第4話【問題用務員と無銭飲食の罰】
「やると思いました」
場所は変わって空の上――否、空に1番近い喫茶店と銘打たれた『カフェ・ド・アンジュ』の店内。
昼休みが終わったことで客足がパタリとなくなり、店内は伽藍とした雰囲気が漂う。店員の天使たちは硝子の床で土下座を決行する問題児どもに冷ややかな視線を突き刺しながら、店内清掃に勤しんでいた。
食い逃げという馬鹿な問題行動を起こした用務員どもの前に仁王立ちをする天使長は、朗らかな笑みで応じる。笑顔は可愛いのに、何故か目だけが笑っていなかった。絶対零度の眼差しである。
「やると思っていましたよ、お馬鹿様」
「いや、あの……すみませんでした」
天使長から漂うヤベエ空気を察知して、ユフィーリアは土下座した状態で謝罪の言葉を口にした。
「持ち合わせがなくて……給料も7割減額されちまったんで、明日食う飯すらも危うくて……」
「真面目に働かないからこういうことになるのです。自業自得ですよ」
「面目ねえです……」
深々とため息を吐いた天使長は、
「分かりました、それでは考えがあります」
「見逃してくれんの?」
「何を仰っているんですか、お馬鹿様。タダ飯など許す訳がないでしょう」
ピシャリとユフィーリアの戯言を一蹴する天使長は、土下座するユフィーリアたち問題児にこう告げた。
「問題児様の腕前だけは評価しております。今回の代金分、お店で働いてもらいますよ」
「うええ」
ユフィーリアは思わず呻いてしまった。
真面目に働くことを良しとせず、常日頃から問題行動ばかり繰り返すヴァラール魔法学院創立以来の超問題児である。勤勉・勤労という言葉が1番似合わない。
飲食代の返済という名目ではあるものの、真面目に働くということには変わらない。それが学院の雑用になるか、天使が経営するオサレな喫茶店で給仕をするかの2択である。
にこやかな笑みを保つ天使長は「うええ、じゃありませんよ」と言い、
「代金がお支払いできないのであれば、身体でお支払いしてもらうしかないでしょう」
「身体で支払うって何かえっちだな」
「お馬鹿様、舌を切り取られたいのですか?」
声の調子に本気の感情が宿った。これ以上ふざけたことを言えば、舌を千切られる末路を辿る羽目になる。
仕方がない、今回は完全にユフィーリアたち問題児の自業自得である。
ちゃんと金を持ち合わせていれば食い逃げをするようなこともなかったし、そもそもちゃんと働いていれば給料が7割減額になるようなことはなかった。――まあ真面目に働くという部分は、さすがに御免被る。そんなのつまらない。
ユフィーリアは土下座の体勢を止め、胡座を掻いて雪の結晶が刻まれた煙管を咥える。ミントに似た清涼感のある匂いの煙を吐き出しながら、
「分かったよ、働けばいいんだろ」
「納得していただけたご様子で何よりです」
満足げに頷く天使長は、
「それでは調理と接客で分担していただきます」
「それはこっちで決めていいんだろ?」
「もちろん、向き不向きは問題児様ご自身がよぅく知っていらっしゃると思いますので」
何かを思い出したように天使長は「あ、そうそう」と手を叩くと、
「借金を返済なさるまで用務員室には戻れないと思ってくださいな」
「天使長、今から『鬼畜天使』って呼んでいいか?」
「ぶん殴りますよ」
人当たりのいい笑みを浮かべて拳を掲げる天使長から、ユフィーリアは慌てて視線を逸らすのだった。
☆
客足は昼休みを境にパッタリと途絶えてしまったが、放課後になれば再び客足は戻ってくる。
授業で疲れた脳味噌を癒す為、生徒たちがこぞって甘いものや美味しい紅茶を求めにやってくるのだ。それ故に、放課後も意外と生徒たちでレストランが賑わうのである。
「いらっしゃいまセ♪ 3名様でよろしいですカ♪」
新規の利用客を出迎えたのは、南瓜頭が特徴の可愛らしい給仕さんである。焦茶色のワンピースと純白のエプロンの組み合わせは清楚と可憐さが同居しているものの、胸元の布地が強烈に押し上げられた影響で妖艶さまで加えられている。ちょっと危険なお店かと、改めて店の名前を確認してしまう客が続出した。
残念ながら、ここは立派な喫茶店である。本来なら天使が営業しているはずのカフェ・ド・アンジュに、問題児という異常者が加わることとなったが。
思考回路が停止しかけた新規の利用客を席に通すアイゼルネは、明るく弾んだ声で来客数を告げる。
「3名様ご案内でース♪」
