルネが広げる花柄の襯衣も何種類かの色が並べられており、自分の好きな色を試すことが出来るようになっている。
取扱商品は洋服だけに留まらず、靴や鞄、帽子などの装飾品も多かった。利用客はほとんど女性だけで、男性客は見かけない。
アイゼルネは「おねーさんはいいのヨ♪」と言い、
「普段から買ってるんだかラ♪」
「何でその襯衣を押し付けてくるんだ、着ねえぞ絶対に」
「着るのヨ♪」
「圧が凄えな」
グリグリと頬に南瓜のハリボテを押し付けられ、ユフィーリアは「絶対に嫌だ」と拒否する。
本来ならここで折れてやるべきなのだろうが、もう30回以上もお色直しをさせられているのだ。そろそろ我慢の限界である。お洒落に気を配ることは何も悪くないのだが、さすがに30回以上も試着を繰り返せば十分だろう。
不満だと言わんばかりに南瓜のハリボテをグリグリとユフィーリアの頬に押し当てるアイゼルネだったが、
「これよりこの棚のタイムセールを行いまーす!!」
店内に響き渡る女性店員の声。
アイゼルネがパッと弾かれたように振り返ると、そこには大量の洋服の山があった。数人の女性店員が商品の状態を確認しており、ついでに看板も掲げている。
看板には『表示価格から5割引き』とか『最大で7割引き!!』とある。上等な洋服をお手頃価格でご提供とは絶好の機会である。お洒落大好きで洋服を普段から大量購入するあまり金欠状態のアイゼルネからすれば、飛びつかなければもったいないタイミングだ。
南瓜のハリボテの向こう側にある瞳を輝かせたアイゼルネは、
「ユーリ、待っててちょうだイ♪ おねーさん、ユーリにお似合いのお洋服を持ってくるワ♪」
「まだ着るのか!? アタシの身体は1つで腕や足は2本ずつしかねえのに!?」
「これを機にユーリもお洒落に目覚めるといいわヨ♪ 美人なんだからもったいないワ♪」
そう言って、アイゼルネは滅多に見ない機敏さを発揮して洋服の山に突撃していった。いや本当に、何が彼女を豹変させてしまったのだろうか。
疲れ切ったユフィーリアは、とりあえず店の外で待機していた野郎ども3人組のところへ逃げる。
今はもうこの場を離れたくて仕方がなかった。別に興味がないという訳ではないのだが、圧倒的にユフィーリアの趣味ではないのだ。これを言ったらアイゼルネに説教をされそうなので黙っておくが。
「あれ?」
店の外で待機しているはずのエドワードとハルア、そしてショウの3人組だったが、今はエドワードとハルアの2人しかいない。仲良く戯れ合っているせいでショウがいなくなったことに気づいていないのか。
「おい、ショウ坊はどこに行ったんだ?」
「後ろにいるじゃんねぇ」
「わあッ!?」
エドワードに指摘されて背後を振り返ると、そこには期待の眼差しを向けてくる最愛の嫁がひっそりと立っていた。せめて自己主張をしてほしかった。
ショウの手には白い布の塊が抱えられており、キラキラとした期待に満ちている視線をユフィーリアに突き刺してくる。あの白い布の塊はもしかして、自分用の衣類ではなくユフィーリアに試着させる為のものだろうか。
密かに嫌な顔をするユフィーリアは、
「ショウ坊、その布の塊は……?」
「ユフィーリアに似合うかなと思って」
キラキラキラキラと目を輝かせるショウは、
「ちょっとだけ着てみてくれないだろうか」
「いやもう30回も」
キラキラキラキラ、である。
「30回も試着して……」
キラキラキラキラ、である。
「…………それだけな、本当にちょっとだけだからな」
「!!」
完全に根負けした。最愛の嫁によるキラキラの視線には勝てなかった。
ユフィーリアは仕方なしにショウから白い布の塊を受け取ると、試着室に戻っていく。アイゼルネはタイムセール中の洋服を漁ることにかまけているので、試着を済ませるのは今が好機だ。
白い布の塊を広げると、どうやら真っ白いワンピースのようである。だから持った感覚が異様にずっしりと重たかったのか。何着かあるのかと思えば、渡されたのはこの白いワンピース1着だけである。
