第6話【問題用務員と心配】
「こンの――お馬鹿!!」
保健室にエドワードの怒声が響く。
怒られるのも無理はない。何せユフィーリアはエドワードたちに何も言わず重度の魔力欠乏症に陥るような危険極まる真似をしでかしたのだ。身を案じて説教を垂れる理由も分かる。
しかし、タダで怒られる気はさらさらないユフィーリアは、両耳を塞いで寝返りを打つだけに留めた。小さな反抗である。魔力がすっからかんなので防音魔法を展開することもままならない。
説教を聞く気がないと判断したエドワードは、額に青筋を浮かべてユフィーリアの頭を鷲掴みにしてくる。
「おら飲めアホ魔女」
「あーだだだだだだだだだ!? おまッ、これご主人様にする態度か!?」
「文句言える立場にいると思ってんじゃねェぞアバズレ」
「お前あとで覚えてがぼぼぼぼぼぼ」
エドワードが容赦のない手つきでユフィーリアに飲ませたものは、魔力の回復を増進させる為の魔法薬である。保健室に常備されていた薬品で、大きめのフラスコに目一杯用意されていたブツを一気にユフィーリアの口へ流し入れてきたのだ。
苦いような酸っぱいような味の液体が喉元を通過していき、総じて悶絶するほどの不味い液体にユフィーリアは保健室のベッド上でどったんばったんと大暴れする。重度の魔力欠乏症に陥ると身体を動かすことすら億劫になると言われているが、今のユフィーリアはまるで陸に打ち上げられた魚の如くビチビチと暴れている。
口からフラスコを引っこ抜かれ、ユフィーリアはあまりの不味さに「おげええええええ」と絶叫した。
「不味いよおおおおおおおお」
「自業自得だクソ魔女」
「クソマッチョが虐めるよおおおおおおおお」
「なぁに、ユーリ。もう1本ほしいのぉ?」
唐突に普段の間伸びした口調に戻し、エドワードは凄みのある笑顔でさらなるフラスコを掲げる。フラスコには緑色に輝く液体が揺れており、ただでさえ爽やか酸っぱ苦い味に悶絶していたのに追加で味わう羽目になってしまう。
フラスコ内の魔力回復薬を飲用したおかげでじわじわと魔力が回復していくのを感じているのだが、追加で味わうことになれば今度こそ胃の中の何かが出てくる。魔法薬の味は何度飲んでも慣れない。本当に不味くて仕方がない。
ユフィーリアは「やだああああ」と全力で拒否し、
「ショウ坊、ショウ坊助けて!! エドが虐めるんだ!!」
「…………」
「え、あの、ショウさん?」
ベッドの脇に設置された椅子に腰掛けるショウは、魔法薬の飲用を拒否するユフィーリアに向けて聖母のような微笑を向けていた。状況が状況でなければ間違いなくメロメロになっていた。
彼の手には、エドワードと同じようなフラスコが握られている。揺蕩う液体は輝く緑色である。そこはかとなく漂う嫌な予感。
ショウはおもむろに自分の口の中にフラスコの中身を流し込むと、
「んむ」
「むぐーッ!!」
ユフィーリアに熱いキスを送った。
流し込まれる爽やか酸っぱ苦い液体。ガッチリと頭を固定されているので逃げることが出来ない。容赦のない口移しにユフィーリアはくぐもった絶叫を上げるしか出来なかった。
酷え裏切りである。いやこれに関しては完全にユフィーリアの自業自得だが、それにしたって酷い裏切りである。せめて味をどうにかしてくれればユフィーリアだって魔法薬の飲用を拒否することはないのに、やはりショウの口を介しても魔法薬は爽やか酸っぱ苦い。
最愛の嫁による地獄の口移しから解放されたユフィーリアは、グッタリとベッドに寝転がる。
「いっそ殺せ……」
「任せて!!」
「本気にするな本気にするな、おいふざけんなよクソが何だよその馬鹿みたいに大きな鋏は!?」
「ユーリがいつも使ってる鋏を意識してみたよ!!」
ひょっこりと顔を見せたハルアの手には、身の丈を超える鋏が握られていた。もしかしてユフィーリアが第七席【世界終焉】の際に使っている巨大な銀製の鋏の模造品を特注で作ったのか?