「いらっしゃいませ!!」
元気よく応じたのは、両手いっぱいに注文の品を抱えたハルアだった。曲芸師よろしく頭の上にもお盆を乗せて、緑色の飲み物にアイスクリームが乗せられた『初恋の炭酸水』なるものを運んでいる。何故そんなバランスの悪い場所に、液体の注文品を乗せたのか。
だが、彼がバランスを崩すような素振りは全く見せず、所狭しと並べられた机の間をスイスイと進んでいき、やはり元気よく「お待たせしました!!」とお客様に注文の品を提供する。
驚きのあまり固まる客に、ハルアは「えっとね!!」と注文品を告げる。
「サンドイッチの注文ってこっちで合ってた!?」
「えっと、注文したのは頭の上に乗ってる飲み物です……」
「あ、そっち!? ごめんね!! どーぞ!!」
頭に乗せていた銀色のお盆を勢いよく机に叩きつけるハルアは、店内から見えるように設置された厨房から「何してんだハル!!」と怒鳴りつけられる。
「食器は丁寧に扱えって言っただろうが!! 割ったらお前の給料から差し引くからな!!」
「え!? オレの給料、もうないんだけど!?」
「だったらそっと置け!! 食器は女の子みたいに繊細に扱え!!」
「分かった!!」
両手いっぱいに注文品を抱えるハルアは、厨房からの怒鳴り声へ即座に了承を伝えると別の卓へ急いだ。どんなに走ってもバランスを崩さないのは、彼の身体能力が高い証左である。
代金の精算は「問題児様がやると売上をチョロまかされそうです」と天使長が難色を示したので、問題児は問題児でも昨日異世界から召喚されたばかりのショウを配置した。
カフェ・ド・アンジュの制服である焦茶色のワンピースと純白のエプロンドレスを着込み、ユフィーリアが仕立てた黒い猫耳付きホワイトブリムを頭に装着していた。可愛い猫耳給仕さんの完成である。
ピコピコと揺れる黒猫の耳に夢中な様子のお客様をよそに、ショウは持ち前の頭脳明晰さを発揮して精算機へ数字を打ち込んでいく。
「お会計が2,046ルイゼとなります。――3,000ルイゼをお預かりましたので、お返しが954ルイゼです」
客から代金を受け取り、お釣りを返したショウは流れるようなお辞儀で利用客を見送る。
「ありがとうございました、またのお越しをお待ちしております」
その礼儀正しさと整った美貌の組み合わせは女子生徒や女教師どころか男子生徒までも虜にし、彼らはポッと頬を赤らめて「ま、また来ます……」などと返していた。
熱に浮かされた様子の利用客を見送るショウは、不思議そうに首を傾げていた。
彼からすればちゃんと仕事をしただけなのだが、何故かほとんど全員が頬を赤らめて店を去っていくのだ。自分の魅力に気づいていないショウは、会計待ちの客に「お次のお客様、どうぞ」と呼びかけていた。
肝心の厨房組はというと、
「叫び鶏と紫唐辛子のサラダでサファイアソース……この注文をした奴って誰だ? 色合い悪くね? 食欲減衰しねえの?」
注文の伝票を見ながら、ユフィーリアは「まあいいや」と言う。
「勝手にルビーソースに変えてやろ。色合い悪いとか文句言われたら腹立つから」
魔法を駆使して業務用の食料保管庫から野菜を取り出すと、食べやすい大きさに千切って陶器製の大きな器に入れていく。最後に茹でた叫び鶏の肉を乗せて、細かく輪切りにした紫色の唐辛子を散りばめて完成だ。
紅玉にも似た輝きを放つ液体が揺れる小瓶を脇に添え、客に提供しやすいように木製の小さなお盆に載せる。紙に包んだ肉叉をついでにつけてから、店内を忙しなく駆け回るハルアを呼びつけた。
呼んでから5秒と置かずにハルアは「何!?」と厨房までやってきたので、
「これを2番卓の客に持ってけ」
「2番ってどこ!?」
「地図渡しただろうが、よく見ろ」
ハルアは黒いつなぎの衣嚢から折り畳まれた紙を取り出し、店内の様子を確認する。
「えーと厨房がこっち!?」
「ハル、地図が逆」
「あっそうだね!!」
「ほらそれ見てさっさと運んでやれ。飲食店は速度が重要だからな、零すなよ」
「分かった!!」
木製のお盆を掴んだハルアは、渡した地図を確認しながら「あっち!?」などと叫びながら注文品を運んでいく。
勢いよく真逆の方向へ進んで行ったので、アイゼルネが軌道修正をしていた。地図すら意味を成さないらしい。何故だ。
危なっかしい動きをするハルアを厨房から観察するユフィーリアは、
「大丈夫かよ、ハル……」
「まあまあ。ちゃんとお料理を零さずに運んでいるからねぇ、そこは褒めてあげてよぉ」
