第5話【問題用務員と不思議な来客】
「疲れたー……」
「本当にねぇ……」
「歩くことしか出来ない!!」
「おねーさんたち、本当によく働いたワ♪」
「楽しかった」
疲れた身体に鞭を打ち、ユフィーリアたち問題児は用務員室を目指していた。
時刻は午後8時頃、すでにヴァラール魔法学院の校舎に生徒の姿はない。
学院に併設された4つのレストランで遅めの夕食を楽しんでいるか、学生寮に戻って今日の授業の復習をしている頃合いだろう。まだ学院生活が始まったばかりなので、授業の復習もクソもないのだが。
ユフィーリアたち問題児がタダ働きをしていると聞きつけて、学院の生徒たちが一斉にカフェ・ド・アンジュへ押し寄せたのだ。最終的には2時間待ちという長蛇の列を記録し、売上も過去最高金額を叩き出したとか。
「そんなにアタシらが真面目に働いてるのが珍しいか?」
「そりゃあ入学式を全裸の氷像で突撃してぶっ壊すような問題児が真面目に働けばねぇ、誰でも興味あるよねぇ」
「エド、お前も同罪だからな。他人事のように言ってんじゃねえぞ、懇親会の料理を全部平らげたくせに」
他人事のように言うエドワードをジロリと睨みつけ、ユフィーリアは不満げに雪の結晶が刻まれた煙管を咥える。
明かりの落ちた薄暗い廊下を、窓から差し込む月明かりがぼんやりと照らす。壁に飾られた貴婦人の絵画や風景画が怪しげな雰囲気を醸し出していた。
水を打ったように静まり返る廊下に、問題児たちによる馬鹿みたいな会話が反響する。1人で校舎内を彷徨い歩けば怖さは倍増するが、彼らがいるだけで不気味な空気やその他諸々が半減する。
ミントに似た清涼感のある匂いの煙を吐き出すユフィーリアは、
「まあでも、ご褒美だってお土産を持たせてもらったのは役得だったな。働きすぎた分の対価か?」
「そうじゃないかしラ♪ だって期間限定のパンクックを包んでくれたのヨ♪ 太っ腹なことじゃなイ♪」
アイゼルネが抱える袋には紙製の箱が積み重ねられ、そこには期間限定と銘打たれたパンクックが人数分あった。
天使長が言うには「本日の働いた分の対価です。正式に雇った訳ではないので、現物支給ということで」らしい。まあ、今日の夕飯が浮いたので良しとしよう。
ハルアと仲良くお手手を繋ぐショウは、
「またあのパンクックを食べられるとは嬉しい」
「パンクック美味しいもんね!!」
未成年組はまだ元気が有り余っている様子である。とても素晴らしいことだ。
無銭飲食に可愛い新人のショウを巻き込んでしまったのはやるせないが、最終的にレジ打ちを楽しそうに取り組んでいたので結果オーライなのだろうか。この場に存在しないご両親が「悪い奴に引っかかった」と草葉の陰で泣きそうである。
だが、彼が楽しめたのであれば全て良しである。問題は『楽しかった』か『楽しくなかった』で決まるのだ。
ようやく用務員室の付近に戻ってきたユフィーリアは、
「あん?」
用務員室の前に誰かが立っている。
それは影のようにも見えるが、正体は長身痩躯で髑髏の仮面を装着した神父だった。
艶のある黒髪はくるぶしまで届くほど長く、装飾品の少ない神父服に薄っぺらな体躯を包み込んでいる。胸元で揺れるのは、聖職者が持つにはあまり相応しくない錆びた十字架だ。
何より特徴的なのは、顔面を覆う不気味な髑髏の仮面だ。異様に白いそれは闇の中にぼんやりと浮かび上がり、事情を知らない人間が見れば卒倒しそうな雰囲気がある。
「ひッ」
ショウが引き攣った悲鳴を上げ、ハルアの背中に隠れる。ユフィーリアの背中に隠れてくれないのかとしょんぼりした。
「え、あれ誰? あんな不気味な奴、ウチの学院にいたかな」
「死者蘇生魔法の先生じゃないのぉ? だって骸骨のお面をつけてるしぃ」
「不気味だね!! 幽霊みたい!!」
「ハルちゃんの言う通りかもしれないわネ♪」
アイゼルネは用務員室の扉の前に立つ神父の足元を示し、
「だって影がないもノ♪」
彼女の指摘通り、そこにあるはずの影がなかった。
窓から差し込む月明かりは確かに用務員室の扉をぼんやりと照らしているにも関わらず、その前に立つ神父の影が全く見えないのだ。月明かりを透過しているとしか考えられない。
自分を透明にする魔法はあるが、それならユフィーリアたちも彼の存在を認識できない。見えていながら影がないということは、彼はこの世の人間ではないのだ。
「おい、そこの兄ちゃん」
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を吹かしながら、
「ウチに何の用だ? 成仏を手伝ってくれっていうお願いは御免だぞ」
「…………」
コツ、コツンと足音が響く。髑髏仮面の神父が履いた革靴の音だ。
