第5話【問題用務員と星の海】
「はあ……はあ……」
舞台上に立っているのがやっとだった。
照明用の魔法兵器に照らされながら、ユフィーリアは朦朧とした意識の中で万雷の喝采を聞いていた。
ヴァラール魔法学院の中でもずば抜けた魔力量を誇るユフィーリアでも、グローリアが考案した『聖歌絶唱』の魔法は無理があった。空気中に散らばった魔素は普段よりも澄んでいるおかげで容赦なくユフィーリアから魔力を持っていくし、広範囲に歌唱魔法を展開しなければならなかったので余計に魔力を消費する羽目になった。
加えて魔法で楽器を操ったり、魔法で照明用の魔法兵器を操ったり、いくつもの魔法を同時に展開していたのだ。魔力欠乏症でぶっ倒れてもおかしくない状況である。
(ああ、でも……)
普段なら絶対に贈られることのない万雷の喝采を浴びるのも、たまには悪くない。
照明用の魔法兵器による明かりが強いので観客席まで確認することは出来ないが、難しい表情を浮かべていることだろう。「凄い」と称賛すればいいのか「愚かだ」と嘲笑えばいいのか分からないはずだ。
呼吸を整えて、ユフィーリアは「何だ何だ」と魔力欠乏症でぶっ倒れそうになっている現実を隠すように軽口を叩く。
「そんなに褒めるから、もう1曲歌いたくなっちまうだろ? 特別だぞ?」
むしろここからが本番だ。
先程のように『聖歌絶唱』を展開することは叶わないだろうが、これが成功すれば流星群と夜空から降り注ぐ魔力の結晶よりも綺麗な光景になるはずだ。ここから先は、グローリアも知らない問題児だけの舞台である。
多少の無茶や無謀でも、それで世界が変わるのであれば絶対に『面白い』のだ。問題児筆頭であるユフィーリア・エイクトベルという魔女は、そんな面白さを求める馬鹿野郎である。
右腕を軽く掲げると、それまで舞台を照らしていた照明用の魔法兵器が一斉に消灯した。夜特有のぼんやりとした明かりしかなく、観客たちは次々と驚いたような声を上げた。
静かで暗い 冷たい夜
僕は1人 闇の中
寂しくて泣く僕に 手を差し伸べて
笑う君は 星屑のよう
魔法で操る楽器の演奏に合わせ、ユフィーリアは静かに歌い始める。
若者に人気の歌だ、と聞いたことがある。
200年前ぐらいに流行した歌だが、今の世代でも絶大な人気を誇っているのだ。何度もこの歌を聴いて完璧に演奏が出来るようになったところで飽きてしまったが、この状況で最も適している歌はこれしかない。
魔力を込めながら歌えば、ユフィーリアの足元に散らばった魔力の結晶が薄青の光を放ちながらふわりとひとりでに浮かび上がる。
遊ぼう 遊ぼう
夜の世界 星の原っぱ
2人だけの夜を 楽しみましょう
眠るママとパパには 内緒で
ふわふわと空中を漂う魔力の結晶は、さながら星屑のように煌めいていた。足元に散らばった結晶たちが魔法で掻き集められて、2人の子供の姿を形作る。
手を取り合ってユフィーリアの周りを駆け回る2人の子供は、楽しそうにはしゃいでいた。歌詞を体現しているかのように、彼らは両親に内緒で夜の世界を堪能しているのだ。
そう、夜の世界は昼間と違って特別である。独特の静寂が妙な特別感と高揚感があり、それがユフィーリアは好きだ。
怖くて泣く僕の頭を 君は泣かないでと撫でてくれた
慰める君の手が優しくて やっぱり僕は泣いてしまうんだ
ほら見て 君が指差す先
星が瞬く空に 魚が泳いでいる
それまで子供の姿を形作っていた結晶が、次々と姿形を変えていく。
夜の世界を優雅に泳ぎ回る魚だ。尾鰭を優雅に動かして、暗い夜空を自由に泳いでいる。
小さな魚は群れを作り、大きな魚は雄大な泳ぐ姿を観客たちに見せつけた。薄青に輝く結晶が集合して魚の姿を描く光景は、ここが深海であるかのように思わせてくる。優雅に、自由に、夜の世界を泳ぎ回る魚たちの何と美しいことだろうか。
