第1話【問題用務員と夏の風物詩】
みーんみーんみーんしゃわしゃわしゃわしゃわかなかなかなかなかなじーじーじーじーじーみんみんしゃわしゃわかなかなじー。
「うるせえッ!!」
窓越しに聞こえてくる大合唱に、銀髪碧眼の魔女――ユフィーリア・エイクトベルは怒りに身を任せて窓をぶん殴った。残念ながら硝子は割れず、ユフィーリアの拳が痛い思いをしただけだった。
夏である。本格的な夏が到来したのである。
ヴァラール魔法学院の校舎内は魔法で常に快適な温度となるように調整されているが、学院の外へ1歩でも足を踏み出したら地獄だ。全身の血液は沸騰し、汗を噴き出すどころか今にも溶け出すに違いない。そんな暑さなのだ。
用務員室もユフィーリアが得意とする氷の魔法を使って快適な温度に保たれており、ヴァラール魔法学院を毎度のようにお騒がせする問題児もこの真夏日に問題行動を起こす気にはなれないようだった。涼しいお部屋で寛いでいる始末である。物語が終わりそう。
「何だってこんなにうるせえんだよ、蝉ってのは。【自主規制】したいって鳴くだけで必死か」
「音を聞いてるだけでもうるさいよねぇ」
ユフィーリアの吐き捨てた言葉に同意したのは、料理雑誌を読み込む筋骨隆々とした巨漢――エドワード・ヴォルスラムである。
彼の読んでいる雑誌は『夏でも食いたい!! 肉料理特集』などという変わらねえ特集が組まれているものだった。この筋肉馬鹿は年がら年中お肉を食べていたい肉食系男子なのである。見ているだけでも暑苦しい。
エドワードは自分の耳を指先で示すと、
「だって俺ちゃん、うるさいから耳栓してるよぉ」
「アタシとの会話は通じてるか?」
「通じてなかったら俺ちゃんは難聴の証拠だよぉ」
「分かんねえだろ、でっかい耳クソで穴が塞がってるかもしれないし」
ユフィーリアは適当なことを言いながら、雪の結晶が刻まれた煙管を吹かす。室内にミントのような清涼感のある匂いの煙が漂った。
「ユーリ♪ お茶が入ったわヨ♪」
「おう、悪いなアイゼ」
南瓜頭の娼婦――アイゼルネから冷たい紅茶の硝子杯を受け取り、ユフィーリアは焦茶色の液体で喉を潤す。檸檬でも入っているのか、すっきりとした喉越しと僅かな酸味のある紅茶が喉の奥へと伝い落ちていった。
焦茶色の液体に浮かぶ氷の塊が、カランと音を立てる。実に夏らしい涼やかな音だ。
アイゼルネは自分の手を団扇に見立てて扇ぎながら、
「最近暑いわネ♪」
「外の蝉が暑さを助長させているような気がする」
「だよねぇ」
大人組は揃って「はあ」とため息を吐いた。こんなに暑いと色々なことにやる気が起きなくなってくるのだ。
「そういや、ハルとショウ坊はどうした?」
「お外に出してる『メダマアサガオ』の観察に行ったよぉ」
「ああ……」
ユフィーリアは遠い目をする。
数日前に購買部で『メダマアサガオの種』なるものを購入してきた未成年組が、植木鉢へ丁寧にメダマアサガオの種を埋め込んで慎重に育ててきたのだ。その甲斐あって、結構成長したらしい。
ただその花は綺麗な紫色や青色の花を咲かせるのだが、目玉の模様が浮き出てくる大変気持ちの悪い花なのだ。子供は大泣きし、大人は不安から発狂し出すだろう。夜に絶対見たくない花だ。速攻で枯れてほしい。
「何であんなモンを大事に育ててるのか、皆目見当もつかねえんだけど」
「ショウちゃんはメダマアサガオの鉢植えに『ユフィーリア2号』って名前をつけてるみたいだよぉ」
「え、ショウ坊はアタシに何か恨みでもあるのか? 泣いていい?」
最愛の嫁から密かに恨まれている可能性を察知して、ユフィーリアは色鮮やかな青色の瞳に涙を溜めた。
「ユーリ見て!!!!」
その時、用務員室の扉が外側から急に開かれる。
飛び込んできたのは黒いつなぎを身につけた少年――ハルア・アナスタシスだ。興奮気味に琥珀色の双眸を爛々と輝かせ、何かを印籠のように掲げている。