ただしユフィーリアが使う銀製の鋏より精度は低いのか、螺子の部分は普通の留め具だし外れる気配はない。シャキンシャキンと刃の鳴る音が命の危険が迫っていることを暗に告げていた。
ユフィーリアは頭まですっぽりと布団を被ると、
「もうやだ……みんなして虐める……」
「あラ♪ 心外だワ♪ おねーさんはユーリを虐める気なんて毛頭ないわヨ♪」
布団の向こう側からアイゼルネの声がして、その言葉を信じたユフィーリアは布団から顔だけをひょっこり出す。
何故か金盥を装備した南瓜頭の娼婦とご対面を果たした。
金盥の他にも色々と道具を揃えており、コブがついた棍棒だったり枯れた花を詰めた瓶だったり香油の容器だったり多岐に渡る。どこかで見覚えのある品々だと思えば、魔法を使う際の神経を修復する時に使った道具だ。
ハリボテの南瓜越しに笑うアイゼルネは、
「さあユーリ♪ 身体を預けテ♪」
「それやられると立てなくなるからやだ」
「やるのヨ♪」
「あーッ、あーッ!!」
アイゼルネに布団を引き剥がされそうになって、ユフィーリアは必死の抵抗をする。確かに神経を回復させる為のマッサージ等は気持ちよかったのだが、あれをやられるとしばらく立つことがままならなくなるのでやりたくないのだ。
状況を察知したショウとハルアが、アイゼルネに代わって布団を剥ぎ取ろうとしてくる。問題児の力自慢であるエドワードは薄情なことにゲラゲラと笑っていたのだが、未成年組の行動を手伝う気はないようだ。時間の問題とでも思っているのだろう。
地獄のように見えて天国なマッサージまで秒読みと言ったところで、思わぬ相手から助け舟が出された。
「……何してるの?」
保健室を訪れた学院長のグローリア・イーストエンドが、可哀想なものでも見るかのような視線を寄越してきた。
「学院長だぁ」
「こんばんは!!」
「星屑祭りは終わったかしラ♪」
「今は取り込み中ですのでまたあとで訪問してください。ユフィーリアの呂律が回っていないかもしれませんが」
「どういう状況?」
エドワード、ハルア、アイゼルネ、ショウの4人に怪しげな眼差しを送るグローリアに、ユフィーリアは「助けてくれ!!」と布団にしがみつきながら叫んだ。
「この際だから凄え頼りないけど、お前でもいいから助けてくれ!!」
「帰っていい?」
「お願いしますお願いします帰らないでくださいお願いしますアイゼの神経修復のマッサージを受ける覚悟を決めるまで側にいてください」
「君が切羽詰まる状況を作れるのって、部下が暴走した時ぐらいだよね。勉強になるなぁ」
グローリアは朗らかに笑いながら言い、
「まあ、会話が成り立たなくなると嫌だから今回ばかりは君の味方になってあげよう」
「え」
グローリアがパチンと指を弾くと、
「何これぇ!?」
「あーッ!!」
「あらやダ♪」
「何するんですか、この腐れ学院長」
エドワード、ハルア、アイゼルネ、ショウの4人が魔法トリモチによって拘束されてしまった。
スライムを想起させるモチモチとした青色の液体に身体を拘束されてしまい、どれほどジタバタと暴れても剥がれ落ちる様子はない。魔力を流している間は対象を逃がすことはないと銘打たれた万能拘束具に、さしもの問題児も抜け出すことは不可能だ。
まあ流れている魔力を逆流させれば簡単に拘束は外れてしまうのだが、魔法の天才であるユフィーリア以外にそんな芸当が出来るとは思えない。
「た、助かった……」
安堵の息を漏らすユフィーリアは、
「いやー持つべきものは優秀な学院長ですな!!」
「ユフィーリア、真面目な話があるんだけど」
「はい……」
絶対にそうだろう、とは思っていた。
何せ、大切な星屑祭りの『本祭』を見事に潰したのだ。歌姫に選ばれた生徒も罠魔法で強制的に退出させて舞台を乗っ取ったし、怒られることは確定だった。
