第2話【問題用務員とホウセキゼミ】
ホウセキゼミとは、宝石のように色鮮やかな身体を持つ希少な蝉の種類だ。
森の中を探し回ってもまず発見は不可能で、1匹でも発見されれば数十万ルイゼ単位で取引される蝉である。通常の蝉と同じように喧しい鳴き声を響かせるので、基本的に鬱陶しがられることが多い。
幼虫の時は少なくとも30年近くは地中に潜って成長し、成虫になると地面から這い出てきて羽化するのだ。幼虫の間に他の虫や魔法動物の餌になって食べられてしまうことが多いので、希少価値はますます上がると言われている。
ちなみにホウセキゼミの死体を絞ると身体の色と同じ色味の綺麗な液体が出てきて、その液体は魔法薬などの材料になったりするのだ。魔力を持っているが故の運命である。
「――そんな話だったはずなんだけどなァ」
購買部で購入した熱中症対策の麦わら帽子を被るユフィーリアは、中庭に生えた木を見上げて呟く。
木には気持ち悪いほど大量のホウセキゼミが集中していた。それはもう、虫嫌いな少女たちだけではなく虫取り少年を自称するクソガキが見ても悲鳴を上げるほど凄まじい勢いで集っていたのだ。
一体奴らの何がそうさせるのか、ワサワサと木の幹を這いずり回りながら樹液を啜っている訳である。あるいはみんみんじーじーと鳴きながら、生涯の伴侶を探しているのかもしれない。どちらにせよ気持ち悪い光景であるのは明らかだった。
虫取り網を担ぐエドワードは、顔を顰めて「うへえ」と言う。
「こんなにたくさんの蝉がいるなんて気持ち悪いねぇ」
「でも全部ホウセキゼミなんだよな」
よく観察すれば、赤や青色などといった色鮮やかな身体を持つ蝉が大半だ。むしろそれしか存在していないような気がする。
逆にこれだけ存在して、普通の蝉が1匹も見当たらないのは珍しい。どこかに混ざっているのかと探してみるが、やはりどれだけ探しても見つからない。
ユフィーリアは木の幹から緑色のホウセキゼミを慎重な手つきで捕獲すると、同じく購買部で買った虫籠に放り入れる。
「獲れ、お前ら。絶対に殺すんじゃねえぞ」
「同じ籠の中に入れてもいいのか?」
ヒョイと慣れた手つきで角の生えた黒色の蝉を捕獲するショウは、肩から下げた虫籠に蝉をしまい込みながら問いかける。
「ホウセキゼミは共食いしねえから一緒の籠に入れても大丈夫だぞ。ただしギッチギチに詰めたら酸欠で死ぬか潰れて死ぬからな、10匹前後って考えとけ」
「――だ、そうだぞハルさん。そこまでギッチギチに詰め込むと、蝉さんが死んでしまう」
「何してんだハル!?」
すでに虫籠へ大量のホウセキゼミをギッチギチに詰め込んでいたハルアは、ユフィーリアに注意されて「え!?」と応じる。
「虫籠以上にいるっぽいから!!」
「足りなくなったらまた買い足せばいいだろうが。死ぬと商品価値が下がるんだから止めろ」
「分かった!!」
金銭が絡んでいるので、珍しく聞き分けがいいハルアだった。すでにホウセキゼミでパンパンになった虫籠に詰め込もうとしていた琥珀色の蝉は、まだ余裕のあるショウの虫籠に移動することで事なきを得た。
エドワードも順調に木の幹からホウセキゼミを捕獲し、虫籠の中にポンポンと放り込んでいく。ある程度のところで捕獲を中断して、新しい虫籠と交換して再び捕獲作業を開始する。手つきが慣れすぎていて、もはやそれが本業なのかと錯覚してしまうほどだ。
ユフィーリアもホウセキゼミを木の幹から慎重に虫籠へ移動させるのだが、
「アイゼ、お前は何でそんなところにいるんだよ」
「あラ♪」