よく見れば、それは虫だった。6本の足が腹から突き出た気持ち悪い姿の昆虫である。ちゃんと生きたまま鷲掴みにして用務員室に連れてきたのか、ハルアの手の中でワサワサと元気に蠢いていた。
「お、ルリイロホウセキゼミじゃねえか。珍しいのを捕まえてきたな」
「でしょ!?」
ハルアは「用務員室で飼うんだ!!」と言い、
「虫籠なかった!?」
「用務員室にはねえなァ、購買部で買わねえと」
「じゃあ買ってくる!!」
「待て待て、ハル。ちょっとその蝉をこっちに貸せ」
購買部まで虫籠を買いに行こうとするハルアを引き留め、ユフィーリアは彼の手からワサワサと元気に動く昆虫を受け取った。
身体は濃紺で、半透明の翅は薄青。つぶらな瞳も色鮮やかな青色をしており、全体的に青系の色でまとめられた特殊な蝉である。「じじ、じじじじ」と鳴きながら全ての足をバタつかせ、ユフィーリアの長手袋に覆われた指先にしがみついていた。
まるで宝石のように美しいこの青色の蝉を、ルリイロホウセキゼミと言った。かなりお値段の張るご立派な蝉で、蒐集家の間で今もなお高値で取引される非常に珍しい昆虫である。
ユフィーリアはとりあえず手近にあったお菓子の箱を被せてやり、
「預かっててやるから、慌てずに虫籠を買いに行ってこい」
「分かった!!」
「ショウ坊は?」
「あとから来るよ!!」
ハルアがそう言った矢先のことだ。
「ハルさん、ユフィーリア3号は大丈夫か?」
「大丈夫だよ、ショウちゃん!! ユーリに預かってもらうことにした!!」
用務員室に顔を覗かせたのは、今日も世界で1番可愛いユフィーリアの嫁である少年――アズマ・ショウだ。彼の細腕にはメダマアサガオの鉢植えが抱えられており、目玉の模様が花弁に描かれた紫色や青色の花がいくつもついていた。
ちなみに本日の彼は水色の膝丈ワンピースに純白のサロンエプロン、海兵を想起させる広めの襟元と赤と黒が特徴的なスカーフを巻いていた。長い黒髪の毛先だけくるくると巻かれており、さらに色替え魔法によって毛先のみ青色に染まっている。
頭頂部では海兵らしい平たい帽子が乗せられ、ワンピースの裾から伸びる華奢な足は白い長靴下で覆われて清純さを後押ししていた。磨き抜かれたストラップ付きの革靴が可愛らしさを添える。
本日の嫁の格好は海兵風メイド服である。もちろんメイド服の要所には海兵らしい錨の紋章ではなく、雪の結晶があしらわれている。その辺りも抜かりはないのだ。
「ショウ坊、何でアタシの名前をつけんの? 恨みでもある?」
「むしろ毎日愛し続けて止まないのだが……」
ショウは部屋の隅にメダマアサガオの鉢植えを置くと、
「ただ『ユフィーリア』という名前をつけるだけで俺がユフィーリアを育てているような気分になって、花や虫が愛おしく思えてくるんだ」
「そっかぁ」
心の底から嬉しそうな嫁に、ユフィーリアは苦情も何も言えなかった。本当に嬉しそうな笑顔を見せるショウに文句を言えるとすれば、きっと人間の心がないのだ。
「この蝉、結構珍しいんだぜ? よく見つけたな」
「ああ、外にたくさんいたぞ」
あっけらかんとショウは言う。アイゼルネから貰った冷たい紅茶をゴクゴクと喉を鳴らしながら飲み干した彼は、
「この世界の蝉は、宝石みたいでとても綺麗なんだな。その青色の蝉も3匹ぐらい見つけたから、1匹程度なら捕獲しても大丈夫だろうと思って」
「ウチの学院、生態系でも崩れてんのか?」
ユフィーリアは箱の中で未だにガサガサと動き回るルリイロホウセキゼミを一瞥し、
「この蝉は、蒐集家の間じゃ高値で取引されるぐらいなんだぞ」
「そうなのか」
「昆虫魔法学っていう魔力を持った昆虫を研究する分野があるんだけど、かなり希少価値のある昆虫だって言われてるからな」