説教だけで済めば軽い方だが、そう現実は甘くない。少なくとも給金や賞与に何らかの影響はあるだろう。
怒られると判断して顔をシワシワにさせるユフィーリアに、グローリアは静かな口調で言う。
「『本祭』で君がやった魔法、あれって僕が考えた魔法だよね?」
「聖歌絶唱?」
「そう」
グローリアは頷き、
「ずっと実現不可能だって言われて、同じような状況が作れないから魔法の実験も出来なくて。『魔法で星を降らせる』なんて荒唐無稽だっていつしか自分でも思うようになって、魔法って万能じゃないんだなってそろそろ現実を見ようとも思ったけど」
今にも泣き出しそうな表情のグローリアは、
「どうして君は、まだ僕に夢を見させてくれるの?」
「だって、その方が面白いだろ」
さも当然とばかりの口調で、ユフィーリアは答えた。
ヴァラール魔法学院始まって以来の問題児筆頭は、物事を『面白い』か『面白くないか』で判断するのが常識だ。だから常日頃から怒られるような悪戯ばかりを繰り返し、正座で説教されたり時に減給されたりクビで脅されたり逆に校舎爆破で脅し返したりするのだ。
現実をちゃんと見据えた堅実な夢も状況によっては面白いかもしれないが、ユフィーリアは荒唐無稽で他人から指差されて笑われるような夢を応援したい。『無茶』や『無謀』で世界を変える方が面白いのだ。
「お前の夢は、いつも面白いからな」
ユフィーリアはいつもの快活な笑みをグローリアに向け、
「『無謀だ』とか『無茶だ』って言われてる夢を叶えた時ほど、楽しいもんはねえよ」
「本当に、君は馬鹿だなぁ」
「最高の褒め言葉だよ」
ユフィーリアは「で?」と首を傾げ、
「アタシの歌はどうだった、学院長様」
「最高だったさ。普段のガサツさが想像できないぐらい、綺麗な歌声だった」
「お、やったね。じゃあ夏の賞与をほんの少しだけ気持ち多めに」
「それとこれとは話が別だよ」
グローリアは「さてと」と身を翻して、パチンと指を弾く。
魔法トリモチのおかげで拘束されていたエドワード、ハルア、アイゼルネ、ショウが自由を得てしまった。消失した魔法トリモチに驚いた4人だったが、自由の身になったことで獲物をロックオンしてくる。
用事は済んだと言わんばかりに保健室の扉へ向かうグローリアは、
「じゃあ僕は帰るね。君が舞台で見せてくれた『聖歌絶唱』の魔法をまとめなきゃ」
「ちょ、待てグローリア、助けてやばいこれ絶対にアタシは人間の形を保てなくなる絶対にやばいって」
「生きろ、ユフィーリア。君は強いんだから」
「強くなくていい、弱くて上等だ、だからお願い助けてください学院長様アーッ!!」
悲鳴を上げるユフィーリアをよそに、グローリアは朗らかな笑みで保健室の扉をそっと閉じやがった。
《登場人物》
【ユフィーリア】痛みなどに強いので自分自身だと堪えがち。体調不良も隠しがち。それでエドワードに見つかってベッドに「そぉい!!」されて看病されるまでがセット。
【エドワード】風邪を引くとあからさまに食欲がなくなるし、体調不良も目に見えやすい。いつもユフィーリアが真っ先に気づいてくれる。
【ハルア】風邪引いたことないね! 風邪って何!?
【アイゼルネ】義足などでごく稀に疼痛が起きたりするのだが、その時はユフィーリアに診てもらっている。健康に気を遣っているので風邪を引かないが、体調不良などは長引きやすい。
【ショウ】虐待されていた時代はインフルエンザなどにかかって死にかけたが、この世界に来てから風邪を引いていない。よく食べ、よく遊び、よく寝ている超健康優良児。
【グローリア】徹夜のせいで体調を崩すこともあるが、大抵は寝てれば治る。あとは自分で治癒魔法をかけちゃう。