第8話【問題用務員と昆虫食】
「いやー、遊んだ遊んだ」
満足げな笑顔でユフィーリアは言う。
最愛の嫁であるショウの腕を掴んできた非常識なナンパ野郎どもは水の塊に閉じ込めて思い切り振り回してやったし、いい悲鳴も上げてくれたので楽しかった。非常に面白い遊び道具だった。
水の塊から解放してやったあともまだ息の根があったので、エドワードとハルアの玩具にしてやったが何度もプールに投げ入れてもしぶとく戻ってくるとは驚きである。他の利用者も「そんな遊びなのか」と真似し始めたので係員に泣きながら注意されてしまったことが難点だが、大いに楽しめた。
頭から被ったタオルで濡れた頭を拭くエドワードは、
「たくさん遊んだからお腹空いたよぉ」
「お昼ご飯はどうするの!?」
琥珀色の瞳を輝かせたハルアは「美味しいの食べたい!!」と訴えてくる。
今日までショウと熱心に獣王国『ビーストウッズ』の料理特集が掲載された旅行雑誌を読み込んでいたので、美味しそうなお店は大体目を通していることだろう。ショウも「お昼ご飯……!!」と赤い瞳を輝かせている。
ユフィーリアは人差し指と中指を立てて、
「お前らに2つの選択肢を与えてやろう」
「選択肢ぃ?」
「お昼ご飯の種類かしラ♪」
首を傾げるエドワードとアイゼルネに、ユフィーリアは「違えよ」と笑う。
「まず1つ目の選択肢は、このまま客室に戻ってちょっと豪華な昼飯を運んできてもらうか」
もちろん、ホテル内にはレストランも何種類か擁しているので、店に行くことも吝かではない。頼めば部屋まで食事を用意してくれることだろう。
それはそれでいいかもしれない。実際、夕食は客室まで料理を運んでもらう手筈になっている。今日はプールでたっぷり遊んだし、客室でのんびりと過ごすのも悪くはない。
そして2つ目の選択肢を提示する。
「それか、ホテルの外で飯を食うか。獣王国は屋台飯文化があるし、星屑祭りの時みたいに食べ歩きをしてもいいし」
獣王国『ビーストウッズ』は屋台で食事を提供する屋台飯文化があり、商店街には数多くの屋台が並ぶのだ。普段の生活では滅多にお目にかかれない異国の文化に触れるまたとない機会である。
屋台は星屑祭りやヴァラール魔法学院の文化祭などでしか見かけることはないので、年がら年中開いている屋台文化は外から来た旅行者にとって珍しいものだ。ここは何種類か屋台を巡り、ついでに商店街で買い物をしてしまうのもいいだろう。
エドワード、ハルア、アイゼルネ、ショウの答えは決まっていたようだ。
「決まってるじゃんねぇ」
「面白い方がいいよね!!」
「迷うことなんてないじゃなイ♪」
「すでに答えは出ているものだな」
あえてこの聞き方をしてみたが、やはりユフィーリアの判断は間違えていなかったようだ。
☆
そんな訳で、ホテルから出て昼食の調達である。
「わあ、凄い」
「凄い!!」
ハルアとショウは目の前に犇めく人混みと、建ち並ぶ数え切れないぐらいの屋台に目を輝かせていた。
屋台の種類は甘いものから食事系、さらには装飾品などのお土産系まで多岐に渡る。それぞれ屋台で取り扱うことに適した小さめの商品が多く、特に食事系の屋台は串に刺さって販売されていたり紙に包まれていたりと食べ歩きに適している。
香辛料などの香りが鼻孔をくすぐり、空腹感を促進してくる。このままでは屋台の隅から隅まで制覇しそうな勢いである。財布が破産しそうだ。
「ショウちゃん、どこから行こうか!!」
「甘いものもたくさんある……!!」
「はいはい、行かない行かない」
先走ろうとする未成年組の首根っこを引っ掴んだユフィーリアは、
「お前ら、アタシは何度も言ったよな。獣王国は犯罪発生率が高いんだから、離れるようなことはするなって」
「そうだった!!」
「ごめんなさい、ユフィーリア」
