第5話【問題用務員と講義騒動】
『ああ、ちょっと蛙の格好をしているのはご容赦願います。ここへ来る途中で妖精たちから悪戯をされまして、ええはい』
最悪の自己紹介から始まった妖精学講義は、耐え難いほど冷ややかな空気に包まれていた。
舞台袖に隠れるユフィーリアは、適当に妖精関連の知識を引っ張り出してサミュエル・ニコル氏が話しているものとして披露する。『本当に参っちゃいますよね、あはははは』なんて笑うが、実際はトイレで火遊びの真っ最中だった彼を氷の魔法で気絶させてカエルスーツに突っ込んだだけだ。決して妖精たちのせいではなく、問題児のせいである。
いいや、それもおかしい。彼があんな場所で火遊びに応じていなければ、問題児の手によって気絶させられることもなかった。このように醜態を晒す羽目にもならなかったのだ。自業自得という言葉がよく似合う。
強制操作魔法によって術者の役目を負うエドワードが、ユフィーリアの語りに合わせて身振り手振りを加えてサミュエル・ニコル氏が話している雰囲気を装う。完璧な演技力だ。
『ところで妖精ってね、どこにでもいるんですよ。羽虫みたいなものなんでね、虫籠に牛乳とビスケットを設置すれば捕まりますよ』
妖精を馬鹿にするような口振りに、大講堂の生徒たちに衝撃が走った。
礼儀を重んじる妖精たちを、まさかの『羽虫』呼ばわりである。側で妖精が話を聞いていれば、間違いなく悪戯の餌食にされる。
ユフィーリアの場合、そんな悪態を吐きながら逆に妖精たちへ悪戯を仕掛けて、やり返されて、また悪戯を仕掛けて――という行為を繰り返して仲良くなったのだ。普通ではまず考えられない荒技である。
「え、いいのぉ? そんなこと言ってぇ」
「傷つくのはアタシじゃないからいいのいいの」
エドワードに指摘され、ユフィーリアは拡声魔法を一時的に中断して笑い飛ばす。このことで批判されるのはどうせサミュエル・ニコル氏だから、何を言ってもユフィーリアが傷つくことはない。
『さて妖精学でしたっけ? 妖精ってのは便利なように見えて余計なこともしてきますからねぇ、裁縫妖精には襯衣の袖口を縫い付けられて腕が通らないなんてこともありましたからね』
「ユーリが裁縫妖精の頭領と喧嘩してた頃だねぇ」
「あの時が懐かしいぜ」
ユフィーリアは遠い目をする。
現在では仲良くなった裁縫妖精の頭領だが、当時はバチバチに喧嘩をしていた間柄だった。妙にプライドが高いものだから試しにへし折ってみたら悪戯の標的にされたのだ。
こちらも魔女としての矜持がある。妖精が人間様を下に見るような真似はあってはならないのだ。せめて対等か、魔女や魔法使いなどの人間様が上の立場である。負けじとユフィーリアも全力で悪戯の餌食にしてやったのだ。
『主にね、妖精たちの住処っぽいところに水を流し込んで水没させてやったりとかね。水でビタビタに濡れたところを捕まえて、縄で縛って窓先に吊るして「ほらこれで乾くだろ!!」とかやったりね』
「やってたねぇ、妖精たちがぎゃーぎゃー騒いでうるさかったよぉ」
「火炙りにしねえだけまだマシだろ」
「いやそもそも住処を水没するのが悪いんじゃんねぇ」
「その日に着るはずだった襯衣の穴という穴を縫い付けられてただの布に替えられた時のアタシの気持ちが、お前には理解できるか?」
「あの時、襯衣を修正するのに魔法を使う羽目になって嘆いてたねぇ」
ユフィーリアと妖精たちによるドンパチを間近で見ていたエドワードが、しみじみと呟いていた。
その時である。
舞台袖に繋がる扉が唐突に開かれ、学院長のグローリア・イーストエンドが「こら!!」と乗り込んでくる。ユフィーリアたち問題児が強制操作魔法でサミュエル・ニコル氏を操作していることがバレてしまったらしい。
「何してんの!? 今すぐ止めて!!」
『嫌だ!! まだ妖精について語るんだ!!』
「拡声魔法を中止しろ!!」
ユフィーリアは「チッ」とわざとらしく舌打ちをすると、仕方なしに拡声魔法と声を変える魔法を中断する。