歌声を響かせながら、ユフィーリアは薄青に光る魔力の結晶を操作して自然な形で魚たちを泳がせる。楽器を操る魔法に加えて決勝で形作った魚の群れを動かす作業も必要になったが、自分が企画した以上は成功させなければならない。
星降る海を 自由に泳ぐ
重たい鎖 解き放って
君と一緒なら 怖くない
夜の海を どこまでも行く
指揮者のように指先を振りながら、ユフィーリアは空中を優雅に泳ぐ魚たちを操りながら歌うのだった。
☆
地面に落ちた無数の結晶が集合して魚の姿を形作った時は、グローリアは「何が起きた!?」と混乱した。
こんな魔法など知らない。
グローリアが発案した『聖歌絶唱』のようではないのだが、未だに流星群が紺碧の空を流れ落ちていく様が続いているので『聖歌絶唱』の魔法が展開中なのだろう。空を泳ぐ魚の群れは、本当に生きているように動いている。
すぐ目の前を通過した小さな魚は、空から降り注いだ結晶によって構成されている。薄青に輝く結晶が集合したことで星屑祭りの『本祭』会場は幻想的な光景に包まれていた。
「これもグローリアの『聖歌絶唱』ッスか?」
「こんなの知らない……」
泳ぐ魚を視線で追うグローリアは、スカイの何気ない質問に首を横へ振った。
「僕の作った『聖歌絶唱』の設計書にはなかったよ。こんな、こんな魔法なんて知らない」
「じゃあ、これはユフィーリア独自の魔法ってことッスか!?」
スカイが驚いたような声を上げる。
楽器を操る魔法に加え、魔力の結晶を繊細に操る魔法まで展開しているのだ。ただでさえ『聖歌絶唱』で魔力を大幅に消費しているのに、これ以上は魔力欠乏症に陥ってしまう恐れだってある。
今もなお、ユフィーリアは歌い続けている。苦しそうな表情すら見せずに、歌声を会場全体に響かせている。
どうして、ユフィーリアはそこまでする必要があるのか?
「――そんなの決まってるじゃないですか」
ふと、グローリアの隣から声が落ちてきた。
雛壇のようになった観客席には、入退場をする為の小道な設けられている。優雅に泳ぎ回る魚の群れに照らされて、その小道に佇む人物がグローリアを見据えていた。
ユフィーリアを愛してやまない少年、アズマ・ショウである。その姿は先程の赤と白が特徴的なメイド服から打って変わり、清潔感のある白い襯衣と麻の洋袴という簡素極まる学校だった。髪も下ろしているので背中に黒い大河が形成され、何も履いていない裸足の状態で階段を踏みつけている。
炯々と輝く赤い瞳をグローリアに向けたショウは、小さく微笑んで告げた。
「ユフィーリアはいつだって面白いことしかしませんよ」
ほら、とショウが指先を虚空に滑らせる。
それまで優雅に泳ぎ回っていた魚たちが、唐突に観客席へ向き始めたのだ。小さい魚たちが何かから逃げるように動きが早くなり、そしてついに最大の魚が姿を見せる。
鯨だ。大きな口を開け、観客席に襲撃してくる。その先にいたのは階段で立ち尽くしていたショウだ。
「見ていてください、俺とユフィーリアの共同作業を」
ショウはそう言って、魔力の結晶だけで構成された薄青に輝く鯨に飲み込まれる。
不安になる時でも 眠れない夜でも
君はいつだって 側にいてくれる
涙を流す夜は もう来ない
星屑を泳いで 君の元へ
ショウを飲み込んだ鯨は、勢いよく夜空へ上昇していく。観客たちの視線は1人の少年を飲み込んだ鯨の行方に夢中だ。
やがて舞台の上に到達したその時、鯨が薄青の粒子となって弾け飛ぶ。その巨大な身体がまるで星屑のようになって解け、それまで飲み込まれていた少年を解放した。
飲み込まれていたショウは空中に投げ出されるが、彼の身体は重力に従って自由落下を開始しない。ふわりと空中で器用に体勢を変えると、虚空を蹴飛ばして魚たちと一緒に泳ぎ始めたのだ。
よく見れば、本祭会場の周辺を歪な形をした白い三日月が飛んでいる。顕現している間は主人であるショウも地面に落下せず、魚たちと同じように空を泳ぐことが出来るのか。