ゆったりとユフィーリアへ向き直る髑髏仮面の神父は「失礼」と告げた。
どうやら、ちゃんと会話できるだけの能力はあるらしい。見てくれと影がないことに目を瞑れば話は通じる相手なのか。
「ユフィーリア・エイクトベル君。魔法の大天才と謳われる君に、折り入って頼みがある」
年齢を重ねたような、深みのある男性の声が丁寧な言葉をなぞる。
「こっちは疲れてんだ、面倒な頼みは問答無用で断るからな」
「失せ物探しを頼みたい」
「失せ物ォ?」
ユフィーリアは眉根を寄せた。
そんなものなど、用務員室を訪れずとも誰かその辺の人間を捕まえればいい話だ。物を探す『探査魔法』は3年生からの内容だが、教職員でも問題なく使える魔法である。
わざわざ用務員室を訪ねるならば、施錠された教室への立ち入りか、もしくは探査魔法でも引っかからない何かの捜索だろうか。面倒な話になってきた。
渋面を作るユフィーリアは、
「面倒ごとは御免だって言ったろ」
「月を探してもらいたい」
ユフィーリアの言葉を無視して、髑髏仮面の神父は探し物の内容を明かした。しかも意味不明な内容である。
しかし、ユフィーリアには理解できた。
これも魔法の天才と呼ばれるからこそ成せる業か、それとも単なる偶然か。髑髏仮面の神父と探し物の因果関係を知っていた。
だから、こう答えた。
「残念だけど、アタシは知らねえ。他を当たれ」
「…………そうか」
髑髏仮面の神父は、明らかに声の調子を落として応じる。
しょんぼりと肩を落とし、髑髏仮面の神父は踵を返す。
ユフィーリアたち問題児に背を向けて、その向こうに留まる闇の中に足先を突っ込んだ。そのまま闇の中に身を沈めようという時に、ユフィーリアが呼び止める。
「お前、冥府の関係者か」
「如何にも」
髑髏仮面の神父は振り返らずに答える。
「随分前から月の探し物には付き合っていたんだ。でも、探査魔法にも何の魔法にも引っかからねえ」
ミントに似た清涼感のある匂いの煙をそっと吐き出すユフィーリアは、
「もう1度、冥府をよく探してみろ。あちこちひっくり返して、それでもなければまた来い」
「…………承知した」
髑髏仮面の神父は静かに答えると、暗闇の中に消えていった。
それまで賑やかだった廊下が、ユフィーリアと髑髏仮面の神父によるやり取りを経て静謐に包まれる。遠慮なしに会話へ口を挟んでくるハルアでさえ、空気を読んで大人しく待っていた。
静かな空気を切り裂くように、ショウが闇を見つめたまま立ち尽くすユフィーリアに問いかけてくる。
「あの、ユフィーリア」
「何だ?」
「彼は一体、何者なのだろうか?」
「死者の国からやってきた人間だな」
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を吹かしながら答え、
「随分前から『月を探してくれ』って用務員室に頼みにくるんだ。アイツは初めて見る奴だったが、他の髑髏仮面の連中と同じ物を探しているってことで分かった」
冥府の関係者は死者と同等であり、簡単に地上へ出ることは叶わない。
彼らが地上に赴く際には、あのような趣味の悪い髑髏の仮面を装着する決まりとなっている。あの髑髏の仮面があれば地上の人間として紛れ込めるが、影がないので注意しなければならない。
冥府の関係者とは、随分前からやり取りがある。
決まって彼らは「月を見なかったか?」という謎めいた質問をしてくるのだ。夜空に浮かぶ月を探しているのかと思えばそうではなく、月のような何かと言われている。
まあ探査魔法にも引っかからないので、一体彼らが何をそんなに躍起になって探しているのか分からない。ユフィーリアも冥府の関係者に会ったのは100年ぶりぐらいだ。
「アイツらが何を探そうが興味ねえけどな。訳も話してくれねえし」
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管の先端で、用務員室の扉を2度ほど叩く。コンコンという乾いた音を響かせたあとに、施錠の外れる音が耳に触れた。
さて、面倒な話は忘れよう。
1日の最後は楽しい夕食と温かい風呂、それから柔らかなベッドでおやすみなさいだ。明日はどんな悪戯をしてやろうか。
「…………今の声、聞き覚えがあるような気がするのだが……」
髑髏の仮面を装着した神父が消えた方角をじっと見つめて、ポツリとショウは呟いていた。
《登場人物》
【ユフィーリア】ホラー耐性は低い割に幽霊をぶちのめす程度なら可能。
【エドワード】幽霊? 何それ、美味しいの?
【ハルア】ショウに頼られてちょっと嬉しい。
【アイゼルネ】幽霊に対する耐性は1番高いかもしれない。
【ショウ】意外と怖がり。
【髑髏仮面の神父】彼は一体……?