それこそ世界でまだ両手の指で数えられる程度しか確認されていないほど希少価値の高い蝉なのだが、それを3匹も発見するとは眩暈のするような出来事である。学院長のグローリア・イーストエンドが聞けば卒倒しそうだ。
ちなみにお値段、1匹あたり10万ルイゼ以上である。寿命は通常の蝉よりも少しだけ長生きするのだが、せいぜい2週間程度の命だ。死んだら標本になるのが通常の考え方だ。
――いや、待てよ。
「なあショウ坊」
「何だ?」
「これと同じような蝉がたくさんいたのか?」
「ああ。この世界の蝉は宝石みたいに綺麗な蝉しかいないのだろう?」
キョトンとした表情で首を傾げるショウは、
「紅玉みたいに赤い蝉とか」
「ベニイロホウセキゼミだな」
「黒色で鋭い角が生えた蝉とか」
「オニキスオオゼミだな」
「緑色で翅が虹色に輝く蝉とか」
「エメラルドアゲハゼミか」
お値段は1匹あたり10万ルイゼから50万ルイゼまで幅広い高額昆虫のパレードになってやがった。
そうなると、この窓の向こうで聞こえてくる蝉時雨はお宝の山を示す標である。綺麗な蝉を捕まえれば多額の金が獲得できる美味しい機会だ。こんな好機など今後絶対に訪れない。
ユフィーリアの青い瞳が輝く。
「お前らァ!! この蝉を全部狩り尽くして売り飛ばすぞ!!」
「虫籠と虫取り網を買ってくるよぉ」
「虫籠多めだね!!」
「蝉さんが好きそうな樹液の蜜は売ってるかしラ♪」
「…………」
バタバタとエドワード、ハルア、アイゼルネが用務員室を飛び出していく姿を見送ったショウは、ちょっと悲しそうな表情でユフィーリアに問いかける。
「ユフィーリア3号も、蒐集家の人に売ってしまうのか……?」
「…………」
ユフィーリアは机の上にある箱の中で元気にガサガサと動き回るルリイロホウセキゼミを見やる。
確かにあの蝉も希少価値の高い蝉で、1匹につき10万ルイゼ以上で取引される金蔓だ。どうせ2週間程度で潰えるならば金になった方がいい。
金になった方がいいにはいいのだが、
「せっかく名前までつけてきたんだし、コイツだけは用務員室で飼おうか」
「本当か?」
「購買部でホウセキゼミの飼育キットが売ってるから、それを使おうな」
「わあい」
ショウは箱の中で動き回るルリイロホウセキゼミの翅を撫でてやりながら、
「よかったな、ユフィーリア3号。大切に育ててあげるからな」
ところが、
「あ」
「え」
ポロッとルリイロホウセキゼミの翅が取れた。
箱の中に落ちるルリイロホウセキゼミの綺麗な青色の翅。本体は元気に箱の中をガサガサと移動しているのだが、翅が片方だけ取れてしまって不恰好な姿を晒している。
ルリイロホウセキゼミに限らず、ホウセキゼミ系の翅は取れやすいのだ。これだけで死にはしないのだが、もう2度と空は飛べないだろう。
顔を青褪めさせるショウは、ルリイロホウセキゼミの収まった箱を抱えて叫ぶ。
「ユフィーリア3号おおおおおッ!!」
「蝉だよな? アタシのことじゃねえよな?」
自分の名前をつけられただけでも複雑な心境だが、何故か知らないが背中のあたりが妙に痛くなったような気がしたユフィーリアだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】暑いのが嫌いな魔女。外が暑いので外出の頻度は減り、涼しいお部屋でのんびりしがち。
【エドワード】夏は好きだが暑いのは嫌だ。お風呂を出た時の涼しさが心地よい時期になったよねぇ。
【ハルア】夏は大好きな暴走機関車野郎。春夏秋冬全部好きだが、夏は楽しいことが多いような気がする。気がするだけ。
【アイゼルネ】夏は頭が蒸すので熱中症には特に注意しなければいけない。夏限定でたまにスイカのハリボテを被る。
【ショウ】炎天下の外に放置されて熱中症で死にかけた記憶しかないので、この夏は思い切り楽しむ所存。まずはかき氷が食べたい。