第2話【学院長と本祭】
夜の闇が世界を支配し、紺碧の空に白銀の星々が瞬く頃だ。
『会場の皆様、大変長らくお待たせいたしました。間もなく星屑祭り「本祭」が開始されます』
拡声魔法によって星屑祭りの『本祭』が執り行われる会場全体に声が届けられる。
星屑祭りの『本祭』は、校庭の隅に設けられた闘技場めいた建物で盛大に執り行われる。階段状になった座席は浴衣姿の客人でほぼ満席の状態となり、賑やかな話し声がぶつかり合っていた。
座席の中心には円形の舞台が置かれ、舞台を取り囲むように管弦楽団が楽器を片手に待機している。楽器の調子を確かめるように試し弾きをしている姿が薄暗い中で確認できた。
「浮かない顔ッスね」
「…………そうでもないよ」
夜の闇に浮かび上がる舞台を眺めて、グローリアは隣の席に座るスカイの言葉に応じた。
「せっかくの『本祭』なんだ。問題児に邪魔されないかヒヤヒヤしているだけだよ」
「問題児は毎年『本祭』を邪魔することはないッスよ。のど自慢大会で選ばれた歌姫の美声を聴くのが楽しみなんだって」
「そう言えばそうだったね」
毎年、この『本祭』では問題児が問題行動を起こさないのだ。彼らなりのこだわりなのか、のど自慢大会で選出された歌姫が素晴らしい歌声を披露するのを楽しみにしているらしい。
確かにその通りかもしれないが、今年は「もしかしたら?」ということもある。警戒しておくに越したことはない。
スカイはあらかじめ持ち込んだ炭酸飲料の瓶を傾けながら、
「ボクが昼間に言ったこと、まだ引き摺ってるんスか」
「…………」
スカイに指摘され、グローリアの心の深い場所に刻まれた傷跡が疼く。
「毎年毎年、飽きもせずに夢を実現できるかのように語ってたッスね。世界規模の歌唱魔法どころか、歌唱魔法によって空から星を降らせるなんて芸当は無理なんスよ」
「うん、そうだね」
「聞き分けがいいんスね。ようやく現実を見ることに決めたんスか」
「夢を語っているだけで現実を生きていけるかっていうのは、別問題になっちゃうからね」
喉の奥まで出かかった本音を飲み込んで、グローリアは笑い飛ばす。
グローリアが編み出した歌唱魔法の応用系『聖歌絶唱』は、実現すれば空から星を降らせることが出来るとされている。歌唱魔法の魔力と今日の澄んだ魔素が結びついて自然界に影響を及ぼすと魔法式でも結果が出ている。
ただ、実験まで至っていない。グローリアは学院長として星屑祭りも様々な業務に追われてしまうし、そもそも歌唱魔法に自信のある生徒があまり在籍していないというのが問題だ。『聖歌絶唱』に必要な魔法は歌唱魔法で、歌唱魔法はどうしても歌の上手さに依存してしまう。
自分自身が実験台になってもいいのだが、グローリアは歌声に自信がないのだ。鼻歌だけで鴉が墜落し、たまたま近くを通りかかった問題児が泡を吹いて医務室に担ぎ込まれたので、自分には歌唱魔法が向いていないことを理解した。
「もういいんだ」
グローリアは静かに呟き、
「――誰も実現できない魔法なんて、いらないんだよ」
すると、会場全体に再び拡声魔法によって声が届けられる。
『お待たせいたしました、これより星屑祭り「本祭」を開催いたします』
会場のあちこちから拍手が起こる。グローリアやスカイも、周囲の客に合わせて拍手を送った。
『まずは今年の歌姫の紹介です』
夜の闇に沈んだ舞台が明るく照らされ、ちょうど舞台に設けられた小さな階段を女子生徒が登っているところだった。
艶やかな金色の髪と緑色の瞳が特徴的な美人で、丁寧に化粧を施して白いドレスまで身につけている。魔法学院主催のちょっとしたお祭りだと言うのに、彼女が舞台に立つだけで歌劇の会場に様変わりしたような雰囲気があった。
サテン生地の白い長手袋に覆われた手を優雅に振りながら、女子生徒は舞台の中心を目指して歩く。