強制操作魔法に関してはカエルスーツ装備のサミュエル・ニコル氏までどうにかなってしまうので、エドワードを術者に据えて続行だ。この魔法まで解いてしまうと、サミュエル・ニコル氏が糸の切れた操り人形よろしく舞台上に転がる羽目となる。
憮然とした表情でお怒りなご様子の学院長に振り返るユフィーリアは、
「何だよ、アタシはこうして妖精と仲良くなったんだぞ」
「あれって君の体験談だったの!? 何してんだ本当に!!」
「いや本当に、何してたんだろうなアタシって」
「自問自答しないでよ!! 僕が聞きたいよ!!」
グローリアは「ああもう!!」と頭を抱え、
「わざわざ妖精学の教授を呼んだってのに、君たちが邪魔をして台無しだよ!!」
「もしかしたらサッちゃんも同じようなことをしてるかもしれないじゃんねぇ」
「誰!? え、二重の意味で誰!?」
筋骨隆々の蛙人間へ振り返り、グローリアが紫色の瞳を剥いて驚きを露わにした。
「ケロケロ3兄弟の長男でぇす」
「長男!?」
ムキムキ蛙のエドワードは、顔が隠れているのをいいことにしれっとそんなことを言って誤魔化した。
ユフィーリアはあまりにも雑な誤魔化しっぷりに、思わず「ぶッ」と隣で鼻水と唾を両方同時に噴出してしまった。
体格と声からすぐに判断できるはずなのに、学院長のグローリアは本気で『ケロケロ3兄弟』という蛙の3兄弟とユフィーリアが知り合いだと勘違いしているようだ。大変お疲れのご様子である。こんな雑な嘘に騙されるとは、面白くて仕方がない。
エドワードの冗談はなおも続行され、
「次男はちょっと生皮を剥がれてるんですけどぉ、ちゃんと生きてまぁす」
「生皮を剥がれされても生きてる!?」
「末っ子の三男はそちらにいますよぉ」
「え!?」
グローリアは弾かれたように振り返る。
いつのまに背後へ忍び寄っていたのか、頭にホワイトブリムを装備したメイド風カエルスーツを着用したショウがいた。「ケロケロ」と鳴いてご機嫌である。
ゴッゴッとグローリアに頭突きをしながら、ショウは「ケロケロ」と鳴いている。むしろ「ケロケロ」と鳴きながら頭突きによる攻撃を実行している。蛙の被り物がグローリアの額とゴツゴツぶつかり、そのたびにグローリアが痛みを訴えてきた。
「ちょ、あの、痛いんだけど」
「ケロケロ、ケロケロ」
「ちょっと長男さん!? 末っ子君がまだ攻撃してくるんだけど、僕はこの子に何かしたかな!?」
「多分ねぇ、ユーリの妖精学講義を邪魔されたから怒ってるんじゃないかねぇ」
エドワードは「まだ信じてるのぉ、その嘘」と呆れた様子でぼやいた。本当に、子供でも分かるような嘘を簡単に信じてしまうのか、そこまで純粋だったか?
「――――ふッ、何てね。僕だって冗談だってのは分かってるのさ」
唐突にグローリアは笑うと、
「エドワード君、いいから蛙の被り物を外しなさい!! 反省の様子がまるで感じられない!!」
「あ、ちょ、止めてよえっちぃ!!」
「えっちじゃないでしょうが!!」
グローリアはエドワードの頭を覆い隠す蛙の被り物を外してやろうと躍起になり、エドワードはエドワードで蛙の被り物を外されると死活問題なので懸命に抗っている。グイグイと互いに蛙の被り物を引っ張ってやり取りをしていた。
ちなみに忘れてはならないのが、舞台上に取り残されたサミュエル・ニコル氏である。
彼は現在、強制操作魔法の支配下にある。操作の根幹となっているのはエドワードで、ユフィーリアは魔法の安定化を図る負っているのだ。エドワードが動けば舞台上のサミュエル・ニコル氏も動く。
まあつまり、舞台上のサミュエル・ニコル氏が唐突に頭を押さえてジタバタと暴れ始めたので、大講堂に集められた生徒たちは恐怖を感じていた。
「あー、あー、あー……」
ユフィーリアは何もない場所で暴れるサミュエル・ニコル氏を眺め、
「おいグローリア、あとで説教は聞いてやるから今のエドから蛙の被り物を外すのは」
「ちぇいさーッ!!」
すっぽん、と。
グローリアの執念が勝利し、エドワードの頭から蛙の被り物が引っこ抜かれた。
非常にまずいこととなった、だって今もなお外では雷がゴロゴロと鳴り響いているのだ。
――ゴロゴロ、ピシャーン!!