「ほう、冥砲ルナ・フェルノを上手く使えている」
「ああ、ショウ……とても立派に成長した訳だが」
魚たちと戯れるショウを見上げ、冥王ザァトとキクガが称賛の言葉を送った。
「冥王様でも、この魔法は知らないんですか?」
「知らんな」
グローリアの質問に、冥王ザァトは即座に否定の答えを返した。
「無謀極まりない生産性のない魔法だし、魔女の方はすでに限界を迎えている。『聖歌絶唱』などという未知なる大規模魔法をたった1人で運用し、なおかつこんな愚かな演出をするとはな」
魔力の結晶で構成された魚たちと一緒に夜空を泳ぐショウを見上げる冥王ザァトは、
「――だが、今までで最も美しい星屑祭りだ」
とても優しい表情で、そんな言葉を述べたのだ。
星降る海で 君を想う
夜空に触れ 星を散らして
愛しい君に どうか祈りを
この時が ずっと続きますように
歌声に合わせて、魚たちの姿が再び切り替わる。
その身体を構成していた魔力の結晶が散り散りになったと思えば、会場全体を覆い尽くすほどの大河を成す。薄青に輝く結晶のおかげで見事な天の川が作り出されていた。
その天の川を滑るように、空中を泳いでいたショウが歪んだ白い三日月の船に乗って流れていく。白い三日月に腰掛けた少年が天の川に触れた途端、パッと弾けて薄青の粒子に変わっていく。
絶景に目を奪われる客たちの歓声をよそに、ショウは天の川に飛び込んだ。薄青に輝く魔力の結晶たちが彼を包み込み、夜空の遥か高みまで連れて行く。天高く昇っていき、ショウを包み込んでいた魔力の結晶の全てが花火のように弾けて薄青の粒子を散らす。
解放されたショウは背中からゆっくりと落ちていく。空中に飛び散る粒子に手を伸ばし、ゆったりと時間をかけて落下する様は水底に沈んでいくかのようだ。
煌めく朝と共に 君は姿を消した
愛してる そんな言葉を残して
また夜に 会いましょう
星の海が見える頃 会いましょう
ゆっくりと落下してきたショウはユフィーリアが広げる腕の中に収まり、綺麗に微笑んでから銀髪の魔女を優しく抱きしめた。ユフィーリアもまた愛しい嫁の背中を撫で、微笑みを返す。
魔法によって演奏される楽器が余韻を残して音が消えていき、キラキラと飛び散る薄青の粒子がユフィーリアとショウに降り注ぐ。その光景の幻想さたるや、筆舌に尽くし難いほどだった。
演奏後の静寂を引き裂くかのように、万雷の喝采がユフィーリアとショウに贈られる。
普段の問題児っぷりが嘘のような飛び抜けた魔法の才能を、生徒や教職員を前に見せつけたのだ。嫉妬など吹き飛び、称賛以外の言葉は見つからない。
――そのはずだった。
「ユフィーリア!?」
突如として、ユフィーリアが舞台上で倒れ込んだ。ショウが慌てた様子でユフィーリアを抱き起こすが、指先から凍りつき始めており魔力欠乏症が重症化しかけていた。
観客たちの驚く声があちこちから漏れ出す。舞台上にエドワードとハルアが駆け上がり、倒れたユフィーリアを搬送していった。泣きそうな表情を浮かべていたショウは、あとからやってきたアイゼルネに慰められながら舞台上から撤退する。
息を呑むほど幻想的な光景だったが、今年の星屑祭り『本祭』は後味悪く終わってしまった。
《登場人物》
【ユフィーリア】世界で誰より天才的な魔女(自称)。プラネタリウムとか行ったら多分寝る。占星術とか習得する割には退屈すぎて眠るタイプ。
【ショウ】世界で誰より旦那様を愛するお嫁様。プラネタリウムは学校行事で体験済みだが、流星群を初めて見た。
【グローリア】世界で誰より学院長。占星術や星座などは知識はあれど専門外なのでプラネタリウムの説明を食い入るように聞いている。何だったらパンフレットとか買っちゃう。
【スカイ】世界で誰より副学院長。プラネタリウムの機械の方に興味が湧いてきちゃうほどメカバカ。