『今年の歌姫はヴァラール魔法学院4学年のビビアン・メロディスです。歌唱魔法を得意とするメロディス家の出自で、天使の歌声と評価されております。難しい歌唱魔法を幾度となく成功させてきた実績を持つ才女の歌声を、心ゆくまでご堪能ください』
万雷の喝采が歌姫に選ばれたビビアン・メロディスに贈られる。
グローリアは舞台の中心で立ち止まり、祈るように胸の前で手を組んだ金髪の少女をぼんやりと眺めていた。
彼女のささやかな胸元が緊張気味に上下し、眩い光に照らされて歌姫は微笑む。この時の為に副学院長のスカイを始めとした魔法工学を専攻する生徒たちが組み上げた、強烈な光魔法を放つことができる魔法兵器だ。空中に漂う小さな立方体から光が放たれ、歌姫を照らしている。
そして彼女の桜色の唇が開かれ、今まさに美声が紡がれようとした瞬間だ。
「――きゃああああああああああああああッ!?」
唐突に、歌姫たる少女の足元に巨大な穴が開いた。
巨大な穴は難なく歌姫を飲み込み、深淵へと誘う。重力に従って深さの見えない穴の底に落ちていったビビアン・メロディスは甲高い悲鳴を上げていたが、やがて何も聞こえなくなってしまった。それほど穴が深いのか。
歌姫の美声を今か今かと待っていた観客たちは呆気に取られ、歌声に合わせて音楽を奏でるはずだった管弦楽団は急に姿を消した歌姫の所在を探す。怪訝な表情で舞台を見上げ、それから楽器を片手に右往左往している様子だった。
弾かれたように座席から立ち上がったグローリアは、
「罠魔法……!?」
仕掛けた相手を任意の場所まで強制的に転移させる罠魔法であり、魔法の種類はかなり高度に設定されている。罠魔法を学ぶ上で必ず通る道だが、少なくとも5学年か6学年程度の実力がなければ使えない魔法だ。
しかも、この場に於ける全員が気づかなかったのだ。スカイや他の教職員どころか、グローリアでさえ罠魔法の存在に気づけなかった。もし気づいていたら事前に解除していたし、こんな事態など引き起こされなかった。
巧妙に罠魔法の存在を隠し通せていたのは、かなり高度な魔法の技術を持った魔女や魔法使いの仕業である。こんな所業をしでかす人物に該当するのは、この学院でも1人だけだ。
「スカイ、歌姫のあの子はどこにいる!?」
「大丈夫ッスよ、会場の外に運び出されたぐらいで済んだッス」
目元を覆い隠す黒い布を親指で押し上げ、世界中を見渡すことが出来る『現在視の魔眼』を発動させたスカイが消えた歌姫の行方を探し当てた。比較的安全な場所に運び出されたようだが、その意図は何だったのか。
猛烈に嫌な予感がしてならない。歌姫に選ばれた生徒を強制的に舞台から引き摺り下ろすような真似をするのは、ヴァラール魔法学院でも用務員を騙る馬鹿野郎の集団だけだ。
ざわめく『本祭』の会場に、グローリアの絶叫が響き渡る。
「ユフィーリア、君って魔女は!!」
次の瞬間、その言葉に応じるかの如く誰もいない舞台を煌々と照らしていた照明用の魔法兵器が一斉に消える。
一気に暗闇へと転じた『本祭』の会場に、誰もが驚きの声を上げた。特に年若い子供なんか急に暗くなったことで不安になり、近くにいた両親に泣きつく始末である。
明かりの消えた中で警戒心を露わにする客たちが次に聞いたものは、短い悲鳴のようなものだった。よく目を凝らせば、舞台の周辺で待機していた管弦楽団の手から楽器が次々と離れていっていた。
彼らは自ら手放した訳ではない。まるで主人である演奏家の手から逃れるように楽器が空中へ次々と浮かび上がり、弦楽器は勝手に弓を構え、木管楽器や金管楽器は空気を送り込む相手がいないにも関わらずひとりでに演奏を始めてしまう。
さぁさ皆様 開演です
夢のような世界 煌めく舞台
驚く準備は出来ているかい?