大講堂の窓の向こうで稲妻が輝き、雷鳴が轟く。
「ひぎゃああああああああッ!!」
雷という彼にとって最大の鬼門を認識できないように魔法をかけた蛙の被り物を解除されれば、もうエドワードに残された道は巨大な饅頭になるぐらいだ。絹を裂くような悲鳴を上げると同時に、彼は地面へ伏せて巨大な饅頭みたいに身を縮こまらせてしまう。
その動きは強制操作魔法の支配下にあるサミュエル・ニコル氏にも伝わり、蛙の格好をした状態で唐突に蹲り始めたのだ。何かの発作かと思ってしまうのも止むなしである。
この状態でエドワードを強制操作魔法の根幹に使うのは出来ない。魔法の使用を中断しようとユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を握りしめるのだが、
「ん、暗い……」
舞台上で頭を抱えていたサミュエル・ニコル氏が、エドワードの支配下から解放されて何事もなかったかのように立ち上がったのだ。
蛙の頭で大講堂を見渡して、それから「はて?」と首を傾げる。気絶している間に会場となる大講堂へいつのまにかいたのだ、そりゃ疑問も持ちたくなる。
サミュエル・ニコル氏は自分の頭を覆う蛙の被り物に手をやり、
「ん、何だこれ……」
スポッと蛙の被り物を外すと、サミュエル・ニコル氏はぼんやりとしたは瞳でつぶらな目玉が特徴的な蛙の被り物を観察する。
「はて、何故こんなものを……というか、どうして蛙の格好を?」
不思議そうに首を傾げるサミュエル・ニコル氏は、舞台袖に隠れていた問題児の姿に気づいた。
彼の表情が徐々に強張っていく。
それもそのはず、サミュエル・ニコル氏にはバレてはならない事件がある。その光景を目撃してしまったのは、この世界で敵に回すと恐ろしい目に遭うこと間違いなしと呼ばれる問題児たちだ。
「き、君たちはあの時の……ッ!?」
「チッ、強制操作魔法が解除されちまった」
「強制操作魔法?」
「あ、やべ」
グローリアの冷ややかな視線が突き刺さり、ユフィーリアはそっと顔を顰めるのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】妖精と仲良くなった経緯は妖精と悪戯合戦の末に仲間と見られたから。シャツの袖や裾を縫い付けられてただの布に変えられたり、変な柄の下着を置かれていたりしたので、お返しに住処を水没させたりした。
【エドワード】ユフィーリアが妖精とドンパチを繰り返していた頃を間近で見ていた筋骨隆々の巨漢。当時は指差して笑い転げていたが、よく考えれば妖精相手にムキになって悪戯を仕返していたユフィーリアが考えられない。
【ハルア】ケロケロ3兄弟の次男。生皮を剥がれても生きています。だって自分は痛くないもの。
【アイゼルネ】ユフィーリアが妖精とドンパチしていた時代につるんでいないので、明かされた事実にゲラゲラ笑っていた。
【ショウ】ケロケロ3兄弟の末っ子。学院長に頭突きをするのがマイブーム。
【グローリア】妖精学の教授をわざわざ招待したのに、問題児に邪魔されたと思っている学院長。ユフィーリアが妖精に対して乱暴なことをしていたことに驚き。
【サミュエル】妖精学の権威と呼ばれている。不倫野郎だが妖精学の界隈では有名な教授で、妖精に関する勉強をして妖精との交流を深めていった。何度も悪戯されてめげずに仲良くなった経緯がある。意外とちゃんとしている。