「いや、そこは褒めてる。素直に凄えって思ってる」
ユフィーリアは次の注文を確認すると、同じく厨房組としてフライパンを振るうエドワードへ振り返る。
「エド、叫び鶏のオムライス追加」
「またぁ? これで15回目だよぉ?」
フライパンに油を引きながら、エドワードが返す。
「まあ人気商品だし仕方ねえだろ。辛いなら代わるぞ」
「体力には自信があるからまだ余裕だもんねぇ」
片手で器用に玉子を割りながら、エドワードは「それよりもぉ」などと言葉を続ける。
「ユーリは平気なのぉ? 火を使う料理以外は全部ユーリが担当してるじゃんねぇ。飲み物とか結構種類があるじゃんねぇ」
「安心しろ、エド」
伝票で次の注文を確認するユフィーリアは、雪の結晶が刻まれた煙管を一振りしながら言った。
「見ろよ、勝手に食器や包丁が動いてんだろ」
「ユーリが魔法で動かしてるだけじゃんねぇ。そんなに魔法を行使して大丈夫なのぉ? 魔力切れとかぁ」
「あー、魔力欠乏症のことか」
魔力欠乏症とは、いわゆる魔力切れのことを示す。身体を巡る第2の血液とも言われる魔力と空気中に分散される魔素を掛け合わせることで魔法は発動し、この魔力が切れてしまうと魔法が使えなくなってしまうのだ。
魔力欠乏症に陥ると酷い倦怠感や疲労感に苛まれ、最悪の場合は身体が凍りついたり、縮んでしまったり、高熱が出てしまったりと被害は多岐に渡る。死に至る危険性があると言ってもいいだろう。
魔力は食事や睡眠等で自然に回復するが、だからと言って長時間に渡っての魔法を使う作業は魔力欠乏症に陥る危険性が高い。適度な休憩が推奨されているのだ。
「まあ平気だろ。この程度で魔力欠乏症を引き起こしていたら、問題児なんてやってねえよ」
2つ並べた硝子杯に筋骨隆々とした男の小さな氷像を入れ、さらに豆から挽いた珈琲を注ぐ。珈琲の中で自慢の筋肉を見せつけるような体勢を取る氷像は、昨日の入学式をぶち壊した氷像とよく似ていた。
新入生の心的外傷を抉るような行為だが、本人は面白がってやっている。せいぜい悲鳴を上げるがよい。
戻ってきたハルアに「これを3番卓に」と飲み物を押し付けたユフィーリアは、
「3番卓は分かるか? お前が今さっきサラダを届けた場所の隣な」
「分かった!!」
「顔が『分かった』って表情じゃねえんだよなァ」
明らかに分かっていないハルアに、ユフィーリアはため息を吐く。
「アイゼ、この馬鹿を3番卓に連れて行ってくれ」
「はぁイ♪ ほらハルちゃん、急ぐわヨ♪」
「あいあい!!」
客も途切れたことでちょうど暇を持て余していたアイゼルネにハルアの面倒を任せ、ユフィーリアは次なる注文を記載した伝票へ視線をやる。
借金返済まで何時間働けばいいのだろうか。そっと嘆息しながら、次の注文品の調理に取り掛かるのだった。
意外にも真面目に――いいや、店員である下級天使以上に働く問題児たちを眺めながら、天使長はポツリと呟く。
「能力はとても高いのに、何故いつも問題行動を起こすのでしょう。真面目に働けば正当に評価されるはずなのですが」
何種類も魔法を自在に操って注文の品をまとめて調理するユフィーリアと、無尽蔵の体力と腕力でフライパンを振り続けるエドワード。接客組ではどれほど注文品を抱えてもバランスを崩さないハルアと、意外にも他人を気遣って接客するアイゼルネでほとんど回している。
会計には問題児にまだ染まりきっていないショウが的確な数字を打ち込み、かなりの売上が期待できそうだ。
天使長は真面目に働く問題児たちを見て、
「これは飲食代以上のお礼が必要になるかもしれませんね」
《登場人物》
【ユフィーリア】調理場を担当。身体に冷気が溜まる体質のせいで火を使う料理をすると軽く火傷してしまうので、そこはエドワードに任せる。
【エドワード】調理場を担当。無尽蔵の体力と腕力で火を使う料理全般を担当したが、フライパンを15個も犠牲にした。
【ハルア】接客を担当。曲芸師みたいに注文した商品を運ぶが、奇跡的なバランス能力のおかげで零さない。陰でどれほど運べるか賭けが行われていたらしい。
【アイゼルネ】接客を担当。いけないお店に来たのかと錯覚させるナイスバディを見せつけ、女性客から嫉妬の視線を一身に受けることに。
【ショウ】会計を担当。猫耳給仕のおかげで売り上げも倍増。何故か女性客より男性客から熱視線が集まり、よく手を握られるのだが何故だろう?