危険性をちゃんと理解していたのか、ハルアとショウは素直に反省の姿勢を見せる。
犯罪発生率の高い獣王国『ビーストウッズ』だからこそ、離れて行動するのは得策ではない。特に今の状況のような旅行者で混雑する場所はスリなどの犯罪の温床となっている。姿は見えないが、路地裏で今もなお無防備な旅行者の財布を狙うスリ師がいるかもしれない。
財布の管理は万全だし、いざとなれば魔法を使って探すことも出来る。だが犯罪に巻き込まないことに越したことはない。予防線を張っておけば安心だ。
エドワードは「そうだよぉ」と頷き、
「特にハルちゃんとショウちゃんは若いからぁ、捕まって人身売買組織に売り飛ばされるって可能性もあるからねぇ」
「おい、エド。お前はいつのまに何食ってんだ」
「え?」
エドワードは串に突き刺さった細長い何かに齧り付いていた。表面が焦茶色に焼かれたそれは蛇のように見えるが、両脇から突き出た何本もの足が気味悪い印象を与える。
串に突き刺さって売られているぐらいだから、食べ物であることは間違いない。ただ見た目が非常に悪い。蛇というか百足に見える。
膨れた腹を食い千切るエドワードは、
「砂吐き百足の姿焼きだってぇ」
「エド、それを持ってアタシに近づくんじゃねえぞ。殺すぞ」
「そこまでぇ!?」
ユフィーリアはジリジリとエドワードから距離を取り、
「昆虫食とか食えたモンじゃねえから」
「ユーリだって白絹ミミズの酢漬けとかおつまみで食べてるじゃんねぇ」
「あれは昆虫食じゃねえ。同列にすんな」
屋台飯を提案したのはいいが、そういえば肝心の部分を忘れていた。
実は獣人や半獣人は、昆虫なども美味しくいただいてしまうことが出来るのだ。地中深くに生息する『砂吐き百足』や極彩色の蛾などを美味しく調理して食べる、いわゆる昆虫食の文化もある。虫が苦手な人間は考えられないが、好奇心旺盛な旅行者や物好きな連中は進んで昆虫食に挑戦するという考えられない行動をするのだ。
ユフィーリアはこの昆虫食が嫌いである。食わず嫌いではなく、ちゃんと味と食感が嫌いになったのだ。表皮が硬くて噛みちぎれないし、いつまでも口の中に残るモサモサとした食感と美味しいとも不味いとも言えない微妙な味が嫌なのだ。見た目も最悪だし、味も食感も評価できないので「2度と食わねえ」と決めた唯一の食べ物である。
ちなみにユフィーリアはよく酒のおつまみで真っ白いミミズ『白絹ミミズ』を酢漬けにしたものを食べるのだが、あれは残念ながら昆虫食ではない。同列に見られると困る。
「いいじゃんねぇ、美味しいんだからぁ」
「お前だけだぞ、そんなゲテモノ食うのは」
あっという間に砂吐き百足の姿焼きを完食したエドワードは、ちょっと焦げ目のついた串を近くのゴミ箱に投げ捨てた。
「次は何食べようかねぇ」
「次も昆虫食を選んだら用務員室から追い出すからな」
「俺ちゃんはどこで寝ろって言うのぉ!?」
「魔法動物の飼育小屋に叩き込んでやる」
何でも食べられるというのも考えものだ、と実感するユフィーリアは「そこのお嬢ちゃん」と呼び止められる。数千年を生きる魔女を相手に『お嬢ちゃん』と呼称するのはおかしなものだ。
「太陽マンゴーはどうだい? 安くしとくよ」
「お」
ユフィーリアを『お嬢ちゃん』などと呼んだのは、熊の耳が特徴的なふくよかなおばちゃんだった。
屋台に並べられたのは、黄金色をした『太陽マンゴー』と呼ばれる果物である。どうやら太陽マンゴーの皮を剥き、上から生クリームを乗せて販売している様子である。
砂吐き百足の姿焼きなどというゲテモノを見たあとなので、ちょっと苦手な甘いものでも美味しそうに見える。何かの魔法だろうか。
「1個ちょうだい」
「あいよ」