奇想天外 摩訶不思議 魔法の歌劇の開幕だ
ひとりでに動く楽器の演奏に合わせて、聞こえてくるのは5つの歌声。
舞台上を漂っていた照明用の魔法兵器が再び点灯し、歌姫が消えたはずの舞台を明るく照らし出した。
そこにいたのは銀髪碧眼の魔女を筆頭に、ヴァラール魔法学院で数々の問題行動を重ねてきた馬鹿野郎どもの姿があった。まだ『本祭』が始まる前までは浴衣や甚平の格好をしていたにも関わらず、何故か今はスーツやドレスのような服装をして舞台上で踊っていた。
ついにこの時が来たのだ。
ヴァラール魔法学院の問題児が、星屑祭りの『本祭』を乗っ取ったのだ。
「あああああ……」
グローリアは頭を抱える。
星屑祭りの『本祭』には在校生の親族類が多く参加する。今年の歌姫に選ばれたビビアン・メロディスの両親も、我が子が『本祭』で歌声を披露する絶好の機会を楽しみにしていたはずだ。
それがどうしてこうなった。その他にも名門魔法使い一族の当主や魔法研究家などのお偉いさん、果ては星屑祭りの際にしか姿を見せない冥王様までいるのに、よりにもよって1000回目となる今年の星屑祭りで問題を起こすのか。
「去年までは大人しくしてたでしょ!?」
「1000回目だから乗っ取りたくなったんスかね」
「呑気に言ってる場合じゃないでしょ、今すぐ止めさせないと!!」
舞台で踊り狂う問題児をのほほんと眺めるスカイに、グローリアは彼をガクガクと揺さぶりながら声をかける。早急に問題児を対処しなければ、歌姫に選ばれたビビアン・メロディスの両親から苦情が入る。
「止める? 止めるだと? 学院長、聡明な君なら現在の舞台を止めてはいけないと容易に理解できるはずだが?」
「ちょっとキクガ君、何言ってるの? これは早急に止めなきゃいけない案件だからね?」
たまたますぐ近くの座席を使っていた冥王第一補佐官のアズマ・キクガが、やたら真剣な表情でグローリアに言う。
その隣にいた褐色肌の美人――人型となった冥王ザァトが何故か猿轡を噛まされて手錠をかけられた状態で放置されていた。どこか恍惚とした表情を浮かべているのだが、あれは触れてはいけないものだとグローリアも判断する。
キクガはグローリアの肩を掴むと、
「息子が歌って踊る発表会を、誰も邪魔させる訳にはいかない訳だが。それよりも何か記録装置のようなものはないのかね? 息子と義娘の勇姿を記録しておきたい」
「しまった、この人ただの発表会だと思ってる!?」
星屑祭り『本祭』を乗っ取られたという訳ではなくただの発表会と認識しているキクガは「息子よ、立派に成長したな……」と最年少問題児の成長を涙ながらに応援していた。彼も元々問題児寄りの思考回路を持っているので、この状況がどれほどとんでもねーモンなのか理解していない。
グローリアは深々とため息を吐いて、座席に戻る他はなかった。
冥王第一補佐官を相手に喧嘩を売れる奴がいるなら、それはもうただの蛮勇である。親馬鹿は強いのだ。
《登場人物》
【グローリア】よりにもよって1000回目の星屑祭りで本祭を乗っ取る真似をするとは思っていなかった学院長。親馬鹿には喧嘩を売れないので止めることが出来ない。
【スカイ】意外と舞台演出や照明用の魔法兵器の使い方が上手いので、問題児から使い方を吸収しようと黙って舞台を見ていた。
【キクガ】冥王第一補佐官。愛する息子が歌って踊る発表会に感動気味。この光景を記録しておくための装置はないのか? 例えばビデオカメラとか。
【冥王ザァト】立てば芍薬、座れば牡丹、口を開けば殴りたくなるほどの変態な冥王様。猿轡と手錠を装備でご満悦。あとで猿轡は外される。