第7話【問題用務員と賞与】
星屑祭りが開催されてから1週間が経過した頃合いだ。
「はい、ユフィーリア」
「何だこれ?」
ヴァラール魔法学院も夏休みに入るということで生徒も教職員も揃ってバタバタしている時に、多忙を極める学院長のグローリア・イーストエンドがわざわざ問題児の巣窟となっている用務員室を訪問したのだ。
彼が差し出したのは、茶色い封筒である。封蝋の類はなく、簡易的な書類を収納しただけの味気のない封筒だ。きちんと誰に宛てたものなのか、封筒に名前まで記されている。
その封筒を5通ほど受け取ったユフィーリアは、
「ラブレター?」
「君たちが待ち望んでいた賞与だよ」
「えッ」
驚いて弾かれたように顔を見つめてくるユフィーリアに、グローリアは「じゃあ届けたからね」と言う。
「金額に不満があるからって学院長室にまで突撃しないでよ。僕は忙しいんだから」
「いや、分からねえぞ。もしかしたら突撃するかもしれねえ」
「そうなったら支給した賞与は全部回収して魔法実験用の資金にさせてもらうからね」
グローリアは非常に嫌そうな表情で「じゃあね」と言い残して用務員室から去る。
学院長の姿が見えなくなってから、問題児はいそいそと集合した。
各個人に封筒を渡せば、誰もが少し憂鬱そうな表情をしている。普段から減給とか減給とか減給とか減給を喰らえば、まともな金額が支給されるとは考えていないのだ。
薄っぺらな封筒を受け取ったエドワードは、
「子供のお小遣いより貰えてるといいなぁ……」
「いや本当に、そうだよな」
ユフィーリアも死んだ魚のような目で封筒を見つめる。
茶色い紙面に『ユフィーリア・エイクトベル様』と書かれた簡素な封筒は、嫌に薄っぺらだったのだ。団扇にもなりゃしない薄さだったのだ。
この中に現金が詰まっていると考えれば、かなり薄い。ルイゼ紙幣だったと仮定してもこの薄さはせいぜい1万ルイゼ紙幣ぐらいだろうか。
賞与を貰えるとは思っていなかったらしいショウは、瞳をキラキラと輝かせながら言う。
「もしかしたら賞与明細かもしれない」
「明細?」
「いくら支給したのか、という情報を記した紙だ。触った限りだと三つ折りにされた紙のようだ」
ショウは「給与だけではなく賞与も貰えるなんていい職場だ」などとホクホク顔である。用務員歴がまだ浅い彼にとっては、貰えるという行動だけでも嬉しいのだろう。
ユフィーリアは意を決して封筒の中身を取り出してみる。
確かに、三つ折りされた白い紙が封筒の中身だった。上下に振ってもルイゼ紙幣が落ちてくることはなく、三つ折りにされた紙がカサカサと音を立てるだけである。
エドワード、ハルア、アイゼルネ、ショウに渡した封筒の中身も同じような三つ折りにされた紙が入っているだけだった。似たような結果である。
「『お前らに賞与はありません』って内容の手紙かな」
「もしくはとうとうクビを勧告する通知文とかぁ?」
「請求書かな!?」
「ハルちゃんじゃないんだし、それはないでショ♪」
「いずれにしても、確認をしなければ始まらないな」
ゴクリと問題児全員で生唾を飲み込む。
この紙を開けば、天国が見れるか地獄が見れるかどちらかだ。こんな面白さなんて必要ないし出来ればご遠慮願いたかった。
でも確認をしなければならない。ポイと放り捨てることも、燃やしてしまうことも可能だが、一応ユフィーリアたちも生活がかかっているのだ。
「ええい、ままよ!!」
「そいやぁ!!」
「どうにかなれーッ!!」
「ご開帳♪」
「それほど気合が必要なものなのか……?」
地獄を見ることを覚悟の上で、問題児は一斉に三つ折りの紙を広げた。
題名として掲げられていたのは、ショウの言う通り『賞与明細』だった。
下には季節の文言がずらずらと並べられており、さらに文章の下にはどれほどの賞与を支給したのかという詳細な情報が記載されていた。そこにはちゃんとした数字が並んでいる。
「あ、よかったぁ。それなりの金額だねぇ」
「オレまだ借金返済してる……」
「おねーさんもこれで安心してお買い物が出来そうだワ♪」
「ハルさん……」