おばちゃん店主は屋台に並べられていた太陽マンゴーを1つ手に取ると、大振りな包丁で半分に切る。
慣れた手つきで太陽マンゴーの皮を剥き、果実の部分を紙製の器にドサドサと盛った。次いで食料保管庫からアイスの箱と生クリームの袋を取り出すと、紙製の容器にアイスを盛り付けた上から真っ白い生クリームを絞る。
絞られた生クリームの山頂にクローバーの葉を添えて、おばちゃん店主はユフィーリアに「はい出来上がりさ」と紙製の容器を渡してきた。
「ありがとうな」
「いいよぉ、美人がウチの店の商品を食べてくれるだけで宣伝になるさね」
豪快に笑うおばちゃん店主に太陽マンゴーの代金を支払い、ユフィーリアは生クリームに突き刺さって提供された木製の小さな匙を使って容器の下に沈む太陽マンゴーを1粒すくって口に運ぶ。
太陽マンゴーの酸味と生クリームの程よい甘さ、そして一緒にすくったアイスの冷たさが絶妙な美味しさを伝えてくる。太陽マンゴーは強い日差しを浴びて育つ果物で、太陽の光を浴びれば浴びるほど甘酸っぱさが増していく果物だ。太陽の光を浴びる量を上手く調整しているのか、マンゴーの味の甘みがやや抑えられている。
太陽マンゴーの絶妙な甘酸っぱさに舌鼓を打つユフィーリアは、
「ほれ」
「あ」
スススと音もなく近寄ってきたショウに、太陽マンゴーを分けてやる。
甘党なショウにも美味しく感じたのか、赤い瞳が幸せそうに蕩けるとポコポコと背後に花が咲く幻覚まで見え始めた。それほど美味しかったのだろう。
あっという間に口の中の太陽マンゴーを飲み込んでしまったショウは、
「美味しい……!!」
「お、よかったなショウ坊」
「生クリームの甘さとマンゴーの甘さが最高だ……!!」
太陽マンゴーを絶賛するショウに、おばちゃん店主が熊の耳をピコピコと動かしながら「そんなに褒められると嬉しいねぇ」と照れ臭そうに言う。
「というか、可愛いお嬢ちゃんかと思ったら男の子だったのかい?」
「これでも立派な男の子です」
「そうかいそうかい」
おばちゃん店主は屋台に並べられた太陽マンゴーを手に取ると、
「じゃあ可愛いお坊ちゃんに免じて、もう1個はサービスしとくよ」
「いいんですか!?」
「その代わり、その可愛いお顔でウチの店のマンゴーをたくさん宣伝しておくれ」
「ぜひ!!」
おばちゃん店主が太陽マンゴーを切る姿をちょっと興奮気味に観察する可愛い嫁に、ユフィーリアは「ショウ坊が楽しそうでよかったな」と笑うのだった。
「――――」
視線があった。
「…………?」
「あらエド♪ どうしたノ♪」
ちょうど別の屋台からイモリの黒焼きを購入したエドワードは、何かの視線を感じ取って周囲を見渡す。
身長が高いので注目されていることにはされているのだが、感じた視線は背筋を逆撫でするような嫌なものだった。エドワードに気づかれたとでも思ったのか、その嫌な視線はすぐに消え失せたが。
首を傾げるアイゼルネを庇うように立つエドワードは、
「何でもないよぉ」
「何でもない子はおねーさんを庇うように立たないのヨ♪」
「あれだよぉ、犯罪に巻き込まれないようにだよぉ」
怪しむような視線を寄越してくるアイゼルネに、エドワードは笑って誤魔化した。
《登場人物》
【ユフィーリア】苦手な食べ物は昆虫食と甘いもの。甘いものはまだ嫁の影響で食べることは出来るが、昆虫食は意地でも食わねえと心に決めている。
【エドワード】苦手な食べ物はチョコレート。これだけは何故か食べると胸焼けがするらしい。小さい頃に食べすぎたのが原因。
【ハルア】苦手な食べ物はお粥。本人曰く「食べた気がしない!!」らしい。
【アイゼルネ】苦手な食べ物は魚卵。アレルギー持ち。
【ショウ】苦手な食べ物、というか飲み物は珈琲。ユフィーリアが好きだから好きになりたいのだが、あの苦さがどうしても相容れない。