南瓜頭の娼婦――アイゼルネだけは柱の影に隠れたままだった。橙色の南瓜が柱の後ろから垣間見えて、恨みがましそうな視線が何故か寄越される。
「おねーさん、虫とか嫌いなのよネ♪」
「ホウセキゼミは毒も持ってねえし、色味も綺麗だぞ?」
「足が6本ある生き物は大体苦手なのヨ♪」
アイゼルネの声は至って真剣だった。真剣に今の状況を嫌がっている様子だった。
大量のホウセキゼミが詰め込まれた虫籠が積み上げられていく光景を、アイゼルネは異様なものでもみるかのような目で眺めていた。というより集合した蝉が非常に嫌っぽそうである。スッと音もなく柱の影に隠れてしまった。
可憐な乙女らしい仕草を見せるアイゼルネを一瞥し、ユフィーリアは最愛の嫁へ振り向いた。
「ハルさん、見てくれ。青色厳選」
「凄え!! 青ばっか!!」
「ふふふ、ユフィーリア3号の兄弟かもしれないな」
「もしかしたら姉妹かもしれないよ!?」
「なるほど、その可能性もある」
晴れ渡った青空に水色の膝丈ワンピースが映え、スカート部分を覆う純白のサロンエプロンが目に眩しい。綺麗な笑顔を浮かべながら手にしているものは水鉄砲でもなければアイスキャンディでもなく、青色に輝く蝉が詰まった虫籠だ。
海兵風メイド服という可憐な格好に似つかわしくない、逞しい姿だ。ショウもそれなりに男の子ということなのだろう。
ユフィーリアは「凄えなァ」と呟き、
「ショウ坊は虫って平気なんだな」
「ああ、大丈夫だ」
「苦手な奴も多いんだけどな」
「食べようと思ったこともあるからな」
「…………ん?」
今度は赤色の蝉を中心に捕獲を開始したショウは、
「蝉はお腹の部分が美味しいと聞いて、ひもじい時に食べようとしたんだ。そうしたら近所に住んでいた人がお菓子をくれたりして……」
「ショウ坊、お小遣いあげるから購買部で好きなアイスを買っておいで」
「わあい」
財布から取り出したお金を受け取り、ショウは「行こうか、ハルさん」と先輩を誘う。蝉でいっぱいになった虫籠をユフィーリアに押し付けたハルアは元気よく頷いた。
ついでと言わんばかりに柱の影でかくれんぼの真っ最中だったアイゼルネも誘い、未成年組と南瓜頭の美女という異色の3人組で購買部に出かけていった。いい傾向である。
まだたくさんいるホウセキゼミを捕獲しながら、ユフィーリアは遠い目をする。
「虐待ネタってまだあるんだなぁ……」
「そりゃ春夏秋冬に刻み込まれてるでしょうよぉ、11年ぐらい虐待されてたって話なんだからねぇ」
エドワードは満員になりつつある虫籠を眺め、
――ぐううぅぅぅぅ。
唐突に、エドワードの腹の虫が空腹を訴えた。
「……食うなよ」
「食べないよぉ」
「ホウセキゼミがたくさん詰まった虫籠を見た途端に腹鳴らしたじゃねえか、食う気だろ!?」
「だから食べないってばぁ!!」
ホウセキゼミをお菓子感覚で摘み始めるのではないかとヒヤヒヤしつつ、ユフィーリアはエドワードと共にホウセキゼミを捕獲しながらアイスを買いに行った3人組の帰りを待つのだった。
☆
大量のホウセキゼミ、捕獲完了である。
「うるせえ」
「耳が痛くなってくるよぉ」
「凄え喧しい!!」
「♪」
「あまりに気持ち悪い光景だからアイゼさんがぶっ倒れた」
胸の前で手を組んで静かに天へ召されたアイゼルネを、ショウは冥砲ルナ・フェルノに乗せて木陰に避難させる。ちゃんと蝉が存在しないことを確認するあたり、アイゼルネの苦手なものを理解しているようで何よりだ。