そんな訳で早速試着をしてみたのだが、
「……ショウ坊」
「どうした、ユフィーリア?」
「いや入るには入ったんだけど」
試着室のカーテンを開けたユフィーリアは、
「これ、本当に似合うって持ってきたのか?」
ユフィーリアが身につけた白いワンピースは、オフショルダーとなった清楚さと可憐さが同居した意匠の洋服である。鎖骨の辺りにあしらわれたレース細工が可愛らしさを添え、裾には花の形をした切れ込みが施されている。
全体的に白く、随所に青い花の刺繍がされているのがいい特徴となっている。真っ白い服を着たことはあまりないのだが、こんなに可愛らしい意匠の服はショウが着て似合うものだろう。
しかし、これを選んで持ってきたショウは何か別のものに見えたらしい。へなへなとその場に膝をつくと、ユフィーリアを拝み始めた。
「女神爆誕……」
「何て?」
「お布施、お布施しなきゃ……お賽銭……」
ショウはおもむろに鞄から財布を取り出し、何枚かのルイゼ紙幣を引っ張り出すとユフィーリアに現ナマを握らせてくる。財布の中にある金だけでは足りないと思ったのか、財布ごとユフィーリアの手のひらに押し付けてきた。
これは、一体何をされているのだろうか。最愛の嫁の謎行動に、ユフィーリアはただただ困惑する。なおも投げつける為の金品を探しているようで、ショウはとうとう鞄を投げつけようと大きく振りかぶっていた。
暴走気味なショウの額に軽く手刀を叩き落としたユフィーリアは、
「落ち着け」
「投げ銭……投げ銭……」
「落ち着けって」
大きく振りかぶられた鞄を強制的に下ろさせたユフィーリアは、
「これはお前の趣味か?」
「…………」
ショウは小さく頷く。
ユフィーリアにもショウを可愛く着飾ってやりたいという欲望はあるのだが、ショウにもちゃんとそんな欲望が備わっていたらしい。
最愛の嫁の趣味嗜好がちょっと分かった気がした。試着は嫌だったが、どこか得した気分になる。
その時だ。
「ユーリ……♪」
「あ」
そういえば、アイゼルネの存在を忘れていた。
タイムセールの棚から選んできたらしい洋服を両腕いっぱいに抱えていたアイゼルネが、ユフィーリアの格好を目の当たりにして唖然と立ち尽くしている。試着をあれだけ嫌がったのに、ショウの選んだ洋服は着たので何か思うところがあるのだろう。
――と思っていたのだが、アイゼルネはユフィーリアの両肩を掴むと「素晴らしいワ♪」と掛け値なしの称賛の言葉を投げかけてきた。意外な反応である。
「そんなお洋服も似合うなんておねーさん知らなかったワ♪」
「ちょ」
「待ってテ♪ 今おねーさんが完璧にお洒落に仕上げてあげるワ♪」
「おい待て待てまだやる気かおい!?」
ユフィーリアの制止さえ通用せず今度は小物が置いてある棚に突撃するアイゼルネに、ユフィーリアは頭を抱えるのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】服を調達する時は自分で仕立ててしまう方が早いと考えている。基本的に好きな服は黒、灰色、青色などでスタイリッシュに決める。
【エドワード】筋肉質なので大きめの洋服が置いてある店で揃える。動きにくくなってしまうので装飾品は少なめ、胸元が開いた服が多い。実は大半ブランド品で物持ちがいい。
【ハルア】明るい色合いの服が好きなので、直感で購入してエドワードにコーディネートを依頼している。でも1番よく購入するのはスニーカーみたいな運動靴。たくさん種類があるよ!
【アイゼルネ】言わずと知れた問題児のお洒落番長。特定のブランド品は必ずチェックするし、新店舗も確認済み。本人は足が出ないような衣装を着がちで、上半身の露出は装飾品でカバーする。
【ショウ】ユフィーリアが「似合う」と言ってくれれば着るし、希望すればその通りの格好にする女装少年。ユフィーリアこそ至上、ユフィーリアこそ絶対だが、自分の趣味は白色で清楚に決めたい。ユフィーリアが真っ黒けなので。