エドワードは安堵したような表情をし、アイゼルネは嬉しそうに弾んだ声で言う。一方でハルアは未だに学院への借金返済が続いているのか少しだけ寂しそうな表情をしていたが、通常の給与よりも多めの金額だ。先輩の暗い顔に、後輩のショウがちょっと狼狽えていた。
特に問題はなさそうである。少し悲しい出来事もあったが、通常の賞与支給と変わらなかった。これで全員して賞与が貰えなかったというオチになれば、それこそ学院長室に突撃していたかもしれない。
賞与明細を開いたまま固まるユフィーリアに、ショウは不思議そうに首を傾げる。
「ユフィーリア? 何かあったのか?」
「…………」
「表情がおかしなことになっているぞ」
「…………」
賞与明細を眺めていたユフィーリアの心境は複雑だった。これをどうやって反応すればいいのか分からなかった。
頭は混乱しているし、現実ではないようにも思える。軽く自分の頬を抓ってみたが痛かったので、やはり現実で間違いなさそうだ。
広げられた賞与明細から顔を上げたユフィーリアは、震えた声で答える。
「やべえ」
「何がやばいのぉ?」
「ゼロだった!?」
「賞与が貰えなかったのかしラ♪」
「学院長室に抗議しに行くか?」
「いや違う、違う、そうじゃない」
ユフィーリアは分かりやすく賞与明細を見せてやると、
「金額が去年よりも倍以上に増えてる……何この金額……」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
ユフィーリアの賞与明細に記載されていた金額は、何と衝撃の『508万2,671ルイゼ』である。税金もちゃんと引かれてのこの金額だ。
エドワード、ハルア、アイゼルネ、ショウはユフィーリアが広げた賞与明細を眺めて固まった。
その理由も分かる。桁数が明らかにおかしいのではないかと思えるぐらいに金額がとんでもねーのだ。確かに「気持ち多めで(はぁと)」と言った記憶はあるが、ここまで増やせとは言ってない。
ガタガタと震え始めたヴァラール魔法学院創立以来の問題児は、
「何これ何これ何これ何これ!?」
「ちょ、まずいよぉユーリ!! 学院長が徹夜で計算したからとんでもない金額になってるよぉ!?」
「宛先は間違えてねえの!?」
「あら大変♪」
「とんでもないことをしてくれた……」
学院長が金額を間違えたのではないかと錯覚したユフィーリアは「うわーん!?」と得体の知れない恐怖に涙を流すのだった。
☆
「気持ち多めに払ったよ」
学院長室で、グローリアは生徒たちの成績表をまとめながらポツリと呟く。
「ただし僕の気持ちを基準にしたものだけど」
彼女からすれば大したことはないけれど、あの日の星屑祭りの『本祭』で理想を叶えてくれたことに対する最大限の対価である。
今頃、あの銀髪の魔女は混乱しているだろうか。もしかしたら「学院長がおかしくなった!!」と恐怖を感じているかもしれない。少なくとも正当な対価として支給された金額とは思わないだろう。
グローリアは悪戯が成功した時のような悪い笑みを漏らし、成績表へ羽根ペンを走らせるのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】去年の賞与は税金を引かれても今年の金額の3分の1程度のお値段だった。『聖歌絶唱』を成功させた金額も反映されているとは思っていない。
【エドワード】去年とほぼ同じ金額を支給された。使い道は大体美味しいものを食べるために使われる。
【ハルア】去年とほぼ同じ金額を支給されたはずなのに、給与と同じくまだ学院の備品を壊した借金返済が続いている。
【アイゼルネ】去年とほぼ同じ金額を支給された。使い道はもっぱら洋服と化粧品に消える。今年はマッサージのための香油も揃えようと画策。
【ショウ】初めて賞与を支給された。金額はだいぶ少ないが、貰えるとは思っていなかったので嬉しい。
【グローリア】別に贔屓をしている訳ではないが、ユフィーリアが『聖歌絶唱』を成功してくれたおかげで歌唱魔法の技術が大幅に向上し、それなりの収入が転がり込んできたので半分とちょっぴり気持ち多めの金額を賞与にて還元した。