積み上げられた大量の虫籠には、数え切れないほどのホウセキゼミが詰め込まれていた。世界中のホウセキゼミを取り尽くしたのではないかと言わんばかりの数である。市場に流れた途端、値段が一気に安くなりそう。
とりあえず、蒐集家相手に売却するのは虫籠の2割程度に留めておくのが吉だろう。そうすれば商品価値も維持できそうだ。
さて、問題は残りの8割だ。
「どうする、この大量のホウセキゼミ」
「魔法薬とかの材料になるんでしょぉ? じゃあ絞っちゃえばぁ?」
ギュッギュッと拳を握る仕草をして、エドワードがユフィーリアに提案する。それは殴る前兆ではなく、ホウセキゼミを絞って魔法薬の材料にしてしまえということを示していたのか。
「それもありだな。魔法薬学の教職員連中へ売りつければ小遣い稼ぎになるかな」
「虫籠の1個はリタにあげたらどうかな!?」
元気よく挙手をしたハルアは、1人の女子生徒の名前を出す。
その名もリタ・アロット。
魔法動物に詳しい内気な1学年の女子生徒だが、意外と年上や立場に関係なく悪いことに対して悪いと意見できる度胸を持ち合わせた少女だ。魔法動物ではないが、ホウセキゼミも魔力を持った綺麗な虫なので少量だったら問題ないかもしれない。
「じゃあ色を厳選してやれ。1色だけだと可哀想だろ」
「ショウちゃん、綺麗なの選んであげよ!!」
「そうだな、ハルさん。綺麗な色の蝉を選んであげよう」
大量の虫籠から綺麗な色のホウセキゼミを探すハルアとショウにリタへのプレゼントは任せ、さてそれでもホウセキゼミは余ってしまう。
魔法薬学の教職員や、魔法薬学を中心に学ぶ生徒たちに売りつけると言っても果たしてほしがるだろうか。値段を安く見積もられそうで嫌だ。どうせなら高値で売り捌いてやりたい。
でも望むならもっと面白い方法で活用したいのだが、このうるせえだけの蝉をどうやって面白おかしくするのか。
『生徒の皆様へお知らせします』
すると、校舎内に拡声魔法が響き渡った。
『間もなく終業式が始まります。生徒の皆様は大講堂へお集まりください、繰り返します――』
そんな内容の放送を聞いて、ユフィーリアは「ああ」と思い出した。
「そういや、今日って終業式だったか」
「生徒たちは明日から夏休みだねぇ」
のほほんと言うエドワードの隣で、ユフィーリアは妙案が閃いてしまった。
こんな面白そうな使い道など、後にも先にもここしかない。ここでやらねば誰がやるのだ。
ユフィーリアの表情で言わんとすることを気づいたのか、エドワードも「やるんだねぇ?」と問いかけてくる。当たり前ではないか。
「エド、アタシらは問題児だぞ?」
「そうだねぇ。怒られるのはいつものことだもんねぇ」
げははははははは、と笑い合うユフィーリアとエドワードに、リタへ渡す為のホウセキゼミの厳選が終わったらしいショウとハルアが不思議そうに首を傾げた。
「何か面白いことでもするのか?」
「何するの!?」
その何気ない質問に、ユフィーリアは自信を持って答えた。
「ちょっと終業式をぶち壊しに」
《登場人物》
【ユフィーリア】意外と昆虫は平気な魔女。面白さの為ならゴのつく害虫も観察して精緻な模型を作るぐらい。
【エドワード】昆虫食もいける大食漢。昆虫は基本的に何でも触れるし、ゴのつく害虫も雑誌などで叩き潰せる。
【ハルア】問題児で1番の虫取り少年。昆虫も捕獲できるし、何だったらゴのつく害虫も素手で仕留める。
【アイゼルネ】虫、大っ嫌い。6本足の虫なんか可愛くないし気持ち悪い。何ならその場で気絶する。
【ショウ】見た目にそぐわず昆虫は平気。何だったらお腹空いた時に食べようとして近所の人から心配された。